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弁護士ブログ

2019/07/30

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それは,私の事務所にポスティングされていた1冊のパンフレットがきっかけでした。「大人の音楽レッスン」と銘打ったもので,さまざまな楽器のレッスン広告でした。

 

ピアノの箇所に目をやりますと,「はじめてのピアノ」,「大人のピアノ」,「ポップスタイルピアノ」,「ジャズピアノ」などが紹介されておりました。うーん,ピアノレッスンか・・・。この歳になって少し気恥ずかしい感じもしますし,いやそういう時間,心の余裕があった方が良いのだ,いやいや,でもやっぱり恥ずかしい・・・,私の心は乙女のように揺れ動いていたのです(笑)。

 

私の自宅の北側の部屋には,1台のピアノがありますが,昔は私や娘がよく弾いてはいたものの,最近ではそういうこともなく本当に寂しそうにしているのです。実は小学校高学年から約3年間,ピアノを習ったことがありましたが,その後はレッスンを受けたことが全くなかったのです。ごくたまに,自分の好きな曲を我流で弾いてみるといった程度でした。

 

私は迷った末に,意を決してとうとうインターネットで無料体験レッスンの申込みをしました。選んだコースは「大人のピアノ」。申込みのフォームにはいろいろな質問項目があり,ピアノレッスンの経験の有無の欄には,1年弱習ったことがあると嘘を入力してしまいました(本当は3年間)。こういったところにも私の負けず嫌い,見栄っ張りな性格がよく出ております(笑)。

 

そして先日,いよいよ無料体験レッスンを受けてきました。どんな先生かな,ひょっとして怒られたりするのかな,などと不安を覚えながら約30分間レッスンを受けたのですが,テキパキした30代の女性の先生で,あっという間に30分が過ぎました。何とかなりそうです。

 

その後は,まるでベルトコンベアーに乗せられたかのように,あれよあれよという間に正式な入会が決定したのです(笑)。私は「大人のピアノ」で月3回レッスンのコースです。最初の教材も2冊購入して持ち帰りました。中身を見てみますと,実力段階に応じた無理のないものであり,音楽理論の基本的な知識が習得できますし,またありきたりの練習曲だけでは飽きてしまうだろうということで,有名な曲(もちろん平易に編曲されたもの)なども織り交ぜて弾いていくというような内容になっています。ちなみに無料体験レッスンの際には,主旋律だけですが右手で「ブラームスの子守歌」なんかを弾いちゃったりなんかして・・・(笑)。そして,小学校高学年から約3年間習った際には,ペダリングのことは全く習わなかったし,ペダルを使用する曲を弾いたことはなかったのですが,教材にはペダリングのことについても触れてあります。よし頑張るぞ,という気になりました。

 

そんなこんなで,ついに私も大ピアニストへの道を歩み始めたという訳です。

2019/01/30

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メロディアスという言葉は,「旋律的な」とか「旋律の美しい」といったような意味です。先日,たまたま自動車を運転して出張先から帰る途中,ラジオを聴いていましたら,フランシス・プーランクが作曲した「即興曲第15番-エディット・ピアフを讃えて」という曲に出くわしました。

 

それがとてもメロディアスな佳い曲でした。何度も何度も繰り返し聴いてみたくなるような魅力的な曲です。いまどきは本当に便利になりましたね,ユーチューブで「プーランク」,「即興曲15番」とキーワードを入れて検索すれば,すぐにどんな曲なのか確かめることができますもの。

 

メロディアスな曲と言えば,プーランクより一世代前の,やはりフランスの作曲家エリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴー」という曲も割と有名で旋律的な曲です。フランスの作曲家の作品は,ドイツの作曲家作品のような重厚さがなくても洒脱で洗練された名曲も多いと思います。モーリス・ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」とか「古風なメヌエット」とかは大好きです。そしてフォーレの「シチリアーノ」も。シチリアーノ(ナ)つながりで言いますと,これはイタリアの作曲家ですがレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲 シチリアーナ」,これがまた極めて旋律的な佳い曲なのですよ・・・。

 

