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弁護士ブログ

2024/02/13

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3連休の初日,久しぶりにゴルフをしました。スコアの方は今一つでしたが,そんなに寒くもなく,また風もなくて楽しくラウンドすることができました。4人で回ったのですが,そのうちの一人にTさんという個性的で面白い人がおります。

 

ラウンド中に急にその人が言うには,最近頭の中を「喝采」という歌のメロディーがぐるぐる回って離れないのだそうです(笑)。「喝采」という曲は,実力派歌手のちあきなおみさんの持ち歌ですね。確かに短い期間であっても,自分の頭の中でぐるぐる回ってなかなか離れないメロディーがあったりしますよね。実はその時私もあるメロディーが頭からなかなか離れないので,思わずその面白いTさんの話に賛同しました。でも彼の場合,なんで「喝采」なのでしょうか(笑)。ティーインググラウンドでもTさんはそのメロディーを口ずさんでいましたから,よっぽどなのでしょう。でも音程が少し外れているのです(笑)。面白い人ではあります。

 

実はそのゴルフの時も今も,私の頭の中でぐるぐる回ってなかなか頭から離れないメロディーというのは,ボロディン作曲の「ダッタン人の踊り」です。これは歌劇「イーゴリ公」の第二幕で登場する曲なのですが,これが異国情緒たっぷり,すごく印象的で実に佳い曲なのですよ。最近このメロディーがなかなか頭から離れない(笑)。今この時も(笑)。

 

自宅でまったりしているときなどに,テレビで検索してYouTubeでこの曲を楽しんでおります。「ボロディン ダッタン人の踊り」とキーワードを入れて検索してみてください。かなりの数の動画が出てきますよ。それに第二幕で実際にこのメロディーに乗って踊られるシーンも誠に素晴らしい。その振付がやはり印象的で踊りもなかなか官能的なのです。

 

ボロディンという作曲家はなかなかのメロディーメーカーですね。その他に私の印象に強く残っているメロディーは,ボロディンの「弦楽四重奏曲第2番 第3楽章 夜想曲(ノクターン)」です。このメロディーがまた素晴らしい。これもYouTubeなどで一度お試しあれ。

2023/09/26

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もうだいぶ昔の話になりますが,私がまだ20代半ばの独身時代には,いわゆる名画座と呼ばれる映画館でいろんな映画を数々観たものです。その当時から私は,テレビでロードショーとして予告宣伝しているようなメジャーな映画よりも,アート系の映画や古い映画を好んで観ていました。

 

そんな中で,たまたま「アメリカ交響楽」という映画を観たことも記憶に残っています。この映画を観る前には何の下調べもしていませんでしたから,これがアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュインの伝記映画だとは知らなかったのです。全編にわたってガーシュインの音楽が流れ,彼の類まれな音楽的才能が開花し,徐々に成功していくシーンの連続で,何かワクワクするような映画だったと記憶しています。9月26日はガーシュインの誕生日のようですね。

 

「ラプソディー・イン・ブルー」,「パリのアメリカ人」,「ポーギーとベス」(特にこの劇中で歌われる「サマータイム」)などお馴染みの名曲は私も大好きですし,「ピアノ協奏曲ヘ長調」も誠に素晴らしい。「ラプソディー・イン・ブルー」などは「シンフォニック・ジャズ」の傑作と評価されているように,ガーシュインの音楽にはクラシック音楽とジャズとが見事に融合した独特の魅力があります。

 

そういえば,私の愛蔵するCDの中に,フランスのピアニストであり作曲家でもあるジャック・ルーシェの「プレイ・バッハ」というアルバムがあります。これはバッハの平均律クラヴィーア曲集やインヴェンション,「G線上のアリア」,「主よ、人の望みの喜びよ」,コラール前奏曲「目覚めよと呼ぶ声あり」などのバッハの珠玉の名作をジャズ風にアレンジした内容です。クラシック音楽とジャズは結構合うんですよね,融合できるのです。

 

ガーシュインは何と38歳の若さで亡くなり,短命だったのですが,その限られた活動期間にもかかわらず大小合わせてかなりの数の作品を世に問うております。その恵まれた才能からして,長生きさえすればもっともっと多くの傑作を生み出したに違いないのでしょうが,とても残念ですね。バッハの「マタイ受難曲」を蘇演させたメンデルスゾーンも38歳で亡くなっておりますし,ショパンも39歳で亡くなっております。やはり病気には勝てません。

