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弁護士ブログ

2019/08/26

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「うんざりする」というのは,「つくづく嫌(いや)になって」,「すっかり飽きて」という意味の副詞で,辞典によれば心底いやになり厭わしくなる様子を表す表現だそうです。

 

最近の韓国の対応,特に文在寅とかいう大統領の発言や韓国の日本大使館前でのエキセントリックなデモの様子,日本製品不買運動などを見ておりますと,本当にうんざりします。正にうんざりといった表現がピッタリです。この文大統領の演説の中には,「加害者の日本が傷をほじくり返せば、国際社会の良識が決して容認しない」だとか「われわれは二度と日本に負けない」だとか「加害者である日本が、盗っ人猛々しく、むしろ大きな声で騒ぐ状況は決して座視しない」などといった表現があります。大きな声でお騒ぎになっていらしゃるのは,お宅様ではないでしょうか(笑)。それにしても一国の元首が,このような情緒的,感情的で外交的儀礼を欠く表現を躊躇なく使用する場面というのはあまり聞いたことはなく,こういう発言に接しますと,むしろこちらの方が恥ずかしくなります。

 

ところで,この演説の中で文大統領は,「どのような理由で言い訳をしようとも、日本政府の今回の措置(いわゆるホワイト国から韓国を除外したこと)は、強制徴用をめぐる大法院(最高裁)判決に対する貿易報復だ」と的外れなことを述べておりますが,やはりそれならば日韓国交正常化の際に,元徴用工への補償問題がどのように取り扱われたのかを振り返る必要があります。以下は,産経新聞の8月13日の記事などを参考にしております。みなさん,気を確かに持って一緒に理論武装をいたしましょうね(笑)。

 

日韓の正常化交渉は1951年に始まりました。そこでは朝鮮半島統治を規定した1910年の日韓併合条約の有効性が大きな争点となり,交渉は時間をかけて継続的に進みました。

 

1952年,交渉の初期の段階で韓国側が日本側に示したのが「対日請求要綱」です。それは日本政府の朝鮮総督府に対する債務の弁済や韓国に本社や事務所があった法人の財産返還など8項目で構成され,その第5項では元徴用工に関し,「被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済を請求する」と記されておりました。

 

実際,交渉の中でも韓国側の政府代表は元徴用工への補償を求めた訳です。1961年5月10日の交渉では,第5項の要求を「一般労働者の他に軍人軍属、全部を含めて、生存している者、負傷、死亡した者に対してそれぞれ補償してもらいたいという意味だ」と韓国側は説明しています。「強制的に動員し、精神的、肉体的苦痛を与えたことに対し、相当の補償を要求するのは当然だと思う」と述べているのです。

 

これに対し,日本側代表が「個人に対して支払ってほしいということか」と尋ねると,韓国側は「国内での支払いは国内措置として必要な範囲でとる」と明確に答えているのです。

 

日本側は重ねて「国民の感情をなだめるためには、個人ベースで支払うのがよいと思う」と再考を促しましたが,韓国側は「われわれは、われわれの国内問題として措置する考えであり、人数や金額の問題があるが、どうかして、その支払いはわれわれ政府の手でする」と譲らなかった訳です。

 

こうした交渉の結果結ばれたのが日韓請求権協定であり,日本が韓国に対し,無償で3億ドル,有償で2億ドルを供与し(当時のお金でものすごい金額です!),両国民の財産や権利に関する問題は「完全かつ最終的に解決された」ことが明記され,韓国側の要望どおり,元徴用工への補償金は韓国政府に対してまとめて支払われることになったのです。

 

この協定に付属する合意議事録では,協定で解決された請求権問題には,韓国側が提示した対日請求要綱の8項が全て含まれ,この要綱に関するいかなる主張も以後はできないことが確認されています。

 

ところが,韓国政府は極めて多額の補償を日本国から受領しておきながら,そしてあれほど自国民には自国政府の責任で補償するからと約束しておきながら,「漢江の奇跡」などと称してそのお金をインフラや企業設備投資などに使ってしまい,この約束を完全には履行していません。真実はこういう経過をたどっているのですから,昨年の10月以降,立て続けに日本企業に賠償を命じた韓国大法院の判決がいかに不当なものであるかが分かるでしょう。そして「三権分立」だからといってこれに便乗している韓国政府がいかに異常であるかが分かるでしょう。