ついでと言っては何ですが,メロディアスな曲で私自身すぐに思いつくのが,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」,そして交響曲第2番の第3楽章がこれまた素晴らしいと思います。

 

月末で随分疲れてもおりますので,本日は途方もなくとりとめのない文章となってしまいました(笑)。どうやら疲れておりますと,癒しを求めて旋律の美しい,優しい曲を聴きたくなるようですし,文章も散漫になるようです。

 

本日の文章の最初の方にエディット・ピアフが出てきました。いつだったかの土曜日,いつものように自宅で晩酌をしておりますと,「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」という映画をテレビでやっていました。思わずそのままビールを飲みながら観ておりましたら,フランスの名優ジェラール・ドパルデューが出ておりました。本当に懐かしいと思いました。ただその役柄は,ナイトクラブのオーナーであるルイ・ルブレーの役で,まだスターダムにのし上がる前の原石のようなピアフを見い出し,自分の店で歌わせるというものですが,すぐに殺されてしまいます。

 

あれほどの名優なのに,あっけない出番で少し物足りない感じがしました。ずいぶん年をとったなという印象でしたが,このドパルデューという俳優は凄い芸歴です。1983年に公開されたアンジェイ・ワイダ監督の「ダントン」という映画を当時私も映画館で観たのですが,彼はダントン役で迫力のある演技で好演しておりました。これは凄い役者だと思ったものです。もちろんその後もフランスで活躍していたようです。

 

ところが数年前でしたか,新聞か何かでドパルデューがロシア国籍を取得したという情報に接し,「あれっ?」と首を傾げた記憶があります。どうやら納税をめぐる当局とのトラブルが原因のようです。また,ウィキペディアの記載によりますと,2018年の9月,北朝鮮の建国70周年記念行事のころ,彼が北朝鮮に滞在しているのをフランスのメディアから目撃され,記者の質問には一切答えなかったという情報もあります。あれっ?この名優は一体どうしちゃったのでしょうか(笑)。

 

私も確かに重税感はございます(笑)。でもこの日本国は世界でダントツに素晴らし国だと確信,実感しておりますので,だからといって他国の国籍を取得しようなどと大それたことは全く思いもしません。

 

本当にとりとめのないことばかり書いてしまい,誠に相済みません。ご静聴ありがとうございました(笑)。

2018/11/16

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そういう訳で,結局私は,あれほど楽しみにしていたマウリツィオ・ポリーニの生の演奏に接することができませんでした。そこで,いよいよ秋も深まってきたことですから,ポリーニが33歳から35歳にかけて録音したベートーベンのピアノソナタ第30番,第31番,第32番のCDを聴いてみました(ドイツ・グラモフォン)。

 

今から40年以上も前の録音ですが,やはりポリーニの演奏は完璧です。比類のない美しさと深みというものがあります。そして,それにしてもです,私が改めて感動したのはベートーベンのピアノソナタ,特に最後期の作品の素晴らしさです。

 

第30番(ホ長調,作品109)の第1楽章の出だしの美しさは言うまでもありませんが,第3楽章を聴いていて,思わずじーんと胸に迫り来るものがありました。この楽章には,楽譜に「歌に満ちて、内的な感情を伴って」などといった指定があります。正にそのような曲。その旋律の美しさと盛り込まれた対位法(フーガ)などは,バッハのミサ曲ロ短調の最終曲ドナ・ノヴィス・パーチェムを想わせるものがあります。

 

第31番(変イ長調,作品110)も特にフーガの部分が素晴らしいと思います。これも好きな曲です。1821年の成立ですから,死の約6年前の作品ですが,晩年になるとフーガというものに回帰したくなるといった傾向があるのでしょうか。

 

第32番(ハ短調,作品111)はベートーベン最後のピアノソナタです。この第1楽章でもソナタ形式の中に対位法がふんだんに駆使されています。何よりも凄みを感じますのは,第2楽章(アリエッタ)の5つの変奏であり,特に第3変奏のあの時代を先取りしたようなリズムと曲想。全聾となり,また晩年を迎えて持病や甥(カール)の不祥事など私生活上の悩みを抱えつつも,このような作品を生み出すことができる精神力の強さと天才に敬服します。

