二日酔いの日は,昼食にカレーを食べるべきです。しかもそのカレーというのは,相当に辛いルーでなければダメで,しかもご飯の量は少なめです。私の中では,「二日酔いの日の昼食は,ご飯少なめの激辛カレーに限る」という考えは,もはや確信の域に達しております(笑)。
最近,素晴らしい本に出会いました。「日銀はだれのものか」(中原伸之著,中央公論新社)という本です。
この日本という国には,しかるべき人材がいるはずなのに,なぜ超円高,デフレ経済を脱却できないままでいるのでしょうか。仏教でも因果応報のならいがあり,ある結果が生ずるにはその原因が必ずあるものです。日本経済がこれほど長期間のデフレに沈んだままで,しかも最近の超円高状態を解消できないのは,これを拱手傍観している人たちが存在するからです。デフレと超円高から脱却できないでいることについて,日本の中央銀行たる日本銀行の責任がなぜ問われないのでしょうか。
この本の著者である中原伸之さんは,かつて4年間にわたって日銀の審議委員として孤軍奮闘されました。中原さんはこの本の中で,この4年間の孤軍奮闘の体験を踏まえて日銀の問題性を鋭くえぐり出しておられます。新日銀法は1998年4月に施行されたのですが,この法律の欠陥は,日銀に「手段の独立性」だけでなく,「目的の独立性」まで与えてしまい,結果的に中央銀行たる日銀の金融政策に誤りや怠りがあったとしても,誰も責任を負わない制度にしてしまっていることです。
中原伸之さんの審議委員としての4年間,日銀の最高意思決定機関である政策委員会の金融政策決定会合(9名による採決)では,中原さんの提案は大体いつも1対8で否決され続けてきました。でも1998年4月から2002年3月までの日本経済の流れを見ていると,日銀は2000年8月にゼロ金利解除という政策的誤りを犯し,最終的には中原さんの政策提言に近い形で2001年3月にようやく量的緩和策導入を行いました。要するに中原さんの見通し,見識が正しかったことが証明されております。
また,この本が上梓された2006年当時の日銀総裁の年間報酬額は約3600万円という高額なもので,2人の副総裁でもそれぞれ約2800万円,審議委員も約2700万円に達しております。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)の議長の年収だって約2000万円だというのに・・・。旧法時代の日銀総裁の報酬年額は何と,5000万円以上だったといいます(呆然)。こういった庶民の生活とは隔絶した世界の人たちが日本の金融政策を牛耳っているのです。
私なりに思いますと,中原さんがこの本で最も述べたかったのは,恐らく終章である「第8章 日本経済と日銀の将来」の箇所に書かれている論述でしょう。私が思わず頷いてしまった箇所を引用しておきましょう。
「日銀の人たちは、『日銀は自分たちのもの』と思っているようです。けれど日銀の出資証券は、政府が五一%保有していますし、組織の本来の意味から言っても、『日銀は国民のもの』なのです。ですから、日銀総裁はなぜ年収三千六百万円を手にするのか、だれを審議委員に選ぶのか、だれが再任されるのか、その手順はどうなっているのかなどを、国会で国民にわかりやすく説明するのは当然のことなのです。」(273頁)
「金融政策を独占する権限を持っているのですから、その運営に失敗すれば、国民に対して責任をとるのも当然のことなのです。・・・ゼロ金利の解除は明らかな政策ミスで、その責任をとるべきだったのに、解除に賛成し、失敗したら責任をとると明言したはずの人でさえ、一人も責任をとらなかったのです。・・・ゼロ金利解除は日銀が法改正で与えられた独立性を意識し、政府の反対を否決して実施した決断なのですから、その政策の失敗の責任をとって、速水さんは辞めるべきだったと思います。」(273~274頁)
「絶えず議論になる日銀法四条の『政府の経済政策との整合性』はもっと明瞭に書き直し、同二条の金融政策運営も、インフレ・ターゲティング方式による物価安定目標を採用すべきです。金融政策の目標は、政府が与えるべきで、日銀には政策手段選択の独立性を認めるのがグローバルスタンダードです。目標を自分で決めて、自分で解決するのでは、自分のやりやすいような目標を選ぶことになりがちです。子供が自分の宿題を自分で選んで、出来ましたと先生に出すのと似ています。それでは適正な政策運営ができません。」(274頁)
舌鋒鋭いですね(笑)。