 

実はそれだけではありません。韓国は,廬武鉉政権下の2005年,日韓の請求権協定にはいわゆる徴用工問題も含まれ,賠償を含めた責任は韓国政府が持つべきだとの政府見解も自らがまとめているのです(交渉当時の議事録などを目にすればこれは当然のことです)。そ,そして何と,この当時,廬政権下で大統領首席秘書官を務めていたのは他でもない文在寅という人間であり,これに関わっていたのです。彼はそういうことを十分に認識していながら,分かっていて今回のような妄言を弄しているのです。

 

みなさん,もういい加減うんざりでしょう。

2019/01/08

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みなさま,新年あけましておめでとうございます。本年もみなさまにとって良い年になりますように,心から祈念いたしております。

 

さて,1月4日には早速ゴルフに行ってまいりました。約2か月半ぶりだったので少し不安でしたが,案の定でした(笑)。前半はバーディーを取るなどしてとても良い調子だったのですが,後半崩れました。休憩中にビール中ジョッキを飲み,タコの唐揚げなどを食べてふざけていたから,罰が当たったのだと思います(笑)。

 

それにしてもキャディーさん,本当に綺麗だったな。ああいうのを美人というのだと思います。一緒にラウンドしたOさんは,実は同じゴルフ場で年末12月29日にもラウンドしたそうですが(この日は私も予定していたのですが,名古屋で雪が積もった日だったので取りやめました),そのOさんの話では,その日の別のキャディーさんも本当にお綺麗だったそうです。一説によると「まるで楊貴妃のよう」だったそうです(笑)。

 

「楊貴妃見たことがあるんかい!」とツッコミを入れたくもなりましたが,そのゴルフ場は私もこれまで数え切れないほど行ったのですが,確かに綺麗なキャディーさんが多いと思います。

 

ところで,年末年始は読書もいたしました。その中で「これは凄いわ!」と思わず声を上げた素晴らしい本に出くわしました。この本は今も読んでいる最中で,昨日までに40%ほど読んだところですが,「東京裁判で真実は裁かれたのか?-パール判事の日本無罪論(判決書第4部)を現代に問う」(都築陽太郎著,飛鳥新社)という本です。

 

戦勝国史観の押しつけなど,心ある者の間ではその欺瞞性が声高に叫ばれている東京裁判・・・。この本は正に東京裁判史観を植え付けられ,現在もそれから覚醒していない日本国民に問いかける名著です。警世の書です。この本は500ページを超え,しかも各ページ小さな文字で上下二段組みになっておりますので,実際には1000ページ分を超す大著です。著者の都築陽太郎氏は同書の中で「東京裁判の虚構に飽き足りない人々よ、来たれ!真理はここにこそ、ある。」と呼びかけているように,日本国民をいわゆる東京裁判史観(自虐史観)から覚醒させ,真実への到達に裨益する本です。日本国民必読の書と言えるでしょう。さあ,みなさま,早速書店へ!

 

新年早々,私もおしゃべりし過ぎるのもどうかと思いますので,この本の中でパール判事が昭和27年11月6日の広島高裁,弁護士会での歓迎会で発言された内容の一部が引用されておりますので,それを以下にご紹介して本日は筆を置きます。

 

「・・・要するに彼らは、日本が侵略戦争をおこなったということを、歴史にとどめることによって、自己のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間の一切を罪悪であると烙印することが目的であったにちがいない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。」

 

「わたくしは1928年から45年までの18年間の歴史を2年8ヵ月かかってしらべた。とても普通では求められないような各方面の貴重な資料をあつめて研究した。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中につづった。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに、日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうかわたくしの判決文をとおして充分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たる訳にはゆかない。」

2018/11/02

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いやはや,恐れ入りました(笑)。韓国の最高裁判所にあたる大法院は,元徴用工の韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めていた訴訟で,驚くべきことに同社に合計4億ウォン(約4000万円)の支払を命じる判決を言い渡したのです。

 