 

しかしながら,彼らが生み出した傑作群は後世に伝わり,今でも我々を精神的に癒し,楽しませてくれます。

2023/02/13

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少し前の日曜日の朝,朝食までにはまだ時間がありましたので,テレビのスイッチを入れてBS放送のチャンネルを何気なく回しておりました。たまたまある番組で,これからいよいよ演奏が始まるというシーンに遭遇しました。曲名は「ティアーズ・イン・ヘブン」でしたが,トロンボーン奏者1人が前面で,背後にバイオリンやビオラなどの弦楽器奏者が数人の編成でした。

 

このエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」という曲は以前から佳い曲だな,名曲だなと思っておりましたので,とてもラッキーでした。でも,トロンボーンが主旋律を奏でるとは意外でした。

 

演奏が始まると,その意外だったトロンボーンの音色がこの曲にとてもマッチし,時にはため息,時には悲しみの気持ちを絞り出すような慟哭とでも表現すべき音色が本当に素晴らしかったのです。

 

日曜日の朝っぱらから感動して思わず涙が出てきたのですよ。これから朝ごはんだというのに(笑)。この曲を聴いていて,とても切なかった。日曜日の朝っぱらから涙を流すなんて,別に私は感情失禁気味という訳でもありません。エリック・クラプトンがこの曲を作った背景を知っているからなのです。どうしてもその背景事情を思うと,この名曲の旋律や歌詞に接した時には切なくなってくる訳です。

 

彼は1991年3月20日,まだ4歳半だった愛しい息子コナーを不慮の事故で亡くしてしまいました。4歳半といえば可愛い盛りです。このあまりにも悲劇的な事態に大変ショックを受け,クラプトンは自宅に引き籠ってしまい,多くのファンは彼が再びドラッグと酒の世界に舞い戻ってしまうのではないかと心配しました。

 

しかしながら,彼はこの曲を作って天国の愛息に捧げることで,その悲しみを乗り越えることに成功し,見事に音楽活動に復帰,返り咲いたのです。旋律も,そして歌詞も,聴く人をして本当に切なくするけれど,名曲だと思います。

2022/10/22

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ひと頃と比べますと,新型コロナウイルス感染者数も落ち着いてはおりますが,私が通っているピアノ教室恒例の,ピアノバーで飲食しながらの気楽な年末発表会は中止になり,昨年と同様,録画・YouTubeでの視聴形式となりました。

 

先日,その録画も無事に終了し,本当にほっとしております。幸い私の場合は,1回撮り直しただけで終了しましたが,生徒さんによっては何度も何度も撮り直しの方もいたそうです。

 

プロじゃないんだから気楽なもんでしょ,と言われそうですが,録画の時は本当に緊張しますよ。間違えたら撮り直しですもの。もちろん失敗したら失敗したで,失敗したままの発表をすれば良いのですが,やはりみんなが視聴しますからね(笑)。

 

昨年はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のプレリュードを選曲しましたが,今年はやはりバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を選曲しました。もともとこの曲は,教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の中に入っている声楽曲ですが,あまりにも有名で人口に膾炙したこの曲をピアノ独奏用に編曲した楽譜を使用しました。

 

私が使用した楽譜は,初心者用の平易なものであり,20世紀前半に活躍した英国の女流ピアニストであるマイラ・ヘス編曲の本格的な楽譜ではありません。いやぁ,私の演奏の出来はともかくとして,バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」という曲は佳い曲ですね。

 

どうあれ,録画は終了しました。どうあれ・・・(笑)。それにしても思うのですが,本当にプロの演奏家は凄い。心からリスペクトしております。いくら時間をかけて日々練習をしていたとしても,実際のコンサート会場で演奏する際の緊張,プレッシャーには凄まじいものがあると思いますよ。やはり多くの聴衆の前でのミスタッチは嫌ですからね。その緊張,プレッシャーを克服して各回の演奏をそつなくこなすのですから,誠に素晴らしい。プロのピアニスト,もちろんやりがいのある職業でしょうが,私の場合はお気楽な趣味の範疇で良かった。

 