冬ですから寒いのは当たり前ですが,それにしても寒いですね。でも私は,道を歩いていて大きく鼻から空気を吸い込んだ時,鼻の奥が痛くなるほど冷たい,澄み切った,凛としたような空気の方が好きです。清々しい気分になるからです。
新約聖書の使徒行伝第9章には,目から鱗(うろこ)が落ちる話があります。あることをきっかけとして急に物事の本質が分かるようになることの例えです。ユダヤ教徒でキリスト教に激しい敵意を燃やしていたサウロ(後の使徒パウロ)が,ダマスコに町の近くまで来たときに突如として天からの光を受けて目が見えなくなってしまいます。三日の後,今度は神の命を受けたアナニヤがサウロの上に手を置くと,急に目が見えるようになり,サウロは「目から鱗のようなものが落ちた」と言いました。
さてさて,私は最近,マクロ経済の知識もなく,その素養もないにもかかわらず,今の日本の置かれているデフレ経済・超円高というどうしようもない現実に関心がありますし,危機感を抱いております。実際問題として,私は仕事柄いろいろな方々と接するのですが,事業者を取り巻く経営環境には非常に厳しいものがあるということをひしひしと感じます。日本の企業,従業員,店舗経営者などの元気がないのです。
日本だけのようです,こんなデフレに陥っているのは・・。そして日本だけです,こんなに通貨高なのは・・。もう本気で何とかしなければならない時期に来ています。前置きが長くなりましたが,「デフレと超円高」(岩田規久男著,講談社現代新書)という本は実に素晴らしかったです。日本国民の皆様,是非とも全員がこの本を読んでください!赤ちゃんや幼児に対しては「読み聞かせ」をお願いいたします(笑)。素晴らしい本です。
この本は,いわゆるバブル崩壊後の日本経済がなぜ世界で一国だけデフレ経済に陥っているのか,その具体的な原因は何だったのか,デフレが超円高を招くメカニズムはどういうものか,デフレ・超円高がなぜ日本という国にとって問題なのか,デフレ経済を脱却するにはどうすればよいのか,中央銀行たる日本銀行の本来の役割はどういうものか,これまでの日銀の職務怠慢にはどれほど罪深いものがあるか,などがよく分かります。正に,目から鱗が落ちる感じです。データに基づいていて論旨明快です。
この本の前書きからいくつかの文章を引用してみましょう。
「このように、デフレに加えて、円がどの通貨に対しても軒並み高騰したままでは、政府がどんな成長戦略を取ろうとも、日本経済が安定した成長を達成し、それを維持することは不可能である。」
「デフレと超円高は何よりも雇用を直撃する。・・・したがって,企業内潜在的失業者を加えた実質的な失業率は13%から14%にも達することになる。さらに、雇用は失業率だけでは測れないほど悪化している。・・・男性非正社員のうち36%は、これからの日本経済を担うべき15歳から34歳の若年層である。」
「成長戦略が成果を上げるためには、まず、デフレを止めなければならない。デフレを止めれば、円高も止まる。デフレと超円高を止めることができる唯一の機関は、政府ではなく、日本銀行である。これを逆に言えば、デフレと超円高をもたらしている真犯人は、日銀だということである。」
「本書は、日銀の金融政策をどのように変えれば、デフレと超円高から脱却して、雇用も、財政も、年金も大きく改善できるかを明らかにしようとするものである。とくに、本書で強調していることは、デフレ下の金融政策とは、人々の間におだやかなインフレ予想の形成を促すことによって、デフレと超円高から脱却する政策である、という点である。」
民主党のバカな議員にはもうホトホト愛想が尽きましたから(もっとも私の場合は最初から全く評価しておりませんでしたが・・),せめて自由民主党,たちあがれ日本の議員の方々にはこの本を熟読してほしいと思います。
あとは,「日銀は誰のものか」(中原伸之著,中央公論新社)という本も誠に素晴らしいようです。私は早速この本を注文しました。この本も,早く読みたくってしかたないですよ(笑)。
日本の年金制度,医療保険制度などのいわゆるセーフティーネットは,微に入り細に入り検証すればいろいろと問題があるでしょうが,基本的には世界に冠たるものがあると思います。日本の消費税率は諸外国と比較しても相当に低く,これらセーフティーネットの給付水準を維持するためには,消費税率引き上げはやむを得ないと思います。それはそうなんですが,私が思うのは,その税率引き上げの前に政府も日銀も本来の職務を全うすべきだろうということなのです。それは,デフレ経済と超円高からの脱却のための真剣かつ真摯な努力です。不景気の中で増税路線を突っ走って日本経済をさらに悲惨な状態にさせた橋本内閣の二の舞になってしまいます。学習というものをしなければなりません。
