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弁護士ブログ

2014/05/09

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 ある刑事事件で郊外にある警察署まで車で接見に行く際,本当に久しぶりにグレン・グールドの演奏によるバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻を聴きました。大学生の頃から持っているCDですが,グールドの演奏の凄さを改めて感じました。このCDの録音は,1962年から65年にかけてなされたものです。昭和の東京オリンピックが64年ですからその頃の録音ですが,全然古さを感じませんし,相変わらずバッハ演奏としては鮮烈な印象さえ抱きます。

 

 特にフーガなどは4声にも5声にもなるのに,グールドの演奏にかかると各声部がはっきりと弾き分けられていて,グールドのこのような才能と言いますか,テクニックには驚嘆します。私が平均律の中でも比較的容易な曲にチャレンジしたとしても,音として間違えないようにキー(鍵)を何とか押していくことに精一杯で,各声部を独立して上手く弾き分けるなどといった芸当はとてもできないのです。

 

 バッハの「インヴェンション」や「平均律クラヴィーア曲集」のように複数の線が独立的にからみあって作られる音楽をポリフォニー(複旋律音楽)というのですが,各声部の独立した旋律を上手く弾き分けることの難しさを感じます。

 

 グールドの演奏についてですが,音楽評論家の礒山雅さんは次のように述べています。

 

「ところで、私が最高のバッハ演奏家として傾倒しているのは、カール・リヒター(一九二六~八一)と、グレン・グールド(一九三二~八二)の二人である。(中略)五〇歳そこそこで亡くなったこの二人の天才によるバッハは、今後も不滅だと、私は信じている。そこには、現代人のこの上なく鋭敏な魂が、密度高く注ぎ込まれているからである。(中略)グールドがバッハのポリフォニーに運動をもちこんだことは、第一章で述べた。彼がポリフォニーの各声部を生き物のように弾き分ける能力は信じられないほどだが、彼はそうした能力によってフーガを、嬉々とした競走のように躍動させる。一方これに先立つプレリュードでは、表現の多様性が思い切り拡大される。あるときはゆったりした瞑想に沈み、あるときは踊りのように快活に、またあるときは・・・・・。」(「J・S・バッハ」193~196頁,礒山雅著,講談社現代新書)

 

 私が久しぶりに車の中で聴いたそのCDのパッケージの裏面には「一部ノイズ等はオリジナル・マスター・テープに存在するため、ご了承下さい。(又、グールド自身の歌い声も一部ございます。)」という記載がありました(笑)。そうなんです,録音中であるにもかかわらず,グールドは演奏の途中で感極まるのか,それとも無意識なのか,小さな声で歌ってしまうことで有名でした(笑)。それにしても,平均律クラヴィーア曲集第1巻の第22番(変ロ短調)のプレリュードは本当に素晴らしい。はっきりとは聞こえませんが,この曲の時もグールドは小さい声で歌ってしまっていると思いますよ(笑)。

2014/04/24

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 どうにもこうにも,あるメロディーが繰り返し繰り返し頭の中を回っていて仕方がありません。以前にもこのブログで「秋空の下で仕事に精を出し,てくてくと歩いているような感じ」というタイトルで記事をアップしたことがあると思いますが,バッハの教会カンタータ第78番(イエスよ、汝はわが魂を)の中の第2曲「われは急ぐ、弱けれど弛みなき足どりもて」という名のアリアのメロディーが素晴らしくて素晴らしくて・・・。ソプラノとアルトの二重唱なのですが,これもバッハ作品の中でも名曲中の名曲でしょう。

 

 一説によりますと,あの,あのカール・リヒターが,この曲を聴いていたく感動し,音楽の世界に入る意志を固めたということも言われております。私は今でもカール・リヒター指揮,ミュンヘン・バッハ管弦楽団,ミュンヘン・バッハ合唱団の演奏による教会カンタータやその他のバッハ作品を,DVDやCDで楽しんでおりますが,カール・リヒターの指揮,演奏はやはり私の中では別格なのです。

 

