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弁護士ブログ

2015/08/28

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 ついに「その3」です(笑)。我が国に対し,中国や韓国は鬼の首を取ったように「歴史に真摯に向き合え!」などと要求します。本当にいい加減にしてもらいたいものです。中国などは9月に入って早々,戦勝国だと称して,とてもグロテスクな軍事パレードまで予定しています。もっとも欧米の主要国の首脳はロシアを除いて全く参加すらしませんが(笑)。

 

 そもそもですよ,歴史認識というものはこれが決定版だというものはなく,当事国にはそれぞれの立場というものがあります。いわゆる東京裁判史観は,所詮は戦勝国による押しつけの歴史観に過ぎません。これとは異なる認識を示したとしても,「歴史修正主義者」などと非難されるいわれはありません。

 

 月刊誌「正論」9月号には,「終戦70年、日本人へ」と銘打った特集記事が掲載され,そこで渡部昇一さん(上智大学名誉教授)が述べているように,東京裁判については日本だけでなく世界中の識者がその誤謬を指摘しています。以下,渡部さんが指摘しているように,マッカーサー自身がこの東京裁判は無意味だったと認めておりますし,裁判の約2年後のアメリカ上院の軍事外交委員会で「Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.」と証言し,日本が先の戦争に入ったのは主として自衛のためだったとの認識を示しているのです。

 

 これまたそもそも,「侵略」という言葉には国際法上は定義というものはありません。日本には,ドイツのナチが行ったように,ユダヤ民族という特定民族の抹殺,大量殺戮といった誠におぞましい行為はありません。そこで東京裁判では昭和3年以降の日本の歩みを裁こうとしました。具体的には不戦条約,ケロッグ=ブリアン条約を日本は結んでいながらこれを破ったという理屈を立てます。

 

 しかし,東京裁判において,インドのパール判事は,「不戦条約が結ばれたとき、アメリカの議会も不戦条約自体に反対したではないか。」と鋭く指摘し,不戦条約にいう「戦争」とは全ての戦争を意味するのではなく,「侵略戦争」に限って禁じたのだとするアメリカのケロッグ国務長官の説明なども列挙しました。それではそもそも「侵略」戦争とは何か。ケロッグの説明は「それは国境を越えて、攻め込まれた場合だけではなく、国家の安全を犯す経済的な脅威を受けた場合も、侵略戦争を受けたことになる」というものでした。そして自衛戦争は禁止されてはおらず,何を自衛権の行使に含めるかは当事国の判断に委ねられているということも説明されていたのです。大東亜戦争直前,日本はいわゆるABCD包囲網で経済的に窒息させられそうになっており,これは不戦条約の提案者の一人であったケロッグの説明では「侵略」を受けたことになるでしょう。このようなことから,パール判事は,ならば日本を不戦条約違反などで裁くことはできないと正当にも論破し,無罪の意見を堂々と展開したのです。

 

 「戦後70年(その3)」というタイトルでしたが,「その3」があるということは,ひょっとしたら「その4」があるかもしれません(笑)。

2015/08/27

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 「その2」です(笑)。月刊誌「正論」9月号には,「終戦70年、日本人へ」と銘打った特集記事が掲載されていました。複数の保守の論客(極めて真っ当な歴史認識を備えた人たちです。)が,戦後70年の節目を迎え,自らの歴史認識の一端を説得的に展開されており,とても読み応えがありました。

 

 その中でも特に,八木秀次さん(麗澤大学教授)の論考は素晴らしかったと思います。「実は左翼青年だったという八木秀次氏が保守に目覚めた5冊の書とは-」という導入文句の下,八木さんお薦めの文献5冊が紹介されているのですが,彼が引用した林房雄著「大東亜戦争肯定論」という本の次の一節にはとても感動を覚えたのです。

 

