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弁護士ブログ

2013/06/24

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 週明け早々の月曜日から「対位法」の話なんか聞きたくもないですよね。そりゃそうだと思います。でも「対位法」の話をします(笑)。

 

 本当に買って良かったなと心から思える本というものには,なかなか巡り会えるものではありませんが,久しぶりにそういう本に出会いました。とても嬉しいし,これからも何度も何度も読み返すと思います。「ライプツィヒへの旅-バッハ=フーガの探究」(ミッシェル・モラール著,余田安広訳,春秋社)という本です。

 

 この本は,バッハの「平均律クラヴィア曲集」を題材に,対位法の精華であるバッハのフーガについて,その構成の精緻さと巧みさを非常に分析的に記述しています。架空の登場人物(一部実在の人物も含まれています)に物語風に語らせ,対位法とは何か,バッハのフーガの素晴らしさについて説得的に,しかも分かりやすく表現しております。やはりバッハはとてつもない巨人です。

 

 前にもこのブログで書いたことがありますが,私は対位法というものにコンプレックスを感じながらもとても憧れてきました。小学生の時にピアノを習ったのはいいのですが,バイエルやブルグミュラーなどは順調にこなしたのに,バッハのインヴェンション(2声)とシンフォニア(3声)になると途端に牛歩になってしまったのです(笑)。でもこのポリフォニー(複音楽)には魅力を感じてしまう。・・・でも技術の方は言う事を聞かない(笑)。ましてや平均律クラヴィア曲集(第1巻,第2巻)はどれも全く素晴らしい曲群なのに,プレリュードはもちろん,フーガには手も足も出ません。それでも憧れる。何とか弾いてみたいという衝動に駆られるのです。

 

 対位法は旋律線とそれらの積み重ねの技法であり,各声部を構成する旋律線がそれぞれ独自性を失わず,それでいて他の声部との見事な調和が維持され,タペストリーのように展開していきます。この複音楽を理解するには,各声部の旋律線をちゃんと聴き分けられるか,弾き分けられるかにかかっております。そのためには特に難解なフーガの曲の構成をある程度分析できなくてはなりません。

 

 そこでこの本です。素晴らしい・・・。主唱,そしてその主唱の2回目の入りの部分からこれに寄り添うように展開する対唱,主唱と対唱が複数になる場合,そして直行,反転,拡大形,縮小形など,さらには二重対位法,三重対位法・・・。分かりやすく私たちに説明してくれます。それにしてもバッハという人は,9歳と10歳の時に相次いで両親を亡くし,その後は経済的には恵まれず,ましてや英才教育を受けた訳ではないのに,このようなフーガの群を作曲する技法をどのようにして学んだのでしょうか。とても信じられません。

 

 著者は,フランスの音楽教育,特にエクリチュール(和声学,対位法・フーガ)教育の第一人者であるマルセル・ビッチ氏の教えを受けてこの本を著したということです。対位法の解説については曲として何を題材とするのか迷うところでしょうが,著者はバッハの「平均律クラヴィア曲集」を選択し,その理由として次のように述べております。

 

「そんな中、音楽をより深く感じ取れるようになりたいと願う人々のために、今までになかった視点で本を書いてみようと思い立った。その題材として当然のように浮かんだのが、西洋音楽の原点のひとつ『平均律クラヴィア曲集』である。この作品をよりよく理解できる人は、音楽全般をさらによく聴き、愛するようになるはずだと確信した。この作品にはそれだけの豊かさと多様性があり、濃密さがある。」(はしがき)

2013/04/26

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 本当にその日は疲れました。車であちこち移動し,自宅の駐車場に車を駐めたのは午後9時近くになっておりました。疲れた頭にはショパンの曲もいいですね。ラジオを付けていたら流れてきたのです。幸運にも,ショパンの中でも特に私の好きなバラード第4番を偶然聴くことができました。

 

