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弁護士ブログ

2010/10/29

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 落ち葉の舞い上がる季節だが,昨日は落ち葉も舞い上がらない雨,しかも一日中降り続いていた。私はロータリークラブの関係で,雨中のゴルフに臨んだのである。それにしてもさんざんなスコアであった。天候等のコンディションのせいも少しはあるが,もともとの素質のなさ(先天的なもの),力みと早打ち(後天的なもの)とが災いしたのであろう。近来まれにみる悲惨な結果であった。

 

 それはそうと,この雨中のゴルフで何も収穫がなかったという訳ではない。昨日一緒にラウンドさせていただいたある方のお人柄などに感服し,手本にしなければと思った次第である。つまりこの日の収穫は良いお手本に巡り会えたということである。

 

 この方は私が所属するロータリークラブの大先輩であり,もう75歳を超えておられる。しかし,よほどのことがない限りカートは使用せずに歩かれる。プレイ中の言動や表情はいたって穏やかであり,同伴者やキャディーに嫌な思いをさせることなど全くない。淡々とされている。私などはあるホールでその方のボールを誤球するミスを犯してしまった。同じ銘柄のボールだったのである。でもその方は,そのホールが終わった後に,そっと誤球の事実を私に教えてくれた。もちろん私はペナルティーを加算して申告した。そのホールでのプレイで私が心理的に影響を受けないようにとの心遣いだったのだろう。またこの方は,私がOBを出してしまった後,知らぬ間にボールを探しておいてくれ,プレイが落ち着いたころに私にそっと渡してくれた。さらには,この方は,昼食休憩後に孫のような年齢の若いキャディーさんに「お昼ご飯は食べた?」と声をかけ,食べていないことを告げられたら,次の茶店で大きな「どら焼き」を買い,おなかが空いたら元気がでないだろうとその「ドラ焼き」をキャディーさんにあげていた。そのキャディーさんは感謝して,美味しそうに頬張っていた。

 

 要するにこの方は,付け焼き刃などではない根っからの優しい紳士なのである。武士のような雰囲気もある。これはまねしようと思ってもまねできないものだが,お手本のような人である。

 

 今日の新聞を見ていたら,10年前の10月29日(今日)の朝刊の懐かしい記事が載っていた。長嶋茂雄監督率いる巨人と,王監督率いるダイエーとが日本シリーズを戦い,4勝2敗で長島巨人が日本一に輝いたという記事である。懐かしい。また,その記事には,長嶋監督は,日本一に輝いてもちろん胴上げはされたが,王監督を気遣ってその勝利のコメントや表現は実に控えめであったということも記されていた。

2010/10/27

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 中国の広州でアジア大会が開かれるという。このうちサッカー日本男子は,11月8日には1次リーグでくだんの中国と対戦するようだ。日本代表選手の身の安全は大丈夫なのだろうか。本当にやるんですか?

 

 最近の中国内陸部を中心とした反日デモは異常なほどであり,綿陽市で発生したものなどは日本料理店がボコボコにされ,日本車も仰向けにされており,日章旗も毀損されている。義和団と同じメンタリティーをもった手合いが雲霞のごとく存在するし,さらに悪いのは彼らは1994年ころから江沢民が徹底した愛国教育,反日教育の洗礼を受けた偏狭なナショナリズムを有している。しかも,このようなデモに関し,中国外交部の馬朝旭という報道局長自身が「日本側の誤った言動に義憤を表明することは理解できる」などと言っているのである。中国共産党は,とにかく自国政府にだけは抗議の矛先が向かないことに汲々として,反日デモにとどまる限りはある程度暴徒たちを泳がせるであろう。

 

 サッカーは世界的なスポーツで,観衆を熱くさせる魔力のようなものをもっている。サッカーはある意味国と国との戦争だと評する者もいるくらいである。尖閣諸島の中国漁船衝突事件で,義和団化した彼らは頭に血が上っている。11月8日のサッカー男子1次リーグの日本対中国戦では,彼らがこの試合を戦争に擬しないとも限らない。この試合で順当に日本が勝ったらどうなるか。だから私としては,「えっ,本当にやるの?」と言いたいのである。

 

