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弁護士ブログ

2011/10/07

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 私は中学生でもないのに,育鵬社の「中学社会 新しい日本の歴史」の市販版を実際に読んでみました(笑)。というのも,最近では中学校の歴史,公民の教科書の採択をめぐって,育鵬社の歴史・公民の教科書が何かと新聞紙上を賑わしていますよね。それで一体全体,どんな内容の教科書なんだろうかと確かめてみたくなり,そのうちの歴史教科書を読んでみたのです。

 

 育鵬社の中学生向けの歴史教科書の内容は,立派なものだったと思いますよ。改正された教育基本法の趣旨に最も合致している教科書ではないでしょうか。私としては,第一次世界大戦以降,第二次世界大戦終結までの歴史の記述についての一部には物足りなさを感じた部分もありますが(例えば,コミンテルンが各国で暗躍していた実態に触れていないなど),中学生向けですからこれでいいと思います。人物コラムなどでは,西郷と大久保,シュリーマン,モース,イザベラ・バード,パール判事なども登場します。中学生の彼らとしても,日本や日本人を誇りに感じ,歴史に興味を持ってくれるような内容です。

 

 ところで,育鵬社版に反対する市民団体は「戦争を正当化する教科書を多くの学校現場に押しつけるのは許せない」と反発しているようですが,バカも休み休み言え,バカにも休み休みなれ,と言いたい。戦争を正当化する内容になどなってはおりませんよ。彼らの中には特定のイデオロギーに凝り固まってしまったプロ市民もいるでしょうし,本当に思考の停止した平和ボケもいるでしょう。彼らに共通しているのは,いわゆる東京裁判史観というやつです。日教組などは戦後GHQの肝いりで出来たような団体ですし,そのGHQの目的はこの東京裁判史観の徹底です(いわゆるWGIPです。)。この点について江藤淳氏はその名著「閉された言語空間」の中で,「要するに占領軍当局の究極の目的は、いわば日本人にわれとわが眼を刳り貫かせ、肉眼のかわりにアメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった。」と見事に喝破されております(223頁)。

 

 それにしても残念なのは,小田原市議会の愚挙です。在日本大韓民国民団神奈川県湖西支部が出していた陳情,すなわち育鵬社・自由社の公民・歴史教科書を不採択にするように求める陳情を,何と,小田原市議会は賛成多数で採決するという愚挙に出たのです。語るに落ちるとはこのことです。こんな的外れで厚かましい陳情をする方もする方ですが,こんなばかげた採択をする市議会議員の劣化ぶりは目を覆うばかりです。小田原が生んだ二宮尊徳先生は,どんなに嘆き悲しんでいることでしょう。この一件からしても,永住外国人に地方参政権を付与することの危険性は推して知るべしでしょう。

 

 一方で,横浜市教育委員会は,定例会を開き,来春から4年間,市内147校の市立中学などで使用する歴史と公民の教科書として,育鵬社の教科書を採択しました。よろこばしいことですし,全国的に見ても育鵬社の教科書が採用されるケースは徐々に増えているようです。日本国民も,もういい加減に,いわゆる東京裁判史観から脱却して,ごく普通の考え方に近づくべきでしょう。

2011/08/18

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 8月18日の政変というのは,江戸末期の文久3年8月18日に起こった事件で,会津藩,薩摩藩を中心とした公武合体派が,長州藩を主とする急進的な尊皇攘夷派を京都から追放したクーデター事件です。思いますに,割と短かった新撰組の活動期間の中で,新撰組が最も輝いていた時期は,この8月18日の政変あたりから,翌元治元年の池田屋事件を経て,同年7月19日の禁門の変(蛤御門の変)のあたりでしょうね。新撰組にとっては,この頃がもっとも生き生きとしていた時代でしょう。それにしても,8月18日の政変の頃は,まだ会津藩と薩摩藩とが手を携えていたのですから,その後の大きな歴史のうねりを感じてしまいます。

 