 実は,その前にはリストの超絶技巧練習曲のいくつかが流れており,疲れた頭には相当にこたえていたのです(笑)。所詮好き嫌いの問題ですが,リストの曲は,特に超絶技巧練習曲のような即物的で超絶技巧をひけらかすような曲は苦手なんです。リストは「ピアノの魔術師」かもしれませんが,以前にもこのブログで書いたように,わたしは「ピアノの詩人」ショパンの方を圧倒的に好みます。

 

 さてさて,リストはというと,その娘はコジマ。そのコジマと結婚したのがリヒャルト・ワーグナーです。ワーグナーが生まれたのは1813年ですから,今年はその生誕200年に当たります。生誕200年を祝したイベントや記念コンサートはあちこちで企画されているのでしょうか。ワーグナーの曲としては,私の場合はゆっくり鑑賞する時間がないので(バッハは別ですが),楽劇や歌劇の序曲,前奏曲を聴くことが多いです。

 

 それでも,今からもう10年くらい前ですが,楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を,珍しく最初から最後まで夢中になって鑑賞したことがありました。本当に素晴らしかった。ワーグナーの音楽も,疲れた頭には良いかもしれません。

 

 この楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は,「マイスタージンガーの動機」,「行進の動機」,「愛の動機」など,全体を通じて素晴らしい音楽がちりばめられており,また筋書きも面白いのですが,特に第3幕最後のハンス・ザックスの演説は感動しました。

 

「栄えあるドイツのマイスターに受け継がれぬ限り,ドイツの真正な芸術も人々の記憶から失われよう。だからこそ,言っておこう。ドイツのマイスターを敬うのだ!そうすれば,心ある人々をとらえることができる。そしてマイスターの仕事を思う心があれば,神聖ローマ帝国は煙と消えようとも,ドイツの神聖な芸術はいつまでも変わることなく残るであろう!」

 

 ワーグナーは,楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」においては,あのヨハン・セバスティアン・バッハを強く意識して作曲したと言われています。私自身も,ハンス・ザックスの演説を聴いていて,自然とバッハを連想してしまったことを覚えております。あるサイトでのコメントによると,ワーグナーは,バッハの対位法的音楽の中にこそ,ドイツ音楽のひとつの原点を見いだし,ドイツ文化を謳歌するこの作品(楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)の音楽的よりどころにしたと指摘されています。

 

 機会があればもう一度全曲通して鑑賞してみたい曲です。

2013/04/19

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 その日はハードな日程でした。事務所で書き物(弁護士が「書き物」というと,たいていは準備書面か何かです。)をしなければならないだけでなく,一宮や春日井へと,愛車を駆って小さな出張,そして警察署での接見でした。

 

 車の中でラジオを付けましたら,ちょうど1980年代初期の頃の歌謡曲の特集がされており,何気なく聴いていましたら,石川ひとみさんの「まちぶせ」が流れてきました。・・・佳い曲です。曲が終わってハッと我に返ったら,不覚にも涙が出ておりました(笑)。「おめぇ,なに昼間っから泣いてんだ!」と突っ込まれそうですが・・・。

 

 でも,何ででしょう。知らぬ間に感情移入していたのか,それとも別の理由があったのか,訳が分かりません。よくよく考えてみましたら,この「まちぶせ」という曲を聴いて昼間っから少し涙ぐんでしまったのには,次のような訳があったのかも知れません。

 

 まずは,何よりもこの「まちぶせ」という曲(作曲・作詞荒井由実)そのものの素晴らしさです。メロディーといい歌詞といい,誠に素晴らしい。バッハの「マタイ受難曲」が名曲(傑作)であることは論を待ちませんが(笑),歌謡曲の世界ではこの「まちぶせ」は名曲(傑作)だと思います。

 

 そして,この歌詞は切ない乙女心を表現していますが,要するに,自分が心から好きな人には別に付き合っている人がいる,その後別れたという噂があるけど,自分から言い寄ったりはしない,でも,いつかはきっと,好きなその人を自分の方に振り向かせてみせる・・・そういった歌詞です。私も中学校,高校時代には,やはりクラスの中に好きな人はおりましたが,男らしく告白すればいいのに,自尊心が高かったのでしょうか絶対にそんなことはせず,独りよがりではあってもそれなりの自信はあって,いつかは振り向くはずだなどと勝手に思い込んでおりました(笑)。若かりし頃のそんな切ない思いがよみがえってくる曲です。