どうやらこのような判決を下した裁判官の一部は,「建国者になったつもりで判決した。」などと述べているようですが,こんなものはもはや司法ではなく政治であり,国際的な常識から逸脱した判断です。本当に彼らは法律家なのかと疑いたくなります。法治国家ではなく「情治国家」と言われてしまうゆえんです。何しろ,この国は,国民情緒に合うという条件さえ満たせば,行政・立法・司法は実定法には拘束されない判断・判決を出せるという不文律があり,こういった状況は「国民情緒法」などといって揶揄されております(笑)。

 

日本政府は,この問題については,国交正常化に伴って1965年に締結した日韓請求権協定で両国及び個人の財産や請求権の問題について「完全かつ最終的に解決された」としており,このことは韓国政府自体もこれを認めていたはずです。2005年には当時の廬武鉉政権がこの協定に関して,「元徴用工の個人が日本企業に損害賠償を行う問題を解決する責任は韓国政府にある」との見解を示していたのです。

 

ところで,この問題について,日韓請求権協定で解決済みという日本政府の説明は確かに国際法の世界ではもちろん通用する理屈ですが,私はかねてから力説しておりますように(笑),いわゆる「従軍慰安婦問題」と同様,むしろそんな事実(強制性など)は存在しないのだという意味で,ファクト(事実)のレベルで毅然と争い,堂々と主張して欲しいのです。本当はね。

 

その点については,私が愛読する(笑)産経新聞の「正論」欄で,西岡力さんが正当にも指摘しておられました。それによると,今回のとてつもなく変な判決が出された裁判では4人の男性が原告になっており,彼らはいずれも「徴用工」とされていますが,彼らの経歴をよく調べてみると実は「徴用」で渡日したのではありません。1人は1941年,3人は1943年に徴用ではなく「募集」,「官斡旋」で渡日しているのです。このうち2人は,平壌で日本製鉄の工員募集の広告を見て,担当者の面接を受けて合格し,その引率で渡日したといいます。

 

そもそも国家総動員法に基づく朝鮮での戦時労働動員は,この変な判決がいうような「日本企業の反人道的不法行為」ではなく,戦時における合法的な民間企業での期限契約賃労働でした。39年から41年に民間企業が朝鮮に渡って実施した「募集」,42年から44年9月まで朝鮮総督府が各市,郡などに動員数を割り当てて民間企業に引き渡した「官斡旋」,44年9月から45年3月頃までの徴用令に基づく「徴用」の3つのタイプがあったのです。

 

どれも動員先は民間企業で,通常は2年の期限契約であり,待遇は総体的に良かったのであり,例えば44年に広島の軍需工場に徴用された労働者は月給140円をもらっていたのです。相当に高給です。当時は日本人男性の多くが徴兵のため不在で,日本本土は極度の労働者不足で賃金は高騰しておりました。ですから「募集」の時期には出稼ぎ目的の朝鮮半島からの「個別渡航」が並行して多数あり,同じ時期,渡航許可なしに不正に渡日して送り返された者が1万6000人ほども存在していたのです。

 

日本政府は,本当はファクト(事実)のレベルにおいても争うべきですし,韓国の裁判所も,いやしくも司法を掌る機関として,証拠の評価を含めて「合理的な疑いを入れない程度に確からしい」との心証を得て事実認定をすべきであり,くれぐれも賠償を求める者の「供述」だけを鵜呑みにしてはいけません。

 

今回の判決を受けて,韓国政府の行政安全部のあるセクションには,「うちの祖父も被害者だが,いま訴訟を起こせば勝てるのか。」といった類の問い合わせが殺到しているとのことです。韓国という国は,例えば「従軍慰安婦」に関する日韓合意など,仮に国際的な合意に至ったとしても平気でゴールを動かしてしまいます。本当に困ったものです。日本と韓国は,1965年にこの日韓請求権協定と同時に,日韓基本条約を締結し,日本は経済協力として韓国に合計5億ドル(無償3億ドル,有償2億ドル)を供与するとともに,その他に民間の円借款などを含めると総額8億ドルにも上る供与を行っているのです。これは当時の韓国の国家予算の2.3倍にもなります。韓国政府はこういったことをちゃんと国民に説明しているのでしょうか。