「日本の百年にわたる孤軍奮闘は、これを歴史としてふりかえる時、決して無意味ではなかった。無謀とも言えない。西洋列強の植民地主義と侵略主義の重囲の中にあっては、いかなる名将、大政治家といえども他に対策はなかったはずだ。秘密裡ではあったが、当時の政府と軍部の首脳によって、日支戦争不拡大、対米英戦争回避のあらゆる努力が行われたことは、現在発表されている多くの文献が証明している。だが、罠にかけられ、追いつめられた最後の関頭においては、山本五十六元帥ならずとも、玉砕を覚悟の決戦にふみきらざるを得なかった。これが日本の運命であった。慰めは、たださきに引用したオーエン・ラティモアの言葉である。/『日本が立派にやりとげたことは、アジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊することであった』/『戦時中、日本人によって占領された土地のうち、ただ一つも(旧主人のヨーロッパ人によって)満足にとりもどされたものはなかった』/『百年戦争』をみごとに遂行した日本の犠牲者たちを、誰が『犬死』と笑うことができるか!日本の戦死者たちは歴史の定めた運命に黙々と従い、最も悲劇的で英雄的な死を遂げた。散華である。アジア大陸と南と北の海に散った花々のために靖国の宮はすみやかに復興させねばならぬ」

 

 この林房雄の「大東亜戦争肯定論」という本は,現在,中公文庫(2014年刊)で入手できるそうです。是非一読してみたいものです。

 

 八木さんが総括しているように,日本は幕末の欧米諸国との邂逅により,彼らと戦うこと宿命付けられていたというべきで,そこから始まった「東亜百年戦争」の最後の姿が「大東亜戦争」であり,百年のスパンで歴史を俯瞰しないと「大東亜戦争」の意義は理解できないのです。そして,林房雄のいう肯定論とは,日本の歴史的な運命をすべて引き受けて肯定するということに他なりません。このような考察の前では,現在の「侵略」,「植民地支配」というワードにこだわる風潮が如何に陳腐なことか。このように総括し,締めくくった八木秀次さんの論考に我が意を得,感銘を受けました。

 

 「戦後70年(その2)」というタイトルでしたが,「その2」があるということは,ひょっとしたら「その3」があるかもしれません(笑)。

2015/08/25

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 戦後70年の節目に,いわゆる安倍談話が出されましたね。全文を読みました。売国的な政治家村山富市が,戦後50年目の節目に自分の趣味や凝り固まった情念で出してしまったいわゆる村山談話の桎梏ともいうべき内容からどこまで脱却できるかと大いに期待したのですが,やはり自分としては残念でした。

 

 でも,そんな中にあって,やはり安倍晋三でしかなし得なかった表現もありました。さすがだなと評価できる部分が2箇所あったのです。これは評論家の櫻井よしこさんも産経新聞でいみじくも指摘されておりましたが,私も全く同感です。その2箇所というのは・・・。

 

 第1に,戦後の日本に対する世界の支援に深く感謝し,子や孫たちに「謝罪」を続ける運命を背負わせないように明記したことです。考えてみれば,いつまで経っても「謝罪せよ」,「歴史を忘れるな」などと連呼しまくっているのは,中国と韓国(北朝鮮)だけではないでしょうか。しかも彼らのいう歴史は歪曲されたプロパガンダです。確かに今回も「侵略」,「お詫び」という言葉が注目されていましたが,日本国民が反省している気持ちを十分に表しながら,外の声に押され,安易な謝罪の道をとらなかったことは,日本のため,世界のためにも建設的です。

 

 第2に,歴史を振り返って,植民地支配の波がアジアにも押し寄せていたことに触れ,「日露戦争は植民地支配のもとにあったアジア,アフリカの人々を勇気づけた」としました。歴代首相の中で,そういうことをこのように明確に述べた人がいたでしょうか。歴史の真実として,人類の歩みの中に日本もあったと確認したことは評価できます。日本が戦った戦争は,巨視的に観れば,冷厳な白人支配の現状を打破し,次々にアジア,アフリカ諸国の独立を生んだこともまた歴史の真実なのです。また,経済のブロック化(いわゆる「ABCD包囲網」など)が進み日本が孤立感を深めたという指摘は,歴史を学べば学ぶほどそこに近づく真実だと感じられます。このたびの安倍談話のこの部分は,戦後,あのマッカーサーがアメリカ上院の軍事外交合同委員会で「あの戦争は日本にとって概ね自衛のための戦争だった」という証言や,東京裁判におけるパール判事の洞察と同じ文脈です。安倍晋三の歴史観は,やはりGHQの戦後占領政策の目玉であったWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)という徹底した贖罪意識の植え込みに対する反骨を窺わせます。確かにこういう首相は今までにいなかった。

