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弁護士ブログ

2009/03/23

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 僕の自宅の近くには,この地域では毎年よそよりも数週間早く満開になる桜並木がある。個々の桜の木はそれほど大きくはないが,一足早く桜を満喫できるという意味でちょっとした名所にもなっている。でも,そこも,もう桜が散ってしまい,葉桜になってしまった。

 

 それにしても桜ほど魅力的は花はない。桜というのは,見た目も本当に美しいのだが,それ以上に,それを見る者をして内省的にさせる何かがある。何とも説明し難いが,うーん,自分の人生とか,生命とか,来し方行く末のこととか,何かそんなことを自然に感じさせてくれるのである。

 

 日本人がこれほどまでに桜を愛しているのは,僅か4,5日の短い間に精一杯咲いて人の目を楽しませ,そしてその後の散り際の潔さ,いわば「もののあはれ」を感じさせるからであろう。さきほど僕は,桜が,「自分の人生とか,生命とか,来し方行く末のこととか,何かそんなことを自然に感じさせてくれる」と述べたが,例えば自分のような年齢になると,若さに嫉妬を覚える側面がないとはいえない。でも,桜の散り際を見ていると,良寛の辞世の句とも伝えられる「散る桜 残る桜も 散る桜」の心境にもなり,嫉妬が的外れであることに思い至る。

 

 本居宣長は,「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂う 山桜花」と詠じた。また,以前,五千円札の顔にもなった新渡戸稲造先生は,「桜はその美しさの下に、およそ刃物も毒もかくしておらず、自然の呼声に応じて、いつなんどきでも世を去る覚悟ができているし、その色彩は決して派手ではなく、そのあはい香りは決して飽きがこない。・・・・・・・桜花の咲きかおる季節には、全国民がその小さな住居から呼び出されたとして、何のふしぎがあろうか。しばし彼らの手足がその労苦を忘れ、彼らの心がその痛苦悲哀を忘れるとしても、彼らをとがめてはいけない。その短い楽しみが終わると、彼らは、力も新たに、決心も新しく、日々の仕事にもどるのである。こうして、桜が国民の花である理由は一つにとどまらない。」と桜を讃えている(「武士道」新渡戸稲造著,佐藤全弘訳(教文館)220~222頁)。

 

 日本人にとって,桜という花が特別な存在であることは間違いないだろう。

2009/03/19

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 ど,どうやら半身浴はよさげである。ちょっと前から半身浴を実行しているが,半身浴について言われているいくつかの効能のうち,実感できるものがいくつかあるのである。

 

 1つは,眠りの深さである。僕は日によっては眠りに陥りにくい,つまり入眠障害的なこともあった。でも,半身浴を続けてまだそれほど経っていないものの,確かに問題なく入眠できるようになったし,眠りも深くなったような感がある。これは後に述べるような血行促進効果と無関係ではないと思う。寒くて目が覚めるということもないし,ふとんの中に入るとポカポカなのである。さらに,半身浴にはリラックス効果も確かにある。

 

 2つは,代謝が良くなり,太りにくくなった(おかげさまで標準体重を維持できている。)。代謝という点でいうと,半身浴を始めたころは,入浴中にそれほど汗はかかなかったが,最近は25分~30分間半身浴を続けると,玉のような汗が出てくるし,確かにデトックス効果があると思う。「あぁーっ。体の中から毒が出てやんの。」という感じである。

 

 昔は,江戸っ子のように42度くらいの熱いお湯に全身どっぷり浸かるお風呂の入り方が好きだった。でも,これでは体表面は一時的には温まるが,体の芯からは温まっていない。また,何より心臓に負担がかかる。前にちょっと触れたが,半身浴の効能のうち血行促進効果は重要だ。僕ぐらいの年齢になると,髪が気になる。男だから年相応に薄くなるのは仕方ないとは思いつつも,や,やっぱりねぇー。頭皮は体の最上部にあるし,心臓よりも当然上にあって,血流が悪くなりがち。そこで半身浴で血行を良くして,毛母細胞,毛乳頭を元気にし,できるだけ緑の黒髪を維持したいなともくろんでいる。そういえば,最近は少し髪にコシが出てきて,毎朝,髪の寝グセに悩まされている。髪にコシが出てくるのは大変ありがたいのだが,直りにくい寝グセはちょっと困る。僕が依頼者と打合せをしたり,法律相談をしたりするとき,いくらその説明が法律的に正しく,しかも実際に妥当なアドヴァイスであっても,強烈な寝グセのままだったら,それだけで説得力というものが無くなってしまうからである。