 音楽評論家の礒山雅さんも,リヒターの演奏について,「すでに述べたように、バッハのカンタータや受難曲は、人間の絶望や後悔、不安や恐れを、また逆に、希望や喜び、安らぎや信頼を、この上なく真摯に扱った世界である。そうした感情、いや、人間的内容を、リヒターほど痛切に掘り下げ、強烈な衝動をもって表現した人はいなかった。だから私は、バッハのカンタータを聴こうとすると、どうしても、リヒターに手をのばしてしまう。」と仰っております(「J・S・バッハ」194頁,礒山雅著,講談社現代新書)。

 

 さて,そのリヒターも亡くなって既に30年以上が経過します。でも,ミュンヘン・バッハ管弦楽団等は今も健在です。ある女性からの情報で知ったのですが,今年の10月5日には横浜のみなとみらいホールで,ミュンヘン・バッハ管弦楽団によるバッハのブランデンブルク協奏曲全曲演奏会が催されます。早速チケットを購入してもらいました。とても楽しみです。現在のこの管弦楽団の演奏と,バッハの珠玉の名作を堪能できるのですから・・・。

2014/03/20

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 前回のブログで3月26日はベートーヴェンの命日だったことに触れました。だったら,同じ3月に誕生したヨハン・セバスティアン・バッハに触れない訳にはまいりません(バッハの誕生日は3月21日)。

 

 相変わらずバッハの音楽は私の心の支えと申しますか,癒しの源泉になっております。バッハへの思い入れは,もう理屈抜きの世界です。その音楽の魅力については,もう何かに例えることなどできません。例えようもないのです。

 

 さて,バッハは音楽の面でもその他の面でも決して安易な妥協はしなかった人物だったと伝えられております。1705年といえばバッハがまだ20歳であり,精神的にはまだ未熟だったのかもしれませんが,決闘未遂事件の当事者になっているのです。その当時バッハは,アルンシュタットの新教会(現バッハ教会)のオルガニスト兼カントールだったのですが,妥協のない厳しい指導が原因である生徒(ファゴット担当)の恨みを買い,路上で殴りかかられ,バッハは剣を抜いてこれに応戦したことがあったのです。いや,すごいことになっておりますね(笑)。バッハとしてはいい加減な態度で音楽をする者を許せなかったのでしょうね。それが音楽家としての良心だったのでしょう。でも,まさか剣を抜くとは・・・。

 

 また,安易な妥協を許さない点で思い浮かぶのは,ブクステフーデの娘さんとの縁談を断ったことです。同じ1705年の10月,バッハは勤務先のアルンシュタットから約400キロも離れたリューベックまで徒歩で旅をし,当代一流の音楽家・オルガニストであったブクステフーデの下に学びに行きます。ブクステフーデもバッハの才能を高く評価し,リューベックの聖マリア教会オルガニストの地位を後任として承継するように勧められました。若いバッハにとってはこのような地位はすごく光栄なことで身に余るものだったでしょう。栄達そのものです。

 

 ただし,これには条件がありました。ブクステフーデの娘(当時30歳)と結婚することでした(笑)。10歳も年上の女性との結婚です。実はその2年前には,あのヘンデルも,またこのブログでも取り上げたことのある調性格論で有名なヨハン・マッテゾンも同じ条件を持ちかけられて断っております。・・・さて,バッハはどうしたか。彼は当然安易な妥協はいたしません。ブクステフーデからは音楽的な影響を受けつつも,その話を断り,アルンシュタットへの帰路についたのです。妥協しませんでした。

 

 その昔,もう遠い遠い昔のことですが,私が独身だった頃,職場の偉い人からの縁談話があり,お見合い写真を見せられそうになったことがありました(笑)。同じ職場の方の娘さんですし,写真を見てしまってからお断りなどできるはずはなく(笑),またお会いしてからでもその後の成り行き次第では職場で気まずくもなります。小心者の私は,好きな人や交際している人などいなかったのに,「実は交際している人がおりまして。」などと真っ赤な嘘を言い,写真をいただく前の段階で丁重にお断りしたことがありました。