 

 また,石川ひとみさんは,活躍していた若い頃に慢性B型肝炎に罹患していたことが分かり,療養生活を経て復帰したと思ったら,プロダクションから契約を解除されてしまいます。一時期表舞台から姿を消しておりましたが,その後歌手活動を再開し,病気も克服し,現在では頑張っておられます。むかし,NHKの人形劇でプリンセス・プリンプリンの声でも活躍されていたことを私は知っております(笑)。懐かしいのですよ。幸い私は大病もせず何とかやってきましたが,石川ひとみさんは年齢的には私と同年代で,病気を乗り越えて頑張っておられるという意味では,何か人生を一緒に戦ってきた戦友みたいにも思えてくるのです。

 

 以上述べてきたような様々な要因が,昼間っから私を涙ぐませたのでしょう(笑)。みなさん,「石川ひとみ」とキーワードを入れて検索してみれば,彼女の歌う「まちぶせ」がユーチューブにアップされております。アイドル時代のものと割と最近のものがアップされておりますが,どちらも素晴らしい。

 

 くどいようですが,「まちぶせ」は名曲です。

2013/03/21

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 年のせいなのか,それともその他の理由があるのか,私にはよく分かりませんが,自分の聴く音楽のレパートリーの幅がだんだんと狭くなっているように感じます。もっと幅広く,様々な種類の音楽も体験すればいいのにという漠然とした考えがある一方で,最近では,結局鑑賞するのはヨハン・セバスティアン・バッハの音楽だけ,あるいはバッハの音楽が中心となってしまっております。

 

 どうした訳か,バッハだけは別格なのです。昨晩もそうでした。バッハの平均率クラヴィーア曲集第1巻,第2巻が2枚のDVDに収まっているやつをじっくりと聴いてみました。第1巻の第1番から第12番までの担当がアンドレイ・ガヴリーロフ,第1巻の第13番から第24番までの担当がジョアンナ・マクレガー,第2巻の第1番から第12番までの担当がニコライ・デミジェンコ,第2巻の第13番から第24番までの担当がアンジェラ・ヒューイットです。

 

 本当に,改めて感動しました。バッハの音楽の凄さに・・・。バッハの生前の言葉に,「すべての音楽の狙いと最終的な目的は、神の栄光と魂の浄化(再生)に他ならない。」というものがあります。バッハは敬虔なルター派で,教会カンタータやミサ曲など,その音楽は神の栄光をたたえるものが多く,そして聴く者は自己の魂の浄化(再生)がはかられると実感します。私はキリスト者ではありませんが,バッハの音楽に接すると心から感動いたします。

 

 音楽の歴史はバッハ以前も,以降も発展してきましたし,無調音楽や前衛的な音楽もございます。でも前衛音楽のルイジ・ノーノは死の前日にバッハのコラール「甘き死よ、来たれ」を聴いていたそうですし,そして武満徹さんもまた,死の前日にバッハの「マタイ受難曲」を聴いていたといいます。この二人の現代の作曲家が死の直前にバッハを聴いていたということは,やはり何かを暗示させます(作曲家細川俊夫さんの言)。また,20世紀音楽の革命児と謳われたあのストラヴィンスキーという作曲家も,「バッハに還れ」と述べております。

 

 とにかくバッハは素晴らしい。私の場合,聴く音楽の幅がだんだんと狭くなっておりますが,最終的にはバッハに収斂していくような感じであります(笑)。

 

 今日,3月21日はバッハの誕生日です。

2013/01/30

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 数年前にある合唱団に入って,1年間の練習を重ね,バッハの「マタイ受難曲」を唱わせていただいた,あの感動・・・。今も忘れませんし,一生の思い出です。

 