 

 「戦後70年(その1)」というタイトルでしたが,「その1」があるということは,少なくとも「その2」があるということです(笑)。

2015/07/24

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  聞くところによると,来年のNHK大河ドラマは真田幸村を主人公,題材としたものだそうですね。実は私は少年の頃から真田幸村という武将がとても好きで,書店を何店舗も歩き回って真田幸村の本を買い求めるという少年ファンだったのです。

 

 私がそうなったのは,間違いなく昭和43年の秋から約1年間にわたって放映されていたTBS系の「真田幸村」というドラマの影響でした。これは間違いありません。毎週月曜日の午後8時から8時56分まで,確かナショナルの提供でやってました。当時,ナショナルの「嵯峨」という高級テレビの宣伝をしてましたもの。もう毎週月曜日が待ち遠しくて仕方ありませんでした。

 

 配役はそれこそ豪華そのものでしたよ。真田幸村は中村錦之介(萬屋錦之介),父親の真田昌幸は中村竹弥,徳川家康は中村勘三郎(17代目),豊臣秀吉は東野英治郎,淀君が淡島千景,石田三成が神山繁,大谷刑部が志村喬,猿飛佐助が松山英太郎,霧隠才蔵が日下武史,そして徳川方の服部半蔵が天本英世,そして大政所が東山千栄子・・・・とまあ,錚々たるメンバーでした。

 

 なにしろ少年でしたから,判官贔屓といいますか,悲劇的に描かれている方の肩を持ちたくなり,関ヶ原の合戦でも何とか西軍が勝たないかなあーと詮無いことを考えておりました(笑)。まだ9歳かそこらだったのですが,このドラマには熱中しておりましたね。

 

 それにこのテーマ音楽の素晴らしいこと。林光という作曲家の曲なんですが,聴く者をワクワクさせる,血湧き肉躍る,元気になる颯爽とした名曲だったと思います。今でもそのメロディーがはっきりと頭に残っております。この林光さんは数年前に亡くなりましたが,特に戦国時代のドラマの曲を作らせたら天下一品ですね。NHK大河トラマ「国盗り物語」のテーマ音楽もこの人です。私が9歳の頃に熱中したTBS系の「真田幸村」(確か「ナショナル劇場」という番組枠)というドラマのテーマ音楽は,「真田幸村 TBS」とキーワードを入れて検索すると,ユーチューブにアップされていますので,聴くことができますし,当時の豪華キャストの画像を見ることもできます。

 

 あれは凄いドラマだったなあ。もう一回見てみたいなあ。何とかならないかなあ。

2015/05/22

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  中国の外交部長というと,日本で言えば外務大臣みたいなものです。今の中国の外交部長というのは王毅という人で,以前に駐日中国大使も務めた人物です。

 

 しかしながら,最近この王毅という人の外交面での言動はとても横着ですね。つい先ごろ,アメリカのケリー国務長官が中国の最近の南シナ海での力による,そして強引に既成事実を作り上げようとする傍若無人ぶりに苦言を呈しても,何処吹く風という傲岸不遜ぶりです。

 

 今日はあまり時間がありませんので,この王毅という人物が国連で並べた嘘八百について少し触れておきましょう。以下の記述は,月刊誌「正論」の本年5月号に掲載された記事の内,西岡力国際基督教大学教授の発言に依拠しております。私も全く同感なのです。

 

 今年の2月に国連安保理で創設70周年の記念討論会が開かれたのですが,この王毅という人物は,「過去の侵略の罪を糊塗しようとするものがいる」と述べ,婉曲な表現ながら日本や安倍首相をあてこすった演説を臆面もなく行いました。

 

 この者の臆面のなさは,同時に「戦後70年間、国連の創設メンバーで、安保理の常任理事国の中国は、常に国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた。今日の開かれた討論会が、反ファシスト戦争勝利と国連創設70年の記念の序幕になることを望む」との発言に如実に表れております。

 

 嘘八百とは正にこのことです。大辞林によると,「嘘八百」とは,多くの嘘,何もかも嘘ばかりであることを指す言葉のようです。何で「八百」なのかといいますと,「八百」という言葉の中には「数多く」という意味が含まれているからだそうです(笑)。この王毅という人物が述べたさきほどの発言内容が嘘八百であることについて,ちょっとだけご説明を・・・。