 

ベートーベンの後期,特に最後期のピアノソナタを聴いていますと,作曲者自身が来し方行く末に深く思いを致し(内省),人生における様々な苦悩を乗り越えた末に到達できた達観のようなものを感じますし,ひょっとしてこの時ベートーベンは孤独にも神と対話をしていたのではないかとも思えてきます。

 

いくら天才を賦与されているとはいえ,作曲家にとって聴力を失うということはどういうことなのか。素人の私には想像もつきませんが,ハイリゲンシュタットの遺書があるように,このことはベートーベンを筆舌に尽くしがたい深い苦悩に陥らせたことは間違いないでしょう。学生時代の私は,ベートーベンの深い苦悩とは比較にはなりませんが,それでも小さなことでくよくよ悩むことがあったのですよ。聴力を失いながらも,そして私生活上の悩みを抱えながらも,それでもあれほど人を感動させる傑作の数々を世に問うほどのベートーベンの精神力の強さ,生き様に学生時代の私は鼓舞され,勇気づけられ,感動しておりました。

 

確か,そういった学生時代,私は「ベートーヴェンの手紙(上),(下)」(岩波文庫)という本を読んでさらに深く感動したことを覚えております。もう一回読み直してみようと思って自宅の隅から隅までその本を探してみたのですが,見つかりません。あれから何度も引っ越しをしておりますから,処分してしまったのかもしれません。

 

おそらく今も販売されていると思いますので,もう一度購入して読んでみようと思います。失礼しました。

2018/10/15

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あれほど楽しみにしていたマウリツィオ・ポリーニのピアノ・リサイタルが延期となってしまいました。10月11日(木)午後7時開演予定だったのが,同月21日(日)に順延となってしまったのです。

 

11日(木)の当日は,東京で一人暮らしをしている娘と午後2時に上野の鈴本演芸場前で待ち合わせになっておりましたので,私は午前11時12分名古屋発の新幹線のぞみ号に乗車したのですが,その車中にあった11時40分ころ,ピアノ・リサイタル延期の報に接したのです(笑)。

 

主催者側の説明では,10月7日のリサイタルの後,「腕の疲労が回復しない」状態であるのがその理由だそうです。私としてはとても楽しみにしていたので少し残念ですが,やむを得ないと思います。二〇世紀のピアニストの巨匠の中でも10本の指に入るであろうポリーニ。そのポリーニももう既に76歳なのです。それにただでさえ芸術に対して極めて誠実で,しかも完全主義的なところがあるのですから,やむを得ません。私が学生時代に出されたポリーニ演奏のショパンの練習曲集(作品10,作品25)のレコードジャケットには「これ以上何をお望みですか」と書かれているくらい,その演奏は完璧なものでした。

 

ただ,私の仕事の日程がタイトになってしまうこともあり,順延後の10月21日(日)には再び東京まで行くのは困難であることなどから,今回はチケット代金の払い戻しを受ける途を選択しました。今後再びポリーニの生の演奏を聴く機会があるのかどうか心配ではありますが,今後に期待したいと思います。私は相変わらずポリーニをとてもリスペクトしております。

 

このように順延になってしまったことについて,ポリーニのお詫びのメッセージが主催者側のサイトに掲載されておりました。その最終行には,もちろんポリーニの直筆で次のように書かれておりました。

 

「数十年にわたり愛情と尊敬の念をもって続いてきた日本の聴衆の皆様との関係は、私の宝です。」

 

さて,11日(木)は予定どおり娘と鈴本演芸場で落語などを楽しみ,そして例の旭川ラーメン・番外地でお目当てのラーメンを味わいました。そのラーメン店の接客のあの女性は,相変わらず優しくテキパキしていて,お美しかった。

 

東京駅で娘とお別れする時は少し寂しかったですけど,その日はその日で結構楽しい一日でした。

2018/09/25

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本当に久しぶりにマウリツィオ・ポリーニの演奏に接することができます。うふふ・・10月11日(木)午後7時開演(サントリーホール)のピアノリサイタルのチケットを既に入手しております(笑)。