数日前の10月17日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパンの命日でした。1849年に39歳で亡くなっており,それから173年も経っているのですが,ショパンの名曲群は色あせることなく現代でも光り輝く存在で,愛聴され演奏されています。私の蔵書の一つに「フルトヴェングラーとの対話」(カルラ・ヘッカー著,薗田宗人訳,音楽之友社)という本がありますが,あの世界的に有名な名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーはショパンのピアノ協奏曲の録音などないのですが,ショパンを特に高く評価していたそうです。この本には「バッハは旧約、ベートーヴェンは新約聖書、それ以外にあるのはただショパンだけです。」というくだりがあります。私の記憶に間違いがなければ,他の本にも,フルトヴェングラーは時間のある時,自らもバッハやショパンを自宅で弾いていたということです。

 

さしずめ今夜は,お酒と共に,ショパンでも聴きますか。

2022/10/07

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今住んでいるマンションは,いわゆるメゾネットタイプというやつで,1階と2階に分かれており,「折り返し階段」(7段ずつ,全部で14段)になっております。確かに,天井が吹き抜けになっており解放感があり,娘がまだ小学生の時にこのマンションの形状を珍しがって気に入ったこともあって購入しました。

 

でもその娘も今は独立して東京で一人暮らしをしており,年に3,4回帰省するくらいです。私たち老夫婦二人にとっては階段の上り下りも少し負担ですし,少し広すぎるきらいもあって最近では住み替えを考え始めております。

 

さて,マンションの住み替え計画の点はともかくとして,うちのカミさんは昔から朝早く起きて朝食を作ってくれています。本当に感謝,感謝です。カミさんは最近では台所で朝食を作る際にはYouTubeで音楽を聴いているのですが,私からの影響もあってクラシック音楽を適当に選択して聴いていることが多いです。毎日朝食は午前7時と決まっております。

 

その時間に合わせて7時ちょっと前に私が階段を下りてくる時は,いつも卵焼きを作っている工程の時です(笑)。毎朝,大抵はそうなっているのです。そして朝の挨拶を交わして私も配膳を手伝っています。

 

一昨日の朝でしたか,ちょうど私が階段を下りていた時に流れていたのが,リヒャルト・ワーグナーの「ジークフリート牧歌」でした。穏やかで味わいの深い佳い曲ですね。意識して選んだ訳ではないのでしょうが,カミさんがいつものとおり卵焼きを作っていた時に流れていたのがこの曲でした。学生時代にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のこの曲のレコードを聴いていましたが,結婚する際にレコードは全部処分してしまいました。

 

この「ジークフリート牧歌」というのは,ワーグナーが愛妻のコジマ(フランツ・リストの娘)の誕生日及びクリスマスプレゼントとして作曲したものです。才能ある作曲家というのは凄いですね。妻へのプレゼントに自分で曲を作って贈るんですから。またこの曲の非公開初演の様子が素晴らしい。要するにサプライズだったのです。

 

早朝,まだコジマが眠っている最中に楽団員がその寝室から階段全体にかけてスタンバイし,階段頂上に陣取ったワーグナーが指揮を初めて静かに音楽の開始・・・。愛妻コジマが目覚めて,驚きとともに感激に浸ったことは言うまでもありません。

 

これは小編成の室内オーケストラで演奏される20分くらいの曲ですが,ワーグナーとしては,前年に息子ジークフリートを生んでくれた妻にねぎらいと感謝の気持を自らの音楽で示したのです。

2022/08/01

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昨年末にロータリークラブの年末家族例会という席で,余興(出し物)として,小編成の合唱団で4曲ほどを歌ったことがありました。そのうちの3曲は短い童謡・唱歌でした。にわか作り,急ごしらえの10名ほどの男女混声合唱団であり,十分な練習時間も確保できませんでしたが,なかなかの好評だったと思います(笑)。たまには童謡・唱歌もいいですね。日本の童謡・唱歌は愛らしく,いかにも日本的な文化に根差した情緒というものがあります。これからも忘れ去られることなく,ずっと歌い継がれていって欲しいものです。

 

ところで,産経新聞には「朝晴れエッセー」というコーナーが掲載されています。私はいつも目を通している訳ではありませんが,たまたま目に留まったエッセーの中には本当に感動的なエッセーもありますよ。さすが産経新聞!報道姿勢もそうですが,訳の分からない川柳を臆面もなく掲載する朝日新聞とは雲泥の差です(笑)。

 