2018/08/28

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忘れたころに「その3」となりました(笑)。もうお忘れになったかもしれませんが,これは「裏切られた自由【上・下】」(ハーバート・フーバー著,渡辺惣樹訳,草思社)という極めて優れた内容の本の読後感の続きです(笑)。

 

本当にくどいようですが,いわゆる東京裁判史観にどっぷりと浸ってしまっている方々の目からウロコを落とすような内容です。このフーバー元アメリカ大統領が,膨大な関係書類,議会議事録,公開された外交文書その他を緻密に検証し,20年もの歳月をかけて研究,記述,書籍化して世に問うた著作(大著)なのです。日米戦争を切実な思いで回避しようと努力し,苦悩に苦悩を重ねた当時の日本国の先人たちの気持ちに思いを馳せるべきでしょう。一方,オレンジ計画を元に,そしてイギリスからの参戦要請を受け,何とか日本を挑発して「裏口からの参戦」を果たそうとしていた腹黒いF・D・ルーズヴェルトとそれを取り巻くスターリンの工作員(ハリー・デクスター・ホワイト,アルジャー・ヒス,ラフリン・カリーなど),コミンテルンの画策,反日主義者(モーゲンソー,アチソンなど)・・。広島に投下されたウラン型原爆,長崎に投下されたプルトニウム型原爆,もうその時点では日本は降伏のあり方や和平を模索し,戦況はとうの昔に大勢決していたのにこのように2つの原爆投下という国際法違反を犯した目的としては,ウラン型とプルトニウム型のどちらが破壊力があるかという実験だったとも言われているし,また戦後の共産化拡大を目論み,ますます増長したスターリンに対する警告の意味もあったと言われています。

 

さて,本日はこういったこともさることながら,著者であるフーバー元大統領の横顔を是非紹介したかったからです。翻訳者である渡辺惣樹さんはその一面だけでも次のように紹介しています。

 

「フーバーは、多くの公的な活動に私人の立場で参加していたが、救済募金から一切の金銭を受け取ることを拒否した。すべて自費での参加だった。それだけではない。彼は政治家となっても、商務長官の、そして大統領としての給与もすべて慈善事業のための特別基金に入れた。それが救済事業に必要なエキスパートの雇用や、事業に携わる人々の給与補填に使われた。また、彼は多くの書を上梓し,講演にも引っ張りだこだった。その印税も講演料もすべて特別基金に入れた。このような政治家はアメリカの歴史上でも初めてであった。フーバーの政治思想は、彼の宗教的信条とその実践を抜きにしては語れないのである。」(「裏切られた自由【下】」,訳者あとがき576~577頁)。

 

以上の記述の直後,渡辺惣樹さんの鋭い筆致は,F・D・ルーズヴェルトに向けられました(笑)。引用することに若干躊躇を覚えるのですが,あえて引用し本日のブログ記事を閉じます。

 

「このフーバーの対極にある政治家がフランクリン・デラノ・ルーズベルトであった。彼は公的立場を徹底的に個人的利益に利用した。大統領の立場を利用して、親族のビジネスを有利に図り、仮面夫婦であった妻のエレノアを満足させるためにリベラル国際主義を標榜する組織の代表につけた。その一方で、彼は多くの愛人を持った。その中にはノルウェーの王女(マーサ)までもいた。ルーズベルトに高潔さのかけらもないことは、評論家ジョン・T・フリンが『ルーズベルト神話(The Roosevelt Myth)』(一九四八年)の中で詳述している。そこに記されたルーズベルトの行状は読みながら気分が悪くなるほどである。他者を愛したフーバーがルーズベルトを嫌うのは当然であった。」(「裏切られた自由【下】」,訳者あとがき577頁)。

2018/04/02

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歩きながら満開の桜の見事さに目を奪われ,思わず足を止めてしまうほどですが,本日は「裏切られた自由【上・下】」(ハーバート・フーバー著,渡辺惣樹訳,草思社」という本の読後感の続きです(笑)。それほどの大感動だったのであります。

 

産経新聞は土曜日とか日曜日には書評を掲載するのですが,実はたまたま土曜日の新聞の書評欄ではこの本が取り上げられていました。書評を書いたのは草思社編集部の碇高明という方ですが,その書評の中の一部を引用してみましょう。

