昨年(2023年)は体調を崩していたことや引越しなどがあったりして,私的にはなかなかに大変な年でしたので,セルゲイ・ラフマニノフ生誕150年,没後80年でちょっとしたブームになっていたことにも全く気づきませんでした。私にとってヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽は別格なのですが,実はラフマニノフの音楽はとても好きです。
先日ラジオで音楽を聴きながらマイカーで移動していましたら,NHKFMで偶然にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が流れました。とてもラッキーでした。しかも,それは1929年でしたか,作曲者であるラフマニノフの自演,レオポルド・ストコフスキー指揮,フィラデルフィア管弦楽団の演奏だったのです。もちろんモノーラルですが,ラフマニノフ自身の演奏という極めて貴重な録音でした。
少しゴツゴツとした野太い力強い音ではありますが,その一方で極めてロマンティックで緑豊かな広大な草原を思わせるような雄大な演奏でした。ラフマニノフは作曲家としてだけではなく,素晴らしい技巧を身に着けた当代一流の名ピアニスト(ヴィルトゥオーゾ)だったのですね。
生前のラフマニノフの生の演奏をロンドンで何度も聴いたという音楽評論家野村光一さんのコメントがウィキペディアに掲載されていましたので,少し引用してみます。
「ラフマニノフの音はまことに重厚であって、あのようなごつい音を持っているピアニストを私はかつて聴いたことがありません。重たくて、光沢があって、力強くて、鐘がなるみたいに、燻銀がかかったような音で、それが鳴り響くのです。まったく理想的に男性的な音でした。」
1917年のロシア革命が勃発し,ボリシェビキ共産主義政権が誕生して以降は,ラフマニノフは二度とロシアの地を踏むことはなく,アメリカに居を構えましたが,これ以降は主としてピアニストとしての活動となり,従前のような作曲活動はあまりしなくなりました。その理由を尋ねられたラフマニノフは,「もう何年もライ麦のささやきや白樺のざわめきもきいていない」ことを理由として挙げていたそうです。確かに,交響曲第2番や第3番,そしてピアノ協奏曲第2番や第3番などのとてつもない傑作を聴いていますと,緑豊かな広大な草原を思わせるような,そして何かしら郷愁を覚えるような美しいメロディーがちりばめられています。都会では作曲に対する霊感(インスピレーション)が涌かなかったのかもしれません。
やはりこれまた20世紀を代表する名ピアニスト(ヴィルトゥオーゾ)としてウラディーミル・ホロヴィッツが有名ですが,ラフマニノフとホロヴィッツは30年の年齢差がありますが,アメリカで親交があったということです。我が家には,ホロヴィッツのピアノ,ユージン・オーマンディー指揮,フィラデルフィア管弦楽団演奏のラフマニノフのピアノ協奏曲第3番のライブ録音CDがあります。これは本当に圧倒的な名演です。
ラフマニノフの曲を聴いていると本当にメロディーメーカーだなと思います。美しい旋律が多いのです。これまで挙げてきた曲だけでなくその他に私が好きなのは,そしてお勧めなのは,「ヴォカリーズ」,「前奏曲ト短調作品23-5」,「パガニーニの主題による狂詩曲第18変奏」です。いずれも人口に膾炙した名曲です。まあ,取り敢えず騙されたと思って,YouTubeででも交響曲第2番第3楽章(ラフマニノフ)を聴いてみてくださいな(笑)。
ピアニストのマウリツィオ・ポリーニが亡くなりました。私はもちろん音楽を生業にしている者ではありませんが,クラシック音楽を愛好する者の一人として,学生時代からこの偉大なピアニストに憧れておりました。いつも心の中にあった。
このピアニストは「世界的なピアニスト」の一言で表現できるような存在ではなく,専門家の間でも恐らく20世紀で十指に入るピアニストだったのではないでしょうか。ポリーニの凄さについては,私もど素人ながらこのブログでも過去に取り上げておりますので,良かったらこのサイト内検索で「ポリーニ」と入れて検索してみてください。くどいようですがいつも心の中にあるピアニストでした。
私がポリーニの生演奏を初めて聴いたのは,1991年4月28日(日)午後2時からの東京文化会館でのリサイタルでした。その日の曲目は,ベートーベンのソナタ第13番(幻想風ソナタ)変ホ長調,第15番ニ長調「田園」,ディアベッリのワルツによる33の変奏曲ハ長調でした。
2回目は,1993年4月22日(木)午後7時からのやはり東京文化会館でのリサイタルでした。その日の曲目は,シューベルトのソナタト長調「幻想」,ノーノの「・・・苦悩に満ちながらも晴朗な波・・・」,ドビュッシーの6つの練習曲「練習曲集」第2集でした。
