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弁護士ブログ

2009/07/17

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 今自宅にあるピアノは平成8年冬に購入したと思う。もう13年ほど経つ。そのピアノは,ごく普通の何の変哲もない漆黒で光沢のあるアップライトピアノである。どういう訳か,最近はそのピアノを見るたびにS弁護士(以下「S先生」)のことを想い出す。

 

 僕が司法修習生時代にお世話になった指導弁護士はF先生だったが,そのF先生の紹介で僕はS先生と知り合った。S先生はかつて検察官であったが,その後弁護士に転身した経歴の持ち主だった。紹介してくださったF先生とS先生とは司法修習の同期だったそうだ。S先生がF先生に「誰か僕の事件処理を手伝ってくれる弁護士はいないかな?」と尋ねた際,F先生が僕を紹介してくれたのだ。

 

 S先生は,恐らく僕より12,3歳くらい年上だったと思う。飄々としていて,あまり些末なことにはこだわらず,一見ぶっきらぼうだが,結構優しい面もあり,なかなか味のあるお人柄だった。その事件の民事部門は主として僕が,刑事告訴部門はS先生が担当し,最終的にはいずれも何とか解決した。平成8年当時は,僕はまだ弁護士登録1,2年ほどしか経っていなかったがS先生は僕が起案した訴状,準備書面にはほとんど手を入れられず,僕を信頼してくれていた。それと,何よりもとても慈愛に満ちたまなざしを僕に投げかけてくれた。

 

 平成16年ころだったか,S先生,F先生,僕の3人が夜遅くまで飲む機会があった。世代は若干違うが,真面目なのか不真面目なのか分からない,とりとめのない面白い話題で楽しい時間が過ぎていった。その夜は,僕は相当遅くまでF先生に付き合ったが,S先生は一足先に帰られた。それから約1年ほど後にS先生は鬼籍に入られた。とてもショックだった。亡くなられてからはじめて知らされたことだが,S先生が僕と一緒にある事件を処理していた時期は,実はS先生がガンの闘病生活から復帰されて間もない頃だったそうだ。今にして思えば,少し辛そうな雰囲気もあった。そのような事情があったとは全く知らなかった・・・。

 

 あの慈愛に満ちたまなざしは,どのような心情に導かれたものであったろうか。僕のことを,「こいつは直情径行型だが,結構かわいい奴だな。」と思っていてくれたからであろうか。あるいは,無常観,諦念,これまでの自分の人生に対する満足感だったのだろうか。ああいう深いまなざしは,忙殺され,日常生活に埋没している間はとてもできないから,恐らく後者の方だろう。S先生と一緒に処理した事件の弁護士報酬で,僕はすぐにピアノを購入することができた。それが今自宅にあるピアノなのである。
                        

2009/07/14

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 どうだろう・・・少なくとも2か月ほど前までは,僕は標準体重を維持していた。かつては標準体重を約8~9キロもオーバーしていた時代があり,その後は見事にダイエットに成功し,その後もリバウンドなどせずに標準体重を維持していたのである。

 

 しかしながら,最近ではかなりヤバくなってきた。ちょっと前までは,毎日嬉々として体重計に乗り,俺はメタボじゃないし・・・・,これからは小顔の方がモテるだろうな・・・などと悦に入っていた。でも最近では,現実を直視するのが怖くて体重計に乗っていない。体重計に乗らなくなってもう約2か月である。部屋の隅の体重計が非常に寂しげである。僕としては,体重計が容赦なく示す結果が怖いのである。恐らく現在では,標準体重を2~3キロは超えてしまっているのではないだろうか。

 

 6月上旬から約2か月の間,僕は司法修習生の指導弁護士をしている。司法修習生は,弁護士事務所で机を構え,特別な事情でもない限り,いつでも弁護士と行動を共にしている。かつて僕が司法修習生だった時もそうだった。だから,ランチも一緒だ。その間は,「ぜんまいざむらい」の弁当箱によるダイエット弁当ではない。外食を毎日している間にカロリーを摂りすぎているのかもしれない。でもこの事態を真面目に修習を続けている司法修習生のせいにするつもりはない。一緒にランチしたって,メニューはいろいろあるのだし,20代の彼と年寄りの僕とでは基礎代謝が違うから,調子に乗って同じものを食べるからいけないのだ。

 

