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弁護士ブログ

2011/12/09

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 新聞報道によりますと,日本政府は今年初め,在中国の日本公館に保護を求めた北朝鮮からの脱北者の扱いについて,「今後は公館外から公館に連れ込まない」という趣旨を記載した誓約書を中国政府に提出していたことが判明しました。民主党政権や外務省のこれまでの外交姿勢は,「弱腰外交」などと揶揄されてきましたが,尖閣諸島沖の中国漁船領海侵犯問題における売国的対応と同様,その「弱腰外交」の有様がこの報道でも裏付けられております。

 

 民主党政権や外務省のこんな対応では,国の誇りも何もあったものではありません。要するに,人道的措置の継続,国の主権よりも,中国の圧力に屈することを選択したのですから,新聞報道のとおり日本の国際的信用の失墜は免れないでしょう。

 

 それに最近の国会内での委員会答弁でも,民主党の売国的体質が如実に表れております。自由民主党の稲田朋美衆議院議員の質問に対し,玄葉という外務大臣は,韓国による竹島の不法占拠について「国際法上根拠のない形で実効支配が行われている」などと言うのみで,絶対に「不法占拠」という言葉を使いません。かつての岡田という外務大臣も,何度も指摘されたにもかかわらず,その答弁の際には意地になってでも「不法占拠」という言葉を使いませんでした。特定アジアの国々に阿っているとしか言いようがありません。外務省の面々だって,学校でのお勉強はできても,そしてエリート意識だけは超一流でも,日本国の国益などは眼中にないのです。自らのその後の栄転だけに関心があり,少なくとも自分の在任中に失点に結びつくようなことは避けようとする「事なかれ主義」の信奉者に成り下がっております。彼らに「ノブレス・オブリージュ」などといった言葉は全く通用しませんし,覚悟なんかしてません。杉原千畝さんや重光葵さんは草葉の陰で嘆いておられることでしょう。

 

 先日,「重光葵-連合軍に最も恐れられた男」(福冨健一著,講談社)という本を読みました。次のような件がありました。

 

「重光は、『正論をもって強硬論をとなえ』『未だかつて弱腰で交渉したことはない』と断じている。しかも、交渉は『大処高所』から見たもの、『理路整然』としたものであって、『国家の大局に益するもの』でなくてはならないと述べる。この重光の外交姿勢は、終生変わらなかった。現在の日本外交に欠けているのが、重光のこの外交姿勢ではなかろうか。現在の日本外交の混迷は、『正論』よりも『波風を立てないこと』を優先し,『強硬論』でなく『媚態』を演じ、『国家の大局』よりも『弥縫策』に終始し、日本自身が北東アジアの不安定要因になっているのではなかろうか。」(同書196~197頁)

 

 本当にその通りですよね。重光葵という人は,昭和7年(1932年)4月29日,上海で挙行された天長節祝賀会の際,朝鮮人による爆弾テロで右足を失いました。小雨のなか,祝辞の後に海軍軍楽隊の演奏で君が代斉唱が始まったのですが,その最中に水筒の形をした金属が二個投げ込まれたのです。重光葵は,国歌斉唱中に動くことは不敬であると思い,不動のまま君が代を歌い続けたのです。しかしその水筒形の金属はころころと台の上を転がり,耳をつんざく音で爆発し,重光はズボンから鮮血を流し,重傷を負ったのです。そして右足を失いました。しかしこの時,逃げなかったのは重光だけではなく,白川義則大将(死亡),野村吉三郎中将(片目失明),植田師団長も同様でした。当時の日本人には覚悟というものがあったのでしょう。

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