 私のような者と比較しては大変失礼なのですが,指揮者・音楽評論家の宇野功芳さんも若い頃に同じ感動の体験をされていて,そのことがエッセイとして記載されておりました(「文藝別冊 バッハ 古楽器でもモダンでも!-次に聴くCDを選ぶ最新鑑賞ガイド」(河出書房新社,6~7頁)。本日はこのエッセイ(タイトルは「《マタイ受難曲》の神髄」)を全部引用させていただきます。一箇所を除いて,私も全く同感ですし,私自身の体験を呼び覚ませてくれますし,本当に素晴らしい内容です。

 

「バッハといえば《マタイ》。いや、この世のすべての音楽の中でいちばん好きな曲は?と問われたとき、《マタイ受難曲》は最大の候補の一つである。もっとも、筋金入りのバッハ・ファンは《マタイ》よりも《ミサ曲ロ短調》を挙げる。ぼくはこの作品を好まないので、いわゆるバッハ党ではないのかもしれない。初めて《マタイ》の存在を知ったのは高校時代で、同じ合唱部に在籍する同級生が宗教音楽研究会にも入り、《マタイ》を歌った感動を語ったときだ。とくに第一曲でコーラスが二つに分かれ、八部となり、途中で空の一角から天使の歌声が聴こえてくるように、少年合唱が加わり、なんと九部になる。その壮麗、壮大さは歌ってみなければ分からないよ、と言っていた。ぼくはその言葉だけで感動し、その晩は《マタイ》を聴いている夢を見てしまった。高校卒業後、音楽大学の声楽科に進んだ僕は、クラスメート数人と宗教音楽研究会に入会した。ちょうど、その年は《マタイ》をやるというので、週一回の練習に参加した。なにしろ素人集団なので、パート練習など、ときどき噴き出したくなるほどおかしいが、一年間かけて練習する間に、曲の魂がどんどんコーラスに乗り移ってゆく。でも、まだ《マタイ》の真価は分からない。オーケストラ合わせの日がやって来て、第一曲の〈来たれ汝ら娘たち、来たりて共に嘆かん〉が始まったとき、僕は体の震えがとまらなくなったのである。キリストの受難を扱ったこの作品は、最後の晩餐からユダの裏切り、キリストの処刑と復活を歌っているが、第一曲はいきなりキリストの道行きで開始される。十字架を背負ってよろめきながら丘を昇ってゆくイエスとそれを見守る群衆たち。彼らはしきりに〝見なさい、私たちの重い罪を〟という言葉を発する。そして天の一角から少年たちの〝おお、神の子羊よ〟というコラールがひびいてくる。この第一曲のあとにやっとキリストが登場し、ドラマが始まるわけだが、《マタイ受難曲》のすべてを凝縮したような十分ほどの第一曲に、バッハの名作のエッセンスがこめられている。初めて《マタイ》に接する人は、この〈前奏曲〉を繰り返し味わい、曲の神髄を自分のものにすべきであろう。ついに迎えた本番。その感動をどのように表現したら良いのか。演奏が進み、最後の曲に達したとき、とうとう涙が止まらなくなった。ぼくだけではない。ほとんどの団員が泣いていた。終了後の舞台で、「あーあ、マタイも終わってしまった。つまらないなあ」とつぶやいている団員も居た。数日後、舞台を共にした同級生たちが我が家に集まり、メンゲルベルク指揮のLPを初めて聴いたが、そこで再び腰を抜かしてしまった。その話はいずれ又。」

 

 私も全く同感ですし,私自身の体験を呼び覚ませてくれました。本当に素晴らしい内容です。私自身の《マタイ》体験はこのブログでもたびたび,そしてくどいようにご紹介しておりますので,「ブログ内検索」で覗いてやってください(笑)。

 

 宇野功芳さんのエッセイの中でただ一箇所だけ首をかしげてしまったのは,「ミサ曲ロ短調」に言及された箇所です。この作品を「好まない」のですか・・・。「ミサ曲ロ短調」はバッハの作品の中でも畢生の大作だと思いますし,「マタイ受難曲」と双璧だと感じていますが。でも,結局は好き好きですしね(笑)。