 国旗,国家というのはその国の象徴である,これに侮辱を加えるべきではないという国際社会の常識というのもは,彼らには全く通用しない。試合前の国歌斉唱の際にブーイングしたり,国旗を毀損したりなどということは恥ずべきことなのである。しかし,彼らにこの国際常識が通用しないことはこれまでの歴史が示している。現に2004年のアジアカップにおける乱暴狼藉,近いところではさる10月4日に中国山東省で行われたサッカー男子U-19(19歳以下)アジア選手権で,試合前に中国人の男が日の丸を奪って逃げるという事件が発生している。

 

 本当に心配なことである。

2010/10/26

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 日本の第二次高度経済成長期の終わり頃,すなわち昭和40年頃に種田山頭火ブームがわき起こったようだ。山頭火は行乞の,そして漂泊の自由律俳人である。なぜその頃にブームが起こったのだろうか。その頃は私も小学校低学年。お父さんたちが一生懸命に働いていた。仕事に疲れてふっと思い起こすのはふるさとの風景,日本の原風景であり,自由に旅する自分の姿なのではなかったか。その当時の現代人のあこがれの一つだったのだと思う。

 

 前にもこのブログで書いたことがあるが,私は何となくこの俳人の句と生き様に関心が向くのである。その理由ははっきりとは表現できない。厳しい行乞の旅を続けていた山頭火の心の中はどんなものだったのだろう・・・。山頭火が残した文章に次のようなものがある。

 

「生死の底からホンタウの『あきらめ』が湧いてくる。その『あきらめ』の中から、広い温かいそして強い力が生まれてくる。人生の矛盾として慈しみ育てよ。真摯と狂気とは隣り合っている。・・・一日の生活は永遠の疑問に対するその一日だけの解決である。生きたくもなくまた死にたくもないといふ心と、生きたくもありまた死にたくもあるといふ心と、どちらが真実の心であらうか。・・・生のアンニュイは近代病-殊に悪性の近代病の一種である。人生を表象すれば、最初に涙、次に拳、冷笑、最後に欠伸である。」

 

 私がけっこう好きな山頭火の秋の句

 

「落葉うづたかく御仏ゐます」
「曼珠沙華咲いてここが私の寝るところ」
「ふくろうはふくろうで私は私で眠れない」
「つかれた脚へとんぼとまつた」
「いつも一人で赤とんぼ」
「だまって今日のわらじ履く」(秋の句かどうかはわからない)

2010/10/25

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さくら「お互い,食欲の秋だわよね。ねえ,元気?」
ひみ子「もちろんよ。おなかがすいてしょうがないわ。今日のバイキングは中華だけど,結構美味しいわね。この四川風マーボ豆腐は超辛いけどやみつきになるわ。中国共産党は嫌いだけど,中華料理はまあまあね。」
さくら「うん,このフカヒレ入りスープもたまんない。・・・ちょっとフカヒレが少ないけど。中華料理って言ったって,私思うんだけど,日本にあるものは日本人の口に合う訳だし,本場の中国のものとは全然違う気がするわ。ある意味では,日本にある中華料理って,結局は日本料理みたいなものよね。あー,それにしてもこのチャーハンの美味しいこと・・・」
ひみ子「ええ,でもあなた,いくら美味しいからって,食べ過ぎちゃだめよ。三段,いやその二段腹は何とかしなきゃ・・・。」
さくら「余計なお世話よ。あなただって,ちょっと油断してしかめっ面したら仙石官房長官にそっくりよ。」
ひみ子「あーーー,それだけはやめて。あの確信的傲岸不遜的反日左翼」
さくら「それにしても,トミ子,ほらあの岡崎トミ子よ,先日衆議院法務委員会で,韓国ソウルで従軍慰安婦問題に関する反日デモに国会議員として公費で参加した件について,『国益にかなう思いをもっている』って答弁したのよ。一体全体何考えてるんだか,これまた筋金入りの反日左翼。日の丸にバツ印をしたプラカードの前で抗議のシュプレッヒコールして何が国益よ。完全に国益を害してるじゃないの。」
ひみ子「えーっ,そんなことほざいたの,あの人・・・。信じられない。民主党っていうのはロクな人がいないわね。あっ,そうそう。あたし,あの行政刷新相だかなんだかしらないけど,蓮ホウっていう人,嫌いだなー。自信過剰が鼻につくし,人をやり込める時のあの人の目は,それこそ文化大革命時代の紅衛兵の目よね。」
さくら「あなたって,たまにはいいこと言うわね。今のは久しぶりに説得力ってものがあったわ。」
ひみ子「あなた,人をほめる時は素直にほめなさい。それに食べるときはそんなに大きな口を開けないの,いいこと?」
さくら「・・・・・ああ,それひきかえ,私は自由民主党の稲田朋美という衆議院議員が大好きなの。本当にすばらしい代議士だわ。為政者には何よりも国家観がなければならないわ。この人の10月6日の代表質問はホントに凄かった。動画でも見ることができるけど,私,この稲田議員の代表質問を聞いていて,泣けてきたもの・・・」
ひみ子「ふーん。そんなに良かったの?」
さくら「とにかく素晴らしかった。『主権国家の気概を示す大演説』との評判よ。稲田議員のこの代表質問の内容は素晴らしかったけど,特に『農業は地域を守る,文化を守る,伝統を守る極めて重要な役割を担っています。お米は日本の主食であり,米作りは日本の文化であり,水田は日本の美の象徴です。』っておっしゃったの。あたし,この時も思わず泣けてきたわ・・・。」
ひみ子「ふーん。確かにそのとおりよね。同じ女性議員でもトミ子らとは全く国家観と,心構えと,覚悟が違うわね。それにしても,お米,水田はいいけど,だからといってチャーハンの食べ過ぎよ。」
さくら「日本人ならお米をたべなきゃ。あなたもチャーハン食べなさい,早くっ!」