 

 さてさて,明日はバッハの誕生日でもありますから,さしずめ今晩は,あの途方もない喜びと祝祭的な気分に満ち満ちた「マニフィカト」を聴いてみたいと思います。

2014/03/18

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 3月26日はベートーヴェンの命日です。その最期の時は,春雷の稲妻が光り,雷鳴がとどろいていた夕方だったと伝えられております。私が若い頃からベートーヴェンの生き様に勇気を与えられてきたのは,何よりも40歳前後から音楽家(作曲家)としては致命的とも思える全聾に近い状態になりながら,そして一時は自殺を考えながらも(「ハイリゲンシュタットの遺書」),何とか精神的に困難な状況を克服し,あのような素晴らしい傑作の数々を生み出した精神的な強さゆえです。

 

 ベートーヴェンの作品には好きな曲が多くありますが,特に最近ではピアノソナタのうち後期の作品群に惹かれます。例えば,第30番・・・。叙情的で,枯淡といいますか,諦観といいますか,何とも味わいのある曲です。特に第3楽章などを聴いておりますと,涙が出てくる時もあります。第3楽章は主題と6つの変奏から成っておりますが,その主題の本当に素晴らしいこと,そして第5変奏は後期のピアノソナタによく見られるフーガ形式が取り入れられておりますし,第6変奏ではあの素晴らしい主題が回想的に再現され,静かに曲を閉じます。本当に涙が出るほどの曲なのです。とりわけ,マウリツィオ・ポリーニの演奏が素晴らしい。

 

 また,私はこのブログでも対位法への憧れについて度々触れておりますが(平成21年4月8日,同24年2月6日,同25年6月24日など),ベートーヴェンも,ホモフォニー全盛だった時代にバッハの遺産,対位法(ポリフォニー)を研究し,特に後期には弦楽四重奏曲やピアノソナタなどに対位法,フーガの採用が見られます。

 

 もうすぐベートーヴェンの命日でもあり,「苦悩を突き抜け,歓喜に至った」彼を偲んで,今夜はお酒を飲みながらではありますが(笑),後期のピアノソナタ群を堪能したいと思います。涙なくしては聴けません。

2014/02/21

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 演技を終えた直後,感極まって落涙した浅田真央選手の表情を見て,もらい泣きをしました。みなさんもそうですよね。えっ?泣けなかった?ひょっとして共感力に乏しいんじゃないの(笑)。浅田選手の演技は誠に素晴らしいものでした。アスリートとしての彼女の去就は定かではありませんが,仮にこれで引退ということになっても,あの演技は正に有終の美というものでありました。彼女のあの演技は,メダルに匹敵するか,あるいはそれ以上の感動を国民に与えたのではないでしょうか。選曲はショートプログラムではショパンのノクターン(夜想曲)作品9の2,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でした。それらの曲も素晴らしかった。

 

 先日,マイカーで仕事先まで移動する際,久しぶりにショパンを聴きました。ショパンの名曲の数々がCD3枚に収められているやつです。練習曲もあれば前奏曲も,そしてワルツもあればマズルカも,バラードもあればスケルツォも,ノクターンもあればポロネーズも,舟歌もあれば子守歌も収められています。

 

 改めて思いましたね,ショパンっていいなあと・・・。思い起こせば,私の音楽遍歴の振り出しはショパンでしたからね。まずはショパンの伝記を読んで早速その曲を聴き始め,子どもながらにその虜になってしまった訳です。

 

 このブログを読んでくださっている人ならば,土曜日の夜は,私がうちのカミさんと一緒にフーテンの寅さん(渥美清)の映画を観ながら,大笑いをしていることは既にご存じだと思いますが(もちろん晩酌もしながらです),先日ショパンを聴いていて渥美清さんのことを思い出してしまいました(笑)。

 