 

「本書は31代米大統領、ハーバート・フーバーが20年の歳月をかけて完成させた第二次世界大戦の回顧録です。原書は1千ページを超える大著で、日本語版では上・下巻に分けての刊行になりました。」

 

「スターリンと手を組んだルーズベルト外交を『自由への裏切り』と断罪した本書は、2011年にフーバー研究所から刊行されると大きな反響を呼びました。日本語版も刊行以来、事前の予想をはるかに上回るペースで版を重ねています。」

 

「さらに戦後、(フーバーは)東京でマッカーサーと会談した際には『日本との戦いは狂人(ルーズベルト)が望んだこと』という点で合意しています。このように、本書の記述には、従来の戦勝国史観に根本的な見直しを迫る視点が多数含まれています。」

 

そうなんですよ。やはりこの本はいわゆる「東京裁判史観」に一石も二石も投じる内容であり,かつ,真実を語っている書物だと思うのです。同じような視点で,しかも広汎な資料(第一次史料を含む。)に基づいて著された書物としてお薦めしたいものをいくつか列挙しますと・・・。

 

「ルーズベルトの開戦責任」(ハミルトン・フィッシュ著,渡辺惣樹訳,草思社)

「ルーズベルトの責任~日米戦争はなぜ始まったか~【上・下】」(チャールズ・A・ビーアド著,開米潤ほか訳,藤原書店)

 

「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか~『米国陸軍戦略研究所レポート』から読み解く日米開戦」(ジェフリー・レコード著,渡辺惣樹訳,草思社)

 

「真珠湾の真実~ルーズベルト欺瞞の日々~」(ロバート・B・スティネット著,妹尾作太男訳,文藝春秋)

 

ざっと,こんな感じです。これらを熟読すれば,きっとあの「東京裁判史観」,「自虐史観」から解放され,覚醒しますよ(笑)。さあ,あなたも是非!

 

2018/03/22

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私も長いこと生きておりますので(笑),書物を読んで大いに感動した経験はこれまでに数え切れないほどありますが,「裏切られた自由【上・下】」(ハーバート・フーバー著,渡辺惣樹訳,草思社」という本を読んだ後の大感動は,本当に久しぶりの体験です。誠に素晴らしい書物でした。

 

ハーバート・フーバーという人は,第31代アメリカ大統領で,ルーズヴェルト,すなわち,資源の乏しい日本の首を徹底的に絞め上げて追い詰め,念願の「裏口からの参戦」(Back Door to War)を果たしたフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領の前任者です。私の頭の中に浮かんだ多くの読後感のうち,まず感じたのはフーバーという人はアメリカ大統領経験者という経歴でありますが,まずは希代の歴史研究家(しかも第一級の),そして人道主義者だったという点です。フーバーが第一級の歴史研究家であるといっても象牙の塔に閉じこもった学者ではなく,何よりも第二次世界大戦前夜という時期にアドルフ・ヒトラーやネヴィル・チェンバレンに実際に会って意見交換等をしていますし,戦前,戦中にわたって間近でルーズヴェルトを見て来ており,各国の要人と書簡のやり取りや情報収集を行った正に生き証人でもあります。その論述内容は決して机上の空論などではないのです。

 

この本のサブタイトル(副題)としては「~フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症~」と刻まれ,さらに本のカヴァーには次のような記載があります。

 

「本書は第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(任期1929~33)が第二次世界大戦の過程を詳細に検証した回顧録である。第二次世界大戦とは何だったのか-。従来の見方とは真っ向から対立する歴史観をもつ本書は長い間、公にされなかったが、2011年に米国で刊行され議論を呼んでいる。さまざまな情報にアクセスできたアメリカの最高権力者が、20年の歳月をかけて完成させた第一級の史料である。」

 

このようなカヴァーの紹介文章を読めば分かりますように,この本の内容は,いわゆる「歴史修正主義」による書物と呼ばれてしまうのでしょうが,私はかねてから述べているように胸を張って「歴史修正主義者」でありたいと思っております。この本はいわゆる「東京裁判史観」に一石も二石も投じる内容であり,かつ,真実を語っている書物です。

