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弁護士ブログ

2009/09/07

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 子どもの頃から自ら明確に体験していながら,同じ体験を他の人もしていないのだろうかと疑問に思うものがある。それはひとことで言うと,眼の表面をプランクトンのようなものが動き回るということである。

 

 先日,リビングのソファに仰向けに寝ていた。自宅のリビングにそのような姿で仰向けになると,白い天井や白い壁が一面に目に入る。そうすると,どういう訳か,その天井や壁の白地を背景にして,僕の両眼の表面をプランクトンやその残骸のようなもの,単なるほこりのようなものが眼球の動く方向にしたがって動き回るのである。なお,そのプランクトン様のものは,ミジンコなどのように決してピクピク動かない。仮に何らかの生き物だとしても絶対に死んでいると思われる。明らかに眼球の動く方向に受動的にその動きにつられて動いているだけで,主体的,生命活動的な動きが一切ないからである。変でしょうか。皆さんは,こういうことってありません?

 

 実は子どもの頃からそれに気づいており,僕だけなのかなぁ,変だなぁ,眼科行った方がいいのかな,などと不安に思いながらも,目はちゃんと見えている訳だからまあいいかということで誰にも確認せずに過ごしてきた。そして今に至るも,同じ体験を他の人もしていないのかについて確認したことがない。くどいようですが,皆さんは,こういうことってありません?あるならある,ないならないとはっきりと言ってもらえませんこと?

 

 普通に考えると,プランクトン様のものは単に眼に入ったほこりなんだろうと思う。でも,眼にこんなほこりをいつも抱えながら生きているなんて気持ち悪い。本当に何らかの生物の死骸だったらなおさらである。コンタクトレンズ関連で眼を洗浄する商品のコマーシャルがあったが,自分はコンタクトレンズは使用しないものの単に眼の洗浄効果というのを一度試してみたい。

 

 それにしても,そろそろ勇気を出して,この僕と同じ体験をしていないかどうか,他の人に尋ねてみたいと思う。最初に尋ねる人は誰にしようか。でも,「何それ?そんなこと一度もないよ。変なんじゃない?」と言われたらどうしようか(笑)・・・。

2009/09/03

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 僕がNHK教育テレビにチャンネルを合わせるのは「ぜんまいざむらい」の時だけではなく,夜でも何気なくチャンネルを合わせることがある。少し前のある晩,何気なくチャンネルを回していたら,「こだわり人物伝」という番組がやっていた。この「こだわり人物伝」は,毎週火曜日だったかな,午後10時25分から10時50分までの番組のようである。以前にも詩人の「中原中也」が取り上げられた時に偶然に見たことがあった。

 

 その日の晩は,たまたまピアニストのグレン・グールドのことが内容となっていた。グールドの生前の演奏の映像が流れ,思わず見入ってしまった。グールドは50歳の若さで世を去った天才で,僕は学生の頃からグールドの弾くバッハが好きだった。「平均率クラヴィーア曲集第1巻,第2巻」,「パルティータ」,「イタリア協奏曲」などをよく聴いたものだが,グールドが弾くバッハの中では特に「ゴルドベルク変奏曲」が好きである。しかも1955年の若かりし頃の録音ではなく,最晩年の1981年録音の方が好きだ。

 

 「こだわり人物伝」の中で見たゴルトベルグ変奏曲の最後のアリア・ダ・カーポを弾くグールドの姿を見たら,胸にじーんときてしまった。この曲は当然多くのピアニストが手がけているだろうが,グールドの「ゴルトベルク変奏曲」は僕にとっては宝物のような存在である。

 

 また,番組では,グールドが夏目漱石の「草枕」の愛読者であったことが紹介されていた。このことはこのブログでも以前に書いたことがあったが,この番組ではグールドが草枕の一節を朗読する貴重な音声も紹介されていた。彼は「草枕」を何十回も読んでいたそうな。歳をとると人間誰しも多少は内省的になるが,グールドがそれほどまでに愛読した「草枕」に興味をもった。恥ずかしながらまだ読んだことがなかった。今度こそ読んでみようと思う。

2009/09/01

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 さながら子羊のような心境で臨んだオーディション。これにパスして入団を許された合唱団。ここでの練習を始めて早くも9か月が経った。11月7日が「マタイ受難曲」上演の本番だからあと2か月しかない。

 

 先週金曜日には3曲の練習を行ったが,そのうち第63曲bをみんなで練習していて,僕は感動してしまった。この第63曲bの部分は,イエスが磔刑により死を迎え入れ,その直後の天変地異を目の当たりにしたローマの百人隊長や兵卒が「本当にこの人は神の子だったのだ。」と神性の認識を示す箇所である。この曲は,第1コーラスと第2コーラスのそれぞれの4パート(ソプラノ,アルト,テノール,バス)がユニゾンで唱い上げる僅か3小節である。でもここがね,本当に美しいし,思わず情感がこもってしまうのですよ。僕はバスのパートだから,他の3声部より1拍遅れて唱い出すのだけれど,唱ってて目頭が熱くなるくらい感動的で美しいのですよ。

 

 「Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewe   sen」 (本当にこの人は,神の子だったのだ。)

 

 バッハの自筆総譜のうち,この部分を見ると,その前後の音符の間隔よりは明らかに密になっており,特に遠くから眺めるとあたかも十字架を浮かび上がらせたかのように見える。「マタイ受難曲」(東京書籍)という本では著者の礒山雅氏はバッハが意図的にそのように記したのではないかと指摘しているが(415頁),確かにそのように思われる。だからこそ僕としては,この部分は僅か3小節であるが,サッと唱い流すのではなく,カール・リヒター指揮,ミュンヘンバッハ合唱団のように情感豊かにゆっくりと唱われたらなと思う。

 

 練習は最終的には全パートで合わせるが,その前の段階では各パートごとに他のパートの人にも聞こえる形で行われる。譜面を見ながら,そうか他のパートはこういうメロディーなんだと改めて認識できるし,合わせ練習の時にはこんな僕でもバスの一員としての役割を担っているという実感もあって嬉しくなる。また,この第63曲bはもちろんであるが,このマタイ受難曲の中のその他の曲でも,特にアルトとテノールのパート部分の旋律,和声が曲の豊饒さを増していると思われる。

 

 それにしても,それにしても,それにしても,バッハという作曲家はすごいなぁ。「本当にこの人は・・・」と思ってしまう。

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