 

 まず,中国共産党政権の中華人民共和国は,国共内戦に国民党が敗れて1949年に成立したのであって,1945年に国連が創設された当時のメンバーは中華民国でした(笑)。彼の属する中華人民共和国の国連加盟は何と1971年なのです(笑)。

 

 次に,朝鮮戦争(1950年~)のことを考えると,この人物の演説内容は正に噴飯物となります。金日成の北朝鮮が韓国に武力侵略したとき,国連の安全保障理事会は国連軍を組織して侵略者を撃退すべきだと決議しました。国連史上,国連軍での戦いを決議した唯一のケースですが,その侵略者・北朝鮮の側に立って国連軍と戦った者こそ中国共産党であり,中華人民共和国なのです(笑)。西岡力さんの言葉ですが,「国連と戦った中華人民共和国が国連の創設メンバーであるとか,国連の役割を支えて平和と安定を守ってきたなどと、よく言えたものだと開いた口が塞がりません。」(爆笑)

 

 今年は戦後70年を迎えますが,中国や韓国はここぞとばかりに日本国や日本人,その父祖を貶める活動を活発化させるでしょうが,このような嘘八百に動揺してはいけません。

2015/04/09

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 このたび,天皇皇后両陛下のパラオ共和国への御行幸啓が実現しました。何よりです。パラオがとても親日的なのは有名ですね。

 

 パラオがとても親日的なのは何故なのでしょうか。いろいろな理由があるのだと思います。1919年のパリ講話会議でパラオは日本の委任統治領になったのですが,日本人もその最盛期にはパラオに約2万5000人が住んでおり,約25年間にわたって日本人と島民との暖かいふれあいがあったのです。日本の統治時代,パラオでは,ドイツの植民地時代にはほとんど行われなかった学校,病院,道路などのインフラ整備が重点的に行われ,首都コロールは近代的な都市に変貌していきました。今でも日本時代の建物が遺されており,そのいくつかは今でも使用されています。PHPビジネスオンラインというサイトの記載によれば,「ダイジョウブ」(大丈夫),「オカネ」(お金),「コイビト」(恋人)などの多くの日本語がパラオ語になって日常に飛び交っているようですし,パラオ人の名前にジローさんとかタローさんとかが使われているようです(笑)。日本人の礼儀正しさ,節度,道徳心,他民族を思いやる心などが認められ,日本人はパラオの現地住民から愛されていたのです。テレビのインタビューでも,現地の人が「日本が好きです。日本人も大好きです。日本人は、とても正直な国民だからです。」などと答えていました。

 

 東日本大震災の時も,パラオ16州の大酋長・酋長が日本大使館を訪れ,全員分の署名が入った弔意文が日本大使館に渡されております。そして,このたびの御行幸啓に際し,ペリリュー州知事の話によれば,ご訪問のあった4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として今後も州の祝日とする法案が可決したそうです。

 

 何よりも忘れてならないのが,パラオ諸島のペリリュー島などでかつて強大な米軍と勇敢に戦った日本軍将兵を,パラオの人々が讃え,その武勇を語り継いでくれていることです。

 

 昭和19年9月15日,日本の統治領であったパラオ諸島のペリリュー島に侵攻してきた米軍を迎え撃ったのは,中川州男大佐率いる日本軍守備隊でした。ただひたすら国難を救わんと,至純の愛国心に燃える日本軍将兵は,その数的劣勢をものともせず,敢然と米軍の前に立ちはだかり,米軍は未曾有の損害を被ることになったのです。

 

 ペリリュー島沖合い10キロの外洋に浮かぶアンガウル島でも,日本軍守備隊は強靱な精神力で戦い抜き,こうした日本軍守備隊の不撓不屈の精神と勇猛さに米軍はいたく感銘し,パラオの人々も日本への尊敬と畏敬の念を強めたのです。

 

 パラオの島民にとって,ふだんから優しく接してくれた日本の兵隊さんは,優しいだけでなく強かったのです。このたびの天皇皇后両陛下の御行幸啓によって,国のために尊い命を捧げられ,散華された御霊もさぞ慰められていることだと存じます。

 

