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弁護士ブログ

2011/02/01

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 私は新選組に関する読み物が結構好きです。古くは,子母澤寛のいわゆる新選組三部作「新選組始末記」,「新選組遺聞」,「新選組物語」などは読破しておりますし,そのほか,新選組を題材にした歴史小説なども読んだことがあります。

 

 作家の浅田次郎氏も新選組を題材にした著作があり,「壬生義士伝」は素晴らしかった。これを読んでいる最中に不覚にも何度も泣いてしまったこともありました。恥ずかしながら嗚咽してしまったこともあったほどです(笑)。でも,この「壬生義士伝」を読んでいて同じような失態を演じてしまった人を私はもう一人知っております。それくらい感動的な小説でした。私がこの「壬生義士伝」を読んだのは,ちょうど大所帯の法律事務所から独立しようとしていた頃で,これからは自分の知恵と甲斐性と責任で生活の糧を得,愛する妻子を守っていかなければならない立場の自分を,主人公である吉村貫一郎の懸命な姿に重なり合わせてしまったのでしょう。

 

 浅田次郎氏がその次に新選組を題材にして世に送り出した作品が「輪違屋糸里」でした。再び「泣かせて欲しい」と思っていた私は,早速この本を買い求めて読んだのですが,残念ながらこれについては全く泣けませんでした。はっきり言って感動もそれほどは・・・。

 

 そうこうしているうちに,浅田次郎氏の最新作「一刀斎夢録」が登場しました。私としては,「壬生義士伝」の時のように泣かせて欲しいと思っておりましたし,何よりもこの本の宣伝の中に「慟哭必至」なんていう文句もありましたから,かなり期待して飛びついて読み始めたのです。でも残念ながら,「泣く」という目的からすると見事に当てが外れたのでござる(笑)。新選組の小姓で不遇の生い立ちであった市村鉄之助が,実家と宿世の縁を切りたかった斎藤一の気持ちを忖度する場面,死を覚悟した土方歳三が市村鉄之助の命を助けるために,彼に自分の遺品となるもの(写真と愛刀)を持たせて,土方の故郷の佐藤彦五郎宅に遣った場面は,確かにじーんときましたし,目頭が熱くなりましたが,「壬生義士伝」の時のような嗚咽には至りませんでした(笑)。確かに浅田氏の取材力と表現力には素晴らしいものがあります。しかし,斎藤一という隊士は新選組の中でもナゾに包まれている部分が多く,薩摩藩の中村半次郎(後の桐野利秋)のように「人斬り」のイメージは確かにあるのですが,ここまで鬼畜のような人間として扱ってしまうのには違和感がありますし,戦場で偶然にも再会した市村鉄之助に斬ってもらいたいという思惑だったのに,逆に彼を斬ってしまったという大団円は「何かなー」という気がするのです。史実だったのならば仕方ありませんが。どこかに泣ける本はありませんかねぇ・・・。

 

 このようにして,この本はほとんど泣くことができず,当てが外れたのでござるが(笑),サッカー日本代表のアジアカップ制覇は,誠にあっぱれでござるよ。

 

2010/10/26

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 日本の第二次高度経済成長期の終わり頃,すなわち昭和40年頃に種田山頭火ブームがわき起こったようだ。山頭火は行乞の,そして漂泊の自由律俳人である。なぜその頃にブームが起こったのだろうか。その頃は私も小学校低学年。お父さんたちが一生懸命に働いていた。仕事に疲れてふっと思い起こすのはふるさとの風景,日本の原風景であり,自由に旅する自分の姿なのではなかったか。その当時の現代人のあこがれの一つだったのだと思う。

 

 前にもこのブログで書いたことがあるが,私は何となくこの俳人の句と生き様に関心が向くのである。その理由ははっきりとは表現できない。厳しい行乞の旅を続けていた山頭火の心の中はどんなものだったのだろう・・・。山頭火が残した文章に次のようなものがある。

 

「生死の底からホンタウの『あきらめ』が湧いてくる。その『あきらめ』の中から、広い温かいそして強い力が生まれてくる。人生の矛盾として慈しみ育てよ。真摯と狂気とは隣り合っている。・・・一日の生活は永遠の疑問に対するその一日だけの解決である。生きたくもなくまた死にたくもないといふ心と、生きたくもありまた死にたくもあるといふ心と、どちらが真実の心であらうか。・・・生のアンニュイは近代病-殊に悪性の近代病の一種である。人生を表象すれば、最初に涙、次に拳、冷笑、最後に欠伸である。」