7月29日の産経新聞に掲載された「朝晴れエッセー」を読んで,朝からしんみりとした気持ちになりました。和歌山市の方の投稿ですが,終戦の年の昭和20年7月28日に1歳半の弟を病気で亡くし,その1週間後の8月2日には過労で寝込んでいたお母さんも亡くしてしまったというのです。軍服を早く縫うように急かされていたそのお母さんは(お父さんは戦地),過労により2階で寝込んでいたところ,病気で1歳半の我が子が亡くなった事実を知り,冷たくなった我が子の顔をそっとなでて涙をふきながら,とぼとぼと2階へ上がって行った。そのとき,2階からはやさしい声で聞こえてきたのが「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んでこわれて消えた・・・」という歌だったそうです。結局,その1週間後にお母さんも亡くなります。

 

シャボン玉という童謡・唱歌はとても有名であり,私も小学生の時に音楽の授業で歌ったことがありました。長調の曲であり,シャボン玉遊びをしている場景を歌った楽しい歌だとばかり思っておりましたが,よくよく調べてみると,作詞者である野口雨情には長女みどりを生後7日目か8日目で亡くしたという辛い体験があり,その長女のことを思い出しながらこの「シャボン玉」を作詞したという説が有力です。ある日,野口雨情がシャボン玉遊びをしている子供たちに遭遇し,長女が生きていれば彼女たちと同じ年ごろだっただろうな,などと長女(みどり)のことを思い出しながら作詞したという説です。

 

野口雨情は,やはり終戦の年の昭和20年1月27日に亡くなっており,新聞などの彼の死亡記事の中ではこの代表作「シャボン玉」の作詞経緯などに触れられていたのかもしれません。ひょっとしたら,さきほどの「朝晴れエッセー」に出てきたお母さんも,そのようにして「シャボン玉」の作詞の背景を知っていたからこそ,2階で悲しくも優しい声で「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んでこわれて消えた・・・」と歌ったのでしょうか。

2022/02/03

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ちょっと遅くなりましたが,ピアノ発表会が何とか無事に終わったことのご報告です。

 

1月29日(土)午前11時,ちょっとしたホールでピアノ発表会が開催されました。この年齢になって,しかも約50年ぶりに発表会に出て演奏するなんて,思ってもみませんでした。やはりむちゃくちゃ緊張しますよ。私の順番はちょうど真ん中,曲目はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番プレリュード(ハ長調)です。これはバッハのピアノ曲の中でも技巧的,難易度としては最も容易いものの一つです。

 

それでも人前で弾くのは苦手であり,とても緊張します。また,どうしても早く終えたいとの一心からテンポが速めになってしまいました。何とか大きなミスタッチはなく,終わりから3小節目に差し掛かりましたが,そこでやらかしました(笑)。功を焦ったか・・・。

 

その辺りには「calando」という音楽用語が記載されております。「calando」というのはイタリア語で,「だんだん遅くしながら弱く,消え入るように」という意味で,そのように弾かなければならないわけです。私も忠実にそれを守ろうとしたのですが,終わりから3小節目の左手の音が本当に消え入ってしまい,音が鳴らなかったのです(笑)。やらかしました。これは断腸の思い。画竜点睛を欠くとは烏滸がましいのですが,今から振り返ってみてもそこだけは残念でした。

 

まあ,そうはいっても何とか無事に終わり,うちのカミさんにも褒められました。

 

M先生には「1000万円もするピアノで演奏できるんだよ。」と唆されて発表会に出たのですが,やはりそのピアノの素晴らしいこと・・・。音色といい,キータッチの良さといい,さすがに素晴らしく,とても弾きやすいピアノでしたね。

 

かねてから私は,プロのピアノ演奏家をリスペクトしております。ピアノを弾く人間は誰でもミスタッチはあります。でも,私のようなずぶの素人とプロとでは要求されるものが格段に違います。いくら練習をして完成度を高めても,大勢の人前で本番の演奏をする時の緊張,プレッシャーはいかばかりか。それでも超絶技巧を要するような難曲も弾きこなすわけですから,プロはやっぱり凄いと思います。

 

私はもう年齢も年齢ですし,これからは人前で緊張しながら弾くなどといった冒険はやめにして,好きな曲をマイペースで練習し,自分だけで楽しみたいと思います。

2022/01/25

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私がある音楽教室の「大人のピアノ」のコースに通い,レッスンを受け始めてからもう2年半になります。月に3回,金曜日の午後6時から1時間レッスンを受けています。

 