2012/11/28

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 仕事で疲れたり,精神的に落ち着きたいなと思うような時には,私は迷わずバッハの音楽の深い森の中に入っていきます。「神曲」でダンテが深い深い森の中にいた自分に気付いたようにです(笑)。

 

 バッハの教会カンタータは約200曲もあるのですが,その中には特に好きな曲がいくつかあります。教会カンタータというのは,どの曲も合唱(コラール),レチタティーヴォ,アリアなど数曲から構成されているのですが,とりわけそれらのどの曲も素晴らしく,特に充実しているな,完成度が高いなと感心するのが第140番の「目覚めよと呼ぶ声あり」です。これはバッハ作品の中でもあまりに有名な曲なのですが,先日お酒に酔ってではありますが,改めて聴いてみますとその感を深くしました。

 

 この曲は本当に素晴らしい。それらの歌詞は,マタイ福音書中の「花婿を迎える10人の乙女のたとえ」がベースになっており,花婿イエスが真夜中にエルサレムに到着し,魂との結婚にいたる情景を描写したものです(第6曲の魂とイエスの愛の二重唱がその最高潮の部分でしょう)。

 

 第1曲の弦楽器とオーボエで奏される付点リズムの導入部の重厚なカッコよさと,印象的な合唱(コラール),そしてこれはバッハ作品の中でもとりわけ有名な第4番目のテノール(コラール)による旋律の素晴らしさ。そして第6曲の魂(ソプラノ)とイエス(バス)による愛の二重唱は一度聴いたら忘れられないメロディーです。第7曲(終曲)は相当に短いのですが,4声で力強く結ばれ,あたかも一陣の風が通り過ぎていくように終わります。くどいようですが,この「目覚めよと呼ぶ声あり」(第140番)はバッハの数ある教会カンタータの中でもとりわけ充実していると思います。

 

 なお,お酒によってその日にこの曲を聴いた盤は,トン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック管弦楽団・合唱団の演奏によるものですが,第6曲の愛の二重唱は魂(ソプラノ)はリサ・ラーソン,イエス(バス)はクラウス・メルテンスが唱っております。リサ・ラーソンはスウェーデンのソプラノ歌手です。彼女はもうそれほど若くはないでしょうが,すごく美人です。

2012/10/16

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 ああ,本当に良い季節になりました。自分を取り戻すことができた感じです。これから来年の春の終わり頃までは私の季節です(笑)。夏だけはどうも・・・。自分を取り戻すことができたというのは,例えば徒歩通勤が再開されたということです。うだるような暑さの夏とは違って,散歩がてらの通勤を再開したのです。これにスロートレーニングと半身浴(これを実行する日は休肝日のとき)が加われば,最高です。

 

 さて,10月17日はショパンの命日です。ちょっとここ数日は学生時代によく聴いたショパンの名曲の数々を味わってみたいと思います。たとえば,バラード第4番,前奏曲集,嬰ヘ短調のポロネーズ(第5番)などなど・・・。素晴らしい曲ばかりです。

 

 ところで,我が師と仰ぐ(笑)ヨハン・ゼバスティアン・バッハとショパン。私の中では幾多の作曲家の中でもバッハだけは別格の存在なのですが,ショパンの音楽も好きです。そのショパンは,実はバッハを心から尊敬し,その音楽を愛していたそうです。

 

 ショパンはバッハの平均律クラヴィーア曲集を日々の糧としていたのです。また,ショパンの弟子のレンツの伝によると,「(ショパンは)演奏会が近づくと,自分の作品ではなくバッハの曲ばかりを部屋にとじこもって弾いていた。」とのこと。さらには,結核療養のためにスペインのマジョルカ島に滞在した時(例のジョルジュ・サンドも一緒),楽譜を持っていったのはバッハの平均律の1冊だけだったという逸話もあるくらいです。

 