 

この二〇世紀を代表する名ピアニストも既に76歳です。生の演奏に接することができるのも,もうたびたびという訳にはいきません。チケットの発売開始と当時に急いで娘にチケットを入手してもらいました。

 

学生の頃からこのピアニストに憧れていましたし,レコードやCDも購入し,その素晴らしい演奏によく聴き惚れていたものです。

 

本棚をゴソゴソ探していましたら,「ピアニストたちの世界」(芸術現代社)という本を見つけ出しました(昭和58年4月発行)。その中に作曲家の諸井誠とピアニストの小林仁の対談記事が載っているのですが,諸井さんはポリーニのことを「本質的にぼくはいま、絶対、最高のピアニストだと思う。つまり値段(ギャラ)でいえば、ふつうの並みいる世界的なピアニストの十倍ぐらいはもらってもいい人だろうと思うのですよ。つまり、だれもできないことができるんだから。」と述べています(99~100頁)。また諸井さんは「確かにポリーニというピアニストは、一つの、日本に一世を画したということは確かだけれども、ぼくは、ほんとのポリーニがもっと衝撃的にあらわれてくるのは、小林さんのさっきの予言を借りれば、もうちょっと先じゃないかなという気がしているのです。」とも述べています(106頁)。当時ポリーニは40歳で,今は76歳ですから相当先のことになってしまいましたが,今度も円熟した素晴らしい演奏を期待しております。

 

この本には音楽評論家の藁科雅美さんの評論記事も載っているのですが,藁科さんはそこで,「確かにポリーニは、彼が到達している芸術的高所と過去の実績に照らして疑いもなく今世紀の十指で数えられる名ピアニストであるだろう。」と述べ(141頁),その頃に実施された「二〇世紀を代表するピアニスト一〇人」を選ぶアンケート(音楽評論家などを対象としたもの)の結果,ポリーニはトップにランクされております。

 

再びポリーニの演奏に接することができて,とても幸福です。この日(10月11日)のプログラムは,ショパンの2つのノクターン(作品55),やはりショパンのピアノ・ソナタ第3番ロ短調(作品58),ドビュッシーの前奏曲集第1巻です。心がワクワクし,非常に楽しみです。

 

当日は,昼間は東京で一人暮らしをしている娘と一緒に鈴本演芸場で落語を楽しみ,夕方は八重洲地下中央にある「旭川ラーメン・番外地」でいつもの塩バターコーンラーメンを一緒に食べ,そこで娘とは別れてサントリーホールに向かう予定です。

 

2018/03/12

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「君恋し」という曲は正に昭和の名曲ですね。フランク永井という往年の名歌手が低音の魅力で大ヒットさせました。平成生まれの人は知らないかもしれませんが,昭和生まれの人で知らない人はいないでしょう。

 

先日,「君恋し」という曲で世にも奇妙な出来事がありました(笑)。私は気が置けない人たちと一緒に行きつけのスナックへ行き(この店も相当に昭和の香りを醸し出しております。たまに,ゴキブリに挨拶をしなければなりません。),カラオケで歌ってストレス発散をしているのですが,そこに一緒に行った仲間4人の全員が,立て続けに「君恋し」を歌って点数(機械による採点)を競うという事態が発生したのです(笑)。

 

Hさんという人は,ほとんど毎回得意げにこの曲を歌うのですが,どうにもこうにも採点機械との相性が悪いのか,良い点が出ません。気の毒なほどです(爆笑)。最近でこそ70点台半ばに達することもありますが,酷いときには66点前後になってしまいます。私としては彼(Hさん)の声域と声質はフランク永井に一番近く,しかも上手いなと思うのですが・・・。

 

例によってその夜も,Hさんは頼まれもしないのに当然のように「君恋し」を歌いました(笑)。「おー,今日も上手いな。雰囲気が出ているな。」と思って,今夜こそは高得点が出るだろうと期待したのですが,結果は「75点」でした(笑)。内心本人も期待していたのだと思います(爆笑)。