2010/10/21

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 新聞報道によると,10月19日,中国青海省黄南チベット族自治州同仁県で,チベット族の高校生ら約7000人が「漢語(共通語)による教育を強要され、チベット族の言語や文化が衰退する」などと抗議し,市街をデモ行進したということだ。その背景にあるのは,共産党一党独裁のあの中国による「教育改革」の名目による漢族文化の押しつけ,チベット文化の圧殺である。

 

 中国は,同自治区において,チベット語と英語を除く全教科で漢語による授業を行うことにしたようだ。これにより,漢族の教員が大量流入し,チベット族は失業するという危機感も広まった。デモの中心はチベット族の高校生である。高校生ながら,自らの言語で授業が受けられず,漢語を強要されることに危機感と絶望感を抱いたのであろう。なぜ授業を受けるのに自分の属する民族の言葉が使用できないのであろうか,なぜ他民族の言語使用が強制されるのであろうか,チベット語の授業は辛うじて確保されているが,民族の言語は次第に衰退していく・・・。その心の痛みは,日本人である自分の身に置き換えてみればよく理解できるであろう。

 

 また,尖閣諸島中国船衝突問題で,10月16日,東京でもデモ行進があった。参加者は民主党政権下の現下のこの売国的状況に,いてもたってもいられない心情で参加したのであろうが,このデモ行進も極めて整然としたもので,その参加者も老若男女ありで,愛国心と憂国の気持ちがごく自然な形で表現されていた。

 

 ところが,中国の内陸部の数か所の都市で発生した反日「デモ」は一体全体どうしたものだ。特に四川省綿陽市で発生したものは,日本料理店の破壊,略奪,日本車の破壊とひっくり返しなどであり,あれは「デモ」なんかではなく暴動である。何かに大いなる不満をもったチンピラの集まりだ。ああいうものはデモとはいわない。これに参加した連中は反日教育を受けまくった学生が中心のようだが,あいかわらず義和団や「阿Q」のようである。歴史的には絶対に忘れてはならない通州事件を思わず連想してしまったほどである。要するにこれは「デモ」と称する暴動,悪質な憂さ晴らしである。指桑罵槐という言葉があるが,こういった連中は何に不満をもっているのか,名目どおり反日なのかそれとも何か他のもの,槐(エンジュ)の木を罵りたいのか・・・。

 

 いずれにしても,これらの連中の行動は,チベット族高校生によるデモや日本人のデモとは,全くその性質が異なる。これは民族性,民族のメンタリティー,民度,国柄,社会的背景の大きな違いということで一応の説明ができると思う。

2010/10/19

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 傲岸不遜という言葉の意味を国語辞典で調べてみると,「自分を偉い人間と考えて、相手を見下した態度をとるさま。」と書かれている。

 