 

 いずれにしても,半身浴はよさげである。続けたい。この半身浴の継続により,このあたしがどのように変身し,良い体調を維持していけるか,後日改めてご報告したい。

2009/03/16

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 僕の場合は,事務員さんをランチに誘ったり,その他知人や研修生らと一緒でない限りは,昼ご飯は一人で食べる。一人で食事をすることは最初のころは苦手だったが,やや慣れてしまった。

 

 最近は年のせいなのかどうなのか分からないが,食べることが結構楽しみになっている。先日も,主にサラリーマン向けの行きつけの店に足を運び,「湯豆腐定食」を食べた。この店は,夜は割烹料理屋さん風で,昼はランチをやっており,L字型の長いカウンターの他にテーブル席,座敷などもあるが,僕は一人なのでいつもカウンターへ。さて,「湯豆腐定食」は,小鍋に昆布だしを基調とした美味しいつゆに,木綿豆腐,しいたけ,かまぼこ,とろろ昆布,みつばなどが入り,その他に魚の焼き物,ポテトサラダなどが付いてくる。

 

「いやー。やっぱり和食はダシだよなー。美味いなぁー。日本人に生まれてよかったなー。」などと思いながら,美味しくいただいていた。と,ところが,このささやかで静かなランチが暗転する事態が発生することになろうとは・・・。

 

 僕の右の席は空席,そのさらに右の席には50代後半の恰幅のいい男性がやはり食事をしていた。僕が自分の食事の約7割がたを食べ終えた時,大惨事が起こった。席を一つへだてて坐っていたその男性が,大音声でとてつもなく大きなくしゃみをしてくれたのである。くしゃみ直前に2,3回息を吸い込む雰囲気があり,瞬時に漠然とした不安がよぎったが,そのくしゃみたるや,人生に1度か2度しか体験できないであろうとてつもない大きなくしゃみであった。し,しかも,その瞬間,何やら白いものが飛散する図が僕の視野に入った。当然のことながら,その直後からは,僕の可愛い脳細胞ちゃんたちの間で,次に述べるような侃々諤々の議論がわき起こったのである。

 

→「ひでーよ。食事時に!一気に食欲が無くなった。」→「でも,くしゃみなんかは全く悪意のない生理現象なんだから,しょうがないだろ。」→「いいえ。お客さんの一人に一つずつ,ちゃんとしたオシボリが配られているはずよ。くしゃみしそうになったら,オシボリで口を押さえるくらいの最低限のマナーはあってしかるべきだわ。しかもそういった時間的余裕は僅かにあったはずよ!」→「最近は花粉も飛んでいるようだし,あのオジサン風邪気味だったかもしれないし,もっと我々もマハトマ・ガンジーのように寛容になるべきじゃないかな。」→「でも,オレは,確か中学の保健体育の教科書か何かで,くしゃみの瞬間の高感度写真を見たことがあるけど,口の中の唾液,細菌などの飛散範囲はすごいぞ。くしゃみの力だって,人によっては肋骨にひびがはいるくらいだし・・・。」→「まぁ,肋骨の問題はともかくとして,やはり口の中の物が飛散した事態はご主人様も認識されているようだし,食欲が無くなってしまったのも無理からぬものがあるだろう。」→「だからといって,残った約3割の食事を残すのは,せっかく作ってくれた店の人に悪いんじゃない?それに,あのオジサンも自分のせいで他のお客が退席したんじゃないかって,気にするのじゃないかしら。」→「でも,この状況は理屈抜きの世界だろ。お店の人たちに対しては,今後もランチに通ってあげて,決してここの料理がまずいわけではないんですってアピールできるじゃないか。あのオジサンに対しては,『オシボリで口を押さえるくらいの最低限のマナー』は尽くすようにとの意思表示だ。まあ,分別盛りの人だけど,生涯学習ってやつよ。」