 

上巻は約700ページ,下巻も約500ページあって,かなり読み応えがありますが(笑),騙されたと思って一度読んでみてください。「目から鱗」ものですよ。決して嘘は申しません。

 

この本を読んでいて思わず泣けてきてしまった一節をご紹介しましょう。これは著者(フーバー)が,「客観的な視点を持つ英国の歴史家ラッセル・グレンフェル大佐は、次のように書いている。」として,同歴史家の次のような文章を引用している箇所でした。

 

「ある程度の事情がわかっている者は、日本が悪辣な奇襲攻撃をアメリカに仕掛けたなどとは考えない。真珠湾攻撃は、予期されていただけでなく期待されていた。ルーズベルト大統領がアメリカを戦争に導きたかったことに疑いの余地はない。ただ、政治的な理由で、最初の一撃は相手側から発せられる必要があった。だからこそ日本に対する締め付けを強めていったのである。その締め付けは、自尊心のある国であれば、もはや武器を取るしかないと思わせるところまでいっていた。アメリカ大統領によって日本は、アメリカを攻撃させられることになっていた。オリバー・リトルトンは英国の戦時生産大臣であったが、一九四四年に、『日本は真珠湾を攻撃するよう挑発されたのである。アメリカが戦争に無理やりに引きずり込まれた、などと主張することは茶番以外の何物でもない」と述べている。」(同書529~530頁)

2015/10/16

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  今回は相当にご立腹です。本当にご立腹です。ところで,相当にご立腹なのは,誰在ろう,この私です(笑)。何に対して立腹しているかというと,国連教育科学文化機関(ユネスコ)が,中国が申請していた「南京大虐殺」についても,あろうことか世界記憶遺産に登録してしまったことに対してです。

 

 はっきり申し上げてバカ丸出しです。ユネスコなんて,そしてその要職にある人物なんて所詮はその程度なのですかね(笑)。あのプロパガンダ国家である中国の「南京大虐殺」の申請なんて明らかに政治利用です。

 

 ロシアは,日本が申請して世界記憶遺産に登録された「シベリア抑留」について政治利用だとして批判していますが,日本は「シベリア抑留」の申請について政治利用をするような目的,動機はありません。それより何より,「シベリア抑留」といわゆる「南京大虐殺」との決定的な違いは,事実(ファクト)かどうかという点です。この点については全く異なるのです。すなわち,「シベリア抑留」についての事実関係は,日本とロシアで互いに認めている事実(ファクト)であるのに対して,いわゆる「南京大虐殺」については事実(ファクト)ではなく,プロパガンダなのです(識者によってその虚偽性や疑問点が次々と暴かれていますし,明らかな偽造・修正写真も資料中に存在しています)。この点が決定的に違うのです。それを今回ユネスコは一緒くたにする間違いを犯してしまったと言わざるを得ません。

 

 まあ,この世界記憶遺産なるものは,国際条約に基づかず,個人や団体でも申請でき,その審査は割と恣意的で杜撰です。新聞報道によれば,申請案件を審査する国際諮問委員会(IAC)の委員は14人です。公文書保管の専門家というのが表向きの説明でありながら,実際には「ユネスコの事業職出身者のような門外漢もいる」そうですし,委員の出身国からの推薦もなく,イリナ・ボコバなる女性事務局長が任命したようですし,この「南京大虐殺」なる申請を登録してしまうことを最終的に決定したのもこの人物です。

 

 ところでこのイリナ・ボコバなる人物は,ブルガリアの元外相ですが,ブルガリア人民共和国時代にはバリバリの共産党員でした。この人物が中国と良好な関係にあることは国連関係者の中では有名で,この9月には北京での抗日戦争勝利記念にも出席しており,9月の訪中の際には,習近平の夫人と会談しています。また,この人物は次期国連事務総長の候補の一人でもあり,このポストに就くには,国連安保理常任理事国である中国の支持が不可欠なのは言うまでもなく,中国に迎合しているのでしょうね。全く馬鹿げております。

 

