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弁護士ブログ

2011/05/09

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 私が井上井月の存在を初めて知ったのは,種田山頭火に関する著作を通じてでした。山頭火は生前,井月に私淑し,心から敬慕していたようで,落栗が座を定めたように井月が落ち着いた長野県伊那を二度にわたって訪れ,二度目でようやく井月の墓参りを果たしたということです。

 

 井月という漂泊の俳人は,正に知る人ぞ知る存在で,その俳句史上の位置づけは,中井三好氏の次の言葉で尽くされていると思います。「井月が越後の長岡藩校で学んだ漢学、京の貞門俳諧で学んだ国学、副詞『な』などの確かな『てにをは』の活用、さらに全国津々浦々で見聞したもの等の博覧強記が素養となって、漂泊のうちに宿ったものが芭蕉の寂びの俳諧理念と結びついて、井月の『かるみ』の風体が成就していったのである。・・・芭蕉俳諧の中興と云われた与謝蕪村が天明三年(一七八三)に没してから、明治の正岡子規が俳句の写生論を唱えるまでのおよそ百二十年間は、俳諧は堕落の一途をたどり、俳諧に人なしと云われているのであるが、俳諧の歴史の流れは蕪村と子規の間に、見事に井月という芭蕉の姿を追った立派な俳人を配していたのである。」(中井三好著,「井上井月研究」162~163頁,彩流社)。

 

 それにしても井月の句に接するにつけ,本当に素晴らしいと思います。またその人となりについては,「あの人に限って、いつも顔色を変えたことがない、あゝいふのを聖人といふのでせう」(加納五声の老未亡人)とも評されています。このような井月が愛した伊那の自然と句碑を是非訪ねてみたいと思い,私は「ソースカツ丼」をだしにしてカミさんと娘のあかねちゃんとを連れ出してこの連休中に小旅行をしたのです(笑)。

 

 ところで,山頭火の句は自由律であり,井月のそれは定型句です。また,自分の置かれた状況,境涯といいますか,それに対する心情を吐露した句を境涯句というならば,山頭火は境涯句が比較的多いのに比べ,井月の境涯句は数えるほどです。この両者のことに関連し,江宮隆之氏は次のように述べております。

 

 「だが、井月と山頭火はその人生、世への執着、すべてにおいて異なる。山頭火が憧れた井月が、もし同時代に山頭火を見ていたら、親しくしただろうか、の疑問は残る。山頭火は、自己に執着して生き、世の中を否定しようとして生きた。井月は、反対にあるがままを受け入れて、飄々と生きた。『千両、千両』の声に井月の伊那谷での人生のすべてが籠められている。井月は、野晒しを承知のうえで伊那谷を放浪した。」(江宮隆之著,「井上井月伝説」303~304頁,河出書房新社)。

 

 まあ,いろいろな評価があるかもしれませんが,山頭火の句も私の心にしみ入るものが多くありますし,井月という存在とその俳句を知ることができたのもこれまた幸せだったと思います。

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