 

そうしましたら,他の3人のうちの誰かが,「みんな『君恋し』を歌って採点してみよう!」と言い出し,Hさんにとっては極めて底意地の悪い企画と相成ったのです(笑)。Hさんの次,つまり2番手で歌ったのはTさんです。彼も良い声で,なかなかの雰囲気をもった歌手なのですが(笑),結果は「78点」でした。さて,3番手で歌ったのはIさんです。少し荒削りの歌ではありましたが,何と「82点」をマークしました。気の毒に,Hさんは置いてけぼり状態です(笑)。最後に歌ったのがMさんです。声の質からすると,4人の中では最もフランク永井から遠い人です。でもMさんが歌い終わった後,画面に出た点数は「86点」だったのです。

 

Hさん,とても可哀想・・・。彼は歌は上手いと思うのですが,いつも採点機械との相性が悪く,ごくごくたまにしか80点を超えることがなく,そういう極めて珍しい事象が発生すると,その場のみんなが「おおーっ!」と驚愕するほどです(笑)。Hさんは,少なくともカラオケの採点という場面に限っていえば,とても「幸薄い」人なのです。ひょっとしたら,前世で歌舞音曲の関係者に悪事を働いたとか,何らかの悪業を重ねたのかもしれません。業が深い(笑)。

 

ちなみに,4番目に歌ったMさんというのは,私のことです(笑)。

2018/02/24

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2月22日は私たち夫婦の結婚記念日でしたので,夜は自宅でカミさんと一緒に寿司でもつまみながら一杯やって歓談し,私は殊勝にもカミさんの長年の苦労を労ったりしておりました。

 

ところが,ネットのニュースで,同じ22日に音楽評論家の礒山雅さんの訃報に接しました。驚愕するとともに,バッハの音楽をこよなく愛する私としては大きな喪失感に襲われました。礒山雅さんといえば,知る人ぞ知るバッハ研究の泰斗です。いつの日かその謦咳に接したいと思っていた方でした。非常に残念です。

 

私がバッハにのめり込むようになったのは大学生の時で,バッハ関連の書物やその他音楽関係の雑誌などもよく読んでおりましたから,その当時だって評論家の礒山雅さんの評論記事等に接していたとは思うのですが,礒山さんの著作(書籍)を手にした一番最初は,私が司法修習生で翌年に弁護士登録を迎えようとしていた冬のことだったと思います。それは「マタイ受難曲」(礒山雅著,東京書籍)という本です。もうその頃は,私は「マタイ受難曲」の虜になっており,これこそがバッハの最高傑作だと確信していましたから,偶然に東京の書店でこの本を見つけた時は「やった!」と思いました。

 

爾来,この本を何度読み返したことか分かりません。白っぽいカバーが手垢で変色し,一部すり切れております。本当に素晴らしい本です。「はじめに」の箇所には次のような記述があります(同書18頁)。

 

「ともあれ、以来四半世紀にわたって、《マタイ受難曲》と付き合ってきた。《ロ短調ミサ曲》の方が上と言う人もいるが、私は、構想の雄大さと親しみやすさ、人間的な問題意識の鋭さにおいて、《マタイ受難曲》こそバッハの最高傑作であると思っている。この作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、単に音楽であることをはるかに超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある。それはわれわれをいったん深淵へと投げ込み、ゆさぶり、ゆるがしたあげく、すがすがしい新生の喜びへと、解き放ってくれる。研究者としての私にとって、《マタイ》はいつも、大きな目標として、頭の上にあった。その《マタイ受難曲》の研究に、私は、自分の四十代を費やした。その集成が、本書である。」

 

研究者として自分の四十代を費やすという求道心,探求心,強固な意志には敬服しますし,改めてバッハという存在の大きさに思い至ります。そして礒山さんの四十代を費やした集成がこの本なのですし,「あとがき」には「私にとっての一つの大きな仕事が、今ここに終わる。」と記載されているとおり(同書491頁),礒山さんにとっても誠に達成感のある仕事だったのでしょうね。だから,私としてもカバーが手垢で変色するほど何度も何度も読み,それでも再び読み返したくなるような本なのです。