 

 このように,僕の頭の中では様々な議論があり,正にカオス(混沌)の状態になった。結局僕はどうしたかというと,若干の料理を口にし,一分間くらいお茶を飲み,できるだけ件のクシャミとの因果関係を薄めた上で店を後にした。先日はささやかで静かな僕のランチが暗転してしまった日であった。

2009/03/04

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 今の事務所に移転したのが去年の4月。移転前の事務所はそこから100メートルもない場所であった。前の事務所のあったビルでは,朝,割と早い時間帯からおばさんがマメに清掃してくれていて,僕がエントランスから入ってエレベーターを使う際には,毎朝きちんとした挨拶を交わしていた。

 

 そのおばさんは,失礼ながら年齢的にはもう,おばあさんと呼んでもよい年頃で,どういう訳か僕を気にかけてくれ,挨拶の他に「先生,今日はお早いですね!」などと気軽に声までかけてくれていた。寒い時期にも半袖に近い薄若草色の作業服で,本当に一生懸命に働いている様子がわかり,大変だなあ,真面目な人なんだなあ,こういう表現が良いのかどうか知らないが,そこに昭和の残像を見ていた。

 

 去年4月,事務所を移転する際には,残念ながらそのおばさんとはちゃんとした別れの挨拶をする機会もなく移転してしまい,割と近い距離にいながらそのままになっていた。ところが,先日,ひょんなことからそのおばさんと以前のビル付近で再会した。その日は,僕は同行する証人の車に乗せてもらって裁判所まで行くことになっており,近くのコインパークから出されたその車に乗り込むところであった。ちょうどその時,以前のビルのエントランスのガラスを向こう側から拭いている薄若草色の作業服のおばさんの姿が目に入った。銀縁のメガネからその後黒縁メガネに替えてしまい,約11か月も経ってしまっていたのだが,そのおばさんは僕を目ざとく見つけ,駆け寄って丁寧な挨拶と深々としたお辞儀をしてくれたのだ。僕も駆け寄ってお辞儀をし,咄嗟に「元気でねぇーっ。」という言葉が出てしまった。そのときはそういう言葉になってしまったのだ。

 

 僕の顔は,これといった特徴があるとも思えないのに,そのおばさんはよく覚えていてくれて,直ぐに目ざとく見つけてくれて丁寧な挨拶をしてくれた。何のことはないのかもしれないが,少し嬉しく感じた。前のビルにいた頃は挨拶程度で,袖が擦れ合ったということはないのだが(それも袖が擦れ合ったというのか),袖擦れ合うも多生の縁。そのおばさんとは前世でもなにがしかの縁があったのだろうか。

2009/03/02

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 今まで僕は,お風呂というものは,バスタブから溢れるお湯を見ながらドッカと腰を下ろし,「ふぇーっ。極楽,極楽。」と言いながら肩まで浸かって温まるものだと思っていたし,ずっとそうしてきた。でも,ここ数日続けている半身浴なるものが非常に良さげなのである。まだ始めて間がないのだが,本当に良さげなんですよ。これが。

 

 半身浴は,37度からせいぜい40度くらいのぬるめのお湯に胸から下だけを浸かり,胸より上の部分を(両手も)外に出し,20分ほどお湯に浸かる入浴法である。その間は,例えばバスタブにふたをしてその上で本を読んだりする。この時に読む本は,粗相して濡れてもいいような何のことはない軽めの本だ。まかり間違っても,ダンテの「神曲」などはこの状況では読まない。

 