 それと,嬉しいことに,最近ではお中元でビールなどをよくいただく。この梅雨空,蒸し暑さを吹っ飛ばすにはビールが旨すぎる。1週間のうち休肝日はもうけているが,ビールをぷふぁーっと飲みたいという欲望を克服することができず,休肝日の日数が相対的に少なくなっている。

 

 いずれにしても,リバウンドというゆゆしき事態がこれ以上深刻化しないよう,何らかの手を打ち,実行しなければならないし,自民党じゃないけど今の事態を厳粛に受け止めなければならない。

2009/07/13

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 前にもこのブログで告白したことがあるが,平日の場合,朝ご飯を食べたら,テレビのスイッチを入れ,午前7時15分から約10分間,NHK教育テレビで「ぜんまいざむらい」を鑑賞する。これが日課となっている。最近これを欠かしたという記憶は全くない。

 

 それにしても思うのだが,よくできたアニメである。番組の冒頭に企画とキャラクターデザインのスタッフの記載がでてくるが,尊敬しちゃう。からくり大江戸という時代設定で,どのキャラクターも印象深いし,面白いのである。最近特にお気に入りなのは,「豆丸」と「かみちよねーさん」である。

 

 豆丸はビジュアル的にもかわいいし,「・・・・でござる。」,「・・・・・でござるよー。」という語尾と言葉遣いと声が好きである。ぜんまいざむらいを尊敬しているところはよく分かるし,いつも彼と同じ正義感,義理堅さで行動している。ある回のお話では,豆丸が日本全国から選ばれた忍者養成候補として修行のために遠方に旅立ってしまうことになった。でも,豆丸が船に乗って涙の別れに臨んだ土壇場で,修行の招待状の名宛人が「豆丸」ではなくて「伊豆丸」であったことが判明し,ズッこける落ちであった。何だかホッとした。僕はこの落ちがあるまで,そうかぁ,豆丸ってエリートだったんだと見直す反面,当分豆丸と会えなくなるのだろうかと寂しくなってしまったからだ。また,ある回では,豆丸が流れ星に向かって「おねしょが治りますように!」と早口で願を掛けていた。とても健気で,愛すべきキャラである。

 

 かみちよねーさんは,何よりも色っぽくてセクシーである。美人の部類に属することは間違いなく,僕はとても好きである。かみちよねーさんが登場すると大抵はかみちよねーさんだけに見入ってしまう。彼女は,月に2回,寺子屋で千代紙を教えたり,時には占い箱で占いをしている。出自や境遇は謎に包まれているが,かつて江戸にはこういう女性がきっと存在したと思うのだ。

            

2009/07/01

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 昨日だけで法律相談を6件もこなし,さらに2件の打合せも無事に終えた。疲れたーっ・・・。昨夕家に帰り,疲れた体をソファに横たえ,美味しそうな炊き込みご飯が炊きあがるのを待っている間,何気なく新聞のテレビ欄に目をやった。

 

 そしたら,NHK衛星第2で,実は昨日の午後1時から「道」という映画が放送されていたようだ。そう,フェデリコ・フェリーニの「道」という映画だ。何て懐かしい映画だろう。観たかったなぁ・・・。この映画が初めて上映された当時はまだ僕は生まれていなかったが,大学生時代に初めてこの映画を見たときは本当に切ない思いがした。無骨な大道芸人ザンパノ役に名優アンソニー・クイン,頭は良くないが本当に素直な性格の女ジェルソミーナ役にジュリエッタ・マシーナ。それぞれが好演していた。

 

 ジェルソミーナも食べていかなければならず,ザンパノの大道芸の手伝いとして旅を続けていた。しかし,ザンパノが激情の末の殺人(法的には傷害致死だと思うが)を犯してからはジェルソミーナが精神を病んでしまい,ザンパノとしては彼女のことが好きであったものの重荷になってしまったため,やむなく彼女を捨てて行ってしまう(確か,彼女が寝ている間に)。それからかなりの時が経過した後,ザンパノは旅先で,ジェルソミーナが精神を病んだまま死んでしまった事実を人から聞かされる。その日の夜,ザンパノはジェルソミーナの死を悲しみ,砂浜でさめざめと男泣きする・・・・・・・・。およそその人生の中で泣いたことがあるのかと思うほどの無骨な男が,夜の浜辺で嗚咽するのである。

 