リーマン・ショック以降,アメリカはドルの通貨供給量を約3倍にしました。諸外国もその水準までにはいかないまでも1.5倍から2倍ほどの通貨供給量にし,いわゆる量的緩和に踏み切りました。日本だけです,何かブツブツ独り言を言いながら下を向いてひとり旅を続けているのは・・(爆笑)。変動相場制である以上,円高になるか円安になるかは他国通貨との相対関係で決まり,諸外国がこぞって量的緩和に踏み切るのですから,このような超円高になるのは当然でしょう。同様に,デフレというのは物価が継続的に下落していく状況のことですが,この15,6年も続いているデフレ経済から脱却するには,いわゆるデフレギャップの解消をするしかありません。この2つの状態を何とか改善するためには,どうすればいいのでしょうか。心ある,そして危機意識を持った,そして政府御用でない経済学者や経済評論家は,金融緩和と財政出動を同時に行うことを再三にわたって提唱しております。今は復興需要もあり,正に好機なのではないでしょうか。
おいっ!のび太君似の日銀の白川君,何処吹く風みたいな,他人事みたいな顔をしていないで,無能な財務省と一緒になって量的緩和に踏み切りなさい!日銀には,「手段の独立性」はあっても「目的の独立性」はないのだから,そうしなさい。無能な財務省ももっと国のために真剣に物事を考えなさい。ハイパーインフレなんか起こるわけないじゃありませんか。円に対する信認がちょっとやそっとで崩れる訳がないでしょう。このように金融緩和と財政出動を同時に行うことで超円高とデフレが少しずつ改善し,名目GDPが増えれば税収が増えるではありませんか。そのような経済の改善状態でもなお歳入が不足する場合には消費増税を含めた増税をしてもよいのです。
「・・税収が減れば、税収を増やそうとして税率を上げ、その結果、デフレが悪化して名目GDPが縮小し、さらに税収不足を招くという無間(むけん)地獄に陥ります。すると、民間から政府にお金がどんどん流れていきますから、民間の需要が減る一方です。そうすると、資金需要なんて当然ありませんから、民間への貸し出しは減り、もう国債を買うしかなくなります。だって、政府にしかお金の需要がないんですから。結局、国債だけがバンバン売れて、民間の資金は細っていく。デフレはいちだんとひどくなって、製造業はどんどん海外へ出て行ってしまうし、大型倒産もさらに増える。地獄です。」(「『日本経済ダメ論』のウソ」28~29頁,三橋貴明・上念司著,イースト・プレス)
無間(むけん)地獄といえば,私のゴルフもそうです(笑)。1月4日はゴルフの打ち初めだったのですが,また100を少しオーバーしてしまいました。100くらいは切らなきゃなあ・・・。道具としてのクラブが悪いのかも・・。少しでも景気回復のためのお役に立つべく,アイアンセットとドライバーを新調しようかしら。
さて次に,このいわゆる「従軍慰安婦」問題の売国的な拡大の一つのきっかけとなったのは,当時の宮沢喜一首相の訪韓直前である平成4年1月11日付けの朝刊で突如としてこの問題について報じた朝日新聞の売国的な記事です。この売国的な記事の骨子は2点あり,第1点目は「政府は、これまで慰安婦問題に関与していなかったと主張していたが、政府の関与を示す資料が発見された」ということ,第2点目は「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を、(慰安婦にするために)挺身隊の名で強制連行した。その数は八万とも二十万ともいわれている」ということです。何なのでしょうか,この新聞は・・・。一体全体どんな客観的,正確な裏付けがあってこんな記事を書くのでしょうか。日本人として心からの怒りを覚えます。
第1点目の「資料」というのは,中央大学の吉見義明なる学者が発見したという昭和13年3月付けの,陸軍省副官から北支方面軍及び中支派遣軍参謀長に宛てた通牒案です。しかしこの内容というのは,「業者が慰安婦募集に関してトラブルを起こしたことがあったため、募集は適正に行うよう業者を指導せよ」というものであり,国や軍が強制連行に関与したことを裏付けるのとは全く逆の内容のものです。第2点目の「・・挺身隊の名で・・・婦女子を(慰安婦)として強制連行・・八万とも二十万とも」などといった記事の内容はもはや論外です。現に,韓国政府による調査報告書の中でも「勤労挺身隊は日本が太平洋戦争遂行により深刻な労働力不足を経験し、女性の人力までも韓国内或いは日本の軍需工場などに動員したもので、このような勤労挺身隊動員の趣旨は基本的に軍隊慰安婦の調達とは性格を異にする」と記述されているのです。