 というのも,私が小学生か中学生のころ,渥美清さんが「パンシロン」という胃腸薬のコマーシャルに出ていて,彼が瀟洒で品の良いお宅のそばを通り過ぎようとしていた時,そのお宅からショパンの曲を弾くピアノの音色が聞こえてきて,渥美さんが「いいなあ,ショパン」としみじみ言うシーンがあったのを覚えているのです。ひょっとしたらそのセリフは「ショパンか,いいなあ。」だったかもしれません。そしてその曲は,ワルツ第7番嬰ハ短調(作品64の2)でした。これは間違いないと思います。私もこの曲にとても憧れて一度はマスターしたこともあったからです。それにしても,愛嬌のある下駄みたいな顔をした渥美さんとエレガントなショパンの名曲とのミスマッチ(笑)が何とも言えません。

 

 2月22日がショパンの誕生日だと昔から思っていたのですが,3月1日という説もあるんですね。

 

 私が敬愛する,そして20世紀最高の指揮者と表現しても過言ではないヴィルヘルム・フルトヴェングラーもショパンのことを次のように高く評価しておりました(次の一節はフルトヴェングラーの妻が夫を回想した著作からの引用です)。

 

「ある晩彼はショパンを弾きました。ある女流ピアニストをその日の午後聴いて刺激されたのでした。彼の演奏には信じがたいほどの律動的な生命感があって、私も一緒に聴いていて息を吞みました。やおら立ち上がると、彼は言いました。『こういう作曲家がいるんだから、ピアニストの連中が実に羨ましい。』そう言ってから、皮肉っぽく、『それなのに、ショパンをぜんぜん弾かない人もいるね。あれは巨人だよ。ぼくは、ショパン礼賛だね。シューベルト、シューマン、ブラームスらの巨匠に匹敵するのは、彼をおいて他にない。』フルトヴェングラーがたいそうショパンを崇拝していたことを話すと、きまって、驚いたというような反応が返ってくるので、以上のことは特筆大書しておかねばなりません。一九五〇年、ミラノのスカラ座で『指環』の公演準備をしていたとき、オペラの試演というのはひどく疲れるものなのに、彼はコルトーのピアノの夕べに出かけて行きました。それもショパンを聴きたい一念からでした。」(「回想のフルトヴェングラー」71~72頁,エリーザベト・フルトヴェングラー著,仙北谷晃一訳,白水社)

2014/01/22

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 20世紀を代表する世界的な名指揮者,クラウディオ・アバドが亡くなりました。享年80歳でした。自分が若かりし頃,アバドの指揮による演奏をレコードでよく聴いたものです。本当に寂しい限りです。

 

 あの名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のカラヤンの後任には少なからぬ人の名が挙がっていましたが,結局その後任の芸術監督に就任したのがアバドであり,その2代前の常任指揮者(芸術監督)こそ,私が心から尊敬するあのヴィルヘルム・フルトヴェングラーでした。

 

 産経新聞の記事によると,アバドはフルトヴェングラーに心酔し,同世代のダニエル・バレンボイムやズービン・メータとともにその演奏を共に研究したとのこと。そしてアバドは,オーケストラへの接し方についても「独裁者としてオーケストラを締め上げるアルトゥーロ・トスカニーニのやり方は好きになれません。フルトヴェングラーのように,演奏家と一緒になって音楽を作っていくやり方が好きです。」と述べ,対話を重視するアバドのこのような姿勢はオーケストラの団員にも歓迎されたようです。

 

 確かにトスカニーニとフルトヴェングラーとではその個性も,指揮スタイルも,楽曲の解釈も異なっていたようで,例えばベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」を実際に聴き比べてみても,まずは演奏時間からして相当に違います(笑)。しかしいずれも世界的な巨匠(マエストロ)であることは間違いありません。

 

「トスカニーニはかつてニューヨークにおける記者会見の席上、ひとりの記者から意地の悪い質問を受けたことがある。『あなたが世界一の指揮者であることを疑うものはないが、そのあなたを除けば、だれが世界一の指揮者と思われますか。』・・とたんにトスカニーニは不機嫌な顔付きになり、『その質問にはどうしても答えなくてはならないのかね』と反問した。そこで記者がしつこく迫ると,ついに彼は大声で叫んで会見場から姿を消した。『フルトヴェングラー!』」(「フルトヴェングラーと巨匠たち」94頁,芸術現代社)

