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弁護士ブログ

2010/05/31

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 自分の年のせいなのか,それともなにがしかの僅かばかりの知的集積がさらなる知的好奇心を醸成したのかは分からないが,日本の古来からの文化に対する憧れが高まっている。万葉集というのは,小学生でも知っている存在だと思うが,実は僕はこの年になるまで万葉集に関する書籍を読んだことがなかった。

 

 そこで何か手始めに良い本はないかと思っていたところ,「万葉の花」(片岡寧豊著,青幻舎)という本に出会った。この本は,春夏秋冬,万葉集の歌の中に出てくる四季折々の花を季節別に取り上げ,写真入りで解説し,その花ごとに必ず一つの歌を取り上げている。例えば春の花のアセビについて述べると,分類上はツツジ科で,万葉名はあしび。植物の分類やその特性,外観に言及され,写真で実際にその姿を見ることができるし,花の名前の語源まで解説されている。アセビに関する歌の一つとして次のような歌が紹介され,訳(大意)まで記されている(10頁)。

 

 「磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに」
  (大伯皇女(おほくのひめみこ),巻二-一六六)

 

 「岩のほとりに生えているアセビを手折りたいけれど,それを見せるべきあなたがこの世にいるわけではないのに」(大意)

 

 この本は,万葉集の時代の生活振り,その歌が詠まれた背景などについても解説されているし,その一方で植物図鑑のようでもある。万葉集の世界にさらに興味をもった。万葉集というのは7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた,日本に現存する最古の和歌集で,その成立は759年以降のようである。それにしても思うのは,日本人というのは,自然を愛で慈しみ,花などの有り様を見て四季の移り変わりを感じ,自然に触れてはその都度心を動かされる繊細で優しい,内省的な民族性を有しているということである。

2010/05/28

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 どんよりとしたねずみ色の空が拡がり,より濃いねずみ色の雲があちこちにたれ込めている。辺り一面は荒涼たる荒野で,いたる所に塹壕のようなものが掘られている。寒風が吹きすさび,肌を刺す。塹壕のような所では,十数名の人間がいずれも自分の寝具をもって寝支度を始めている。男性は何故か僕だけで,あとは比較的高齢の女性がほとんどである。各自の手持ちの寝具の量には差があり,それだけでは寒さが凌げそうもないような寝具しか持ち合わせていない人もいれば,けっこう豊富に寝具を持っている人もいる。あちこちで寝具を貸し借りする情景がある。僕の場合は,敷き布団と掛け布団と薄い毛布があるため,何とか自分の寝具だけで寒さは凌げる。寒風が吹きすさぶ中,塹壕みたいな所に自分の布団を敷いて寝に入ったが,なかなか寝付かれない。やはり少し寒い・・・。

 

 こういうシーンで目が覚めた。夢を見ていたのだ。目が覚めた時の自分の格好は,いつもは着ているパジャマがなく,下着姿で,しかも布団も掛けられていなかった。寒さで目が覚めたのだ。晩酌のほろ酔い加減でお風呂に入り,今日は少し暑いななどと思いながらパジャマも着ず,お気に入りの本を読んでいるうちに寝入ってしまったらしく,やはり夜中に寒さで目が覚めたのだ。その時は風邪をひきそうな寒さだった。

 

 睡眠中の身体の外的条件が夢の内容を規定したり,夢の内容に影響を与えたりすることははやりあるのだと思う。確か高校時代にフロイトの夢判断に関する本を読んだ時に,そんなことが書いてあった。そこで挙げられていた例としては,確か,ある男性がその手をベッドの木枠か何かに挟んだまま寝ていたら,その人は自分の手を怪我した夢を見ていたというものだったと思う。

 

 それにしても,僕が見た奇妙な夢。自分の身が寒かったから,荒涼たる荒野で布団を敷いて寝ているという情景なのは分かるが,何故僕のまわりは高齢の女性ばかりだったのだろうか(爆笑)。                

2010/05/27

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 いつも見ていた訳ではないけれど,僕がまだ少年だったころに,「ロンパールーム」という幼児向け番組がやっていた。「鏡よ鏡よ鏡さん・・・」というやつである。その番組では,良い子のにこちゃんと,悪い子のこまったちゃんが登場していた。社民党の福島みずほという党首は,本当にこまったちゃんである。この人や社民党こそ,つける薬がないと思う(もっとも民主党もだけど)。「ロンパールーム」のこまったちゃんは割と可愛いけれど,この党首の場合はそのビジュアル面にその思想,行動をダブらせるとすごく醜悪に見えてしまう。思わずチャンネルを変えてしまいたい衝動に駆られるのである。実際には「また何をバカなことを言っているのだろう。」と思いながらその発言を聞いたあとに変えるのであるが・・・。