教材はその教室が推奨する教則本(2冊ほど)を使用して練習,レッスンを進めていきます。昔のようにバイエル,ブルグミュラー25の練習曲,ソナチネアルバムなどといったお定まりのコースではなく,いろいろと生徒の理解を深めたり,奏法をマスターしていくのに適した最近の,そして今風の教材なのです。ですから,表題の全くないもの,ポピュラー,クラシックなど様々な曲が含まれています(初心者にも弾きやすいように編曲済み)。

 

それやこれやで,これまで私も教則本(教材)2冊を卒業し,3冊目の途中に到達しました。M先生(女性)とは世間話もするのですが,とにかく私がバッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)の音楽をこよなく愛していることがバレていましたので,M先生は「バッハ・ピアノ小品集」という曲集を私に薦めてくれました。ありがたいことです。ですから,今はその3冊目の教則本と「バッハ・ピアノ小品集」という曲集を練習しているのです。

 

ただ,この「バッハ・ピアノ小品集」という曲集は全部で45曲が収録されているのですが,よく見ると必ずしもバッハの曲ばかりではありません。中には,曲名の後に「Komponist unbekannt」と記され,バッハ作品番号である「BWV」と番号の間に「Anh」と表示されているものが含まれております。

 

「Anh」というのはドイツ語で「Anhang」の略で,付録,追加,補遺などといった意味です。要するに,「Anh」と表示されているその曲は実際にバッハが作曲したものかどうかは不明,確認されていないということのようです。

 

まあ,それでもどれも魅力的で素晴らしい小品集であることは間違いないものの,これは何となくですが,「Anh」と表示されている曲にはバッハらしくないという印象を受けるものがあります(素人判断でも)。そういった曲と,例えば「Aria d moll(アリアニ短調)」(BWV515)(これは紛れもなくバッハの作品)とでは,何と申しましょうか,音楽的な全く深みが格段に違うのです。やはりバッハだなあと感動させる何かがあります(精神的な深みと言ってもいいでしょう。)。

 

前にも述べましたように,この「バッハ・ピアノ小品集」という曲集は全部で45曲が収録されてはいるのですが,「Johann Sebastian Bach BWV〇〇〇〇」と表示され,バッハが作曲したものと確認されている曲は30曲です。もちろんこの小品集のどの曲も一生懸命に練習しますが,やはりバッハの曲だとどうしても力の入れようが違ってきます。やはり私はバッハの曲をこよなく愛しているのですよ(笑)。

 

そしてひょっとして,この曲集を卒業すれば,いよいよ「インベンション(2声)とシンフォニア(3声)」に進むことができるかもしれません。M先生から「あなたには無理!」と言われてしまうかもしれませんが(笑)。

 

2021/11/22

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最近,車で移動する時はほとんど同じ音楽を聴いております。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻,第2巻です。以前からこの曲は知っていましたし,若い頃は例えばグレン・グールドの演奏で聴いたりしていました。

 

でも特に最近では癖になっているのではないかと思うほど,この曲ばかり聴いているのです。第1巻はマウリツィオ・ポリーニ,第2巻はアンドラーシュ・シフの各名演奏で・・。平均律クラヴィーア曲集は,第1巻,第2巻とも24番まであり,それぞれプレリュードとフーガが対になっております。ですから全部で96曲に達し,小宇宙を構成しているのです。何となくですが,これらを聴いていると副交感神経が優位になり,自律神経のバランスを保つのにとても良いのです(笑)。

 

19世紀の後期に指揮者等として活躍したハンス・フォン・ビューロー(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代常任指揮者)は,バッハの平均律クラヴィーア曲集を音楽の旧約聖書,ベートーベンのピアノソナタ集を音楽の新約聖書と表現して絶賛したことからも分かるように,ロマン派以降の音楽家,演奏家はこの平均律クラヴィーア曲集をリスペクトし,作曲や演奏技法の模範として練習等を行ってきました。

 

この曲集は,ほんとに・・・これはもう,表現のしようのないくらい珠玉の名作群とでも言うべきもので,どれもこれも素晴らしいのですが,先日車を運転している時に流れて来た第2巻の22番のプレリュード(変ロ短調)の美しさには,思わず聞き惚れてしまいました。奇しくも第1巻の22番のプレリュード(変ロ短調)も同様で,いずれも祈りに近い心情を表し,そして深い哀愁を帯び,天国的な美しさを具えております。

 

私が所有している平均律の楽譜集の楽曲解説の中には,第2巻の22番目のプレリュード(変ロ短調)について次のような記述があります。

 