 バッハが1750年にライプツィヒで亡くなった後は,バッハの作品と存在は世間的には一時期忘れ去られていきましたが,メンデルスゾーンがバッハの「マタイ受難曲」を1829年に再演してからは,ふたたびバッハの作品と存在が脚光を浴び,世界的にも評価されるようになりました。世間的には一時的に忘れ去られていったとはいうものの,ベートーヴェンやショパンなどといった音楽家の間では細々と受け継がれていたのですね。だからこそショパンは,バッハの平均律を日々の糧にしていたのでしょう。バッハとは,ドイツ語で「小川」という意味ですが,どうしてどうして,ベートーヴェンが言うように「大海」です。バッハはそれほどの音楽的影響を後世の音楽家に与えています。

2012/08/30

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 そのピアニストの奏でる音色は極めて柔らかく,美しく,癒やされます。ほんの少しの間だけでも,実際に聴いてみればそのことを実感できるでしょう。イタリアのマリア・ティーポという女流ピアニストの名はご存じでしょうか。

 

 マリア・ティーポは,1931年の生まれですから誕生日がくればもう81歳です。17歳のとき,ジュネーブ国際ピアノコンクールで1位を獲得し,その後は精力的に演奏活動を展開しました。ただ,1962年以降はそれまでの過密なスケジュールによる活動には終止符を打ち,録音や音楽教師としての活躍が中心ということになります。彼女は「ナポリの女ホロヴィッツ」の異名まで冠せられるように,国際的にも高い評価を得てきました。

 

 私はティーポのCDは2枚組のやつを1つだけ持っております(輸入盤)。やはり少し古い録音ではありますが,1枚目はバッハのゴルトベルク変奏曲の全曲が入ったやつで,2枚目はやはりバッハの半音階的幻想曲とフーガ,イタリア協奏曲,「主よ人の望みの喜びよ」などが入ったやつです。私は,ゴルトベルク変奏曲は,特に第1変奏と第30変奏が好きで,ティーポの第30変奏などを聴いておりますと,涙が出てきますね。曲自体のせいかもしれませんが,佳い演奏です。同じ曲(第30変奏)を聴いていても,グレン・グールドの演奏はマニエリスムの極致といいますか,鋭くて気が抜けないところがありますが,ティーポのそれは,バッハにしてはロマンティック過ぎるかもしれないものの,とても癒やされるのです。こういうゴルトベルク変奏曲があってもいい。

 

 ティーポの演奏については,バッハもさることながら,スカルラッティやクレメンティの曲も大変定評があります。1955年にわずか4時間で録音したスカルラッティの12曲のピアノソナタ集のLPレコードは「ニューズウィーク」誌において「今年最も優れたレコード」と絶賛されました。今度はスカルラッティのソナタ集のCDを手に入れてじっくりと聴いてみたいと思っております。

 
 それと・・・マリア・ティーポの若い頃の美貌。これはなかなかのものですよ。スウェーデン出身のグレタ・ガルボという名女優がおりましたが,ガルボのような完璧かつ少し冷たい感じのする美貌とは違い,それよりも少し穏やかで優しい感じの美貌です。

2012/08/21

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 昨日は自分の車で,ある警察署に被疑者接見に言ったのですが,車中ではバッハのブランデンブルク協奏曲を聴いていました。昨日聴いたのは第4番から第6番までですが,第6番の第3楽章を聴いていましたら,思わず古い昔にカミさんと一緒に行った沖縄旅行のことを懐かしく思い出しました。

 

 この沖縄旅行というのは今から25年も前のことで,私達の新婚旅行だったのです。当時は二人とも公務員で薄給でした。この沖縄旅行では,現地でレンタカーを借りてあちこち移動したのですが,車内で聴く音楽は私が自前で録音したテープだったのです。その中にバッハのブランデンブルク協奏曲の第6番が含まれており,特にその第3楽章は何回も何回も繰り返して聴きました。この第3楽章というのは何よりもシンコペーションが特徴,そして魅力的でとにかく躍動感があるのです。

 