 

心からご冥福をお祈りしたいと存じます。

2018/02/05

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バッハの音楽が好きでたまらず,寝る前に音楽DVDで聴いたり,仕事で移動中の車内で聴いたりしております。先日,何気なく車を運転しながらバッハの曲を聴いていましたら,思わず聴き惚れてしまった曲があり,何度も何度も再生してしまいました。

 

バッハの「9つの小前奏曲より(《ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳》から)」という小曲集のうちの前奏曲ヘ長調(BWV928)と前奏曲ト短調(BWV930)の2曲です。それがむちゃくちゃに佳い曲なのです。心に染み入りました。

 

この曲集は,バッハが長男フリーデマンの音楽教育のために父親として作曲した小品集ですが,あの厳めしい顔からどうしてこのような美しい曲想が浮かぶのでしょうか(笑)。しかも泉のように・・。そして,何よりもバッハの子に対する深い愛情が窺えます。

 

思わず何度も何度も繰り返し聴いてしまったこの前奏曲ヘ長調(BWV928)と前奏曲ト短調(BWV930)については,音楽評論家の礒山雅さんはそれぞれ次のような楽曲の解説を付しております。

 

前奏曲ヘ長調(BWV928)・・1720年から21年に自筆で記入された,《小曲集》の第10曲(4/4拍子)。曲集のうちとりわけ大規模かつ精緻な作品で,協奏曲を思わせる。

 

前奏曲ト短調(BWV930)・・1720年から21年に自筆で記入された,《小曲集》の第9曲。バッハが指使いを全曲にわたって記入した実例として、価値が高い(他に同曲集のBWV994のみ)。分散和音の練習であるが,広い音域の把握が求められ,両手が対話的に使われる。4/3拍子。

 

また礒山雅さんは,この曲集(ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳)について,「音楽的には多くの曲がバッハらしい美しさをもち、《インヴェンション》の簡易版として、存在価値の高い作品となっている。」と解説されております。

 

バッハのインヴェンション(2声)とシンフォニア(3声)については,私の拙いテクニックでは越えられない壁になっている曲があったり,年齢のせいか何よりも練習の継続に対する覚悟というものに欠ける面があるのですが(笑),「《インヴェンション》の簡易版として、存在価値の高い作品となっている。」わけですから,まずはこの「音楽帳」から攻略する手もありそうです(笑)。早速,楽譜屋さんに行ってみることにします。

2017/07/28

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私のカミさんの友人女性が,かつてヨハン・セバスティアン・バッハの終焉の地であるライプツィヒに旅行されたのですが,その女性からお土産としていただいたCDがあります。そのCDは,バッハの作品の中でも様々なジャンルの名曲を選りすぐったものであり,先日久しぶりに聴きましたが,やはりバッハは素晴らしい。いつも私に感動を与えてくれます。

 

そのCDを聴いていた時,特に心にしみたのが平均律クラヴィーア曲集第1巻の第22番のプレリュードとフーガです(変ロ短調,BWV867)。あんまり感動したものですから,何度も繰り返して聴いてしまいました。このCDではこの一対のプレリュードとフーガが何とオルガンで演奏されていました。平均律クラヴィーア曲集というのはオルガンで演奏されたものを聴くのもなかなかのものです。違った感動があります。

 

この曲にとても感動したものですから,今日,マウリツィオ・ポリーニのピアノ演奏(CD)で改めて聴いてみました。やはり素晴らしい演奏であり,素晴らしい曲です。この変ロ短調の一対のプレリュードとフーガに関する音楽評論家歌崎和彦さんの楽曲解説は次のようになっております。

 

「厳粛な宗教的な雰囲気にみたされた前奏曲(4分の4拍子)で、バスのオスティナート風の8分音符と、その上に奏される旋律は、どこか葬送行進曲を思わせる。フーガ(4分の4拍子)は、この曲集の中で第4番以来となる5声のフーガで、簡素なコラール風の主題から紡ぎ出されるすばらしくゆたかな音楽は、前奏曲と同じく宗教的な気分にみちている。」