いずれも素晴らしい演奏でした。何が素晴らしいのかについては,ど素人の私などが表現すれば的外れになってしまいそうなので避けますが,とにかく感動したことだけは間違いありません。いずれにしてもポリーニが49歳,そして51歳の充実期に生の演奏に接することができたことは幸せでした(願わくばショパンが聴きたかったけど)。
実はその後3回目のチャンスが訪れたのですよ。忘れもしない2018年10月11日(木)午後7時からサントリーホールで予定されていたポリーニのリサイタルです。しかしながら,彼の「腕の疲労が回復しない」状態であったため,残念ながら延期になってしまったのです。東京に住む娘がチケットを手配してくれ,私は喜び勇んでその日名古屋から新幹線に乗ったのですが,その車中にあった午前11時40分ころ,娘からのその情報に接しました。予定されていた曲目は,ショパンの2つのノクターン(作品55),ショパンのピアノソナタ第3番ロ短調(作品58),ドビュッシーの前奏曲集第1巻です。誠に素晴らしいラインナップ!断腸の思いでした。でもその時ポリーニは既に76歳だったのですから致し方ありません。何とか次の機会をと思っていましたが,このたびの訃報です。本当に残念です。正に「巨星墜つ」です。
「ピアニストたちの世界」(芸術現代社:昭和58年4月発行)という古い本に掲載されていた専門家の発言を再び引用してみましょう。
「本質的にぼくはいま、絶対、最高のピアニストだと思う。つまり値段(ギャラ)でいえば、ふつうの並みいる世界的なピアニストの十倍ぐらいはもらってもいい人だろうと思うのですよ。つまり、だれもできないことができるんだから。」(作曲家諸井誠,同書99~100頁)
「確かにポリーニは、彼が到達している芸術的高所と過去の実績に照らしても疑いもなく今世紀の十指に数えられる名ピアニストであるだろう。」(音楽評論家藁科雅美,同書141頁)
昨夜は寝る前にCDを取り出し,ポリーニ演奏のベートーベンのピアノソナタ3曲(第13番,第14番「月光」,第15番「田園」)を聞きながら寝入りましたし,今朝はポリーニが2009年に録音したバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻を聴きながら出勤しました。
私はひそかにバッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻の録音も期待していたのですが,それも見果てぬ夢となってしまいました。合掌
3連休の初日,久しぶりにゴルフをしました。スコアの方は今一つでしたが,そんなに寒くもなく,また風もなくて楽しくラウンドすることができました。4人で回ったのですが,そのうちの一人にTさんという個性的で面白い人がおります。
ラウンド中に急にその人が言うには,最近頭の中を「喝采」という歌のメロディーがぐるぐる回って離れないのだそうです(笑)。「喝采」という曲は,実力派歌手のちあきなおみさんの持ち歌ですね。確かに短い期間であっても,自分の頭の中でぐるぐる回ってなかなか離れないメロディーがあったりしますよね。実はその時私もあるメロディーが頭からなかなか離れないので,思わずその面白いTさんの話に賛同しました。でも彼の場合,なんで「喝采」なのでしょうか(笑)。ティーインググラウンドでもTさんはそのメロディーを口ずさんでいましたから,よっぽどなのでしょう。でも音程が少し外れているのです(笑)。面白い人ではあります。
実はそのゴルフの時も今も,私の頭の中でぐるぐる回ってなかなか頭から離れないメロディーというのは,ボロディン作曲の「ダッタン人の踊り」です。これは歌劇「イーゴリ公」の第二幕で登場する曲なのですが,これが異国情緒たっぷり,すごく印象的で実に佳い曲なのですよ。最近このメロディーがなかなか頭から離れない(笑)。今この時も(笑)。
自宅でまったりしているときなどに,テレビで検索してYouTubeでこの曲を楽しんでおります。「ボロディン ダッタン人の踊り」とキーワードを入れて検索してみてください。かなりの数の動画が出てきますよ。それに第二幕で実際にこのメロディーに乗って踊られるシーンも誠に素晴らしい。その振付がやはり印象的で踊りもなかなか官能的なのです。
ボロディンという作曲家はなかなかのメロディーメーカーですね。その他に私の印象に強く残っているメロディーは,ボロディンの「弦楽四重奏曲第2番 第3楽章 夜想曲(ノクターン)」です。このメロディーがまた素晴らしい。これもYouTubeなどで一度お試しあれ。