 禁門の変(蛤御門の変)の際にも,新撰組は大活躍しました。京都御所の現在の蛤御門(正式名称は新在家御門)が,なぜ蛤御門と呼ばれるようになったのかについては,光格天皇の頃に発生した天明の京都大火(大火事)の際,それまではめったに開かなかったこの門が,この大火事の時にやっと開かれたという事実に由来しているとのことです。つまり,貝殻のように固く閉じていたのに,熱い火にあぶられてようやく開いた,ハマグリのようだ,ということで蛤御門になったそうです。

 

 今年の3月11日は,かつてこのブログでも書きましたように,私は京都旅行の幹事をやっていまして,新撰組コースの責任者だったのです。何度も下見にも行きました。その旅行コースのことですが,あの日,3月11日,私たちの貸し切りバスがちょうど蛤御門を出発し,その次の行き先である八木邸に向かう途中で,あの東日本大震災が発生したのです。その時点では私たちは全く気付いておりませんでした。その日の午後5時ころに知ったのです。

 

 このお盆の時期,改めてこのたびの大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りしますとともに,ご遺族の方々や被災された方々に対し,心からのお見舞いを申し上げます。

2011/08/16

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 いやー,暑い,暑い・・・。夏だから当たり前だということは十分に分かってはいるつもりですが,それでも思わず「暑い」という言葉が口をつきます。昨晩は,お風呂に入って横になり,テレビを付けましたら,「ビートたけしのTVタックル」という番組が放送されていました。この番組は割と面白いので昔はよく見ていたのですが,久しぶりに目にしました。

 

 そうしたら,ゲストとして2人の「ジャーナリスト」と称する中国人が出演しており,そのうちの男性の方が,男性にしては落ち着きがなく甲高い声で,尖閣諸島は中国の領土だと述べていました。これに対して評論家の三宅久之さんが,アメリカが沖縄を日本に返還した際,沖縄県の一部である尖閣諸島の返還について中国は異議を唱えたのか,と突っ込んでおりました。そうしましたら,その中国人の「ジャーナリスト」と称する男性は,「その頃はまだ中国は力がなかったからだ。今は強いから主張できる・・・」みたいなことをギャーギャー言っておりました(笑)。その言い方や言い分を耳にしていると,魯迅の「阿Q正伝」に主人公として登場する「阿Q」を思わず思い出しました。正にこの男性は「阿Q」でした(笑)。

 

 思いますに,歴史学というのは,領土を含め,客観的な史料等に基づいて史実を研究する学問だと認識しておりますし,客観性を有するが故に学問の名に値すると思います。でも,中国は易姓革命の国であり,征服した王朝が後に自己の都合のよいように歴史を書き換え,それが「正史」とされてきました。1949年には中国共産党が中華人民共和国を樹立し,現在でも中国共産党が一党独裁を維持し,現在中国で教えられている歴史というのは,いわば「中国共産党史観」に基づくものです。ですから,中国における歴史ないし歴史学は,さきほど私が述べたような定義とはほど遠く,彼らの言う歴史はむしろ政治なのです。

 

 さきほどの「阿Q」さんが述べた,「その頃はまだ中国は力がなかったからだ。今は強いから主張できる・・・」みたいな論はそのことを如実に示しており,力があれば何とでもなるんだ,客観的な史料に基づく史実研究なんかどうでもよい,国際法もへったくれもないという立論なのです。韓国も似たようなものです。韓国国内で歴史として教えられている内容が,いかに史実に反した歪められたものであるか。竹島にしても,韓国の当時の大統領であった李承晩が,国際法を完全に無視して李承晩ラインなるものを引いた上で,竹島をその中に取り込み,実効支配をし始めたというのが歴史的事実ですし,韓国が竹島の領有権を裏付けるものとしてかつて提出したことのある史料はことごとく矛盾点をはらんでおります。日本がこの問題に関し,かつて2度にわたって国際司法裁判所での解決を提案したにもかかわらず,韓国がいずれもこれに応じなかったのは,国際法上は自らの立場に分がないことが分かっているからでしょう。所詮これらの国々にあっては,歴史は政治なのです。

 

 ところで,私たち日本国民は,尖閣諸島にしても竹島にしても,日本に固有の領有権があるという結論自体は知っていても,中国や韓国のいいがかりのような主張に対して,理論的にきちんと反論でき,きちんと理論的に日本の主張を説明できるでしょうか。評論家の櫻井よしこさんは,フランスのある哲学者の「歴史を知らない人間は,人間ではない」という言葉をかつて引用されたことがありました。歴史を知らなければなりませんね。あー,それにしても暑い,暑い・・。

