新撰組は何しろ武闘集団だから,個々の隊士の評価に当たっては,「強さ」すなわち剣の腕も一つの基準になるだろう。そうしたときに,剣の腕の凄さという観点から強いて5人だけ挙げろとなると,次のような面々じゃないかと思う(これは強さの順ではなく五十音順)。沖田総司,斎藤一,永倉新八,服部武雄,吉村貫一郎。
ただ,局長の近藤勇の天然理心流は,刀術だけでなく,棒術,柔術,気合術などを総合した極めて実践的な剣法だったようで,彼は先に挙げたようなそうそうたる面々を統率していたのだから,彼が一番強かったという論も成り立つ。でも,ここではその論はひとまずおくことにする。さてさて,沖田,永倉,斎藤は新撰組の各組の組長を務め,剣術師範だったのだからその実力の凄さは言うまでもない。戊辰戦争が勃発した初期の段階で,薩摩藩が圧倒的な火力(鉄砲など)を駆使している中,永倉などは,副長の土方に要請されて弾丸が雨あられのように降る中に,果敢に斬り込みにいったというのだからその気の強さも凄い(また,永倉の曲がったことの嫌いな謹厳実直な性格も好き)。
ところで,服部武雄は結局は新撰組と袂を分かち,伊東甲子太郞率いる御陵衛士(いわゆる高台寺党)に属したが,その強さは半端じゃなかったらしい(二刀流で勇猛果敢)。
沖田より強かったという説もあるくらいだ。
また,吉村貫一郎は,浅田次郎の「壬生義士伝」の主人公であり,創作の部分が相当あるらしいのだが,この人物も相当に腕が立ったように描かれている(映画では「新選組で一番強かった男」というふれ込みまである)。僕は,この「壬生義士伝」という小説を読んでいて不覚にも泣いたことがある(同じ著者の「輪違屋糸里」を読んだ時はアッケラカンとしていたのに・・。)「壬生義士伝」にはそれくらい感動的な部分がいくつかあり,吉村貫一郎の生き様に大いに感動した。腕は立つし,学問もできる。かげで「守銭奴」と誹られながらも,なりふり構わず故郷(南部藩)に置いてきた妻子を必死で守ろうとするのである。いいなぁ,こういう人は・・・。
何気なく新聞の雑誌広告欄を見ていたら,「月刊現代」(最終号と書いてある)の対談企画として「男たちの魅力『新選組』最高の隊士は誰だ」とあった。
そうだなぁ,いつどんな時でもこの企画は成立するよなと思った。何しろ,激動の時代が生んだ新撰組の華々しさと悲劇性,隊士の面々の途方もない魅力と謎,どれをとっても興味深いからである。
さて,「最高の隊士は誰だ」となると,大方の人は土方歳三をまず挙げるのだろうし,近藤勇,沖田総司なども有力なんだろう。でも僕は,このあまりにも魅力的過ぎる存在(団体)の中で,「最高」は決められないのではないかと思う。不遜な言い方だけど,知れば知るほど決められなくなってくるのが普通だ。
ただ,自分だったらどのタイプに近いのかなということからすると,僕は山南敬助か伊東甲子太郎に近い存在だったのではないかと思う(ビジュアル面は別として。)。数年前の大河ドラマ「新選組」は毎週楽しみに見ていたが,山南敬助の「決断」に至るまでのいきさつや切腹場面は,自分の姿を投影させてみていた。その後に家族と京都旅行に行った時は,当然のように光縁寺の山南敬助の墓参りまでしちゃったのである。
墓参りで思い出したが,僕は2年前の家族旅行で,会津若松などに行き,同市内の阿弥陀寺にある斎藤一の墓参りもぬかりなくやった(墓碑銘は「藤田五郎之墓」だったと思う。)。そう,僕は隊士の追っかけなのである。この斎藤一という人物も極めて謎めいていて興味がある。相当の手練れであり,多くの修羅場をくぐり,その後西南戦争にも従軍している。大河ドラマではオダギリジョーが格好良く斎藤一役をやっていたが,写真を見る限り,実物はフランケンシュタインを少し細くしたような感じである。(続く)