 まだ始めたばかりだから,これから半身浴の効用を実感することになると思うけど,何よりも体が温まり,血行が良くなる。また,毒出し,つまりデトックス効果もあるらしい。さらに,20分間走ったのと同じくらいのエネルギー消費量で,代謝も良くなって太りにくくなるという。それに,何よりもこの入浴法は,副交感神経が優位になり,リラックス効果とストレス緩和効果があり,良い睡眠も確保できるというのだから,ある意味では最もお金がかからない最良の健康法だ。良いことづくめ。確かな効用を早く実感したい。

 

 今まで半身浴の存在を知ってはいたが,何しろ僕は,冒頭に述べたようにお風呂というのは熱めのお湯に肩までどっぷり浸かるものだと思い込んでいたので,それまでは試したこともなかった。やり始めてまだ数日だが,何となく先ほど挙げた効用が少し実感でき,これからも是非続けようと思っている。

2009/02/24

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 ここ数日,これから数日は雨模様であるが,今日は月の話。仕事帰りに歩きながら冬の月を眺めることがある。冬の月は,眺めているこちらが寒がっているせいか,どこか寒々とした風情もある。でも,他の季節と比べて,月と自分とを遮るものが少ないような気がして,くっきりと見事な姿に映る。冬の月もまた格別である。

 

 月のついでに,ここ数年で知った,名前に「月」という字がつく人物についてお話したい。いつも思うけど,僕のブログは本題への導入が何とも強引である(笑)。

 

 一人目は,大町桂月である。高知県出身で,明治期から大正期にかけて活躍した歌人,随筆家,評論家である。何でこの人を知ったかというと,数年前に十和田湖,奥入瀬渓流に旅行した際に,湖上遊覧船で紹介されていたのと,泊まったホテルにもその紹介があったからである。この人は,酒と旅行を終生こよなく愛し,十和田湖などのすばらしさを全国に知らしめた。人生の最後には,十和田湖からそれほど遠くない蔦温泉に移り住み,そこで人生を終えたそうだ(蔦温泉の辺りも車で通ったが,なかなか佳い所)。僕も十和田湖や奥入瀬渓流は大好きで少なくとも2度は訪れている。どっかりと腰掛けて奥入瀬の流れを眺めていると,無常観が湧き上がってくる。絶え間ない水の流れは一瞬たりとも同じものはなく,そう,「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。・・・」(方丈記)の世界。自分の来し方行く末を思ってしまう。こうやって歳を重ねていくのだなぁ・・・。

 

 二人目は,井上井月である。気になる種田山頭火の関連書物を読んでいて,この井上井月という,幕末から明治20年にかけて長野県の伊那盆地周辺を放浪した俳人のことを知った。山頭火はこの井上井月に非常な親近感をもっており,その感情は思慕に近かったようだ。井月もやはり放浪の俳人であり,山頭火としてもその境涯や作風の面などで身近に感じていたのだろう。山頭火は,その放浪の中心は西日本だったが,何とか長野県の伊那にある井月の墓参りをしようと念願し,二度目でようやくその念願を果たしている。井月の代表的な句をいくつかあげてみる(村上護著:「種田山頭火」ミネルヴァ書房,372頁以下)。

   「旅人の我も数なり花ざかり」
   「何処やらに鶴の声きく霞かな」
   「酔いてみな思ひ思ひや月今宵」
   「芋掘りに雇はれにけり十三夜」

 

 月といえば,僕は中村屋の月餅も好きだ。ち,違うかぁ・・・(笑)。

2009/02/20

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 既視感と言うらしい。フランス語でデジャヴュ。ある場面に遭遇した時,「あれっ?この場面,どこかで見たことあるけど・・・」という体験はないだろうか。僕は,小学生のころ,少なくとも2回はそういう体験をしたことがある。さすがに,今となってはどういう場面だったかは覚えていないが・・・。ところが,それが数日前,とても久しぶりに,外での仕事中にそういう場面に遭遇した。

 