2011/07/01

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 私が初めて司馬遼太郎の「坂の上の雲」という小説を読み終えた時,読後にもっとも印象に残った登場人物(いずれも実在の人物)は,広瀬武夫少佐,児玉源太郎大将,秋山好古少佐の3人でした(軍における階級はいずれも日露戦争当時)。

 

 児玉源太郎大将の日露戦争における活躍は見事で,その勝利に最も貢献した一人であると言われています。その卓越した先見性と戦略眼,人望によるものです。以下の記述はウィキペディアなどによるものですが,神風連の乱の鎮圧の直後には,東京から現地あてに真っ先に送られた電報に「児玉少佐ハ無事ナリヤ」とあったことからも分かるように,軍当局が当時若干24歳の一少佐であった児玉源太郎にかける期待の大きさが窺われます。また,日本軍の参謀教育のためにドイツから教官として派遣されていたドイツ陸軍参謀将校のメッケルは,日露戦争が勃発した際,既に帰国していたドイツにおいて「日本に児玉将軍が居る限り心配は要らない。児玉は必ずロシアを破り、勝利を勝ち取るであろう」と述べたそうです。

 

 そして,児玉源太郎といえば,日露戦争が勃発した当時は,もう既に陸軍大臣,内務大臣,文部大臣を歴任していたキャリアの持ち主だったのですが,参謀総長の大山巌に特に請われ,参謀次長になった人です。これは明らかな降格人事ですが,私心のない無私の児玉大将はこれを受け,職務を全うするのです。

 

 結局,児玉源太郎大将は日露戦争を勝利に導いた貢献者の一人であり,勝利のために心血を注ぎ,その心労がたたったのでしょうか,戦争終結の約8か月後に脳溢血で急逝されたのです。誠の武士でした。「坂の上の雲」を読んだ後,どうしても児玉源太郎のことが頭を離れませんでした。この国難の時に,こういう日本人が政治の中枢にいてくれたら・・。

 

 さて,話を急に現在に引き戻してしまい恐縮ですし,実に暗澹たる気持ちになってしまうのですが,菅直人という希代の俗物は,ことあるごとに高杉晋作や吉田松陰先生のような歴史上の人物に自分を照らし合わせようとします。笑止千万です。そして,「歴史に名を残したい」というのが口癖のようです。バカも休み休み言え,となります。このような姑息な手段ばかり弄するような存在とは全く次元というものが違います。また菅という人は,児玉源太郎を尊敬しているようで,自分の息子にも「源太郎」と命名しています。児玉源太郎を尊敬しているのはいいのですが,こういう本当に尊敬に値する人物と自分とをまさか同一次元で論じてはいませんよね。やめてくださいよね。菅という人は,自分の息子である菅源太郎氏が国政選挙(衆議院議員総選挙)に立候補してこれを応援した際,「世襲」批判をかわし,「世襲ではない。政治家として優れた人間がたまたま息子だった。」とコメントしております(爆笑)。全く・・・臆面というものがありません。

2010/11/26

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 今日は仕事の関係で滋賀県大津市まで出かける。これまで長浜や彦根に行った記憶は確かにあるが,大津はどうだったかな。でも調べみると大津というのは,天智天皇が近江大津宮に遷都して以来の長い歴史をもつ古都なのだ。ところで大津で連想したのは,どういう訳か新撰組の山南敬助のことである。

 

 山南敬助は近藤勇の試衛館時代からの人物で,新撰組を語るときには欠かせない。しかし,この山南敬助の最期には諸説がある。新撰組には局中法度があって,隊からの脱走は切腹となる。巷間よく言われているのは,山南敬助が,局長近藤や副長土方との路線の違い(尊皇攘夷のとらえ方,屯所の西本願寺への移転問題など),参謀伊東甲子太郎の加入による相対的な地位低下などにより新撰組を脱走し,追っ手となった沖田総司が大津宿で山南を発見して京都の屯所に同道し,切腹して果てたというものである。数年前に好評を博したNHK大河ドラマ「新選組!」でもそのように描かれていた。

