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弁護士ブログ

2013/08/07

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 いや,別にワーグナーと新選組との間に何か深いつながりがあるという訳ではありません。職業的には完全に畑違いですからね(笑)。新選組が京都守護職の松平容保の会津藩お預りとなり,短い間ではありましたが颯爽と京の町を駆け抜け,戊辰戦争を戦っていた同じころに,ワーグナーも楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を完成したり,指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻であったコジマ(リストの娘)と不倫の上,結婚をしていた時期なのです。

 

 何でワーグナーと新選組が思いついたのかといいますと,要するにいずれも今年(2013年)が一つの節目だからです。ワーグナーは1813年生まれですから生誕200年,新選組がこの世に誕生したのが1863年(文久3年)ですから生誕(?)150年なんでありますよ(笑)。要するに,新選組が京の町で誕生した時,ワーグナーは働き盛りの50歳だったという訳です。

 

 先日,仕事上自分の車で移動していた際,ラジオからワーグナーの「タンホイザー序曲」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲」が流れていました。ワーグナーの曲には独特の魅力がありますね。士気を鼓舞する要素もあります。ラジオから流れるこれらの曲は,録音状態がそれほど良くはなく,少し懐かしい昭和の香りがする音,演奏でしたが,やはりカール・ベーム指揮でした。いかにも正統派の指揮ぶりで誠に素晴らしい。

 

 さて,私は少なからず新選組に興味があり,このブログでもいくつか書きました。ブログ内検索で「新選組」と入れてご参照いただければ幸いです(笑)。今日は新選組の最後の局長(隊長)となった相馬主計のことに触れてみたいと思います。最後の局長(隊長)といっても,相馬主計がこの立場についたのが明治2年(1869年)5月14日であり,その4日後の18日には函館で戊辰戦争が終結しておりますので,局長(隊長)になったとはいっても,戦の差配をしたということもなく,実際には新政府軍に対する敗戦処理,抗戦責任をとるべき立場であったということになりましょう。

 

 この相馬主計は,戊辰戦争終結後は抗戦責任者の一人として,榎本武揚や大鳥圭介らとともに投獄され,明治3年10月には伊豆諸島の新島への終身流罪の判決が下されます。新島での流人生活を送っているうちに,島民の植村マツと結婚し,その後明治5年10月に赦免されると妻マツとともに東京の蔵前で暮らし始めます。既に赦免されていた榎本武揚からは新政府に出仕するように勧められましたが,相馬はこれを断り,ある日,妻のマツには何事が起きても「他言無用」と言い残し,妻の留守中に割腹自殺を遂げておりました。妻マツは夫の言葉をずっと守り続けたため,相馬主計がなぜそのような行動をとったのかは謎につつまれたままです。

 

 相馬は,新政府から赦免されたとはいえ,最後の新選組局長(隊長)としてのけじめというものを考え,悩み抜いていたに違いありません。会津,仙台,桑名など戊辰戦争で新政府軍に抵抗した藩では,抗戦責任者は切腹を命じられています。終戦直前に就任したとはいえ,新選組の最後の局長である自分だけがおめおめと生き続けることが許されるのかと考えた時,相馬は自分の腹に刃を突き立てたのでしょう(別冊歴史読本「新選組大全史・新選組クロニクル通史篇」115頁,新人物往来社)。相馬主計の出自も武士で,常陸の国,笠間藩士の子だったのです。

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