 何故そういう体験をするのだろうか。この既視感というのは,そういう場面に将来遭遇することをあらかじめ夢で体験すること,すなわち予知夢とも違うらしい。すごく不思議な現象に思えてくる。小学生のころ,こんな体験は自分だけなのか不安になって家族や友達に尋ねてみたことがある。そしたら,自分だけでなく他の人も大なり小なりそういう経験があると知って安心した記憶もある。人間の脳って本当に不思議だなと思う。

 

 予知夢とは違うにしても,夢とは全く関係ないとも思えないし・・・。高校生の時には,その当時大学生だった姉の本箱の中に,宮城音弥の「夢」(岩波新書),フロイトの「夢判断(上・下)」(新潮文庫)があって,何やら面白そうだなと興味本位で読んでみたが,その時は夢判断に非常に興味をもった。クラスで毎日一人ずつ課せられた3分間スピーチで,得意げに知ったかぶりのフロイト学説の受け売りをした恥ずかしい思い出もある。でも,自分としては,夢判断や既視感に興味があり,時間を見つけてはこの方面の本を読んでみたいと思う(もちろん仕事もちゃんとするが・・・)。

 

 今日のブログは,もう,ちゃんとした話にまとめきれないのを自覚したので,最後に,フロイトついでに,思い出に残る大学時代のクラスメートに言及したい。彼は,○○君といった。当時,自分1人だけか,あるいは2,3人の友人で,「大衆芸能同好会」の活動という名目でストリップ劇場などによく出入りしており,「リビドー○○」という異名も冠せられていた(笑)。でも,彼は非常に優しく,控え目で,僕は割と好感をもっていた。その彼も大学生活を謳歌し,卒業と同時に,日本でも有数の一流企業への就職をちゃっかりと決めた。結構印象に残っているクラスメートである。今頃どうしているであろうか。

2009/02/10

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 数日前のブログは昼飯ネタだったが,本日も昼飯ネタである。皆さんは,今日は何が何でもカレーライスを食いたいという日はないだろうか。そういう日は,決まって訪れる店が2つあるが,先日このうちの1つを訪れた時のこと。本日のタイトルは「反面教師」だが,これは具体的には食べ方の反面教師という意味である。

 

 カウンターだけのその店は,ランチ時には少し早かったので空席がかなりあった。僕が「カレーって,ほんとに美味いよなぁ。」,「死の直前に一食だけ食べられるとしたら,俺だったら何を選ぶだろうかなあ。」などととりとめのないことを考えながら,ゆっくりと静かに味わいながら安いポークカレーを食べていた。そうしたら,もう50歳代後半と思われるサラリーマン風の男性が二人連れで店内に入って来た(闖入という感じ。)まさかと思ったら,その二人連れは僕の隣に座ったのだ。空席が結構あるのに何故だろうと思ったら,どうやら自動ドアの近くはスースーして寒いからということのようである。

 

 まぁ,そこまではよい。でも,彼らの注文したカレーが届けられ,それらを食べ始めてからは,ゆっくりと静かに食べたかった僕にとっては凄惨な情況となった。彼らは終始仕事のことを甲高い大声で話しまくり,しかもそのスプーン使いが非常に粗雑で,絶えず「カン,カン,カン」とスプーンを皿に無造作に衝突させながら食べていたのである。挙げ句に,僕のすぐ隣に座った方などは,瞬時も手を休めることなく,あたかもコンクリートミキサーのようにルーとご飯を混ぜ合わせ,絶えずせせこましくこねくり回しながら食べていた(その一瞬たりとも休むことのない小刻みな右手の動きは嫌でも僕の視界に入ってしまう)。何かしら気分的に落ち着かない。また,カレーの食べ方は人それぞれであり,僕がとやかく言う筋合いではないかもしれない。でも,見てくれの点でちょっと言わせてもらうと,すぐ隣の人のように完全にルーとご飯とを混ぜ合わせたりした風情は,吐瀉物(食べながらこのブログを読んでいる人にはゴメンね)を連想してしまい,僕が最も嫌いな食べ方なのだ。僕は,絶えず一口ごとのスプーンに,ルーとご飯が半分ずつ節度を保った状態(混ぜ合わさっていない)で口に運びたいのだ。その二人連れは僕が食べ終わる前にカレーをかき込み終え,そのうちの一人は席を立つ直前に水を飲み干したコップをテーブルに「バンッ!」と置いて,二人して疾風怒濤のように去っていった(定年間際の企業戦士のようだった)。