 

 アバドの話に戻りますが,私はマーラーの交響曲については,そのほとんどがアバド指揮によるものを若い頃からグラモフォンのレコードで聴いておりました(シカゴ交響楽団,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など)。私の場合は,マーラーはこの人(アバド)だったのです。誠に素晴らしい演奏だったと思います。

 

 心からのご冥福をお祈りいたします。

2013/11/15

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 もう70歳を超えたそのご婦人からは,なかなか手に入らない銘酒を3度にわたっていただいたことがあります。あまりに申し訳なかったので,バッハの作品のうち有名で一般受けする名曲(「G線上のアリア」とか「主よ人の望みの喜びよ」とか)の詰まったCDをお礼に贈りました。

 

 そうしましたら,そのご婦人からは「本当に良かった。感動しました。愛猫と一緒にうっとりと聴き入ってしまった。」という感想をいただき,さらにその後のある夜の会合ではそのご婦人から「バッハの作品でお薦めの曲を5つくらい教えてくれない?」と頼まれたのです。

 

 もうすっかりバッハのファンになられたようです。そういえば,今から1年ほど前にも60代のあるご婦人から「バッハの曲でお薦めの曲を教えて。」と頼まれたこともありました。私がバッハ狂いであることを知っていたのでしょう。そんなこんなで,私はすっかりバッハ教の伝道師みたいになっております(笑)。今述べたお二人のご婦人も,これまで多くのクラシック音楽を耳にされたこともあったのでしょうが,改めてバッハ作品の魅力に気付かれたのでしょう。

 

 そういう訳で,冒頭にお話ししたその70代のご婦人には,バッハの多くの作品の中から,いろいろ私なりに考えて次の曲を紙に書いてお薦めしたのです。

1 マタイ受難曲
2 ブランデンブルク協奏曲第1番~第6番
3 教会カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」と第147番「心と口と行いと生活で」
4 2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調とヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調
5 平均律クラヴィーア曲集第1巻と第2巻

 

 私なりにいろいろと考えた選曲です。せっかくバッハの曲を好きになっていただいたので,ますます好きになっていただかなくてはなりませんから・・・。でも,さすがに「マタイ受難曲」については全部聴くと2時間を超えてしまいます。それでもこの曲はバッハの最高傑作だと思いますし,あの世に1曲だけ持って行くことが許されるとしたら,私もバッハ自身と同様,この「マタイ受難曲」を迷わず選ぶくらいの曲です。そこで調べて見ると,カール・リヒター指揮,ミュンヘンバッハ管弦楽団と合唱団の「マタイ受難曲」のハイライト版(ダイジェスト版)が発売されていることが分かりましたので,これを1枚そのご婦人にプレゼントしました。ハイライト版というのは邪道なのかもしれませんが,どうしてもこの曲を外すことはできず,苦肉の策です。

 

 「マタイ受難曲」・・・・・。亡き武満徹さんも,既に自分の死期を悟っておられたのかどうかは分かりませんが,その死の前日にバッハの「マタイ受難曲」を聴いておられたといいます。

2013/10/09

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 もう今週に入りましたが,先週は本当に忙しかった。月曜日から土曜日までハードワークでした。そんな訳で土曜日には自分へのご褒美という訳ではありませんが,晩酌でのお酒の量がいつもより多くなってしまいました。

 

 こういう風に酔いがいつもより回ってしまった晩は,もう読書などはいたしません。ただひたすら音楽(特にバッハ)を聴くだけです。「さてと,今日はどのDVDでいくかな?」などと迷っているうちに,ばったりと「辻井伸行×東南アジア紀行~心を繋ぐメロディー~」(BSフジ)という番組に出くわしました。連日の残業で頭が疲れていたこともあって,最初はぼんやりとこの番組を見ていたのですが,次第に引き込まれていくようになり,辻井伸行という全盲のピアニストがドビュッシーの「月の光」(ベルガマスク組曲第3番)とショパンの「英雄ポロネーズ」をベトナムの聴衆の前で見事に演奏する姿とその音の美しさにに触れ,なぜか泣けて泣けて仕方がありませんでした。