 

 私は,新撰組の個々の隊士は割と魅力的に感じるのだが,特に山南敬助がとても好きである。新撰組の中ではそこそこ学問もあり,人格円満で対外的な交渉力もあり,小野派一刀流免許皆伝(その後北辰一刀流)の腕利きで毅然とした対応もとることのできる人物である。その切腹の際の見事な態度は語りぐさとなっている。

 

 さきほどの説に立脚するとして,大津宿で共に一泊した山南と沖田はどんなことを話したのであろうか。昔話だろうか,それとも今後のことであろうか・・・。山南は「脱走」の前に「江戸に行く」との置き手紙を残していたという。しかも,よりによって京都から近い東海道大津宿を経由し,追っ手に発見されやすい状況も厭わなかった。彼は本当に「脱走」の意図があったのだろうか。追っ手に捕まったら今後のことをじっくりと局長近藤らと話し合いたかったのではないか。謎が残る。

 

 最終的には切腹となったのだが,彼は介錯を沖田総司に頼んだ。沖田に対するあつい信頼があったのだろう。今日の大津旅行は,山南敬助を偲びながらの小旅行となる。

2010/11/24

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 中国の紙幣は人民元札のようだが,私は今までに一度も手にしたことがないので正確なことは知らないが,人民元札の肖像はいずれも毛沢東のようである。この人物は,現在では中国でどのような評価を受けているのであろうか。具体的には,中国の独裁政権を維持している中国共産党では毛沢東をどのような人物だったと総括しているのか,また,民衆レベルではどんな評価なのか,少なからず関心がある。でも,紙幣にその肖像が載る訳だから,それはそれはかの国では高く評価されているのであろう。

 

 読み終えるのに少し時間がかかってしまったが,「毛沢東の私生活(上・下)」(李志綏著,アン・サーストン協力,新庄哲夫訳,文春文庫)という本を読破してしまった。毛沢東を評価するに当たっては,彼が指導者として重要な役割を果たした歴史的事実,たとえば,百家争鳴・百花斉放運動(「反革命分子」のおびき出し),大躍進(どだい無理な政策・目標設定による約2000万人とも言われる餓死者の発生),文化大革命(果てしない権力闘争と大量の殺戮,政治的混乱と文化破壊など)の評価を抜きにして語れないし,これらの点については既に多くの著作がある。でもこの毛沢東の私生活ぶりについてはどうか。中国共産党によって神格化が図られ,その権力維持のためには明らかにできないような私生活面での情報はヴェールに包まれていたのである。

 

 この本は,毛沢東の主治医として約22年間も身近で接することを余儀なくされてきた李志綏博士という医師が書いた本である。ごく身近にいた人間でなければ知り得ず,語り得ない内容が多く含まれている。この本の中には「解題 毛沢東とは何だったのか-本書に寄せて-」というアンドリュー・ネイサン(コロンビア大学教授)の論考があり,次のような記述がある。

 

 「史上、毛沢東ほど数多くの人々の上に、それもあれほど長期にわたって権力をふるった指導者はほかにいないし、また自国民にあれだけの破局をもたらした指導者も皆無である。毛沢東のあくなき権力欲と裏切られることへの恐怖は、足もとの〝身内〟や国家を混乱の坩堝に陥れつづけた。毛沢東のビジョンと手練手管は中国を「大躍進」とその戦慄すべき結末である大飢饉や「文化大革命」に突入させ、数千万人の死者を出したのだった。そればかりではない。二十二年間も主治医として務めた人物によるこの回想録で語られている毛沢東と同じくらい、親しく観察された指導者がほかにいただろうか。・・・現政権は今なお毛沢東の公式イメージという間接照明によって統治しているのである。いかなる公認された回想録を見ても、李博士のそれと同じような真実の響きを持った毛沢東像は描かれていない。本書はこれまで毛沢東について書かれたもののなかで、またおそらくは歴史上のどんな独裁者について書かれたもののうちでも、もっともわれわれの蒙を啓いてくれる本だ。」(同書510頁,522頁)。

 