 

 私がけっこう好きな山頭火の秋の句

 

「落葉うづたかく御仏ゐます」
「曼珠沙華咲いてここが私の寝るところ」
「ふくろうはふくろうで私は私で眠れない」
「つかれた脚へとんぼとまつた」
「いつも一人で赤とんぼ」
「だまって今日のわらじ履く」(秋の句かどうかはわからない)

2010/07/05

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 「墓標なき草原(上・下)-内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」(楊海英著,岩波書店)という本を読んだ。昨晩読み終えたのだが,今でも得体の知れない心の動揺がある。この本の内容は,そのサブタイトルが示すとおりであって,内モンゴル自治区における被害者及びその遺族の慟哭が聞こえる。

 

 この本は,著者自身の実際の体験だけでなく,むしろその内容の中心となるのは内モンゴル自治区に出向いて歴史の生き証人にインタビューして得た貴重な証言である。これは決してプロパガンダなどではなく,歴史の真実なのであろう。実際にその生き証人が見聞きしていなければ表現できないような具体性と迫真性をもっている。

 

 中国共産党による文化大革命とは一体何だったのか,とりわけ内モンゴル自治区におけるそれは何だったのか。この本の終わりにある「視座 ジェノサイドとしての中国文化大革命」や「おわりに」の箇所に要領よくまとめてある総括部分が圧巻であるし,非常に説得力がある。平成16年7月に中国で開催されたサッカーアジアカップにおける日本人及び君が代に対するブーイング,食料やペットボトルの投げつけ,暴言,平成17年4月の北京における反日暴動で日本大使館の窓ガラスが割られたり,日本料理店が襲撃された事件,平成20年に長野・善光寺一帯を埋め尽くした中国人による威圧と乱暴,これらの事件を見聞きするにつけても,そこに「造反有理」を叫んだ文化大革命の紅衛兵の亡霊を見るのである。

 

 この本は岩波書店から出版されているが,これは少し意外だった。いずれにしても,この本は一読に値するし,強くお勧めしたい。

2010/06/14

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 わが栄光の読売巨人軍のセパ交流戦での成績は12勝12敗という成績で,貯金することすらできなかった。残念ではあるが,これからは気持ちを切り替えて,セ・リーグ4連覇を目指して頑張ってほしい。

 

 その読売新聞の書評記事で見つけた本に,「『死の舞踏』への旅-踊る骸骨たちをたずねて」(小池寿子著,中央公論新社)がある。朝食後にボサーッとしながら書評を読んでいくうちに何やら興味をおぼえ,実際にこの本を読んでみたいと思っちゃったのである。

 

 ヨーロッパでは,15世紀以降,「死の舞踏」(ダンス・マカーブル)の壁画があちこちで造られるようになり,その後は壁画だけでなく木版画としても表現されるようになった。「死の舞踏」の絵図というのは,死者(骸骨)と生者とが交互に配置され,死者が生者の手をとって墓場まで誘うという状況を表したものである。不気味な感じもするし,死者(骸骨)は足を跳ね上げて踊っているようにも見えるユーモラスな面もある。筆者はこの「死の舞踏」の壁画の存在やその意味を研究素材の一つとする学者であり,さきに挙げた本は約1年間にわたる「遊学」と「死の舞踏」の壁画等が点在する各地を実際に旅した成果を記したものである。この本の序章には次のようなくだりがある。

 

 「暮れなずむヨーロッパ中世に影を落とす生者と死者の舞踏行列。骨と化し、あるいは、内臓や皮膚を残す干からびた死者たちが、身分の貴賤、老若男女を問わず、生きている者たちの手をとって墓場へと誘う。生者たちは、さまざまなポーズをとりながら、過ぎ去りし人生をふり返っては嘆き悲しみ、また、いとおしむ。死者たちはささやく。いくら生を謳歌しても、人はいつか死にゆくもの。それが定めというものさ。」(3頁)。

 