 叙情的で切ない映画だった。ジュリエッタ・マシーナは決して美人ではないが,人に癒しを与え,何故かしら強く印象に残る女優である。ご存じのとおり,フェデリコ・フェリーニの配偶者でもある。フェリーニの映画は,その後も,「カビリアの夜」,「甘い生活」,「8 2/1」,「女の都」,「カサノバ」,「そして船は行く」などを観た。本当に独特の世界である。その後の僕の人生に影響を与えるというほどではないものの,映画の面白さを十分に堪能することはできる。特に「そして船は行く」という映画を観た直後は,「あぁ,これが映画というものなんだなあ。」と感じた。あっ,それから,今となってははっきりとその顔を思い出せないが,今から約25年ほど前に観た「女の都」に出てくるドナテッラ・ダミアーニという女優がとても魅力的だったということは,どういう訳だか今も覚えている(笑)。

2009/06/30

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 「ぜんまいざむらい」に登場するなめざえもんについて,少しばかり思うところがあったので,考察してみたい。なめざえもんという存在は,ぜんまいざむらい,ひいては視聴者にとっては嫌な奴という側面は確かにある。

 

 思いつくままにその嫌な奴の側面を指摘してみると・・・・例えば,ぜんまいざむらいが好意を寄せるずきんちゃんをめぐっては,恋敵である。ぜんまいざむらいがずきんちゃんと仲良くすると,嫉妬心を露わにする。時にはずきんちゃんに強引にキスしようとするなど,セクハラまがいのこともする。小判を連ねた小判剣を振りかざし,お金にものをいわせる体質。「にょほほ」というかんに障る笑い。ずきんちゃんを「やぐら寿司」に誘った時に,ぜんまいざむらいや豆丸を「招かれざる客」みたいにぞんざいに扱い,嫌みを言う。ずきんちゃんのためとはいえ,お菓子を買い求めようと人が行列をして待っているのに,お金にものをいわせてお菓子を買い占める・・・・・などなど。

 

 しかし,よくよくなめざえもんのことを観察していると,結構いい奴である。「・・・・でシュタイン」の原賀ゲンナリが,できそこないの「頭のよくなる機械」を発明してこれをぜんまいざむらいに試し,一時的にぜんまいざむらいを記憶喪失にしてしまったことがある。それを見たなめざえもんは心からぜんまいざむらいのことを心配し,目から洪水のように涙を流し,ぜん様の記憶が蘇るように必死の努力をしてくれたのだ。なめざえもんの涙に,僕も朝っぱらからもらい泣きをしたくらいである(笑)。

 

 そうです。なめざえもんは結構いい奴なんです。普段でも,ずきんちゃん自身がなめざえもんと一緒に町内を歩いているシーンが散見されるということは,ずきんちゃんもそれなりになめざえもんの良さは認めているということでしょうか・・・。なめざえもんの存在自体からも判るように,欠点が目立つ人間でもどこかに長所や美点があるものです。なめざえもんがそのことをあらためて教えてくれました。

2009/06/17

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 仕事に疲れ,夕食の時にテレビを見ながら美味いビールを飲んでいた時,思わず吹き出してしまった。「すみま,すみませんでした,すみまー。」だと・・・(爆笑)。お笑い芸人のハイキングウォーキングのギャクだ。腹を抱えるほどではないが,笑える。

 

 このコンビには,このほかにも,「かしこ,かしこまりました,かしこー。」というのもある。これも腹を抱えるほどではないが,笑える。このコンビ名もどこか牧歌的な感じでいいし,鈴木Q太郎の髪も非常に美しい。ロン毛としては多少気持ち悪い長さだが,その緑の黒髪の見事なこと。きっとQ太郎の髪のキューティクルは完璧なほどの健全さを保っているのであろう。日本人にはやはり世界に冠たる黒髪がある。Q太郎には絶対に金色や茶色にヘアダイしてもらいたくない。

 

 ただ,例えば僕や事務員さんに何か不手際があり,依頼者(クライアント)に迷惑をかけたような場合に,僕が「すみま,すみませんでした,すみまー。」などと言ったら,大笑いして許してくれるか,さもなくば,弁護士会に懲戒請求をされてしまうだろう。「すみま,すみませんでした,すみまー。」とか,「かしこ,かしこまりました,かしこー。」とかは,使い方と使い時を間違えると,非常にリスクが高いギャグである。

 