もうだいぶ昔の話になりますが,私がまだ20代半ばの独身時代には,いわゆる名画座と呼ばれる映画館でいろんな映画を数々観たものです。その当時から私は,テレビでロードショーとして予告宣伝しているようなメジャーな映画よりも,アート系の映画や古い映画を好んで観ていました。
そんな中で,たまたま「アメリカ交響楽」という映画を観たことも記憶に残っています。この映画を観る前には何の下調べもしていませんでしたから,これがアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュインの伝記映画だとは知らなかったのです。全編にわたってガーシュインの音楽が流れ,彼の類まれな音楽的才能が開花し,徐々に成功していくシーンの連続で,何かワクワクするような映画だったと記憶しています。9月26日はガーシュインの誕生日のようですね。
「ラプソディー・イン・ブルー」,「パリのアメリカ人」,「ポーギーとベス」(特にこの劇中で歌われる「サマータイム」)などお馴染みの名曲は私も大好きですし,「ピアノ協奏曲ヘ長調」も誠に素晴らしい。「ラプソディー・イン・ブルー」などは「シンフォニック・ジャズ」の傑作と評価されているように,ガーシュインの音楽にはクラシック音楽とジャズとが見事に融合した独特の魅力があります。
そういえば,私の愛蔵するCDの中に,フランスのピアニストであり作曲家でもあるジャック・ルーシェの「プレイ・バッハ」というアルバムがあります。これはバッハの平均律クラヴィーア曲集やインヴェンション,「G線上のアリア」,「主よ、人の望みの喜びよ」,コラール前奏曲「目覚めよと呼ぶ声あり」などのバッハの珠玉の名作をジャズ風にアレンジした内容です。クラシック音楽とジャズは結構合うんですよね,融合できるのです。
ガーシュインは何と38歳の若さで亡くなり,短命だったのですが,その限られた活動期間にもかかわらず大小合わせてかなりの数の作品を世に問うております。その恵まれた才能からして,長生きさえすればもっともっと多くの傑作を生み出したに違いないのでしょうが,とても残念ですね。バッハの「マタイ受難曲」を蘇演させたメンデルスゾーンも38歳で亡くなっておりますし,ショパンも39歳で亡くなっております。やはり病気には勝てません。
しかしながら,彼らが生み出した傑作群は後世に伝わり,今でも我々を精神的に癒し,楽しませてくれます。
少し前の日曜日の朝,朝食までにはまだ時間がありましたので,テレビのスイッチを入れてBS放送のチャンネルを何気なく回しておりました。たまたまある番組で,これからいよいよ演奏が始まるというシーンに遭遇しました。曲名は「ティアーズ・イン・ヘブン」でしたが,トロンボーン奏者1人が前面で,背後にバイオリンやビオラなどの弦楽器奏者が数人の編成でした。
このエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」という曲は以前から佳い曲だな,名曲だなと思っておりましたので,とてもラッキーでした。でも,トロンボーンが主旋律を奏でるとは意外でした。
演奏が始まると,その意外だったトロンボーンの音色がこの曲にとてもマッチし,時にはため息,時には悲しみの気持ちを絞り出すような慟哭とでも表現すべき音色が本当に素晴らしかったのです。
日曜日の朝っぱらから感動して思わず涙が出てきたのですよ。これから朝ごはんだというのに(笑)。この曲を聴いていて,とても切なかった。日曜日の朝っぱらから涙を流すなんて,別に私は感情失禁気味という訳でもありません。エリック・クラプトンがこの曲を作った背景を知っているからなのです。どうしてもその背景事情を思うと,この名曲の旋律や歌詞に接した時には切なくなってくる訳です。
彼は1991年3月20日,まだ4歳半だった愛しい息子コナーを不慮の事故で亡くしてしまいました。4歳半といえば可愛い盛りです。このあまりにも悲劇的な事態に大変ショックを受け,クラプトンは自宅に引き籠ってしまい,多くのファンは彼が再びドラッグと酒の世界に舞い戻ってしまうのではないかと心配しました。
しかしながら,彼はこの曲を作って天国の愛息に捧げることで,その悲しみを乗り越えることに成功し,見事に音楽活動に復帰,返り咲いたのです。旋律も,そして歌詞も,聴く人をして本当に切なくするけれど,名曲だと思います。
ひと頃と比べますと,新型コロナウイルス感染者数も落ち着いてはおりますが,私が通っているピアノ教室恒例の,ピアノバーで飲食しながらの気楽な年末発表会は中止になり,昨年と同様,録画・YouTubeでの視聴形式となりました。
先日,その録画も無事に終了し,本当にほっとしております。幸い私の場合は,1回撮り直しただけで終了しましたが,生徒さんによっては何度も何度も撮り直しの方もいたそうです。