 この曲を聴いて,今から25年も前のことを懐かしく思い出しました。25年ですか・・・初老という段階も過ぎようとしているのは当たり前です(笑)。躍動感という意味では,そして元気をもらうという意味では,ブランデンブルク協奏曲の第6番の第3楽章,第4番の第3楽章,第3番の第1楽章が特にオススメだと思います。ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲ですが,その成立(作曲)の順番は,第6番,第3番,第1番,第2番,第4番,第5番の順だと言われています。このうち第6番と第3番は,ケーテン時代より前のヴァイマール時代に遡るとの説もあり,そうだとするとバッハが30歳前後の成立で,躍動感があるのも当然です。また第1番以降は,室内楽に精力的に取り組んでいたケーテン時代の成立でしょう。このケーテン時代の終わり頃にバッハは二番目の妻アンナ・マグダレーナと結婚するのですが,このケーテン時代におけるバッハの室内楽への集中ぶりは,「バッハの思い出」(アンナ・マグダレーナ・バッハ,山下肇訳,講談社学術文庫)という本の中でも「当然の権利でもあり豊かな成果をあげるべきはずの教会音楽との結びつきの機会に恵まれませんでした。しかし彼は、何事によらずそういうたちですが、ここでももう全身全霊をあげて室内楽に傾倒しました。」と記載されているくらいです(同著79頁)。

 

 蛇足ですが,さきほど躍動感があり,元気がもらえるとしてオススメした3曲がありますが,この中でも第4番の第3楽章は,特に対位法の魅力がたっぷりで,とてもカッコいい曲であることも付け加えておきます。

2012/07/18

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 この3連休の最終日はゴルフでした。この暑いのに本当に大丈夫だろうかと不安だったのですが,無事に18ホールをこなしました。まだまだ私もそこそこ元気です(笑)。

 

 私は車でゴルフ場まで行き来する際には,よくバッハの教会カンタータを聴きます。気分が鎮まるのです。バッハの教会カンタータを聴きますと,行きはワクワクしたゴルフ気分を少し抑制して落ち着かせることができますし,帰りは酷いスコアに打ちひしがれていても,癒やされるのです。

 

 その日のゴルフ場の帰り道,車内で聴いた曲に思わず心を奪われ,繰り返し,繰り返し聴いてしまいました。バッハの教会カンタータ第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の第1曲の素晴らしさ。これは全6曲から成っているのですが,第1曲目のそのメロディーの美しさは本当に感動ものなのです。なお,終曲の6曲目には「人はすべて死ななければならない」という印象的なコラールが配置されています。この極めて美しいメロディーの第1曲についての音楽評論家加藤浩子さんの解説を紹介します。

 

 「第1曲は、バスの独唱によるアリア(ロ短調、4/4拍子)。婚宴に赴こうとする「われ」が、安息と災い、天国と地獄のせめぎ合うさまを目のあたりにし、それを乗り越える勇気を与えたまえとイエスに祈る。通奏低音は8分音符の音型を奏で続けて婚宴に赴く者の歩みを表し、スライド・トランペットがその歩みを力づけるように寄り添う。天の光輝と「せめぎあう」地獄の「業火」が16分音符の細かい動きで引き伸ばされて強調され、最後はイエスに救いを求める切なる声が繰り返されて、曲を閉じる。」(バッハ全集4「教会カンタータ[4]271頁,小学館)

 

 この第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の全体は,天国に入ることを婚宴に招かれることにたとえ,しかしそこに招かれるためにはふさわしい礼服が必要なのだと説く、当日の福音書聖句(書簡エフェソ,福音書マタイ)に準じた内容になっております。確かに,ダンテ「神曲」に登場するウェルギリウスほどの人でも,洗礼を受けていないばっかりに,ダンテを天国まで道案内することはできませんでしたね。婚宴(天国)に赴くにはしかるべき礼服(信仰)が必要だという内容のカンタータです。

 

 それにしてもですよ,この第1曲のメロディーの美しさには,思わず目頭が熱くなってしまいました(ゴルフのスコアが悪かったからではありません)。本当にバッハの音楽は素晴らしい。この曲はバッハのヴァイマール時代の成立とされていますから,30歳そこそこの時代の作品です。バッハの教会カンタータは約200曲ありますが,この第162番の第1曲のように,思わず繰り返し,繰り返し聴きたくなるような珠玉の作品がちりばめられております。

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