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弁護士ブログ

2009/02/02

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 「ばつが悪い」という言葉の意味を国語辞典で調べてみると,その場のぐあいが悪い,きまりが悪いという意味だそうだ。そういう意味では,先日,1日に3回も「ばつが悪い」ことが起こってしまった。

 

 午前中に仕事で弁護士会に行く途中,事務所を出て間もなくしてからのことだった(弁護士会まではまだ遠い)。前の歩行者を追い越すには接触しないよう少し気を遣うような狭めの歩道上を,コートを着たオッサンがタバコを吸いながらゆっくりゆっくり歩いていた。このままだと後ろを歩く僕は,絶えずその煙と速度に付き合わされる羽目になる。僕は,そんなのたまるかという気持ちで,少し体を斜めにしながらそのオッサンを追い越そうとした。その際,そのオッサンと少し目が合った。何とそのオッサンは,僕よりはるかにキャリアが古く,よく知っている同業の弁護士さんだったのだ。あちゃー。目があった時の僕の表情は不機嫌さが露骨に表れていたことは間違いなく,その直後にニコッと180度反対の表情に豹変することにより,その場は何とか取り繕った。しかし,何とも「ばつが悪い」。

 

 その日昼飯を食った後,弁護士会で僕が数人と談笑していた時に,第2の事件が起こった。爆笑の後,ほんのちょっと遅れて,「ぶた笑い」が出てしまったのである。これは「ぶた笑い」というのだと思うけど,思いっきり笑い切って息を吸うとき,「ンゴーッ」,「ンガーッ」ってなるやつ。別に中年のオッサンに僕の「ぶた笑い」を聞かれてしまっても何とも思わないが,一人おいて隣に美人の弁護士がいたのである。彼女に「ぶた笑い」を聞かれてしまった可能性は極めて高く,何とも「ばつが悪い」。

 

 第3の事件は,その日の夕刻,銀行のATMの所で発生した。僕が画面の取引内容のボタンをちょっとミスして押してしまい,それで「取消」の所をタッチした。その直後,「お手数ですが,初めからやり直してください!」という例のメッセージが流れた時,隣のATMの前にいた中年のオバサンがジロリと僕を刺すような視線を浴びせたのである。何とも「ばつが悪い」。まぁ,これはばつが悪いというほどのこともないが,2連発よりは3連発の方がインパクトがあるということで,とってつけた感じがしないでもない。

 

 ただ,少ししつこいかもしれないが,「お手数ですが,初めからやり直してください!」という例のメッセージについて,あと少し考察を加えたい。結論から言えば,ちょっと画面タッチをしくじっただけで中年のオバサンのあんな視線を浴びたくないから,例のメッセージももう少し言い方を変えてはどうかと思う。最初の「お手数ですが・・」というのは,相手も一応へりくだっており,僕を尊重した言い方でそれは評価できる。でも,「初めからやり直してください!」というのは,語尾変化の活用からすれば明らかに命令形である。冷たく命令されたという敗北感があるし,何より,人前で怒られてしまった感がある。僕はこう見えても一応は善良な市民なのであって,何か悪さをしようとしていた訳でもない。だからどうせなら,「いいこと?今度は慎重にね。間違えないようにね。」といったような温かい教育的配慮がにじみ出た語調のメッセージか,あるいは,通常の音量の4分の1程度にして,僕だけをたしなめ,新たに指示するような小さな音量,少なくとも他人から「あっ,あいつ怒られてやんの。」と気づかれないようにしてもらいたいと思うのである。

2009/01/26

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 僕が東京及びその周辺で暮らした年数は通算で約5年間であった。文京区小石川の近く,柏,松戸,和光などである。その時代にしょっちゅう通った店には,東京に行く機会があれば今でも立ち寄ることが多い。本日はお日柄も良いので,東京行きの際に立ち寄る率が高いお店を,3つばかり紹介しちゃいたい。

 

第1の店・・・・・旭川ラーメン「番外地」八重洲北口本店(立ち寄り率100%)