プロじゃないんだから気楽なもんでしょ,と言われそうですが,録画の時は本当に緊張しますよ。間違えたら撮り直しですもの。もちろん失敗したら失敗したで,失敗したままの発表をすれば良いのですが,やはりみんなが視聴しますからね(笑)。
昨年はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のプレリュードを選曲しましたが,今年はやはりバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を選曲しました。もともとこの曲は,教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の中に入っている声楽曲ですが,あまりにも有名で人口に膾炙したこの曲をピアノ独奏用に編曲した楽譜を使用しました。
私が使用した楽譜は,初心者用の平易なものであり,20世紀前半に活躍した英国の女流ピアニストであるマイラ・ヘス編曲の本格的な楽譜ではありません。いやぁ,私の演奏の出来はともかくとして,バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」という曲は佳い曲ですね。
どうあれ,録画は終了しました。どうあれ・・・(笑)。それにしても思うのですが,本当にプロの演奏家は凄い。心からリスペクトしております。いくら時間をかけて日々練習をしていたとしても,実際のコンサート会場で演奏する際の緊張,プレッシャーには凄まじいものがあると思いますよ。やはり多くの聴衆の前でのミスタッチは嫌ですからね。その緊張,プレッシャーを克服して各回の演奏をそつなくこなすのですから,誠に素晴らしい。プロのピアニスト,もちろんやりがいのある職業でしょうが,私の場合はお気楽な趣味の範疇で良かった。
数日前の10月17日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパンの命日でした。1849年に39歳で亡くなっており,それから173年も経っているのですが,ショパンの名曲群は色あせることなく現代でも光り輝く存在で,愛聴され演奏されています。私の蔵書の一つに「フルトヴェングラーとの対話」(カルラ・ヘッカー著,薗田宗人訳,音楽之友社)という本がありますが,あの世界的に有名な名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーはショパンのピアノ協奏曲の録音などないのですが,ショパンを特に高く評価していたそうです。この本には「バッハは旧約、ベートーヴェンは新約聖書、それ以外にあるのはただショパンだけです。」というくだりがあります。私の記憶に間違いがなければ,他の本にも,フルトヴェングラーは時間のある時,自らもバッハやショパンを自宅で弾いていたということです。
さしずめ今夜は,お酒と共に,ショパンでも聴きますか。
今住んでいるマンションは,いわゆるメゾネットタイプというやつで,1階と2階に分かれており,「折り返し階段」(7段ずつ,全部で14段)になっております。確かに,天井が吹き抜けになっており解放感があり,娘がまだ小学生の時にこのマンションの形状を珍しがって気に入ったこともあって購入しました。
でもその娘も今は独立して東京で一人暮らしをしており,年に3,4回帰省するくらいです。私たち老夫婦二人にとっては階段の上り下りも少し負担ですし,少し広すぎるきらいもあって最近では住み替えを考え始めております。
さて,マンションの住み替え計画の点はともかくとして,うちのカミさんは昔から朝早く起きて朝食を作ってくれています。本当に感謝,感謝です。カミさんは最近では台所で朝食を作る際にはYouTubeで音楽を聴いているのですが,私からの影響もあってクラシック音楽を適当に選択して聴いていることが多いです。毎日朝食は午前7時と決まっております。
その時間に合わせて7時ちょっと前に私が階段を下りてくる時は,いつも卵焼きを作っている工程の時です(笑)。毎朝,大抵はそうなっているのです。そして朝の挨拶を交わして私も配膳を手伝っています。
一昨日の朝でしたか,ちょうど私が階段を下りていた時に流れていたのが,リヒャルト・ワーグナーの「ジークフリート牧歌」でした。穏やかで味わいの深い佳い曲ですね。意識して選んだ訳ではないのでしょうが,カミさんがいつものとおり卵焼きを作っていた時に流れていたのがこの曲でした。学生時代にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のこの曲のレコードを聴いていましたが,結婚する際にレコードは全部処分してしまいました。