 それにしても,笑いは人間にとって非常に良いことなんだそうな。腹から笑うことによって,免疫力・自然治癒力が高まる,脳内血流量が増えて細胞が元気になる,緊張が緩和され,精神的にリラックスできるなどの効用があるようだ。絶対に笑ってはいけない場面ではやはり笑ってはいけないが,そうでない限り,できるだけ笑える機会を自ら積極的に見つけ,そこに身を置き,腹の底から笑うべきである(笑)。

2009/06/16

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 1回で直してくれた腕の良い歯医者さん。その治療の際に,間抜けな顔で大口を開けている僕の口の中をバキュームしてくれた女性がいた。看護師さんなのか,歯科技工士さんなのか,助手さんなのかは分からない。その女性は大きなマスクをしていたので,鼻から上の容貌しか分からなかったが,目鼻立ちははっきり分かった。恐らく相当に美人に違いない。間違いない。きっと美人である。

 

 まぁ,僕の場合は,間抜けな顔で大口を開け,しかも不安と恐怖で体を硬直させ,口の中を美人にバキュームしてもらっていた訳だから,恥ずかしかった。その女性は,目鼻立ちがはっきりしていて,物腰も丁寧で優しかった。女性の色香があったのである。

 

 女性の色香に対しては,男子たるもの,絶えずこれに対する「迷い」を自戒していかなければならない。愛読書の「徒然草」の第九段には,こうある(新編日本古典文学全集44,小学館,88頁)。

 

 「・・・・・・まことに愛執の道というものは、その根が深く、源の遠いものだ。人間の欲望を刺激する、さまざまな対象は数多くあるけれども、それらはみな、しりぞけることができるものだ。その中で、ただ、あの情欲という迷い一つだけは、とてもおさえがたく、こればかりは、年老いた人も若い人も、また知恵のある人も愚かな人も、変わるところがないものと思われる。こういうわけだから、女の髪の毛をよって作った綱には、大きな象さえも、しっかりとつなぎとめられ、女のはいた足駄で作った鹿笛には、秋の雄鹿が必ず立ち寄ってくるものだと言い伝えられているのです。自ら戒めて、恐れもし慎みもしなければならないのは、この迷いである。」

 

 本当にそうだなあ。吉田兼好さん,良いことを言うなぁ。奥が深い。ただ断っておくが,歯医者さんでの治療の際,口の中をバキュームしてくれた女性については,単に美人だと思っただけで,誓って言うが何も情欲まで感じたのではない。ブログの話のネタに「徒然草」第九段に言及したに過ぎない(笑)。

2009/06/15

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 ・・・・・・・は,・・・歯が取れちゃった(笑)。僕も歳をとったもんだなぁ。前に歯医者さんで処置してもらった箇所である。歯が取れたと分かった瞬間は,一時的にでも身体の完全性が失われたので,ショックではある。

 

 早速予約を入れ,取れた歯を持って行きつけの歯医者さんに出かけた。この歯医者さんは,恐らく僕と同年代であろう。治療に関する説明を十分にしてくれるし,何しろ腕が確かだ。診察券を見ると,初診が平成7年になっているから,かれこれ14,5年になる。

 

 でも,いくら歯医者さんの腕が確かでも,例の「キーーーーン,キーーーーン」という歯を削る機械の音を聞くと,やはり緊張するし,不安で胸が高鳴る。よく映画の予告編などで「手に汗握る,感動スペクタクル巨編!」などのキャッチフレーズがあるが,僕は映画を見たくらいで手に汗など握った経験は全くない。逆に必ずと言っていいほど手に汗を握ってしまうのは,歯医者さんで治療を受けている時である。さらに悪いことに,僕は「痛み」に対して非常に臆病で,特に「キーーーーン,キーーーーン」などの時は,緊張で体が硬直してくるのだ。あたかも死後硬直が始まったかのように・・・・・。

 

 その治療の日に使用された機械はどうやら2種類で,「キーーーーン,キーーーーン」の高音域のものと「ゴーーーーン,ゴーーーーン」の低音域のものだった。ソプラノとバス・・・ち,違うかぁ(笑)。結局この時は,何となく自分でも分かってはいたのだが,幸いにして歯の実質を削る時間は比較的短く,かみ合わせ調整のために上にかぶせる金属を削る時間の方が長かった。でもねぇ・・・,上にかぶせる金属を削るとはいっても,やはり削られている間は長く感じる。僕の場合,やはりその間は手に汗を握りつつずっと死後硬直状態であった。

 