 さてさて,考えてみれば,日本がユネスコ向けに拠出している分担金の額は約43億円です。ユネスコ分担金の主要国の分担割合は,アメリカ22%,日本11%,ドイツ7%,フランス6%,イギリス5%などとなっていますが,現在アメリカは分担金の拠出を停止していますので,実質的には日本が最大の拠出国になっているというのが現状です。今回の中国の馬鹿げたプロパガンダ申請に迎合するような国際機関に成り下がっているのですから,抗議の意味でユネスコに対する分担金を停止してやれっ!それぐらい私はご立腹です。

2015/09/29

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 「新選組紀行」(中村彰彦著,神長文夫写真,PHP文庫)という本を読み終えました。何故かしら新選組という存在に興味もありましてね(笑)。評論家の宮崎正弘さんが自分のブログ(サイト)の中で,新選組ゆかりの地をたどり,そして新選組そのものの勃興,最盛期,終末期を可能な限り史実に即して解説したものとしては「決定版」ではないかと勧めておられましたので,私も一読した次第です。

 

 確かに,素晴らしい内容だったと思います。私自身も京都や福島(会津)へ実際に行き,新選組ゆかりの地を旅したことがありましたから,「ああ,そうだったなあ。」という感じで,合点のいった記述も多くありました。写真も多く掲載されています。

 

 この本のブックカバーには,次のような記載がありました。

 

「数多くの映画やドラマ、小説になり、幕末激動の歴史を彩る『新選組』。しかし屈指の剣豪集団も、時代の流れには抗えなかった。本書は、新選組を描いて当代屈指の作家が、その結成から最盛期の活躍、やがて内部抗争を経て、時局の変転による敗退のすえに瓦解していく流れを、ゆかりの地を丹念に踏査して解説。新選組の全体像、時代のなかでの位置づけがよくわかる決定版。」とあります。

 

 それにしても,新選組関係の書物を読みますと,やはり何か切なくなります。幕末動乱期にはもう既に鉄砲,大砲などの火器が主流であり,また時代の流れ(佐幕攘夷の方向ではなく尊皇攘夷,倒幕の方向)などからしますと,剣豪集団が次第に追い詰められていってしまうのであり,何とも切ないのでありますよ。

 

 それでも新選組ファンは根強く世に存在します。著者の最終章での締めくくりの文章は,次のようなものでした。

 

「あれはいつのことだったか、私が別の用事で板橋に行ったついでにこの墓碑(新選組隊士供養塔のこと)を訪ねると、セーラー服姿の可愛らしい娘さんがその前を通りかかった。彼女はぴたりと歩みを止め、きちんと供養塔に一礼して去っていったものであった。小著が、私の記憶のなかにあるこの人のような新選組ファンの水先案内になってくれるとありがたい。」

2015/09/04

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 ついに「その5」となってしまいました(笑)。でもこのシリーズはこれで終わりにします。「おい,いつまでやってるんだ。」というご忠告もいただきましたので・・・(笑)。

 

 アメリカなど海外で生活している日本人の青少年は,中国や韓国で暮らす中国人や韓国人の青少年に「歴史問題」をふっかけられて,いじめられているという話をよく聞きます。そういう話を聞くたびに私はとても残念に思います。彼らがふっかける「歴史問題」は事実(ファクト)に基づかないプロパガンダに過ぎないのに,日本人の青少年はこれに反論することができないでいるのです。

 

 彼らには日本の歴史,特に近現代史をよく学んで欲しいと思います。その意味では,第二次安倍内閣の下で,歴史科目の中で近現代史をもう少し充実させるという方針はとても良いことだと思います。あくまでも事実(ファクト)に基づき,そして日本の立場で近現代史を十分に学んで欲しいと思います。そうでなければ自分の国に自信と誇りが持てないですからね。私は日本国が大好きですから,自分なりに関心をもって近現代史をむさぼるように学んだつもりです。その結果,ますます日本国が好きになりました。

 

 GHQが日本人に贖罪意識を強固に植え付けるために徹底したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は残念ながら今でも生きていると思います。朝日新聞などをはじめとする反日左翼のマスメディアは今でも「閉された言語空間」(江藤淳)の中にいます。GHQの肝いりで作られた日教組も,次代を担う青少年に対し,特に歴史問題では自虐的で反日的な内容の教育を施そうとしています。そういった教育を受けた者のなれの果てが民主党の岡田克也みたいな人なのです(笑)。