このアカヒ,いや朝日新聞は,さらに追い打ちをかけるようにその年の1月23日付けの夕刊の「コラム 『窓、論説委員室から』」において,昨日のこのブログでも触れた吉田清治なる者の客観的裏付けのない,また本人も創作にかかる部分が存在することを認めている「慰安婦狩り」の供述内容を鬼の首を取ったように報じているのです。この新聞は一体どこの国の新聞なのでしょうか。安倍晋三元首相はこの朝日新聞のことを「チョウニチシンブン」と仰っていたと思います(笑)。
このような朝日新聞の極めていい加減な記事の連発は,万死に値するあの宮沢内閣による謝罪とやはり万死に値する河野談話を呼び込む原因の一つとなります。本日のこのブログの内容は,今月発売された月刊誌「正論 1月号」の中の「慰安婦強制連行はなかった」というタイトルの大師堂経慰氏(元日本合成ゴム専務)の著述内容を大いに参考にさせていただきました。この方はこの問題を日本人として最期まで憂慮され,平成22年11月に他界されたのです。(怒りをもって続く)
さて,このいわゆる「従軍慰安婦」問題の売国的な拡大の一つのきっかけとなったのは,吉田清治という人間の文筆,講演活動です。この者は,昭和58年に「私の戦争犯罪」という本を上梓し,その本の中で日本軍が第二次大戦中に朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にしたなどといったありもしない作り話を展開し,自ら韓国などに赴いては講演,謝罪をして回り,朝日や赤旗などの新聞紙上で「(自らの)戦争犯罪」についての「告白」を展開したのです。
ところが,平成元年8月14日,韓国済州島の地元紙「済州新聞」はその独自取材の結果をもとに,「(吉田清治の)『私の戦争犯罪』という本の内容は捏造である」と報じました。また,平成4年3月,秦郁彦という日本の歴史学者が自ら韓国済州島に出向き,吉田の「慰安婦狩りを行った」という証言についての現地調査をしたものの,その裏付けは全く取れなかったばかりか,当時を知る島民も「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが,そんな話は聞いたことすらない。」と述べているくらいです(笑)。
さらには,歴史学者秦郁彦さんは,現地調査に出向いた際には,済州新聞の記者であった許栄善女史からは「何が目的で、こんな作り話を書くのでしょうか。」と言われ,郷土史家の金泰玉氏は「私はこの本(吉田清治の『私の戦争犯罪』)の日本語版がでたときに入手して読んできたが、内容は全く事実でない。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる。」と憤慨していたそうです(秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」新潮選書233頁以下)。「日本人の悪徳ぶり」というくだりは極めて失礼な表現ですが,この吉田という者の著作が「軽薄な商魂の産物」という表現には賛同したいと思います。
極めつけは,この吉田清治という人は,平成8年5月29日付けの週刊新潮のインタビューにおいて,「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか。」と発言していることです。語るに落ちるとはこのことです。この者の「私の戦争犯罪」という本に書かれている内容,特に日本軍が朝鮮人女性の慰安婦狩りを行い,強制連行したなどといった内容は真実としての裏付けを全く欠いていることは明らかです。この者の文筆活動や講演,謝罪行脚は日本人の父祖や散華された方々の名誉を著しく毀損するものであり,看過できません。
冒頭で述べましたように,残念ながら,この吉田清治という人間の文筆,講演活動は,いわゆる「従軍慰安婦」問題の売国的な拡大の一つのきっかけとなってしまったのです。ウィキペディアの「吉田清治」の項を参考にしてください。(怒りをもって続く)
あー,とにかく忙しいんです。この忙しさでブログの更新頻度も低下しております。そんな中でも,韓国領海内で違法操業をしていた中国漁船の船長が,取り締まりに当たった韓国の海洋警察官を1人刺殺し,もう1人に傷害を負わせた事件には唖然としました。自ら違法なことをしておきながら人を殺すなどとは・・・。野生動物です。