 

 その一連の行動を音で表現すると,「ガヤ,ガヤ」,「カン,カン,カン」,「バンッ!」となる。自分のことは棚に上げて敢えて言うが,「品がないっ!」。ああいうオジサンになってはいけないとつくづく思った。それで本日のタイトルとなったのである。

 

2009/02/06

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 あんまりきれいな店構えではないけど,以前から好きだった中華料理店がある。本当に働き者で,夫唱婦随の老夫婦がせっせと調理してくれる。その真面目な働きぶりを見ていると,心象風景としての昭和がよみがえる。癒されもする。前はキャバレーだったビルの地下1階にあり,一番最初はすごく入りにくい感じだが,味が良いせいかランチ時はサラリーマンやOLで賑わう。久しぶりにこの店の天津飯が食いたくなってのぞいてみた。

 

 店内はカウンターのみで,客席は12ほど。僕が注文した天津飯が出された時点では,僕の右側は満員。左側はというと,1つ席が空き,中年サラリーマン(以下「子羊」という。)また1つ席が空き,その左側は満員。つまり,空いている客席は子羊の左右1席ずつだけであった。

 

 僕は天津飯,子羊はAランチ(その店ではチャーハンとラーメンの定番セット)を美味しそうに食べていた。その直後,子羊の困惑や狼狽の気持は「察するに余りある」という情況が生じてしまったのである。すなわち,美人OL3人づれが颯爽と店内に入り,順番待ちとして子羊の背後にずらりと立ったのである(そのOLの制服は見覚えのあるメガバンクのもの)。この子羊ちゃん,以前僕がトレーニングジムで体験した「待たれる」立場に突如として追いやられてしまったのである。そのチャーハンとラーメンのセットといえばお昼の定番で,空腹時にはたまらないメニュー。味わって食べたいはずであろうに,子羊ちゃんは食べ始めたばかりで,食べ終わるまでには長丁場。他人事とはいえ,僕も何やら心理的に緊迫感を感じ,彼の困惑や狼狽の気持は「察するに余りある」のである。この言葉は,事故等の被害者の心情を察する際によく使われる言葉であって,ここでこの言葉を使うのは躊躇されたが,その時は即座にこの言葉が思い浮かんだのである。

 

 子羊は,その間じゅう食べながらどんなことを考えたのであろうか。「この情況は,ど,どうしようもないよな。3人づれだから俺が1つずれても2人しか座れないし・・・。で,でも,たとえ2人でも座りたいだろうか・・・。あ”ーっ。」という感じだったろうか。もちろんその美人3人衆(厳しめに言うと美人は1人だけ)には罪はない。しかし,客観的には緊迫した雰囲気を醸し出していた。そこでようやく,左側の人が「ごちそうさま。」と言って勘定を済ませてくれたので,子羊ちゃんがそそくさと1つずれてやり,ようやくその美人3人衆(本当は1人)は全員座れたのである。

 

 その3人衆は即座にいずれもAランチを注文し,やがてみんなラーメンとチャーハンを美味しそうに頬ばっていた。食欲旺盛で元気で若い。こういう人達の頑張りがあってこそ,銀行はその自己資本比率を維持できているのではなかろうか。

 

 

2009/02/03

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 僕のこのブログは,比較的まめに更新している方だと思う。でも,一瞬ネタに困ることもある。しかし,やはり今日も更新を期待している全国約6000万人の僕のブログファンの方々に読んで欲しいという強い気持ちもある。そこで,これだけは他人に告白するつもりは全くなかったのだが,本日はお日柄もそれほど良くないので,恥を忍んで禁断のこの実体験を告白することにしたい。

