前回,バッハの「マタイ受難曲」のことを人類の至宝と例えたが,決して誇張とも思わない。「マタイ受難曲」を全曲聴くきっかけになり,その後何でこんなに「マタイ受難曲」が好きになってしまったのかについては,以前ある原稿で触れたことがあって繰り返しになってしまうが,次のような理由からである。
第1に,1990年代だったと思うけど,ある音楽雑誌の企画で,多数の音楽評論家らを対象に「次の世紀まで受け継ぎたい(語り継ぎたい)曲は何か」という趣旨のアンケートが実施され(複数回答だったと思う),この曲が圧倒的多数で第1位だったということが頭にあった。
第2に,私が司法修習生だった頃,同じクラスにU君というプロ級の腕前を持つピアニストがいた(確か,ショパンのバラード第1番などをコンサートで弾いていたと思う。)。
興味本位でこのU君に「音楽史上の最高傑作は何だと思う?」と尋ねたら,即座に「マタイ受難曲だろうね。」と答えたのである。
このようなこともあり,それまでは良い箇所ばかりつまみ食い的に聴いていたこの曲を,全曲聴く決意をしたのである。全曲聴いた後の感動は例えようもない。
ある合唱団が来年の暮れにこの「マタイ受難曲」を演奏するということで,団員の募集があり,不肖わたくしも12月9日にオーディションを受けることになっている。
みんなが見ている前で「はい,ここからここまでの16小節を歌って下さい。」などと歌わされたら顔から火がでるほど恥ずかしいのだが・・。一体どんなオーディションなんだろうか。また,恐怖心で臨むオーディションを受け,挙げ句に落ちてしまったら家族にどんな言い訳をしようか。眠れない夜が続く・・・・・。
ストレス社会というけど,現代人は何らかの形で自分なりに「癒しの空間」や「癒しの時間」をもっていたり,追い求めているのではないだろうか。僕も同じだ。職場に音楽は流れていないけど,自宅に帰れば癒しを求めて音楽を聴くことが多い。
癒しの音楽といっても本当にいろいろあるだろう。今思いつくままに4,5曲挙げてみろと言われれば,ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」,ドヴォルザークの「母が教えてくれた歌」,マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲,ヘンデルの「ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)」なんかが思い浮かぶ。
でも,僕の場合,今はやっぱりバッハだよなぁ・・・・。バッハの世界には,癒しの音楽がごろごろしているが,特に宗教音楽が癒される。最近よく聴いているのが,ミサ曲ロ短調で,終曲のドナ・ノヴィス・パーチェム(我らに平和を与え給え)などに差し掛かると,思わず目にうっすら涙さえ浮かんでしまう。バッハの畢生の大作であり,死の直前に完結したという事実をも考えると尚更である。理屈抜きで癒される。もう一つ,よく聴いているのが「マタイ受難曲」である。これこそは人類の至宝だと確信しているのだが,これについては後日改めてお話しできればと思っている。