 ページ数が多くてとても大変だけれど(笑),一度は読んでみてもいい本だと思う。

2010/10/06

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 とりわけ民主党政権の内部に巣くっており,精神的なバックボーンを構成していると思われるのは,いわゆる自虐的な東京裁判史観なのではないかと思う。官邸内で様々なことを画策している仙石由人などといった反日的,確信左翼的存在を目の当たりにする時,特にその感を強くする。また,中国がいつも外交カードとして切り出す日本政府要人の靖国神社参拝問題も,「A級戦犯」の合祀がその根底にあるため,この東京裁判なるものとは切っても切り離せないのである。

 

 そこで,日本国民の皆さんはそれぞれ,会社員,主婦,自営業,農漁業,学生など様々の立場でご多忙かと存ずるが,できるだけ時間を作って,このあたりでもう一度,東京裁判のことについて勉強してみる必要があると思われるが,いかがでありましょうか。

 

 このたび,「世界がさばく東京裁判-85人の外国人識者が語る連合国批判」(明成社,佐藤和男監修)という本を読み終えた。パウロじゃないけど,目からうろこが落ちた。心ある世界中の識者がその当時,あるいはその後に,東京裁判の欺瞞性を鋭く指弾していたのである。東京裁判を実行する極東国際軍事裁判法廷の設置は「極東国際軍事裁判所条例」に基づくというが,そのような条例は国際法上は全く存在根拠を欠くものである。また,「平和に対する罪」などはその当時付け焼き刃に作られたもので,事後法によって処罰されることを禁止する刑罰不遡及の原則に明らかに反している。また東京裁判で展開された不戦条約(ケロッグ-ブリアン条約)の法的解釈も無理がある。

 

 要するに,この東京裁判なるものは,GHQを中心とした勢力が,いわゆるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の一環として日本国民を二度と刃向かわせないようにするための「ロボトミー手術」のようなものだった。徹底的に自虐史観を植え付けるためのものだったのである。

 

 この本の中から,印象的な一節を引用して,今日のブログはおしまい,おしまい。

 

「・・・日本人に損害をうけて怒りにもえる偏見に満ちた連合国民の法廷で裁くのは、むしろ偽善的である。とにかく、戦争を国策の手段とした罪などは、戦後につくりだされたものであり、リンチ裁判用の事後法としか思えなかった。」(99~100頁,GHQ対敵情報部長エリオット・ソープ准将)
「この裁判は歴史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。[なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えば]日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えたに違いないと思うからである。」(79~80頁,GHQ参謀第二部部長C・A・ウィロビー将軍)
「被害を受けた国が、敵国国民にたいして刑事裁判権を行使することは、犯罪者側の国民からは、正義というよりはむしろ復讐であると考えられ、したがって将来の平和保障の最善策ではない、ということである。戦争犯罪人の処罰は、国際正義の行為であるべきものであって、復讐にたいする渇望を満たすものであってはならない。戦敗国だけが自己の国民を国際裁判所に引き渡して戦争犯罪にたいする処罰を受けさせなければならないというのは、国際正義の観念に合致しないものである。戦勝国もまた戦争法規に違反した自国の国民にたいする裁判権を独立公平な国際裁判所に進んで引き渡す用意があって然るべきである。」(76頁,カリフォルニア大学教授ハンス・ケルゼン)
「極東国際軍事裁判所は、裁判所の設立者から法を与えられたのであり、申立人の権利を国際法に基づいて審査できる自由かつ独立の裁判所ではなかった。それ故に、パール判事が述べたように、同裁判所は司法的な法廷ではなかった。それは、政治権力の道具に過ぎなかった。」(64~65頁,アメリカ連邦最高裁判所判事W・O・ダグラス)

2010/09/09

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 ブログを更新できない日というのは,たいていはすごく忙しい日か,あるいは二日酔いの日である。それはそれとして,どうやら秋らしくなってはきた。自宅の北側の部屋(最近家族からあまり弾かれる機会が少なくなって寂しそうにしているピアノのある部屋)の北側の窓から涼しい風が入るようになってきたからである。また,今朝の空には秋ならではの雲があった。

 

