まだ少し寒いですね。でも,やはり一雨一雨,水もぬるんで春めいていくのでしょう。
歌舞伎界の坂東三津五郎さんが惜しまれつつ亡くなられました。誠に惜しいことです。心よりご冥福をお祈りいたします。先日(3月2日)の産経新聞の記事には,三津五郎さんがいかに芸というものに対して真摯に向き合っていたかがよく分かる追悼記事が掲載されていました。寄稿されたのは演出家の福田逸さんです。さすが戦後を代表する評論家だった福田恆存さんのご子息だけあり,名文を書かれます。
坂東三津五郎さんを追悼するその名文にとても感動を覚えましたので,本日はほとんどコピーアンドペースト状態のブログ記事になりますが,その一部を引用して終わります。
「・・・いつも生真面目で、時代物にも世話物にも、あなたのその誠実さと真実味が必ず出ていました。私は、それが好きだった。時代物の重厚な役どころから軽妙な世話物や舞踊まで、何をやらせてもあなたの舞台には歌舞伎の正書法を見る思いがしたものです。それは、単に技術の問題ではない心掛けの問題でした。それを証明するのが、平成の新歌舞伎の傑作『道元の月』です。本来なら今頃、新しい歌舞伎座で4度目の幕を開けていたはずです。旧歌舞伎座、南座、御園座と、『道元の月』の稽古に入るたびに、私たちは必ず永平寺を訪れ、1泊の参禅修行をしてから稽古に入りました。私を含めて、お弟子さんたちもスタッフも、行くときは物見遊山か、或いは面倒くさいことを、といった顔をしていた。でも、三津五郎さん、あなただけは違った。真剣だった。あなたは心そのものから道元禅師に近づこうとしていた。そのために永平寺の空気を体に、細胞の隅々に取り込もうとしていらっしゃった。夕方からの座禅、質素な食事、作法、早朝3時起床の後の修行、貫主の法話。これらを終えて寺を後にするわれわれの表情は、既に別人になっていました。その足で向かった最初の稽古場から、役者もスタッフも、芝居の性根を掴んでいましたよね。あの種の経験は私の演出経験でも他に類を見ない。道元という人物とその弟子たちの精神性が永平寺の一昼夜で私たちに乗り移った。その中心に三津五郎さん、いつもあなたがいて、静謐な清浄な世界を舞台に現出したのです。悔しい。もう一度、あなたの道元を観たかった。一緒に『道元の月』を新しい歌舞伎座で創りたかった。」