 この不気味な「死の舞踏」の壁画などが各地で造られた背景として筆者が指摘するのは,「死体や墓を前に死について思いをめぐらせることを勧め、現世での傲慢をいさめて生のむなしさを説くという説教とその思想は、黒死病をはじめとする疫病や飢饉、戦争の支配した中世後期に、死の舞踏を頂点とする死のテーマやその美術を生み出す土壌となった」という点である(114頁)。当初成立時期としては「死の舞踏」よりも古い「三人の死者と三人の生者」の壁画などについても,このような思想的背景があったとも指摘されている。

 

 この本には,表紙のカバーを含めて実際の「死の舞踏」の壁画などの写真がちりばめられている。どれもこれも興味深いものばかりである。こういう世界,こういう研究対象もあるのだなあと感心した。それにしても,「死の舞踏」の壁画などを見た時,不気味な感じがするというよりは,何かしら共感や癒しを覚えてしまうのである。それはなぜかというと,恐らく筆者が指摘するように,「死の舞踏は、むしろ、死すべき生をよりよく完結させるためのステップを、死者が生者に教えるという趣向なのである。・・・つまり、死の舞踏には、死すべき生をいかに成就するかという、いわば積極的な姿勢が見られる」からであろう(116頁)。

 

 ・・・何やら薄気味悪い世界なのかもしれないが,この本は一読に値する。

2010/05/31

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 自分の年のせいなのか,それともなにがしかの僅かばかりの知的集積がさらなる知的好奇心を醸成したのかは分からないが,日本の古来からの文化に対する憧れが高まっている。万葉集というのは,小学生でも知っている存在だと思うが,実は僕はこの年になるまで万葉集に関する書籍を読んだことがなかった。

 

 そこで何か手始めに良い本はないかと思っていたところ,「万葉の花」(片岡寧豊著,青幻舎)という本に出会った。この本は,春夏秋冬,万葉集の歌の中に出てくる四季折々の花を季節別に取り上げ,写真入りで解説し,その花ごとに必ず一つの歌を取り上げている。例えば春の花のアセビについて述べると,分類上はツツジ科で,万葉名はあしび。植物の分類やその特性,外観に言及され,写真で実際にその姿を見ることができるし,花の名前の語源まで解説されている。アセビに関する歌の一つとして次のような歌が紹介され,訳(大意)まで記されている(10頁)。

 

 「磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに」
  (大伯皇女(おほくのひめみこ),巻二-一六六)

 

 「岩のほとりに生えているアセビを手折りたいけれど,それを見せるべきあなたがこの世にいるわけではないのに」(大意)

 

 この本は,万葉集の時代の生活振り,その歌が詠まれた背景などについても解説されているし,その一方で植物図鑑のようでもある。万葉集の世界にさらに興味をもった。万葉集というのは7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた,日本に現存する最古の和歌集で,その成立は759年以降のようである。それにしても思うのは,日本人というのは,自然を愛で慈しみ,花などの有り様を見て四季の移り変わりを感じ,自然に触れてはその都度心を動かされる繊細で優しい,内省的な民族性を有しているということである。

2010/05/21

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 またまたくどいようであるが,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本の続きである。このお話は今日で終わり(笑)。昨日僕は,著者の若泉敬は無私な愛国者だったのだろうなという正直な感想を述べた。その具体的な理由については,本書を読めばその内容で十分に分かると思う。また,若泉敬は,京都産業大学に招聘されて長年にわたって教鞭をとり,国際政治学者として活躍したのだが,平成4年に同大学を退職した際に支給された退職金全額を,同大学の世界問題研究所に寄付している。一部の官僚が天下りを重ねて「渡り」をし,その退職の都度数千万円もの退職金を手にしているのとは雲泥の差である。また若泉敬は,初出の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の発刊に当たり,著作権使用料にあたる額を「沖縄戦で犠牲となられた関係者の方方の鎮魂と,ご遺族のために,ささやかなりともお役に立てたい」と希望し,出版元の文藝春秋は同氏の意志を尊重して,その手続をとったということである。

 

 この本の末尾の「新装版に寄せて」という一文を書いた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏の話(同書631頁)やその他の情報によれば,結局,若泉敬は,この本を出した2年後に,毒杯をあおって自裁(自殺)し,この世を去った。この本は自分の死を視野に収めて書き継がれ,彼は,国家機密を公にした結果責任をとって,本書の刊行後に沖縄の鎮魂碑前で命を絶つ覚悟だったようだ。最終的には本書発刊の2年後である平成8年に彼はこの覚悟を現実のものにしたのである。