 良い本を読み終えた。「真珠湾の真実-ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・B・スティネット著,妹尾作太男監訳,荒井稔・丸田和美訳,文藝春秋)という本である。日本軍の真珠湾攻撃は全くの奇襲であり,アメリカ政府や軍にとっては不意打ちだったという説を根底から覆す内容の本である。実は当時のアメリカは,技術的,施設的に日本の無線通信を傍受することが可能で,かつ暗号を解読し,その内容を把握することも可能であったのであり,決して真珠湾攻撃はアメリカ政府や軍にとって不意打ちではなかったのである。ナチスドイツの攻撃にさらされている友邦イギリスを助け,ナチスによるホロコースト(ユダヤ人虐殺)を一刻も早く止めさせる必要があった。また,アメリカとしては中国を初めとするアジア地域での自国の権益を確保したいという思惑もあり,日本は邪魔な存在であって,日本に対するいわゆる「オレンジプラン」も策定していた。しかしその当時のアメリカは孤立主義をとっており,国民の大半は第二次世界大戦に参戦することに反対していた。

 

 しかしアメリカ政府,ルーズベルト大統領(彼はユダヤ系のいわゆるエージェントという説も有力である)としては,経済封鎖等によって日本を徹底的に追い詰め,日本の方から「第一撃」を加えさせればアメリカ国民の参戦意思も決定的になると考えた。従前からのオレンジプラン,海軍情報部極東課長であったアーサー・H・マッカラム海軍少佐作成にかかる「(日本に対する)戦争挑発行動八項目覚書」の実行,ABCD包囲網,大西洋憲章に込められたアメリカ参戦密約が着々と進められていったのである。要するに,歴史の真実は,経済封鎖により窮地に陥った日本に「第一撃」を加えさせて,参戦の大義を得たアメリカが太平洋側から参戦を果たすという構図である。「裏口からの参戦(backdoor to the war)」というやつである。

 

 では,真珠湾攻撃で犠牲になった軍や民間人の死をどのように説明するのか。ルーズベルトはそれも承知でやむを得ないと考えていたのか。それはそのように解さざるを得ない。少なくとも,真珠湾攻撃の前,日本軍による無線通信の傍受情報は,あろうことか太平洋艦隊司令長官であったハズバンド・E・キンメル大将や,陸軍ハワイ部隊司令官であったウォルター・ショート中将には提供されていなかったという異常な背景があったからである。真珠湾攻撃が決して不意打ちではなく,むしろアメリカ政府が日本を経済的に追い込み,挑発して「第一撃」をさせるように計画的にし向けていったのではないか,「真珠湾攻撃」を事前に十分に把握していたのではないかという疑念については,アメリカ国内において戦中も戦後も指摘されていた。本書は,アメリカの「情報の自由法」を活用して得られた膨大な量の通信傍受記録などの第一級の史料や,生存する当時の軍関係者からのインタビューなどに基づいて著述されており,相当の説得力をもっている。

 

 あのダクラス・マッカーサー将軍は,戦後にアメリカ議会において大東亜戦争は日本の防衛戦争であったと明確に証言している。歴史というものは,その認識の仕方によっては,自国に全く誇りが持てなくなったり,無力になったりして,国の精神的土台を揺るがしかねないものである。その意味では歴史の真実を知ることは大いに意味がある。最近やたらとマスコミで流行っている池上彰のような人間に教えてもらう「歴史」は全く取るに足らないのです(笑)。

2010/08/17

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 わが事務所の盆休みも終わり,仕事への復帰である。それにしてもこの暑さ,初老の身には大変こたえる。

 

 この夏の暑さにも閉口しているが,特にこの夏に暑苦しさと不快感を覚えるのは,いわゆる「菅談話」である。日韓併合100年を意識してのことであろう。時の首相が閣議決定を経て,その「歴史認識」を表明するのだと。菅直人という市民運動家や,この談話発表を裏で強引に推進した仙石由人という反日左翼は,一体全体,少なくとも1910年の日韓併合条約締結前後及びそれ以降の歴史を知っているのであろうか。知っていたのなら「その意に反して行われた植民地支配」などという表現はとても使えまい。

 