 仙谷由人という官房長官の国会答弁やプレス対応を見ていると,正に傲岸不遜という言葉がピッタリである。政府参考人として呼ばれて発言した現職官僚が,菅内閣の天下り対策に批判的な発言をしたことから,この仙谷という者は,自分に向けられた質問とそれとは全く関連がなかったにもかかわらず,「彼の将来が傷つき残念だ」と述べ,当該官僚に対して将来何らかの人事権を発動するかのような恫喝をした。また,自民党の丸山和也議員から,尖閣諸島付近で発生した中国漁船衝突事件で船長を釈放したことについて,仙谷がアジア太平洋経済協力会議(APEC)に対する影響を恐れた旨の発言をしたことを暴露された際,「健忘症にかかったか、今暴露された会話の記憶はない。」ととぼけた。「健忘症」などという言い訳を平気でするのである。この仙谷という人間の国会答弁やプレス対応での態度を見ていると,この人間は,自分以外は全員バカに見えて仕方がないといった驕り高ぶった感じである。

 

 この仙谷という人間は,中国のあの殺戮と粛清の文化大革命をあたかも積極的に評価しているかのような全くばかげた発言も繰り返しているし,さきほどの丸山議員との会話の中でも「中国への属国化は今にはじまったことではない」と述べ,唯々諾々として今後も中国に膝を屈していくのはやむを得ないかのような発言をしたことが暴露されている。しかも今年8月に発表された歴史の汚点となるような「菅談話」なるものを官邸で主導したのもこの男だといわれている。さらには東京裁判史観,自虐史観そのものを金科玉条のごとく堅持し,日本という国を貶めている。私が一番腹に据えかね,憂うのは,学生運動の闘士であった反日左翼のこの男が,確信的に官邸を牛耳り,ことごとく国益を損じているこの現状である。

2010/10/18

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 秋の夜長に癒される曲を聴くのだったら,やはり夜想曲(ノクターン)であろう。昨日,10月17日はショパンの命日であった。子供の頃に最初にあこがれた音楽家がこのショパンだった。

 

 ショパンの夜想曲で最も好きなのは,有名すぎるかもしれないが作品9-2のものと,「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」という楽想指示がついている嬰ハ短調(遺作)のものである。作品9-2の変ホ長調のものは,僕が小学生の頃にある商品のテレビコマーシャルで初めて耳にした曲で,本当にあこがれたものだ。こんな風にピアノが弾けたらいいなと・・・。

 

 年をとってしまった今は,むしろ嬰ハ短調(遺作)の方が好きだ。遺作となっているが,これは楽譜が死語に発見されたという意味で,実際の成立年代,つまり作曲された時期はショパンがまだ20歳前後のころ,姉のルドヴィカのために作られたといわれている。これは本当に佳い曲である。この曲を聴いただけでショパンが好きになる人もいるのではないか。ポーランド生まれのショパンは,20歳ころにフランスに移って以降は,結局生まれ故郷には帰ることができなかった。でも姉のルドヴィカは何とかショパン最期の年にパリを訪れ,その臨終の際もショパンの病床に付き添い,看取った。

 

 ポーランドで思い出すのは,僕が20歳だったころ,東京で知り合ったIさんという大学院生のことである。僕がショパンを熱く語っていたところ,偶然このIさんはポーランドに留学に行く直前だった。その後Iさんは,僕の自宅に「ジェラゾヴァ・ヴォラ」という写真集を贈ってくれた。今もこの写真集は僕の自宅にあるが,この写真集の題名はショパンの生まれ故郷の名である。是非その地を訪れてみたくなるような写真集である。

 

 蛇足といってはボロディンに失礼だが,夜想曲(ノクターン)といったら,このボロディンの弦楽四重奏曲第2番ニ長調の第3楽章の夜想曲も捨てがたい。なにも捨てる必要などは全くないが,これまた本当に佳い曲で,秋の夜長にピッタリなのである。

2010/10/15

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 今年のノーベル平和賞は中国の民主活動家劉暁波氏に与えられた。気になっていただけに,思わず快哉を叫んだ。中国共産党は厚顔無恥にも,ノルウェーのノーベル賞委員会に対し,自国に不利になるような人間に賞を授与しないよう政治的な圧力をかけ続けてきた。今回ノルウェーのノーベル賞委員会はこれを見事にはねのけて授与を決定した。どこぞの政府の弱腰,主体性のなさとは大違いであり,主体的で毅然とした立派な態度である。