このような中国漁船による領海侵犯,違法操業,取締官に対する攻撃は後を絶たないばかりか,エスカレートしており,中国当局も放任状態です。まともではありません。産経新聞によると,その背景には,中国の極めて深刻な環境汚染,とりわけ工場排水による中国沿海部の海洋汚染があり,極めて目の細かい網でやみくもに魚を捕るために稚魚まで少なくなって生態系を破壊しているので,中国漁民は法を犯してでも外に撃って出る訳です。それに,以前でしたら内陸部まで魚を運んだり冷蔵したりすることができず,内陸部では魚を食べたりはしていなかったようなのですが,最近では中国でも電気冷蔵庫が普及し,内陸部でも魚の消費があり,漁民としては儲けようとして乱獲,違法操業までするのです。
また,警察庁の調査によりますと,金融機関のインターネットバンキングで,今年の春以降に利用者の預金が不正に送金されてしまう被害が急増していますが,不正送金先として使用された235口座のうちの約9割に当たる214口座が中国人名義の口座だったそうです。この不正送金被害の手口は,パソコンにウィルスを忍び込ませて個人情報を盗んだり,いわゆる「フィッシング」などによるものだそうです。
さらに,これも産経新聞の記事に出ていたのですが,コンピューターセキュリティー会社のシマンティック(アメリカカリフォルニア州)の調査報告書によると,今年の7月から9月までの間に,日本企業1社を含む世界の企業全48社に対してサイバー攻撃が行われ,これに中国人が関与した可能性があると指摘されております。ついでに言いますと,カナダ政府も中国国内を発信元とする大規模なサイバー攻撃を受けたことが報道されており,日本の参議院へのサイバー攻撃の発端は,中国から送信されたメールで議員のパソコンがウィルスに感染したことだったと報道されておりますし,三菱重工業や日本の在外公館へのサイバー攻撃についても同様のことが指摘されております。
極めて由々しき事態だと痛感しますが,民主党政権は「党内融和」だけにご執心で,こういった諸問題に対しては何らの危機意識も持ち合わせていないようです。
新聞報道によりますと,日本政府は今年初め,在中国の日本公館に保護を求めた北朝鮮からの脱北者の扱いについて,「今後は公館外から公館に連れ込まない」という趣旨を記載した誓約書を中国政府に提出していたことが判明しました。民主党政権や外務省のこれまでの外交姿勢は,「弱腰外交」などと揶揄されてきましたが,尖閣諸島沖の中国漁船領海侵犯問題における売国的対応と同様,その「弱腰外交」の有様がこの報道でも裏付けられております。
民主党政権や外務省のこんな対応では,国の誇りも何もあったものではありません。要するに,人道的措置の継続,国の主権よりも,中国の圧力に屈することを選択したのですから,新聞報道のとおり日本の国際的信用の失墜は免れないでしょう。
それに最近の国会内での委員会答弁でも,民主党の売国的体質が如実に表れております。自由民主党の稲田朋美衆議院議員の質問に対し,玄葉という外務大臣は,韓国による竹島の不法占拠について「国際法上根拠のない形で実効支配が行われている」などと言うのみで,絶対に「不法占拠」という言葉を使いません。かつての岡田という外務大臣も,何度も指摘されたにもかかわらず,その答弁の際には意地になってでも「不法占拠」という言葉を使いませんでした。特定アジアの国々に阿っているとしか言いようがありません。外務省の面々だって,学校でのお勉強はできても,そしてエリート意識だけは超一流でも,日本国の国益などは眼中にないのです。自らのその後の栄転だけに関心があり,少なくとも自分の在任中に失点に結びつくようなことは避けようとする「事なかれ主義」の信奉者に成り下がっております。彼らに「ノブレス・オブリージュ」などといった言葉は全く通用しませんし,覚悟なんかしてません。杉原千畝さんや重光葵さんは草葉の陰で嘆いておられることでしょう。
先日,「重光葵-連合軍に最も恐れられた男」(福冨健一著,講談社)という本を読みました。次のような件がありました。
「重光は、『正論をもって強硬論をとなえ』『未だかつて弱腰で交渉したことはない』と断じている。しかも、交渉は『大処高所』から見たもの、『理路整然』としたものであって、『国家の大局に益するもの』でなくてはならないと述べる。この重光の外交姿勢は、終生変わらなかった。現在の日本外交に欠けているのが、重光のこの外交姿勢ではなかろうか。現在の日本外交の混迷は、『正論』よりも『波風を立てないこと』を優先し,『強硬論』でなく『媚態』を演じ、『国家の大局』よりも『弥縫策』に終始し、日本自身が北東アジアの不安定要因になっているのではなかろうか。」(同書196~197頁)