 日本軍が島民を守り,何とか戦闘に巻き込まないために,わざと島民に嫌われ口を言いながら島民を守ったエピソードをご存じですか。この当時の様子を知るペリリュー島民の老人のコラムが毎日新聞に掲載されたことがありますが,その中から引用しておきましょう。

 

「遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。『あそこでみんな死んでいったんだ・・・』沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。老人は村の若者と共にその作業に参加した。日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。『自分達も一緒に戦わせて欲しい』と。それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。『帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!』日本人は仲間だと思っていたのに・・・。みせかけだったのか。裏切られた想いで、みな悔し涙を流した・・・。船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。」

2015/03/25

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 さて,新選組ついでに申しますと,よく議論されるのが「新選組の中で誰が一番強かったか」ということです。この点については定説というものはありません。強さなんてものは見方によって様々ですから,定説がないのも無理はありません。

 

 よく名前が挙がるのが,沖田総司,永倉新八,斎藤一などでしょう。新選組の編成は何度か変更がありましたが,この3人だけは一番組から三番組までの組長としては不動です。いずれ劣らぬ手練れ(てだれ)だったのでしょう。沖田総司は天然理心流,永倉新八は芹沢鴨と同じ神道無念流の使い手です。そうそう,近藤勇も相当な使い手だったと言われていますし,撃剣師範の吉村貫一郎(北辰一刀流)の名前も挙げられます。

 

 これらには勿論それぞれ根拠があるでしょうし,真実に近いのかもしれません。でもどうしても気になるのが服部武雄です。新選組在籍期間はそれほど長くはなく,伊東甲子太郎らの高台寺党(御陵衛士)に加わっておりましたので,知らない人は知らないでしょう(笑)。でも,この服部武雄の凄さも当時知れ渡っておりました。

 

 「壬生義士伝」の映画化に伴い,原作者の浅田次郎さんと元阪神タイガースの江夏豊さんとの対談を読んだことがあるのですが,江夏豊さんは新選組オタクとまではいきませんが相当に詳しく,凄腕の剣士としてこの服部武雄の名をすぐに挙げておりました。

 

 私も京都の油小路に行き,伊東甲子太郎暗殺現場付近(本光寺の近く)を見たことがあります。その暗殺のあった晩には新選組と高台寺党(御陵衛士)との間の激闘があったのですが,その時の服部武雄の勇猛果敢の奮戦ぶり,二刀流の凄腕ぶりは後世に語り継がれております。伊東の暗殺に当たっては,局長の近藤勇も直ぐには決断ができず,「服部君が怖いからなあ。」などと,服部武雄の存在を恐れていた節もあります。よく議論される「新選組の中で誰が一番強かったか」という話になると,私としてはどうしてもこの服部武雄も有力候補の一人として思い浮かべざるを得ないのです。

2015/03/17

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 昨日の夜は帰り道で小雨に降られ,コートが少し濡れてしまいました。でも,今朝はそのコートなしでも歩くことができる陽気です。「水ぬるむ」本当に良い季節となりました。

 

 昨日の産経新聞の「産経抄」というコラムには,「濡れ衣」という言葉の由来が紹介されていました。「濡れ衣」というのは無実の罪をきせられることを意味するのですが,この言葉の由来として巷間言われているものの一つは次のようなものです。

 

 後妻が先妻の娘を陥れようとして,潮水がしたたる漁師の衣を娘の枕元に置き,密会の証拠として夫に告げ口をした・・・。

 

 本当に理不尽な話ですね。濡れ衣をきせられた日には堪ったものではありません。

 

 折しも今年は戦後70周年であり,中国や韓国は鬼の首を取ったように「戦勝国」風を吹かしまくるでしょう。韓国が「戦勝国」風を吹かしまくることには笑止な感じもしますが・・・。

 

 マスゴミ,いやマスコミは,ドイツのメルケル首相が3月10日の民主党の岡田代表との会談で,ナチスによる犯罪行為への反省に触れつつ,日本に慰安婦問題の解決を促したなどといった趣旨の報道をしましたし,売国的な言動で有名な岡田代表自身もそのようなニュアンスのことを仄めかしました。これに呼応して「鬼の首」状態になって報道したのが韓国のマスコミです。

 