 

 ・・・いや,やっぱり止めとこう。僕にも誇り(矜持)というものがある。言うに事欠いて,こんなことまでブログに書くのは・・・。告白するというのは,やはり無かったことにして欲しい。

 

・・・・・・・・・・・い,いや。一度告白すると言っておきながら,そして読者をいったんその気にさせておきながら,前言を翻すというのは,ブロガーとしての鼎の軽重を問われかねない。ええぃ,これを告白したからといって,命まで取られてしまう訳ではない。清水の舞台から飛び降りたつもりで,思い切って告白することにする。

 

 これは,今から1年数か月前に自分の身に実際に起こったことである。右側の乳頭部分が急にヒリヒリ,チクチクするようになり,しかもその回りも若干赤くなり,腫れた状態になった。最初のうちは,僕の可愛い細胞ちゃん達の一時の迷いだろうと楽観していたが,次第に,その患部が下着とこすれるだけで看過できない痛みがあり,仕事にも集中できなくなってしまった。気になってインターネットで調べてみると,何と,男性にも乳ガンがあるとのことである。前立腺ガンなら一応男らしいが,乳ガンで死ぬとなると,孫子の代まで不名誉なこととして語り継がれてしまう。

 

 意を決して,僕にとっては全く未知の分野である乳腺外来を予約し,診察を受けることにした。悩みに悩んだ末の苦渋の決断だった。検査着に着替え,診察室の前の長イスで待つように指示された。そしたら,先着の3人くらいの女性がやはり同じ検査着を着て待っており,本当に汚いものでも見るかのように,いぶかしげな視線を一斉に僕に投げかけてきた。肩身の狭い僕がイスに座ると,隣の女性は,すぐに腰を浮かせて僕から少し離れるように居住まいを正した。「針のむしろ」という言葉があるが,正にこういう情況がそうなのだと思った。

 

 約15分後に自分の名前が呼ばれ,恐る恐る診察室に入り,医師の診察を受けた。若い女性の看護師さんも「まぁ,珍しい人が来たわね。」という感じで接し,検査着をまくったのも彼女である。触診等が終了した後,医師から「念のためマンモグラフィー検査をしておきましょうか。」と言われた。妙な名前の検査だなと思ったが,それで乳ガンでないかどうかが分かるなら,すっきりするし,しおらしく「はい。」と答えた。

 

 何やら薄暗い部屋に入り,検査が始まった。その後は思い出すのも辛いのであるが,内心「ぎゃあーっ。」と叫びたいような事態に直面,すなわち,患部を機械で挟まれた状態でレントゲンを撮られたのである。そのとき僕の頭の中で駆けめぐった思いは,「おいおい。乳首とその回りが痛むからここに来たのに,何が悲しくてその『痛む』患部を挟むのよー。1日人助けのために一生懸命に仕事して疲れているのに,どうしてなの。せっかく司法試験に合格して弁護士になったのに,こんな薄暗い部屋であろうことか乳首を機械で挟まれながらもがいているなんて,一体全体,僕が前世でどんな悪業を積み重ねたというんだ。あぁ-っ。」というようなことだ。このようにして,僕の空前絶後のマンモグラフィー受検は終了した。

 

 結局,そのマンモグラフィー検査でも乳ガンの疑いは全くなく,その当時僕が他のお医者さんに処方してもらって飲んでた薬の副作用の疑いもあるということだった。医師からは,「一応外用薬を出しておくけど,それを塗って,あと,その処方してもらってる薬も変えてもらえるなら変えてもらってね。」と指示された。その後は,外用薬のおかげか,それともその薬を変えてもらったおかげかは知らないが,マンモちゃん受検後1週間くらいしたら,僕の乳首及びその周辺は何事もなかったかのように正常に戻ったのであった(笑)。

 将来僕が,自分の孫に,「じいちゃんなぁ。昔,マ,マンモグラフィーって検査を,う,受けたことがあるんだぜっ。」などと照れながら告白する日が来ることもあるのだろうか。

 

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