 

 本書においては,若泉敬は随所に説得力のある文献,文章の引用をしているが,現在の日本及び日本人が置かれている状況,いわば退廃的な状況について,若泉敬もそれを痛感し,僕も胸を打たれた文章があった。正にそのとおりだという文章が・・・。それは論客福田恆存氏の次のような主張,文章である(本書565頁,旧字は訂正してある。)。

 

 「今日、社会党も共産党も安保条約を目の敵にしておりますが、その様子を見ていると、いくら目の敵にしても安保体制はついに叩き割れぬ『硬い胡桃』だと思い込んでいるらしい。が、もしそうなら反安保闘争そのものが無意味だということになります。だが、私には安保体制はそれほど『硬い胡桃』だとは思えません。それが『硬い胡桃』だという前提には、アメリカがアメリカのために日本を軍事的に離さないだろうという独り合点、あるいは思い上りがあるからでしょうが、実際にそうでしょうか。軍事的にアメリカが日本を必要とする度合と日本がアメリカを必要とする度合と、その両者を比較した時、私は後者の方がはるかに大であると思います。もしそうなら、日本が本気で掛かれば安保体制はいずれは解消できましょう。しかも、それに代る軍事同盟が結ばれないとすれば、日本政府にとって最も恐るべき敵はアメリカだということになる。そういうことも考慮に入れながら反安保闘争をやっていただきたいものですが、私の見るかぎりでは、アメリカとの安保体制、あるいは軍事同盟がなくともアメリカは日本に友好的であらざるを得ないという心理が一般に働いているように思われます。戦後25年、アメリカの御厄介になってきたお蔭でしょうが、そうなると反米闘争もアメリカの傘の下で安心して行われているのかと言いたくなります。軍事的、政治的独立よりも、精神的独立の方が急務である所以です」

 

 鳩山首相さん,平和ボケ・思考停止・反日左翼のジャーナリストさん,同じくコメンテーターさん,精神的独立の方が急務なのではないでしょうか(笑)。

2010/05/20

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 さて,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本の続きである。この本は600ページを超えており,内容だけでなく分量的にも相当に読みごたえがあった。そして,読み終えてつくづく思うのは,著者の若泉敬は無私な愛国者だったのだろうなという正直な感想である。

 

 当時の佐藤栄作首相の意向を受け,タフ・ネゴシエーターのキッシンジャー大統領補佐官を相手に,日本の国益のためにギリギリの交渉を行った。その結果としての悲願の沖縄返還の達成と,有事の際の核持ち込みの密約の存在があった。彼がこの本を出そうとした動機は究極的には真実を書き遺すということだろうと思うが,この本の末尾の「新装版に寄せて」という一文を書いた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏の指摘のとおり,「いまこそ密約のすべてを明らかにし,主権国家が持つべき矜持を忘れ果てた日本に覚醒を促したい」という側面があったのではないかと思う。このことは,本書中の次のような文章からも窺える(616頁)。

 

 「このような試煉に立つ歴史の一大変容期に直面している今日、経済的には自他ともに認める〝大国〟と成り上った日本および日本人は、果たして〝日本の理念〟を普遍的な言葉と気概をもって世界に提示できるのであろうか。より根源的には、いかなる価値観を拠り所に波風荒い大洋への〝海図なき航海〟に乗り出さんとしているのであろうか。ここで敢えて私の一片の赤心を吐露させて頂くならば、敗戦後半世紀の日本は「戦後復興」の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果、変わることなき鎖国心理の中でいわば〝愚者の楽園〟と化し、精神的、道義的、文化的に〝根無し草〟に堕してしまったのではないだろうか。もしもそうだとするならば、このような〝悲しむべき零落〟から再起し、国際社会での生存要件たるそれ相応の信頼と尊敬を受けるために、今の日本と日本人に求められている内なる核心的課題とは一体何なのであろうか。一言にして言うならば、それは、ホイットマンの魂の琴線を揺さぶり、〝世界的日本人〟新渡戸が一世紀近く前に訴えた、あの〝真の武士道〟の伝統に深く念いをいたし、それを明日の行動の指針とすることではないだろうか。そこには、衣食足って礼節を知り、義、勇、仁、誠、忠、名誉、克己といった普遍的な徳目が時空を超えて静かな輝きを放ち続けている。その不滅の光芒の中に、私は、戦陣に散り戦火に斃れた尊い犠牲者たちが、彼らの祖国とその未来を担う同胞に希って止まない「再独立の完成」と「自由自尊の顕現」を観るのである。」