 

 しかし,中国ではこの受賞についてほとんど報道しておらず,国民の目に触れることを懸命に避けている。CNN,BBC,NHKなどがこのノーベル平和賞授与のニュースを報道するや否や,中国国内のテレビというテレビの画面が真っ暗になったシーンを見て,思わず笑ってしまった。報道の自由というものがない正に異形の国である。また中国は,この受賞決定後もノルウェー政府に圧力をかけ続けている。大使を呼びつけて強く抗議したり,政府高官同士の会談を相次いでキャンセルしたりなどなど・・・。自らの異形の姿を満天下にさらして,恥ずかしくはないのであろうか。

 

 一方,新聞報道によると,受賞者である劉暁波氏の配偶者である劉霞氏は中国政府によって軟禁状態におかれている。家族が彼女に電話をしても通じないし,彼女が外部の者と接触することも近所に買い物に行くことも禁じている。中国政府はさらに,彼女が受賞者である夫の代わりに受賞式典に臨むことも認めないと発表した。いやはや凄い国である。ラルフ・タウンゼントの本ではないが正に「暗黒大陸」である。とにかく受賞者である劉暁波氏は,いわゆる「08憲章」という民主主義国家の価値観では当たり前の憲章を作成するなど民主化運動をしたに過ぎないのに,「国家政権転覆扇動罪」でなんと懲役11年の実刑判決を受けて実際に服役しているのである。完全に人権が蹂躙されている。

 

 それにしても思うのは,中国共産党一党独裁体制はもはやかなりその維持が厳しくなっているのではないかということである。中国共産党があれだけ年8%の経済成長の維持にこだわっているのは,それを下回ると十分な雇用が確保できず,失業者があふれて社会不安がいっそう増す懸念があるからだろう。また,そのジニ係数が示すように貧富の格差はすさまじく,年間10万件にも上る暴動の発生,役人の汚職などがはびこり,民衆の不満は地下で渦巻くマグマのようになっているため,内外で発生する諸事象に関する正確な情報をとてもそのまま国民には伝えられないのであろう。中国を脱出してアメリカに渡った何清蓮という人が書いた「中国の嘘」(扶桑社)という本には,中国政府,中国共産党が国民に対して嘘をつき続けている実態が詳細に論じられている。この本は,やはり同女史が書いた「中国現代化の落とし穴-噴火口上の中国」(草思社)という本と並んで大変参考になる本である。

 

 

2010/10/13

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 今年のノーベル化学賞の受賞者3人のうち,2人は日本人であり,北海道大学名誉教授の鈴木章さん,アメリカのパデュー大学の根岸英一さんである。パラジウムを触媒とする「クロスカップリング」と呼ばれる有機合成法の開発という業績が認められてのことである。誠に素晴らしい。僕なんかは全く無関係ではあるが,やはり同じ日本人として誇らしい気持ちになる。

 

 毎度同じことを言うようで恐縮だが,鉱物資源などがほとんどないこの日本,人材こそが貴重な資源であり,十分な基礎研究の上に立った応用力を生かし,付加価値の高いものを作り上げていくしかないのである。それにはちゃんとした教育と,研究基盤の確立,サポートを図っていく必要がある。

 

 民主党政権は,「子ども手当て」などの壮大なバラマキ政策のために,やみくもな事業仕分けを敢行し,はたまた「政策コンテスト」なるものを企画して自らの無為無策をさらし続けている。行政刷新相とやらの蓮舫なる人物は,スーパーコンピュータなどの開発について「一番じゃなきゃダメですか?」などといった愚かな発言をして批判され,これを逆手にとって同名の本まで出版している俗物である。受賞者である鈴木章名誉教授は「日本の科学技術力は非常にレベルが高く、今後も維持していかなければならない。・・・研究は1番でないといけない。〝2番ではどうか〟などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人の言葉だ。」と厳しく批判している。

 