本当にその通りですよね。重光葵という人は,昭和7年(1932年)4月29日,上海で挙行された天長節祝賀会の際,朝鮮人による爆弾テロで右足を失いました。小雨のなか,祝辞の後に海軍軍楽隊の演奏で君が代斉唱が始まったのですが,その最中に水筒の形をした金属が二個投げ込まれたのです。重光葵は,国歌斉唱中に動くことは不敬であると思い,不動のまま君が代を歌い続けたのです。しかしその水筒形の金属はころころと台の上を転がり,耳をつんざく音で爆発し,重光はズボンから鮮血を流し,重傷を負ったのです。そして右足を失いました。しかしこの時,逃げなかったのは重光だけではなく,白川義則大将(死亡),野村吉三郎中将(片目失明),植田師団長も同様でした。当時の日本人には覚悟というものがあったのでしょう。
今朝の産経新聞の投書欄に,東京都立川市に住む15歳の女子中学生の投書がありました。まずはその女子中学生が電車内で体験した事情からお話ししましょう。投書によれば,こんなことがあったそうです。
電車内で小さい2人の子供(兄弟のようです)が大きな声を出しながら車内を走り回っておりました。その行動はだんだんとエスカレートし,この子達は隣の車両まで遠出して走り回っていたそうです。ところが,この子達の父親は無言で何も注意しません。車内のその他の人たちは迷惑そうな表情をしております。そんな状況が続いていたところ,年配の男性が意を決してもの凄い形相で車両間の扉をピシャリと閉めたのです。それを見たその子達の父親は,ようやく「静かにしなさい!」と注意したそうです。
そういう親は結構おりますよね。叱ることのできない親たちです。投書の女子中学生も,叱るのが遅すぎる,あまりにもカッコ悪い親だと主張しておりましたが,そのとおりです。また,飲食店内やその他の公衆の場で乱暴狼藉をはたらいている子どもに何も注意しない母親が,よその大人に自分の子どもが窘められたとき,「ほらごらんなさい,よそのおばちゃんに怒られるでしょ!」なんて言うバカな母親もいます。要するに,ロクな躾けも受けていない親は,やはり自分の子にロクな躾はできない訳です。これも負の再生産でしょう。戦後60数年,徐々にダメになってきた家庭教育,学校教育を,やはり同じくらいの時間をかけてゆっくりとまともな状態に戻す必要があります。そうでなければ,この負の再生産は拡大再生産になってしまい,日本国はガタガタになってしまいます。
たまたま今読んでいる本は,「昭和、家族の見識」(新井えり著,中央公論新社)という本です。味わい深い,そして日本人が忘れてはいけない,いわば文明ともいうべき醇風美俗に接することができます。実例がふんだんに盛り込まれています。昨日読んだ箇所の一部を引用しておきます。
「社会全体が子供の機嫌をとっている。学校でも家庭でも、子供に対してはっきりと『否!』と言えない。変な平等主義や安っぽい権利意識が、『子供なんだから、ダメなものはダメです。理由はありません。』ときっぱり言うことを、大人に許さないのである。『大人らしい大人』がいなくなり、子供が『子供らしく』なくなった。日本中、誰も彼もが『お友だち』。敬語が滅びる所以である。」(同書59ページ)
叱るべき時には叱り,躾けるべき時には躾けなければなりません。理由なんか要りません。会津藩の什の掟の末尾にあるように「ならぬことはならぬものです」。
来日中のブータン国王ジグミ・ケサル国王は,昨日,国会で演説を行いました。その演説の全文を目にした時,不覚にも涙が止まりませんでした。長くなり,また断片的にはなりますが,その一部を引用してみましょう。
「私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことを覚えております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。」
「皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。」
「このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへの願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。」
「皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。」