 (さらに続く)

2010/05/19

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 このブログでも一,二度紹介したことがあったが,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本は,相当に読みごたえがあった。外交,安全保障の在り方について本当に考えさせられたのである。

 

 この本の初出は,平成6年5月であるが,僕が読んだのはこの本の新装版で昨年10月に出版されたものである。この本の内容は,そのサブタイトルに「核密約の真実」とあるように,著者の若泉敬が沖縄返還交渉において佐藤栄作首相の特使として重要な役割を果たした際の,ホットラインでの行き詰まる交渉経過,核密約の内容と存在等についての真相を語ったものである。

 

 さる5月15日は,沖縄が本土復帰を果たして38年目の記念日であった。戦後,沖縄の本土復帰は民族的な悲願であったし,これに臨む佐藤栄作首相は不退転の決意であり,この民族的悲願達成のために沖縄返還交渉では苦悩を重ね,日本の外務省,アメリカの国務省のという正規ルートとは別に,若泉敬という特使を派遣して,時の大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーひいてはニクソン大統領と行き詰まる交渉を重ねていた。有事の際の核持ち込みの密約は,沖縄返還達成のための超法規的なやむを得ぬ措置であった。

 

 それにしても,本来の外交というのは,このようにホットラインで,日本のスタッフ(首相,外相,防衛省,官房長官ら)も一枚岩で,基本的には相手国との信頼関係を維持しながら時には懐疑をはさみながら,タフな交渉をしつつ自国の国益を守っていく尊い作業だということを痛感した。しかもその実効的な手法は,時には特使を介した首脳同士の膝詰め談判という形式であるべきこともある。現在日本においては,民主党政権という得体の知れない存在がうごめいており,岡田外相は核密約の存在を暴いて鬼の首を取ったようにしている。笑止である。そのようなものの存在はとうに公然の秘密となっていた。これを暴くこと自体に何の意味があるのだろうか。暴いた後,これをどうしようというのか。鳩山首相をはじめ,彼らに求められていることは,相手国から交渉の当事者としての適格性を認めてもらうことだ。現在の状況は,相手国(アメリカ)は,誰を交渉相手に,誰を信頼してよいのか皆目分からないという(笑),深刻で信じられない事態になっており,アメリカは心底あきれかえっていると思われる。それもそのはず,米軍海兵隊普天間基地移設問題について,民主党政権発足後は,首相の言っていることと外相の言っていることと防衛相の言っていることとが全く違っていた時期が長かったし,アメリカとしては困惑するしかなかった。当然である。鳩山首相は,韓流スターを公邸に招いて食事したり,首を前後させてハトのまねをしているようなヒマがあるのだったら,この「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という本でも読んで外交や安全保障の在り方の勉強するとよい(続く)。

2010/04/19

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 僕ももう弁護士16年目の春を迎えた。経験を積むうちに,事件処理の手法を身につけたり,事件の大体の見通しは立つようになった。でも,最近では何だか実体法(例えば民法,刑法,商法など)や手続法(例えば民事訴訟法,刑事訴訟法など)の知識をもう一度確かなものにしなければと反省している。司法試験受験生の時に勉強したように,もう一度これらの法律に関する基本書を読んで勉強したいという気持が強くなりつつあるのである。

 

 ただそうは言っても,実際の休日の過ごし方というと,事務所に出て来て仕事をせざるを得なかったり,ゴルフで気晴らししたり,好きな本を読んだりで,なかなか法律の基本書を読んでの勉強には至らないのが実情である。この週末の読書といえば,「毛沢東の文革大虐殺」(宗永毅編,松田州二訳,原書房)という本を読破した。約380ページに及ぶ本であるが,あっという間に読み終えてしまった。この本の訳者の日本語はとても正確で,読み易かった。外国人の著作については,何よりも翻訳が重要であるということを改めて痛感した。