 産経新聞の阿比留瑠比記者の記事にもありましたように,旧日本軍とナチス・ドイツを混同する愚には我慢がなりません。それに,いわゆる「南京大虐殺」,いわゆる「従軍慰安婦問題」などをユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と同一視し,世界中で宣伝工作をしている中国や韓国の卑劣な所業にも我慢がならないのです。

 

 いみじくも阿比留記者が指摘するように,戦前・戦中の日本では,一部兵士らの暴走による戦争犯罪はあっても(戦時国際法違反として処罰されている),ナチス・ドイツのような「政策」としての組織的な特定人種の迫害・抹殺行為など全く存在しておりません。

 

 あの欺瞞に満ちた東京裁判で,インド代表のパール判事は「本件被告の場合は、ナポレオンやヒトラー(ら独裁者)のいずれの場合とも、いかなる点でも、同一視することはできない。日本の憲法は完全に機能を発揮していた。」と主張しています。

 

 また,今年1月に死去したドイツのワイツゼッカー元大統領も,有名な演説(1985年)で「ユダヤ人という人種をことごとく抹殺するというのは、歴史に前例がない」と強調しています。

 

 ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判では,有罪になった19人のうち16人までが一般住民に対する殲滅,奴隷化や人種的迫害による「人道に対する罪」で有罪とされましたが,東京裁判では誰もこの罪に問われることはなかったのです。

 

 中国や韓国のプロパガンダ,政治的工作,ロビー活動のように,そして我が国の売国的な勢力が主張するように,極めて安易にナチス・ドイツによるホロコーストと,旧日本軍とを同一視することは不正義なのです。

 

 私がさきほど,「南京大虐殺」と「従軍慰安婦問題」のそれぞれに「いわゆる」やカギ括弧をつけて表現した意味はお分かりですね。これらとホロコーストとの決定的で根源的な違いは,ファクト(事実)か否かという点に尽きます。日本は「濡れ衣」を着せられているのです。

2015/02/23

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  2月22日は私の結婚記念日なんであります。好きなショパンの誕生日でもあり覚えやすくもあるのでこの日にしました。ありがたいことにうちの娘も2月22日が私たち夫婦の結婚記念日だということを覚えていてくれて,3人分のケーキを買って来てくれました。なお,ショパンの誕生日についてはその後の研究で3月1日という説が有力になっておりますが,私の幼少時代や結婚した当時はまだ2月22日説が有力だったと記憶しております。

 

 さて,2月22日は「竹島の日」でもあります。その記念式典が開かれましたが,案の定韓国は日本政府に抗議をしてきましたし,ソウルの日本大使館前でも抗議行動,そして日本で開催された「竹島の日」記念式典にも韓国人らが乗り込んで抗議しております。竹島を不法占拠しておいて,この人たちに付ける薬はありません。記念式典には日本政府としても内閣府政務官ではなくて首相や閣僚が出席すべきです。

 

 竹島は,歴史的事実に照らしても,かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です(外務省のホームページを参照)。

 

 大東亜戦争終結後,サンフランシスコ講和条約を起草中であったアメリカ政府に対し,韓国政府が「独島(竹島の韓国名)を韓国領に加えて欲しい」と要請したところ,アメリカ政府は1951年8月10日にいわゆる「ラスク書簡」を出しこれを断固拒否しました。そのラスク書簡には,「・・・合衆国政府は、1945年8月9日のポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、われわれの情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある」と明確に書かれています。GHQの占領政策にはかなりの問題がありましたが,さすがに韓国の火事場泥棒的な振る舞いには明確にファクト(事実)を突きつけたのですね。

 

 結局,今も韓国が竹島を不法に実効支配しているきっかけとなったのはいわゆる李承晩ラインが一方的に引かれ,火事場泥棒がなされてしまったことです。1952年1月(日本が主権を回復する直前のこと-「火事場」と述べたのはそのことを意味しています),当時の韓国大統領であった李承晩が「海洋主権宣言」を行い,いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し,同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに,そのライン内に竹島を取り込みました。だから「泥棒」なのです。

 

 日本政府は過去2度にわたってこの竹島問題について国際司法裁判所で解決しようと韓国に付託を提案しましたが,いずれも韓国側が拒否しています。韓国側は国際法上は自国に勝ち目がないことを自覚しているのでしょう。

 

 えっ?なになに・・?戦後のことばかり聞かされても,日本が戦前から竹島を国際法上領有していたというのは本当なのかですって?