 首相として,しかも閣議決定を経て歴史認識に関する「談話」を発表するのであれば,歴史を正確に知っていることが前提とされなければならず,歴史を知らぬ者が「談話」など発表すべきではない。村山富市という人間にしてもしかり。要するに彼らには,歴史に名を残したい(私に言わせれば「汚名」だが)という功名心,あるいは,権力を利用して自己の私的な主義・主張を表明しておきたいというエゴしかない。

 

 日韓併合条約の締結に至るまでの歴史の真実を知るべきである。日本と韓国それぞれの賛成派と反対派の存在,李容九ら文明開化派の最大政治組織「一進会」による併合推進(「韓日合邦を要求する声明書」),李完用総理大臣をはじめとする過半の閣僚の推進・容認,日本政府の消極・逡巡,李総理の韓国皇帝への内奏とその了承,条約の成立という一連の流れがあり,日韓併合条約は国際法上も有効であり,諸外国もむしろこれを歓迎する向きが多かったのである。談話では,なぜか「意に反して」となってしまう。

 

 また,「植民地支配」という表現も,史実からすれば全く当を得ていない。イギリスがインドやビルマで,またフランスがインドシナで,さらにオランダがスマトラなどで,またアメリカがフィリピンで行っていたような植民地政策とは質的に全く違う。それら真実の歴史を学ぶには様々な好文献があるが,最近出版された「朝日新聞が報道した『日韓併合』の真実-韓国が主張する『七奪』は日本の『七恩』だった」(水間政憲著,徳間書店)というのも大変参考になる。歴史を単にイメージでしか捉えていない人たちは,特にこの本などを読んでみるべきであろう。

 

 いずれにしても,繰り返し述べるが,首相として,しかも閣議決定を経て歴史認識に関する「談話」を発表するのであれば,歴史を正確に知っていることが前提とされなければならず,歴史を知らぬ者が「談話」など発表すべきではないのである。

2010/08/10

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 昨日のブログでも書いたが,真夏の連続ゴルフに疲れ果てて日曜日は寝たきりになっていた。最近ではあまりテレビを見ることは少なくなったが,日曜日に日本テレビ系列で放送される「たかじんのそこまで言って委員会」という番組は楽しみにしている。取り上げられるテーマは比較的興味深いものが多く,かつ勉強にもなるし,時には出演者が普段の僕の意見を代弁してくれるところがあってすっきりすることも多い。

 

 本当にくだらない企画の多い,しかもくだらない出演者の多い番組の中で,「たかじんのそこまで言って委員会」という番組は好きである。ある意味では,反日マスコミが嫌がるテーマ,意見がどんどん取り上げられ,本音で語られる特異な番組である。こういう番組が特異であるということが嘆かわしい。

 

 寝たきりになっていた先日の日曜日には,この番組の最初の方で日本の近現代の歴史認識に関するテーマなどが取り上げられた。文学者・評論家の西尾幹二さん,歴史学者の所功さん,政治評論家の三宅久之さんらが,それぞれの歴史認識,識見に基づいて比較的深い議論をマナーよく行っていた。歴史をよく勉強していなければできないような議論だった。いわゆる「東京裁判史観」に歪められていない歴史に対する正確な理解と認識は必要不可欠である。

 

 それにしてもこれらの出演者の方々と対極をなしていたのが田嶋陽子という人だ。哀れにもこの人は歴史を深く理解,勉強していないために,さきほど挙げた方々の議論には参加することができず,ヤジまがいの茶々を入れたり,あとは高音域の声でヒステリックに説得力の全くないことをまくし立てるのみである。同じ出演者の中でも歴史に対する理解の深さの違いが如実に出た時間帯であった。あとは,この番組は好きなのだが,辛坊治郎という司会者はでしゃばり過ぎであり,出演者に対する敬意,礼節を欠くことが多く,好感がもてない。

 

 この日は晩酌はしないと心に決めていた。しかし,そのままテレビを見ていたら,竹内結子という女優さんが冷たくしたグラスにビールを注ぎ込み,美味しそうに飲むコマーシャルを目の当たりにしてしまった。よほどの下戸でない限り,こういうコマーシャルを見せられてビールを飲みたいと思わない男性は皆無であろう。つくづく罪作りなコマーシャルではある。その晩は結局はビールで晩酌と相成った。

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