 2,3回は通わなければならないのかなと覚悟していたのだが,何と,その日1回の治療で見事に元通りに復旧し,思い切り噛めるようになったのである。素晴らしい。歯医者さんはすごい・・・。思うに,歯医者さんは,口腔解剖学,口腔外科学,歯内治療学などを学んだ学者としての側面も勿論あるが,何より「職人」ではないかと思う。僕の場合は,いい腕の職人に出会えて良かった訳だ。

2009/06/10

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 いやぁ,ピン芸人というのは大変だろうなと思う。孤独だし,ネタは基本的には自分の責任で作っていかなければならないだろうし・・・。分野は違うけど,彼らには,辛いけどお互いに頑張ろうねと励ましてあげたい。

 

 夕食時にテレビを見ていると,最近「ゆってぃ」という芸人をよく目にするが,結構面白いなと思う。ゆってぃのネタは基本的には日常生活で生起したちょっと辛かったことが中心であり,いわゆるプチ自虐ネタとでもいうべきもの。でも,このプチ自虐ネタは決して下品で不快なものではなく,日常性もあり,どこかほのぼのとした感じがあって,割と好きである。「ゆってぃ,この前・・・・・・・・・な訳。」,「ちっちゃなことは気にしない。」というフレーズが特にいいし,最後は「ばいばい!」とちゃんと挨拶を欠かさないのもいい(笑)。

 

 でも,「ワカチコ,ワカチコー」というのは,その意味内容,定義,その外延と内包,語源,由来が未だに分からず,戸惑う面もある。この言葉には,ひょっとしたら形而上学的に相当深く重要な意味を内包しているのかもしれないし,別にどうということもないのかもしれないし(笑)。

 

 お笑いついでに言うと,僕は相方(ボケ)の頭を乱暴に強くたたくようなのは好きではない。ツッコミが暴力的なのは嫌いである。せいぜい,相方がボケたら,もう一方は,「・・んな訳ないだろ。」とか「よしなさいっ!」などといって,相方の胸辺りを軽くたたく程度のものが良いと思う。

2009/06/09

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 僭越ながら僕は,数日前から司法修習生N君の指導弁護士として弁護実務修習を担当している。司法修習生というのは司法試験に合格し,ごく近い将来,裁判官,検察官,弁護士のいずれかになる法律家の卵である。先日,弁護士志望のN修習生の歓迎昼食会をしようと,本降りの雨だったが僕とN修習生,2人の事務員さんとで近くのうなぎ屋さんに出向いた。

 

 たたみの部屋(和室)に案内され,そこには床の間があり,掛け軸と一輪挿しが置かれていた。決して華美でなく,質素ではあるが,正に日本の美を感じた。それと,たたみにはやはり魅力がある。僕はマンション住まいで,実はたたみの部屋が一つもないのである。最近特にたたみの部屋が欲しいと思うようになり,一つくらいたたみの部屋にリフォームしたいなと本気で考えている。たたみの部屋はやはり何となく精神的に落ち着く。温泉旅行などに行くたびにそう思っていたのだが,これまでなかなか実現できないでいた。

 

 雨の日で,しかもたたみと言えば,僕はこんなことに憧れている。つまりこうだ。窓を開けっぱなしにして,たたみの上に大の字になって寝転がり,涼しげな外気を感じながら降りしきる雨を眺めているという状況である。みんなでうなぎを食べている最中に,ある愛読書の中の一節がふっと思い浮かんだ。その愛読書というのは,「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)である。この本は至る所に印象的な表現があるのだが,このうなぎの昼食会の際に,次のような箇所がふっと思い浮かんだのである。ヒューブナーという人は明治維新の頃に日本に滞在したオーストリアの外交官であるが,この人の文章の一部を先の本から引用してみる(453~454頁)。

 

 「ヒューブナーは箱根の畑村の宿で、雨の一日を過す経験を持った。畑村はオランダ商館員の参府旅行記にもしばしば登場する集落で、ヒューブナーによれば『風光明媚と茶屋とその庭で有名な所』である。『読者諸氏にはこういう言いがたい幸福感を思い描くことがおできになるだろうか。つまり、篠つく雨が絶え間なく朝から晩までどしゃぶりに降って、快い涼しさをふりまいているなかで、・・・・・・庭に向かってぱっと開け放たれた瀟洒な部屋で、とても綺麗な畳に寝ころがっているという幸せを。』」

 

 僕も何とかこれをやってみたいのだ。まあ,リフォームしたところでマンションの一部屋なので,庭もないし瀟洒という訳にもいかないけれども。

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