 

 なんでそうなったのかは分かりません。ただ,その演奏の素晴らしさだけではなく,やはり障害を乗り越えていく前向きでたくましい,強靱な精神力に心が打たれたのだと思います。辻井伸行というピアニストは,2009年の第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し,世界的にも認められた演奏家です。もはや全盲だからとか,健常者だからなどといったことを口にすること自体,的外れであることは十分承知しておりますが,私としては演奏を行っているのはやはり人間ですから,演奏しているその人間と演奏の素晴らしさとを切り離せないのです。つまり,全盲という障害を乗り越えて素晴らしい成果をあげる(この場合は聴衆に感動を与えること)という場面に直面すると,音楽そのものを超えて理屈抜きでその人間にも感動してしまうのです。

 

 特に,ベトナムの聴衆が静かに演奏を聴き,感動して涙を流すシーンを見ていますと,こっちもさらに泣けてきてしまいました。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんには,多くの称賛もありましたが,ごく一部酷評も加えられました。その最たるものがベンジャミン・イヴリーという音楽評論家のコメントで,私からすれば公平ではなく悪意でもあるのかと疑ってしまうようなものです。しかし,ドイツのあるコンサートでは聴衆が感動でスタンディングオベーションしたように,辻井さんの演奏には確かに人を感動させるものがあります。

 

 人間そのものとその作品,つまり作曲家とその作品についても同じことが言えます。ベートーベンという作曲家は,音こそが命という職業にありながら,あろうことか聴覚を失うという,いわば致命的な状況に追い込まれました。ちょうど交響曲第6番「田園」を作曲していたころでしょうか,そのような過酷な現実に直面して一時は自殺を考え,「ハイリゲンシュタットの遺書」までしたためます。それでも聴覚喪失という障害を乗り越え,数々の名曲を生み出しました。そこに感動してしまうのです。交響曲第9番「合唱」もそうですし,特に私が好きな28番や30番の後期のピアノソナタ群などなど,作品そのものに加えさらにそれを超える存在(人間の強い精神力など)に感動してしまうのです。私は学生時代に「新編ベートーベンの手紙(上・下)」(小松雄一郎翻訳,岩波書店)という本を読んだことがありますが,ベートーベンのその当時の内心の苦悩,葛藤が手に取るように分かり,それだからこそ彼の作品をより深く味わうことができたと思います。

2013/08/29

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 いつの間にか蝉の鳴き声もしなくなりました。空を見ると時に鱗のような形状の雲も見られます。朝夕は北側の部屋の窓から涼しい風が入るようになりました。エアコンの世話にならずに眠ることのできる日も増えつつあります。確実に秋の気配を感じますし,この週末の雨の後はますますその感を深くすることでしょう。いよいよ私の季節です(笑)。

 

 突然ですが,バッハの教会カンタータ第78番(イエスよ、汝はわが魂を)という曲を先日偶然に聴く機会があったのですが,叙情性が高く名曲中の名曲と言っても過言ではありません。本当に佳い。特に第2曲目のソプラノとアルトのアリア(デュエット)は素晴らしい曲です。つくづくバッハの凄さを感じます。この第2曲は「われは急ぐ、弱けれど弛みなき足どりもて」という名と歌詞が付いており,一生懸命に,でも軽やかに歩いているかのような人間の軽快な足どり,テンポ,リズムをチェロの通奏低音が支えてくれています。そしてそのメロディーが魅力的なこと・・・。「われは急ぐ、弱けれど弛みなき足どりもて」ですか・・・。私も職業柄いろいろとありますが,この曲を聴いていますと,そのタイトルどおり,何とか気を取り直し,秋空の下で仕事に精を出し,てくてくと歩いている自分の姿を思います。また,そのてくてく着実に歩いているような感じは,教会カンタータ第22番(イエスは御許に十二弟子を招き寄せ)の第5番目の曲(最終)のコラールの曲調にも似ております。