 

 知らざあ言って聞かせやしょう(笑)。1618年,鳥取藩伯耆国米子の町人(2つの家)が藩を通じて幕府から竹島への渡海免許を受けました。それ以来,毎年1回,両家が交代であわびの採取,あしかの捕獲,樹木の伐採等に竹島に行きました。これが恒常化していったのです(国際法上の「先占」の開始)。こうして17世紀半ばには日本は竹島の領有権を確立したのです。そして,これはだめ押しというやつでしょうが,1905年,日本国政府は竹島を無主地と判断し,島根県に編入したのです。

 

 国際法は,無主地に対しては,先占の要件を充足することで合法的にその土地を領有することができるとしているのです。

2014/12/09

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  毎年12月8日になりますと,旧日本軍による真珠湾攻撃の話題が出されることがあります。今の小学生から高校生までのほとんどは,やはり旧日本軍は暴走して卑怯な真似をし,正義の味方であるアメリカが日本を懲らしめたのだというふうに漠然と思ってしまっているのでしょうか。そうだとすると,やはりとても悲しい気がします。せめて次代を担う若い世代には,真実の歴史を学んでもらわないといつまで経っても自国に誇りが持てないままになってしまいます。

 

 いわゆる東京裁判史観からはもういい加減に目を覚ますべきでしょう。世界各国の公文書が一定の保存期間を経て,次から次に公開されるようになり,真珠湾攻撃直前の真実,換言すればコミンテルンに廻りを固められていたルーズベルト(FDR)らによる陰謀の実態が明らかになりつつあります。

 

 お前は何を言っているのだ,お前のような者を修正主義者と言うのだ,と詰られそうですが,私は修正主義者と呼ばれようが何しようが,マッカーサーが戦後にアメリカ議会上院の軍事外交合同委員会で証言したように,大東亜戦争は「日本の自衛のための戦争だった」と認識しておりますし,ドイツがどんな挑発にも乗らなかったため,何としても裏口から参戦したくて仕方がなかったルーズベルトが,ハル・ノートという日本に対する最後通牒を突きつけて故意に「最初の一撃」を打たせたというのが真実であろうと思います。この「最初の一撃」さえ打たせてしまえば,参戦には反対だったアメリカ議会の承認が得られることになりますからね。

 

 手始めに,次の3つの本をお読みいただくのが分かりやすいと思います。

 

 「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか-「米国陸軍戦略研究所レポート」から読み解く日米開戦」(ジェフリー・レコード著,渡辺惣樹訳・解説,草思社)
 「真珠湾の真実-ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・B・スティネット著,妹尾作太男訳,文藝春秋)
 「ルーズベルトの開戦責任-大統領が最も恐れた男の証言」(ハミルトン・フィッシュ著,渡辺惣樹訳,草思社)

 

 小林よしのりという漫画家の言動には時に首を傾げざるを得ない面もありますが,彼はいわゆる東京裁判史観べったりの歴史家や作家を評して「蛸壺史観」とネーミングしました。この「蛸壺史観」というのは「戦争の原因を自国の中でのみ探り、外国の視点がまったく抜け落ちているため、狭い蛸壺に入ってしまったような歴史観」を意味します。言い得て妙だと思います。

 

 私も,東京裁判史観べったりの人に対し,「たこつぼ」から出でよ!と言いたいのです。

 

 先に挙げました「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか・・・」という本のカバーに記載されていた本の紹介文に次のような記載がありましたが,正鵠を射ていると思います。

 

「4年にわたる日中戦争のさなか、彼我の工業力格差を承知しながら、日本はなぜ真珠湾攻撃を決断したのか。なおも議論が尽きないこのテーマを、米国の国防政策専門家ジェフリー・レコード氏が分析。過重な経済制裁を加えて日本を『戦争か、米国への隷属か』の二者択一へと追い詰めたF・D・ルーズベルト大統領の外交政策に開戦原因の一半があったと結論づける。」

 

 第二次世界大戦の後,冷戦の一方の巨魁であるソヴィエトがのさばり,中国大陸には今世界に害悪をまき散らしている赤化した国家が誕生してしまいました。アメリカは明らかに戦う相手を間違えてしまったのです。

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