「変ロ短調。大詰に近づいて、このB-mollと次のH-durにすばらしい大傑作が書かれている。中声部に現れる雄大な主題、何ものにも制約されずにのびのびと自由に発展して行く流れ、それでいて素晴らしい対位法的技術等殊にこの曲に対する賛辞は数多い。」

 

バッハの音楽は本当に凄いと思っておりますし,これまでも,そしてこれからも,死ぬまで一生のお付き合いだと思います。私,実はある音楽教室で「大人のピアノ」コースでピアノを習っております。月に3回レッスン(金曜日の午後6時)があり,小学校から中学校にかけて3年間習って以来の数十年ぶり(笑)の挑戦です。

 

先生の強い勧めで(当初私はとても嫌がっておりました),ついに来年1月29日(土)に発表会に出ることになり,バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のプレリュード(ハ長調)を弾くことになりました(笑)。いろんな理由をつけて固辞していたのですが,「1000万円のスタインウェイのピアノで演奏できるんだよ。」とのセールストークにほだされてしまいました(笑)。

 

この曲は平均律の中でも最も技術的には易しい曲だと思いますので,思い切って発表会に出ることにしたのです。私のような未熟者がバッハの平均律に挑戦するなどということは本来は無謀なことです。やはりインベンションとシンフォニア(2声と3声)でバッハの対位法的技法を習得してからでなければならないことはよく分かっておりますが,私もいつまで元気でいられるか分かりませんので(笑),人生の思い出にという気持で出場いたします。失敗しても平気,平気!でも,ピアノの発表会などといった場面はそれこそ半世紀ぶりで,とても緊張しております(笑)。

2021/06/18

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最近,繰り返し繰り返し聴いている曲があります。ショパンの「舟歌」です。私とショパンとの出会いは小学6年生の時で,それ以来ほとんどの曲は聴いてきました。もちろんこの「舟歌」も何度も耳にしたのですが,改めて思います。これも相当の傑作だと・・。

 

この曲の成立年は1846年だと言われていますから,死の3年前です。ジョルジュ・サンドとは破局を迎えたか,迎えつつあったと思いますし(失意の中),何よりも持病の肺結核で体調は不良だったに違いありません。それでもこのような傑作を生み出すことができるのですから,本当に素晴らしい。

 

舟歌(バルカローレ)にしては大曲だと思いますし,演奏時間は10分ほどであり,ピアノ技巧的には極めて難度が高いでしょう。短めのゆったりした前奏,そして休止(パウゼ)の後に8分の12拍子の左手で奏される特徴的なリズム(小刻みに打ち寄せる波にゴンドラが揺れる感じ)に乗せて主題が現れます。

 

右手の和音は男女が越し方行く末を囁き合っているようにも聞こえますし,男性一人が人生の終幕を迎えて様々に思いを巡らし,達観したような心境を表現しているかのようでもあります。

 

「いろいろあったけど,人生とはこんなものなんだろうなあ。受け入れるしかないのだ。」と自分に言い聞かせるような心境でしょうか。主題は様々に展開を見せ,最後は堂々とした締めくくりです。くどいようですが,ショパン晩年の味わいのある名曲(大曲)だと思います。嬰ヘ長調で作曲されてはおりますが,やはり悲しさ,寂しさも感じられます。それでも曲のダイナミックな展開と堂々たる締めくくり,そして病魔に苛まれつつもこのような傑作を生み出したということで,我々に勇気を与えてくれる曲です。

 

写真技術というものは凄いですね。ショパンは1849年に亡くなっておりますが,私はショパンの最晩年の写真を見たことがあります。有名な写真で,スーツの上にコートを着て,少し眉間にしわが寄っている神経質そうな表情のものです。「ああ,ショパンってこんな顔をしていたのか。」と不思議な気分にもなりますが,最近ではその他の写真も発見されております。「ショパン」,「写真」とキーワードを入れて検索すれば出てきます。

 

1848年といえばパリの2月革命が有名ですが,ショパンはパリでの最後の演奏会を開いた後,生きていくためにイギリスへ演奏旅行に出かけます。肺結核を抱えていた訳ですから,体調面では非常に辛かったでしょうね。結局このイギリスへの演奏旅行で決定的に病状が悪化し,翌年10月17日に生涯を閉じることになります。

 

今宵はショパンの絶筆(最後の作曲)となったと言われている49番目のマズルカ(作品68の4,ヘ短調)を聴いてみたいと思います。やはりお酒を飲みながら。

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