この「ジークフリート牧歌」というのは,ワーグナーが愛妻のコジマ(フランツ・リストの娘)の誕生日及びクリスマスプレゼントとして作曲したものです。才能ある作曲家というのは凄いですね。妻へのプレゼントに自分で曲を作って贈るんですから。またこの曲の非公開初演の様子が素晴らしい。要するにサプライズだったのです。
早朝,まだコジマが眠っている最中に楽団員がその寝室から階段全体にかけてスタンバイし,階段頂上に陣取ったワーグナーが指揮を初めて静かに音楽の開始・・・。愛妻コジマが目覚めて,驚きとともに感激に浸ったことは言うまでもありません。
これは小編成の室内オーケストラで演奏される20分くらいの曲ですが,ワーグナーとしては,前年に息子ジークフリートを生んでくれた妻にねぎらいと感謝の気持を自らの音楽で示したのです。
昨年末にロータリークラブの年末家族例会という席で,余興(出し物)として,小編成の合唱団で4曲ほどを歌ったことがありました。そのうちの3曲は短い童謡・唱歌でした。にわか作り,急ごしらえの10名ほどの男女混声合唱団であり,十分な練習時間も確保できませんでしたが,なかなかの好評だったと思います(笑)。たまには童謡・唱歌もいいですね。日本の童謡・唱歌は愛らしく,いかにも日本的な文化に根差した情緒というものがあります。これからも忘れ去られることなく,ずっと歌い継がれていって欲しいものです。
ところで,産経新聞には「朝晴れエッセー」というコーナーが掲載されています。私はいつも目を通している訳ではありませんが,たまたま目に留まったエッセーの中には本当に感動的なエッセーもありますよ。さすが産経新聞!報道姿勢もそうですが,訳の分からない川柳を臆面もなく掲載する朝日新聞とは雲泥の差です(笑)。
7月29日の産経新聞に掲載された「朝晴れエッセー」を読んで,朝からしんみりとした気持ちになりました。和歌山市の方の投稿ですが,終戦の年の昭和20年7月28日に1歳半の弟を病気で亡くし,その1週間後の8月2日には過労で寝込んでいたお母さんも亡くしてしまったというのです。軍服を早く縫うように急かされていたそのお母さんは(お父さんは戦地),過労により2階で寝込んでいたところ,病気で1歳半の我が子が亡くなった事実を知り,冷たくなった我が子の顔をそっとなでて涙をふきながら,とぼとぼと2階へ上がって行った。そのとき,2階からはやさしい声で聞こえてきたのが「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んでこわれて消えた・・・」という歌だったそうです。結局,その1週間後にお母さんも亡くなります。
シャボン玉という童謡・唱歌はとても有名であり,私も小学生の時に音楽の授業で歌ったことがありました。長調の曲であり,シャボン玉遊びをしている場景を歌った楽しい歌だとばかり思っておりましたが,よくよく調べてみると,作詞者である野口雨情には長女みどりを生後7日目か8日目で亡くしたという辛い体験があり,その長女のことを思い出しながらこの「シャボン玉」を作詞したという説が有力です。ある日,野口雨情がシャボン玉遊びをしている子供たちに遭遇し,長女が生きていれば彼女たちと同じ年ごろだっただろうな,などと長女(みどり)のことを思い出しながら作詞したという説です。
野口雨情は,やはり終戦の年の昭和20年1月27日に亡くなっており,新聞などの彼の死亡記事の中ではこの代表作「シャボン玉」の作詞経緯などに触れられていたのかもしれません。ひょっとしたら,さきほどの「朝晴れエッセー」に出てきたお母さんも,そのようにして「シャボン玉」の作詞の背景を知っていたからこそ,2階で悲しくも優しい声で「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んでこわれて消えた・・・」と歌ったのでしょうか。
ちょっと遅くなりましたが,ピアノ発表会が何とか無事に終わったことのご報告です。
1月29日(土)午前11時,ちょっとしたホールでピアノ発表会が開催されました。この年齢になって,しかも約50年ぶりに発表会に出て演奏するなんて,思ってもみませんでした。やはりむちゃくちゃ緊張しますよ。私の順番はちょうど真ん中,曲目はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番プレリュード(ハ長調)です。これはバッハのピアノ曲の中でも技巧的,難易度としては最も容易いものの一つです。
それでも人前で弾くのは苦手であり,とても緊張します。また,どうしても早く終えたいとの一心からテンポが速めになってしまいました。何とか大きなミスタッチはなく,終わりから3小節目に差し掛かりましたが,そこでやらかしました(笑)。功を焦ったか・・・。