 この店は,東京駅八重洲地下中央口に潜り,大丸デパートの地下を横目に少し歩いた場所にある。行きも帰りも新幹線の東京駅を利用する訳だから,この店に通うのに何の苦労もない。苦労がないどころか,この店のラーメンを食べられるんだったら,多少の苦労も厭わない。店に入ると,いつもの威勢の良い,どちらかというともうおばさんの方に近いお姉さんが,「へい,らっしゃい。・・何にしましょう?」と元気よく迎えてくれる。入口すぐの所にあるレジでまずは食券を買い求める。メニューの中でも自分は絶対に「塩バターコーンラーメン」である。これはいい。魚介系のダシが利いたスープ(大好き)。コシのある中太ちぢれ麺にこのスープがよくからみ,少なめのチャーシュー(くどくない)が好みだし,大きく四角に切ったバターが徐々にスープ全体にとろけていく。本来の白いレンゲの他に,コーンの一粒も無駄にしないように金属製の穴あきレンゲも添えられている。恥ずかしながら,実は僕は,昼と夜の2回にわたり,この「塩バターコーンラーメン」を食べたことがある。

 

第2の店・・・・・名曲喫茶「ライオン」(立ち寄り率62.5%)

 僕はクラシック音楽が好きだもんだから,コーヒーを飲みながら,時には好きな本を読みながら,音楽を楽しむ隠れ家的な場所を欲していた。この名曲喫茶「ライオン」は,割と有名な老舗だから隠れ家という訳にもいかないが,若い頃からよく訪れていた。今でも立ち寄り率は6割を超えている。渋谷駅から道玄坂を上って行き(向かって右側の歩道を),坂の中腹に差し掛かった辺りで右の路地に入り,さらに坂を上っていく。もう少しで上り切るという所の左側にこの店はある。あたし好みの落ち着いた雰囲気の店だ。各曲の終わりには,耳に心地よい若い女性の抑制の利いた声で,例えば,「ただいまの曲は,サン・サーンス作曲,交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』,ジャン・マルティノン指揮,フランス国立管弦楽団の演奏でした。」なんていうコメントも流れるのだ。かつては僕は,「自分がもし女性に生まれ変わったら,結婚前にここでこういった感じのアルバイトをする手もありだな・・・。」などと,愚にもつかない,訳の分からないことを思い浮かべた経験がある。

 

第3の店・・・・・寄席「鈴本演芸場」(立ち寄り率37.5%)

 これは店というより,寄席である。今でも立ち寄り率は4割に達しようとする。上野駅から歩いて10分もかからない。缶ビールと名物の助六寿司を味わいながら,落語という世界に誇るべき日本の話芸を堪能できる瞬間は,本当に日本人のアイデンティティーが感じられ,「あぁ,日本人に生まれてよかったなぁ・・・」とつくづく思うのである。落語は勿論であるが,それ以外の分野でお気に入りなのは,漫談のペペ桜井と紙切り芸の林家正楽である。

 

 今週の金曜と土曜に東京へ行くことになっている。本来の用務を終えたら,再びこういった店に立ち寄れたらいいなと思っている。ただ今回も,僕の命ある限りは,「番外地」には絶対に立ち寄り,「塩バターコーンラーメン」を食べてしまうと思う。

2009/01/22

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 僕は,健康管理のために(ストレス解消ともいう),最低でも週1回はトレーニングジムに通っている。でも,先日そのジムで,心理的に非常に微妙な目に遭った。

 

 ジムではいろんなことをやるが,必ずやるのが約40分間の有酸素運動で,それはトレッドミルといってベルトコンベアーのような物の上で早歩きをするのである。その日も「さあ,やるぞ!」とやる気満々で始めた。そのジムはトレッドミルの機械が20~25台くらいはあるのだが,その日は結構混んでいた。僕が始めて30分ほど経った時,たまたま僕の隣が空いて若い男性が来てその台に乗っかったのだが,なかなか始めようとしない。変だなと思って後ろを振り返ったら,何と,彼の彼女らしい若い女性も立っていたのである。そう,彼らは連席で仲良くトレーニングをしたかったようで,僕が終わるか,あるいは一つ隔てて僕の向こう側で早歩きしているオッサンのどちらかが終わるのを虎視眈々と待っていたのである。あーぁ,いやーな感じ。ハイエナかハゲタカが今にも死にそうな獲物が死ぬのを待っているような感じなのである。

 

 でも,僕としても,いつもの通りあと10分くらいは続けたい。そこで,僕の頭の中では,僕の可愛い脳細胞ちゃんたちの臨時議会が招集され,いつもより10分早めて終了し,このうら若いカップルに譲るべきかどうかが審議され始めた。重苦しいけど誠実な審議の結果,「メタボたちが一生懸命に努力しているこの神聖な場所で,色恋沙汰を持ち込むべきではない」という意見が大勢を占め,決して譲るべきではないという議決がなされたのである。それに,向こう側のオッサンもそのうち終わってくれるだろうという楽観的な観測もあった。