 

 それにしても,この教会カンタータ第78番は名曲中の名曲なのに,そしてその第2曲目のデュエットがこれほど魅力的なのに,なぜ今までこのことに気付かなかったのでしょうか。

 

 小学館のバッハ全集というものが今から18年前の平成7年から約4年間にわたって刊行され(全部で15巻の配本がありました),それはバッハの全作品を網羅した膨大な数のCDと書籍(記事,論文,楽曲解説など)が各巻ごとにセットになっているものですが,薄給だったにもかかわらず私はそれを購入したのです。ところが,第2巻(教会カンタータⅡ)のうちのいくつかのCDに不良箇所があり,音声が途切れ途切れになったり,同じ箇所を繰り返したりする部分があり,ちょうどこの第78番もそういった不良箇所を有するCDに収録され,私は聴かなかったのです。それがこの名曲中の名曲に気付かなかった理由です。直ぐに不良品の交換請求をすればよかったのに,忙しさにかまけて怠り,そうこうする内に時間があまりにも経過し,小心者の私は18年後の今でも交換を言い出せないでいます(笑)。

2013/08/21

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 仕事柄,パソコンで書面をたくさん作成することが多いのです。そういう時,ふっと我に返り,息抜きも大切だなとつくづく思います。肩や腕に力が入り,眼も疲れ,頭皮が固く張っている感じがあり(今や極めて大切でいとおしい髪の毛によくありません),しかも呼吸が浅く,交感神経がかなり勝っているな・・などと気付くのです。

 

 そういう時は,コーヒーを入れてもらい,バッハの音楽を聴いてすぐに息抜きです。こんな音楽の聴き方は邪道かも知れませんが,「あっ,あの曲が聴きたいな。」と思いついてネットで検索すると,たいていはユーチューブにアップされていて,その音楽(私の場合はたいていはバッハ)を短時間ではあれ楽しめるのです。便利と言えば便利です。

 

 それとコーヒーです。私は1日3杯くらいは飲みますかねぇ。バッハも当時流行し始めたコーヒーをよく飲んでいたようです。その遺産の中に5つのコーヒー・ポットやカップ類が含まれておりますし,例の世俗カンタータ「コーヒー・カンタータ」も作曲しているくらいです。バッハは1685年生まれですが,ウィーンではその2年前の1683年のトルコ軍による包囲がきっかけになってコーヒーの大流行が始まり,ドイツ圏にも広まっていきました。バッハが不肖私めと同じコーヒー党,そしてビール党(遺産の中に錫製のジョッキ4点あり)であったことも間違いないようです(「J・S・バッハ」106~107頁,礒山雅著,講談社現代新書)。

 

 昨日の夕刻も,仕事の合間に息抜きをして,バッハの曲を数曲聴きました。カール・リヒターやグレン・グールド・・・。いずれも素晴らしい演奏です。この巨匠たちは,私が社会人として就職した前年と当年に,相次いで亡くなりました。その当時本当にショックを受けたことを今でも覚えております。私のおぼろげな記憶ですが,グールドに関しては,その最晩年の「ゴルトベルク変奏曲」のCDが発売され,早速購入して感動したその矢先の,正に急逝でした。

 

 礒山雅さんは,前掲の著作で次のように述べておられます(193頁)。

 

「ところで、私が最高のバッハ演奏家として傾倒しているのは、カール・リヒター(一九二六~八一)と、グレン・グールド(一九三二~八二)の二人である。一九六〇年代の前後に最盛期を迎えた彼らのバッハ演奏についてはいろいろな機会に述べてきたので、本書では簡単に触れるだけにしよう。だが、五〇歳そこそこで亡くなったこの二人の天才によるバッハは、今後とも不滅だと、私は信じている。そこには、現代人のこの上なく鋭敏な魂が、密度高く注ぎ込まれているからである。」

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