 

 この本は,中国の各地方政府の調査報告書や資料だけでなく,各筆者自身が実際に文化大革命を経験した生存者へのインタビューなどに基づいて著作されたものであり,正に史実そのものであろう。文化大革命というのは,プロレタリア文化大革命ともよばれ,ウィキペディアによると,名目はともかくとして「中国共産党指導部内における修正主義の伸長に危機感を抱いた毛沢東らによる,暴力的行為を伴った大規模な権力闘争と評価されている。政治・経済・思想・文化の全般にわたる改革運動のはずであったが,実際には全国の人民を巻き込んだ粛清運動として展開され,数千万人の犠牲者を出したほか,国内の主要な文化の破壊と経済活動の長期停滞をもたらす惨事となった。」とされているものである。修正主義というのは,その当時の劉少奇らの考え方のことを述べているのであろうが,いわゆる大躍進政策で農民らが約4000万人も餓死などにより死亡した無謀な政策を改めるように建言した劉少奇らの方が正当なのであろう。毛沢東率いる中国共産党は,延安整風運動,反右派闘争,この文化大革命と粛清の嵐の連続である。

 

 この「毛沢東の文革大虐殺」(宗永毅編,松田州二訳,原書房)という本では,文化大革命の最前線の具体的な状況がよく理解できるよう記述されている。一方,同時期における中国共産党中央の権力闘争の状況は,「マオ-誰も知らなかった毛沢東(上・下)」(ユン・チアン,ジョン・ハリディ著,土屋京子訳,講談社),「周恩来秘録 上・下」(高文謙著,上村幸治訳,文藝春秋)などを読むと詳しく理解できる。大躍進政策による未曾有の数の犠牲者だけでなく,文化大革命によるこの途方もない数の犠牲者の存在を知るにつけ,現在も天安門に毛沢東の肖像画が飾られ,人民元の肖像画もこの元指導者であることに相当の違和感,いや恐怖感さえ覚えてしまう。

 

 わが国の一万円札の肖像画は,明治時代のオピニオンリーダーであり,「脱亜論」を唱えていた福沢諭吉先生である。

2010/03/17

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 月曜日の晩に仕事を終え,次の会合に向かう道すがら,傘を差しながらずっと立っているタクシー運転手の存在に気づいた。土砂降りとまではいかないけど,相当に強い雨の中,車外で立ったままじっとタクシーの用命を待っているのである。このタクシー会社はもちろん流しもしているけど,コインパークの一番端の駐車場の一区画を借り,このように流しではなくてタクシーの用命を待つ営業スタイルも展開しているようである。

 

 傘を差していたとしても強い雨に打たれながらじっと立って待っているタクシー運転手の姿を見て,何か感動した。彼に妻子があるのかどうかは知らないが,一生懸命に働いて家族を守っているように思われたのである。どういう訳かその時に思い浮かんだのは,新選組隊士(諸士取扱役兼監察方,撃剣師範)だった吉村貫一郎のことと,彼を主人公として描いた浅田次郎の「壬生義士伝」(文春文庫)という小説のことである。

 

 この本の裏表紙には「浅田文学の金字塔」と銘打ってあるが,かつてこの本を読んだ後は本当に感動した。たまたまこの本を読んで間もない時期に,以前僕と一緒に仕事をしていた裁判所職員と,ある送別会で話す機会があり,たまたまこの本のことが話題になった。彼も数度その本を読み,その都度涙を流したそうだ。僕は一回しか読んでいないが,読んでいる最中に涙が出て来たことがあった。

 

 吉村貫一郎は南部藩の下級武士であったが,どうにもこうにも生活に困窮し,妻と可愛い子らを養うために,万やむを得ず脱藩して新選組に入り,お給金などを京都から故郷(盛岡)の妻子の元へ仕送りしていた。新選組にいれば,いつ命を落とすか分からないが,いわば出稼ぎをして必死で家族を守っていたのである。学問はあるし,剣術も沖田総司,永倉新八,斉藤一らと互角に渡り合えるほどの腕前(北辰一刀流)であった。本当に強い男であったのだ。妻子があるなら,妻子を守ってなんぼである。これも武士道。

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