 

 このようにして,僕は決然としていつもどおり約40分間の早歩きを続行したのである。でも,その間,いつもはその負荷で脈拍数は108前後なのに,その間は115くらいになり,彼らに「待たれていた」情況が僕の心理に多大の影響を与えていたことは否めない(しゃくに障る。)。それはともかくとして,約40分間が経過しても,何故か僕の体は夢遊病者のようにそのまま動き,早歩きを続けてしまったのである。向こう側のオッサンはというと,水分を補給しながらますますやる気満々で止める気配が全くないのである。そうこうしているうちに,かのうら若きカップルは,ようやく連席で仲良くトレーニングできる場所を見つけ,移動していった。

 

 結局,僕はいつもより約5分間余分に早歩きをやってしまった。思えば,約10分間続行した時間帯は正論を貫きとおしたと評価できるが,余分な5分間は一体何だったのだろうか。それは,虚心坦懐に振り返れば,嫉妬心以外の何ものでもなかっただろう。向こう側のオッサンも僕とほぼ同時に終了したことからすれば,彼も同じく嫉妬心をメラメラと燃やし続けていたに違いない。件のカップルの様子を見ると,案の定,イチャイチャしながら,談笑しながら走っていた。その姿を見て,自分のやったことは決して間違ってはいなかったと言い聞かせ,ジムを後にした(なお,念のために言うと,僕はメタボではない。)。

2009/01/15

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 実際には非常に可笑しい場面なのに「笑うな!」と言われたり,全員が沈黙し,絶対にここで笑っちゃいけない厳粛な場面などで,結局はそういうプレッシャーに負けて笑っちゃったということはないだろうか。僕は,幼少のころから現在に至るまで,絶対に笑ってはいけない場面ではことごとく笑ってしまった人生を歩んできた。前にもこのブログで,人間ドックの腹部エコー検査では毎回笑ってきてしまった歴史について触れたが,こればかりはどうしようもない。自分としてはこのような悲しい性(さが)を何とかしたいのだが,DNAレベルでそのような人間に生まれてきてしまったのだ。何故だろう。絶対に「笑っちゃいけない!」という意識が強くなればなるほど,そのような強迫観念が僕を支配し,その絶対性が僕を追い詰め,それに押しつぶされてきたのだ。もうこれは死ぬまで治らないのかもしれない。

 

 先日,法廷での証人尋問の前に行う宣誓の場面で,またしてもやってもうた。「良心にしたがって本当のことを申します。知っていることを隠したり,ないことを申したりなど,決していたしません。右のとおり誓います。」という宣誓書の決まり文句を,どの証人も法廷の厳粛な雰囲気で述べることになっている。ところが,その証人は,「・・・・知っていることを隠したり,ないことを申したりなど,決していたします。・・・・」と言い間違えてしまったのだ。これはテレビでやっているような「言いまつがい」とはニュアンスが少し違うと思うが,外形的には,これから思いっきり嘘をつくぞという宣言になってしまったのだ。この証人本人には勿論そのようなつもりはなく,これをあげつらうことは不謹慎であり,ましてや法律家である以上,それを耳にして法廷で吹き出したりしてはいけないのだ。しかし・・・・あってはならないことであるが,やってもうた。

 

 僕は昔から,笑ってはいけないという場面では,必死になって,例えば,自分の太ももを思いっきりつねって苦痛を与えたり(太ももの中でも,お尻に近い方は脂肪が多くて痛くなく,むしろ膝に近い方がより痛みが多いので,相対的には効果があるような気はしている。),過去のとても悲しい場面を思い出すなどして,絶対に笑わないように自分なりに工夫してきた。でも,その一方でそうまでして笑わないように必死であがいている自分自身を,空間の少し上の方から客観的に観察して哀れんでいる自分も意識され,結局は「笑うなプレッシャー」に押しつぶされて,笑ってしまうのである。笑ってはいけない場面で,ちゃんと笑わないでいられる人が羨ましい。一体,全体,何を食べたら,そのように分別があり,その分別に従って行動できるような抑制のきいた人間に成長できるのであろうか。やっぱり,僕のこの性分は,死ぬまで治らないのだろうか・・・・・。