 

特にプレリュードの方は心にしみ入りました。トン・コープマンはバッハのことを「音楽史上最高の存在だ。」と述べていましたが,私もつくずくそう思います。理屈抜きで感動してしまうのです。私としては,バッハの最高傑作は何かと問われたら,迷わず「マタイ受難曲」を挙げるのですが,こういった平均律クラヴィーア曲集第1巻の第22番のプレリュードとフーガ(変ロ短調,BWV867)なんかを聴いていますと,やはりバッハの作品群は名曲の宝庫と言うべきでしょう。なお,バッハと同時代に生きたヨハン・マッテゾンという作曲家は調性格論でも有名ですが,マッテゾンの著作には,変ロ短調の調性格には記述,言及がありません。彼は変ロ短調の調性格についてはどのように考えていたのか興味はあります。この22番のプレリュードの方はテクニック的にもそれほど難易度は高くないような気はしますが,何しろ変ロ短調,フラット(♭)が5つも付いていますから,試すには気が引けます。

 

いずれにしても,7月28日は心からその音楽を愛しているバッハの命日なのであります。今晩もバッハをしんみりと聴いて,しんみりとお酒を飲みたいと思います。

2017/07/07

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先日,仕事場から次の仕事場へ,自分の車で移動していました時,ラジオからリヒテルが演奏するベートヴェンのピアノソナタ「熱情」の第3楽章が流れていました。リヒテルとは,もちろん20世紀を代表する巨匠的な名ピアニスト,スヴャトスラフ・リヒテルのことです。同じくロシアの名ピアニストであったエミール・ギレリスがアメリカに演奏旅行に行った際,その素晴らしい演奏を聴いていた学生がギレリスのことを世界一だと述べた時,ギレリスが「そのように判断する前に,リヒテルの演奏を聴いてみることをお薦めする。」と語った話は有名です。

リヒテルの評価の高さは言うまでもありませんが,ただその時に流れていたリヒテルの演奏には少し違和感を覚えました。どうやら1960年秋のライブ録音だったようですが,確かにテクニックには非の打ち所がありませんが,やたらにテンポが速く,まるで機械仕掛けのピアノのようで,何かしら急かされるようで聴いていて落ち着かないのです。

 

変だな,リヒテルってこんなに落ち着きのない演奏をする人だったかなと首を捻っておりますと,次に流れたのは,やはり同じ「熱情」の第3楽章ですが,リヒテルが70歳を超えた頃の演奏,録音だったのです。そうです,正にこういった演奏こそが私が安心できる,そして感動する演奏です。ゆったりとしたテンポをはじめ,全ての面でさきほどの1960年秋の機械仕掛けのような演奏とは違っており,情感豊かな深い味わいのある演奏でした。

 

本日のブログのタイトルは「聴き比べ」ですが,同じ演奏家の同じ曲の聴き比べのことを意味します。今も思い出すのですが,私が大学を卒業して社会人1年生になった時の確か10月にグレン・グールドが急逝しました。大変驚きましたが,その前年,老境にあったグールドはバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の再録音をしました。これがまた素晴らしい演奏です。

 

実はグールドは,同じ「ゴルトベルク変奏曲」を22歳の時に録音しています。彼が22歳でアメリカ公演においてこの曲を演奏した時,その斬新さと素晴らしさで大絶賛を浴びました。私は,1981年(老境といってもまだ49歳)の録音と1955年(22歳)の録音がセットになっているCDを持っていますが,同じグールドの演奏で聴き比べることができます。やはり,私はゆったりしたテンポの1981年の録音の方が圧倒的に好きです。1955年の録音はやはりテンポが速すぎて急かされるようで,情趣深さに欠けるきらいがあります。

 

若い時は才気煥発という感じが前面に出ていますが,老いてからの演奏は,枯淡といいますか,達観といいますか,それでいて情感深く,心にしみ入る感動があります。リヒテルもグールドも・・・。

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