 
 長くなりますので,もうこれぐらいにしておきますが,このブログの読者の皆様には,私のこのブログのうち平成26年12月9日に書いた「『たこつぼ』から出でよ!」というタイトルの記事を読んでいただければと思います。戦後70年の節目に私としてももっともっといろいろなことを書きたいのですが,取り敢えずは短いながらもその記事を読んでください。

 

 最後に,私が初めてその一節を目にした時には思わず目頭が熱くなり,その時からずっと私の頭の中に残っている言葉を再度このブログでご紹介します。その言葉の主は,タイ王国の元首相(第18代)のククリット・プラーモートという人です。そしてもちろん,十二月八日は大東亜戦争が開始された日です。

 

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

2015/08/31

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 とうとう「その4」と相成りました(笑)。つい先日,ロシアの首相であるメドヴェージェフという小男が北方領土の択捉島を訪問しましたね。言うまでもなく北方領土は日本固有の領土であり,ロシアの占有は不法なものです。日本国民の神経を逆なでするような暴挙と言わざるを得ません。いわゆる東京裁判において日本の「A級戦犯」と言われる人たちが裁かれましたが,戦勝国といわれる国々のうち,今日はソ連の卑怯さ,「腹黒さ」について少し述べることにします。

 

 私の記憶に間違いがなければ(笑),日本国憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが,諸外国も最終的には,たとえ他国の利益を踏みにじってでも自国の利益を追求するのであって,局面によっては極めて「腹黒い」存在なのです。平和ボケしていてはいけないのです。

 

 今年の8月9日付けの産経新聞にも割と詳細に書かれていましたが,昭和20年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って参戦した時点では,ソ連の宣戦布告が日本政府に届いていなかったことを裏付ける秘密文書が,イギリス国立公文書館に所蔵されていることが明らかになりました。それによると,宣戦布告を通告された佐藤尚武駐ソ連大使が外務省宛てに打った公電は,誠に卑怯にもソ連当局によって電報局で封鎖されていたのです。ソ連は宣戦布告から約1時間後には満州(中国東北部)や樺太などで一斉に武力侵攻を開始し,その約4時間後にタス通信の報道などでようやくソ連の参戦を知らされた日本は完全に不意打ちをされた格好になります。正式な宣戦布告文書が届いたのは,マリク駐日大使が東郷茂徳外相を訪問した10日午前11時15分で,ソ連が侵攻してから実に約35時間が経過していたのです。

 

 ソ連の卑怯さ,「腹黒さ」はそれだけではありません。日本が昭和20年8月15日にポツダム宣言を受諾し,降伏文書が調印された9月2日以降もソ連は侵攻を止めず,武装解除した北方四島などに侵攻して完全に占拠し,ソ連が一方的な戦闘を停止するのは9月5日だったのです。ところが,ソ連の公式記録「第2次世界大戦史」では,千島などの占領は9月1日には終わったことになってしまっています。なぜそのような虚偽が記載されているのでしょうか。それは,日本が戦艦ミズーリ号の艦上で降伏文書に調印(9月2日)する前に作戦を完了していないと領有することができないと考えたからです。産経新聞東京特派員の湯浅博さんが記事に書いているように,本当に「卑怯な仕業」です。

 

 そしてあのソ連による日本人捕虜のシベリア抑留。約57万5000人にも上る日本人抑留は明確なポツダム宣言(第9項)違反ですが,あの希代の殺人鬼,独裁者であったソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンの指示によりあの蛮行が計画的に行われたのです。この男の頭の中は,「捕虜=戦利品」だったのでしょう。馬鹿につける薬はありません。

 

 昭和20年2月にアメリカ,イギリス,ソ連の3首脳が戦後処理を話し合ったヤルタ会談における会談内容でも分かるとおり,ソ連には,日露戦争以来の日本に対する復讐心と領土的野心が根底に存在していたのです。繰り返しますが,北方領土は日本固有の領土であり,ロシアの占有に権原は全くありません。

 

 「戦後70年(その4)」というタイトルでしたが,「その4」があるということは,ひょっとしたら「その5」があるかもしれません(笑)。

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