その辺りには「calando」という音楽用語が記載されております。「calando」というのはイタリア語で,「だんだん遅くしながら弱く,消え入るように」という意味で,そのように弾かなければならないわけです。私も忠実にそれを守ろうとしたのですが,終わりから3小節目の左手の音が本当に消え入ってしまい,音が鳴らなかったのです(笑)。やらかしました。これは断腸の思い。画竜点睛を欠くとは烏滸がましいのですが,今から振り返ってみてもそこだけは残念でした。
まあ,そうはいっても何とか無事に終わり,うちのカミさんにも褒められました。
M先生には「1000万円もするピアノで演奏できるんだよ。」と唆されて発表会に出たのですが,やはりそのピアノの素晴らしいこと・・・。音色といい,キータッチの良さといい,さすがに素晴らしく,とても弾きやすいピアノでしたね。
かねてから私は,プロのピアノ演奏家をリスペクトしております。ピアノを弾く人間は誰でもミスタッチはあります。でも,私のようなずぶの素人とプロとでは要求されるものが格段に違います。いくら練習をして完成度を高めても,大勢の人前で本番の演奏をする時の緊張,プレッシャーはいかばかりか。それでも超絶技巧を要するような難曲も弾きこなすわけですから,プロはやっぱり凄いと思います。
私はもう年齢も年齢ですし,これからは人前で緊張しながら弾くなどといった冒険はやめにして,好きな曲をマイペースで練習し,自分だけで楽しみたいと思います。
私がある音楽教室の「大人のピアノ」のコースに通い,レッスンを受け始めてからもう2年半になります。月に3回,金曜日の午後6時から1時間レッスンを受けています。
教材はその教室が推奨する教則本(2冊ほど)を使用して練習,レッスンを進めていきます。昔のようにバイエル,ブルグミュラー25の練習曲,ソナチネアルバムなどといったお定まりのコースではなく,いろいろと生徒の理解を深めたり,奏法をマスターしていくのに適した最近の,そして今風の教材なのです。ですから,表題の全くないもの,ポピュラー,クラシックなど様々な曲が含まれています(初心者にも弾きやすいように編曲済み)。
それやこれやで,これまで私も教則本(教材)2冊を卒業し,3冊目の途中に到達しました。M先生(女性)とは世間話もするのですが,とにかく私がバッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)の音楽をこよなく愛していることがバレていましたので,M先生は「バッハ・ピアノ小品集」という曲集を私に薦めてくれました。ありがたいことです。ですから,今はその3冊目の教則本と「バッハ・ピアノ小品集」という曲集を練習しているのです。
ただ,この「バッハ・ピアノ小品集」という曲集は全部で45曲が収録されているのですが,よく見ると必ずしもバッハの曲ばかりではありません。中には,曲名の後に「Komponist unbekannt」と記され,バッハ作品番号である「BWV」と番号の間に「Anh」と表示されているものが含まれております。
「Anh」というのはドイツ語で「Anhang」の略で,付録,追加,補遺などといった意味です。要するに,「Anh」と表示されているその曲は実際にバッハが作曲したものかどうかは不明,確認されていないということのようです。
まあ,それでもどれも魅力的で素晴らしい小品集であることは間違いないものの,これは何となくですが,「Anh」と表示されている曲にはバッハらしくないという印象を受けるものがあります(素人判断でも)。そういった曲と,例えば「Aria d moll(アリアニ短調)」(BWV515)(これは紛れもなくバッハの作品)とでは,何と申しましょうか,音楽的な全く深みが格段に違うのです。やはりバッハだなあと感動させる何かがあります(精神的な深みと言ってもいいでしょう。)。
前にも述べましたように,この「バッハ・ピアノ小品集」という曲集は全部で45曲が収録されてはいるのですが,「Johann Sebastian Bach BWV〇〇〇〇」と表示され,バッハが作曲したものと確認されている曲は30曲です。もちろんこの小品集のどの曲も一生懸命に練習しますが,やはりバッハの曲だとどうしても力の入れようが違ってきます。やはり私はバッハの曲をこよなく愛しているのですよ(笑)。
そしてひょっとして,この曲集を卒業すれば,いよいよ「インベンション(2声)とシンフォニア(3声)」に進むことができるかもしれません。M先生から「あなたには無理!」と言われてしまうかもしれませんが(笑)。
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