 また,全国32の国立大学理学部長で作る会議が,10月8日,ノーベル賞につながるような基礎研究費の確保が難しくなっているとして,予算への理解を求める緊急声明を発表している。民主党政権における来年度予算の概算要求で,科学研究費補助金や大学への交付金の一部が「政策コンテスト」を経て決まる特別枠に盛り込まれたことで,「予算が認められなければ研究費の大幅削減になる」と危機感を表明している。そもそもノーベル賞を受賞した鈴木名誉教授も,その業績について,最初から応用を意図した訳ではなく,好奇心に基づいて成し遂げた基礎研究の成果だと指摘されている。基礎研究こそが大事なのであり,民主党政権下ではその基礎研究費の確保すら危うくなっている。

 

 何もノーベル賞の受賞が最終目的などではない。あくまでも鉱物資源などに乏しいこの日本の生きる道は,人材こそが貴重な資源であり,十分な基礎研究の上に立った応用力を生かし,付加価値の高いものを作り上げていくしかない。それにはやはりちゃんとした教育と,研究基盤の確立,サポートを図っていく必要があり,それがなければ日本の学術研究は空洞化してしまう。人材の海外流出もくい止められないであろう。民主党なる政権は,「子供手当て」などをはじめとするバラマキ政策の「有言実行」のために,このような教育費用,研究費用,はたまた防衛費までをも削り続けていくのであろうか。

2010/10/12

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 本当によい季節になった。秋が一番好きである。こういう季節を迎えると,理由は全く分からないが,何かしら佳い音楽を聴きたい気持ちになるし,空の雲や月,街路樹,路傍の小さな花などにも目が向くようになる。炎天下の夏では,精神的にもそういう余裕がもてないのであろう。

 

 産経新聞を読んでいたら,あのピアニストのマウリツィオ・ポリーニが高松宮殿下記念世界文化賞を音楽部門で受賞したという記事が載っていた。18歳でショパン国際ピアノコンクールで優勝したこの現代最高のピアニストの一人も,もう68歳だ。僕も今まで二度コンサート会場でポリーニの演奏を聴いたが,もう一度聴いてみたい。10月には東京と京都で公演があるようだが,残念ながら今回は行けそうにない。過去二度のポリーニ体験のうち一度は,東京文化会館での青少年のためのコンサートで,確か20代までという年齢制限がなされていたのだが,どうしても聴きたかった僕は年齢詐称してでも潜り込んでしまった(当時既に30歳を超えていた(笑)。もう時効である)。

 

 思い起こせば,若いころにポリーニの「ショパンの24の練習曲集」のレコード(ケースの帯に「これ以上、何をお望みですか?」というキャッチフレーズの付いたもの)を聴いてからというもの,このピアニストに絶えず注目してきた。今でも世界最高のピアニストの一人であろう。先の産経新聞の記事では,ポリーニのインタビューにおける発言も掲載されていたが,ポリーニは日本の聴衆などについて次のようにコメントしている。

 

 「日本の聴衆は並はずれて丁重で、音楽も演奏家も大切にしてくれます。日本人の民主主義的な国民性や芸術に対する深い尊敬、優れた教育、礼儀が、そういう民主主義的態度を形成していると思えます。武満徹や細川俊夫のような現代作曲家を生み、映画などでも並はずれた芸術的感性を発揮していますね。」

 

 今年2010年は,ショパンの生誕200年に当たる。ポリーニのショパン演奏は誠に素晴らしい。できるだけ最新のポリーニのショパン演奏の録音を物色してこよう。

 

 芸術と言えば,俳句も日本の素晴らしい芸術世界,精神世界の一つである。日曜日の朝に何気なくテレビを見ていたら,江戸年間の尼僧俳人である田上菊舎の生き方とその俳句作品についての紹介がなされていた。得度していること,漂泊の旅を続けていたことなどから,種田山頭火にも一脈通ずるところがある。女性の身でありながら仏道修行と作句しつつの漂泊の旅。何が彼女をそうさせたのであろうか。テレビでは,菊舎の次の句が紹介された。滞在先で菊舎にまとわりつくほどに懐いていた可愛い女の子と,前年の暮れには年が明けて春になったらあちこちに花見をして回ろうとの約束をしていたのに,その女の子は急死し,その約束もかなわなくなった。その時の心境を詠んだ句であり,切々たる無常観にあふれている。

 

 「花に遊ぶ やくそくむなし 野辺送り」

 

  菊舎は,次のような句も残している。

 

 「鐘氷る 夜や父母の おもはるゝ」

 

 芸術めく秋に,少しばかり田上菊舎に関する本でも読んでみようか。


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