「(ブータンは)小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。」
「ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも反映を享受されますようにという祈りです。ありがとうございました。」
心温まる素晴らしい演説でした。でも私はこの全文に目を通した後,このまま日本国民がこれからの教育の重要性を自覚せず,また平和ボケのまま覚醒せず,歴史と伝統を軽視しいわゆる自虐史観のまま眠りこけたままになっていては,この演説内容にあるような評価を受ける資格は完全に無くなってしまうと思いました。
それにしても,NHKはこの演説の全てを放送したのでしょうか。また新聞各社はこの素晴らしい演説の全文を掲載したのでしょうか。マスゴミ,いやマスコミもダメなのです。
一川という名の防衛相は,ブータン国王夫妻を招いた宮中晩餐会を欠席した上で,あろうことか同じ民主党の参議院議員の政治パーティーに出席したばかりか,そのパーティーでは「(宮中晩餐会より)こちらの方が大事だ。」などと発言し,官房長官から厳重注意を受けております。語るに落ちたとはこのことです。民主党にはこんなバカしかおりません。あいかわらずGHQによる占領政策の効果が維持されておりますし,こんな手合いの存在そのものがそもそも占領政策の成果なのでしょう。
素晴らしい演説の余韻に浸りたかったのですが,どうしても最後に言ってしまいました。
いわゆるTPPの議論が喧しいです。あの野田という人,一見は誠実そうに対応しているようで,実は本当に独善的かつ無責任,不誠実,不勉強といわざるを得ません。こういう人でも首相がつとまる国って,いったい・・・。でも考えてみれば,鳩山由紀夫,菅直人と続いていたわけですから,今更驚くことはありませんか。でも本当に情けない。
11月11日には参議院でTPPの集中審議があり,自由民主党の佐藤ゆかり議員が質問に立ちました。佐藤議員は,いわゆるISD条項の危険性について質問したのです。前にもこのブログで触れましたが,ISD条項というのは,国が自分の国の公共の利益(例えば,環境の保全とか食の安全など)のために政策的に定めた法令などによって,海外の投資家が不利益を被った場合には(例えば,その法令の規制によってその投資家・企業の商売の一部ができなくなったなど),世界銀行の傘下にある「国際投資紛争解決センター」という第三者機関(仲裁機関)に訴えることができるという制度を定めた条項です。ところが,この機関の審査は非公開ですし,何でそのような結論が導かれたのかという理由部分が不透明であり,したがって個々の判断理由が先例的な価値を持たないがために予測不可能な点に大きな問題があります。また,さらに問題なのは,その審理は「その法令による規制,政策が投資家にどの程度の損害を与えたか」が重視され,「その国の公共の利益がどのようなものであったか(なぜそのような規制を定める必要があったか,それによりどのような利益が守られようとしていたのか)」は考慮されません。この毒素条項ともいうべきISD条項を含むTPPが成立してしまうと,それは批准を伴う条約であり,法形式間の効力でいうと,条約が国内法(法律)に優先するため,大変なことになってしまいます。かつてはこのISD条項によって,カナダもメキシコも酷い目に遭っております(笑)。
自由民主党の佐藤議員は,「TPPのISD条項によって国内法が曲げられてしまう恐れがあるのではないか」と述べて,野田という人にその問題性,危険性を質したところ,この人は何と,「国内法で対応出来るよう交渉していく」と答弁したのです(爆笑)。この頓珍漢な答弁で,審議は当然にストップしました。要するに,この野田という人は,効力面で条約が法律に優越することを理解していなかったばかりか,直後に自ら認めたように,ISD条項の意味すら理解していなかったのです。びっくりしたなぁ,もう(笑)。こういう人がAPECでTPP交渉参加を明言してしまうのです。さきほど私は,この野田という人のことを「一見は誠実そうに対応しているようで,実は本当に独善的かつ無責任,不誠実,不勉強といわざるを得ません。」と言ってしまいましたが,あながち嘘ではないでしょう?
ちなみに,「びっくりしなたぁ、もう。」というのは,昭和を代表するコメディアンだった三波伸介(初代)さんのギャグでした。私も昭和の人間ですから,思わず口をついてしまいました。