2009/01/13

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 最近ゴルフの調子がいまいちである。ここんとこのスコアがどれくらいかは,とても恥ずかしくて言えるものではない。確かに回数は減ったし,昔は週1ペースで打ちっ放しの練習場にもいそいそと通っていたのが,最近ではそれもあまりないから,下手になったのかなぁ・・・。まあでも,気が置けない友達と緑の中を歩いたり走り回ったりしていると,とても楽しいものである。

 

 これはあまり脈絡はないのだが,ゴルフついでに告白すると,僕は雨の日に傘をさしながらゴルフ場のフェアウェイを歩いていると,決まって「あめふりくまのこ」のメロディーが頭に浮かんでくるのだ(ほとんど例外なく!)。子供のころ,NHKの「みんなの歌」か何かの番組でこの曲を耳にして以来大好きな曲なのである。先日,カラオケに行った時,「まさかある訳ないよな」と,だめもとでこの曲を探していたら,何と,見つかってしまった。僕は矢も楯もたまらず,思わず歌ってしまった。同席の人たちは「困った人だな。」といったような顔をしていた(要するに失笑を買ってしまったという感じ)。でも本当にこれは佳い曲で,何か懐かしい感じがするのだ。

 

 弁護士としては依頼者のため一生懸命に誠実に仕事をしなければならないのは勿論であるが,人間として生まれてきた以上,一生懸命に遊びもしなければならない。僕は,「梁塵秘抄」(巻第二 四句神歌 雑)の中の次の歌がとても,とても好きだ!

     「遊びをせんとや生まれけむ  戯れせんとや生まれけん

      遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」

 この曲の大意については,遊女が子供の声を聞いて自分の罪深さを嘆いているのだという解釈もあるにはあるが,僕は,文字通りの意味,つまり純粋に一人の人間として遊びに興じている無邪気な子供の声に触発されて,自分の体も思わず動いてしまう,一緒に遊びたくなってしまうというような心情を歌ったのではないかと思う。

 

 僕の子供の頃も,草野球,ビー玉,缶蹴り,ハンドベースボールなど,日が暮れる直前まで時間も忘れて(時にはその日にいっぱい出された宿題の存在も忘れて),頭がからっぽの状態でひたすら遊んでいたものだ。やっぱ,人間は「遊びをせんとや生まれけむ」だ。歳をとってもいつまでも遊びごころを忘れずにいたいと思う。

 それにしても内容散漫な本日のブログであることよ。

 

2009/01/05

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 皆様 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 元旦は良いお天気だった。平和な日本にあって何とか人並みの暮らしができているのだから,元旦の晴天を眺めながら,幸福感をしみじみとかみしめるべきであろう。でも,生来ペシミストである僕は,やはり将来のことについて何かと不安を感じることもあるというのが本音だ。

 

 年末年始はいろんな本を読んだが,「大平正芳-『戦後保守』とは何か」(福永文夫著,中公新書)の中に,不安を感じる僕を勇気づける,心に響くような次のようなくだりがあった。

 

 「時代は想像を絶した変化を経験しています。ことしは何が起こるかわかりません。大いなる不安の連続です。世界をあげて『不安』の時代にさおさしています。しかしこの『不安』も連続すれば,それは一つの『安定』となり得るものです。度胸がすわってくるものです。私はこの不安定の中に度胸を据えて,新春の感激の中に光明を求めて前進したいと存じます。」

 

 これは,その当時自民党代議士だった大平正芳が,1961年の新春,郷土の四国新聞に寄せたエッセイの一部だそうだ。政界きっての知性派で,将来は宏池会を率い,首相にまでなった大平正芳と,小市民の僕とでは,その考える「不安」の内容はスケール的にも質的にも大きな差があるであろうが,さきほどのエッセイの中で示された言葉は何故か僕を勇気づけた。

 

 勇気づけられた余勢を駆って,今年は何かにつけて積極的に打って出ようと思う。そして,打って出ついでに,あの苦闘の「オーディション」を経て入団を許された合唱団でも,しっかり練習して「マタイ受難曲」演奏の一翼を担いたい。僕はバス声部担当の一人で,スコアを見ながら音取りの練習をしているが,改めてこの曲の精緻さ,すばらしさを実感するし,J.S.バッハの偉大さに思いを致す。

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