 

 この人は,米軍海兵隊普天間基地移設問題に関し,重みをもつ日米共同声明が基本的に現行案(辺野古沖)を前提にし,またその移転先を明記することなどに強烈に反対し,最近では仮に政府方針の中には移転先が明記されなくても,日米共同声明に移転先が明記されることとの関係ではダブルスタンダードだとして,閣議決定に反対,署名拒否をする旨を明確に表明した。あげくに,本来所管すべき仕事もそっちのけで単独で沖縄を訪問したり,テニアンの関係者と会談したりしている。完全に閣内不一致なのではないのか。鳩山首相はなぜこの閣僚を罷免しないのか。昨年末に連立維持を重視して政府案決定を先送りし,同盟の相手国の信頼を喪失してしまった愚を繰り返そうとしている。

 

 社民党というのは,衆議院議員定数480名のうちの僅か7名,参議院議員定数242名のうちの僅か5名という政党である。議席の占有率からすれば僅か1.66パーセントに過ぎない。この政党の党首が「国民,国民」と言ってあたかも国民の意思を代弁しているかのように述べているが,いったいどれほどの支持を得ていると認識しているのであろうか。この党首は,社会主義インターナショナル副議長であるし,少子化対策の担当大臣であるにもかかわらず,家族制度そのものに反対し,「産まない選択 子供を持たない楽しさ」なる本まで出している(笑)。こんな人がこともあろうに少子化対策の担当大臣に任命されているとは,笑えないブラック・ジョークであり,やはり鳩山首相というのは尋常ではない。結局はこの人のことに行き着くのだから,ぐるぐる回っており,ルーピーの状態である。

 

 再び社民党であるが,この政党と党首は政権内や同盟の相手方をさんざん引っかき回して,さんざん困惑させることによって「存在感」を示そうとしているのだろう。極めてネガティブな存在感しか示すことができていない。こんなことを続けている社民党という政党の党勢がこれからどうなるのか,今度の参議院議員選挙がとても楽しみである。

2010/05/25

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 誠にありがたいことに,最近では体重が減って,だんだんと憧れの小顔になっていきつつある。確かに,最近では食べる物にも気をつけるようにしているし,自宅での晩酌の回数もできるだけ減らすようにしてきた。知人から誘われるままに「夜のパトロール」と称して繁華街に繰り出す機会も少なくしようとしてきた。そんな訳でここ約1か月の間に見事に3キロほど体重が減り,憧れの小顔を手に入れようとしている。

 

 僕がなぜ小顔に憧れるかというと,端的に言えば,見た目として毛髪量とのバランスがとれるということである。人の顔の真ん中辺りに横線を引いて上下に二等分すると,ほっぺた付近の領域と,毛髪の領域に区分することができる。老化のせいか,最近では毛髪量も減ってきているという由々しき事態となっているが,ほっぺた付近がブクブク太っていると,プロポーションというかバランス的に毛髪部分が相対的にさらに小さく見えてしまう。逆に,ほっぺた付近がほっそりし,小顔になってくると,相対的に人をして毛髪量がそこそこあるかのような錯覚に陥れることができる。小顔のメリットはこういうところにもある。ただこれはあくまでも目くらましに過ぎず,ちゃんとできるだけの努力をして毛量を維持し,脱毛の進行を少しでも遅らせる必要があることは自覚している。

 

 錯覚ついでに言うと,社民党という政党は徹頭徹尾錯覚に陥っている政党であるか,あるいはダダをこねることが唯一の綱領であるかのような政党であると思う。米軍海兵隊普天間基地移設問題では,やれグアムだ,やれテニアンだなどとほざいては,関係者は勿論,同盟国を困惑させてもてんとして恥じない。憲法9条・非武装中立ということのみのシングル・イシュー(単一争点)政党である。現行案に近い案など断固飲めないというのであれば,そして閣議決定に署名したくないのであれば,なぜ潔く与党連立から離脱しないのであろうか。明らかに閣内不一致である。政権内にとどまってギャーギャー言っていた方が存在感が高まるとでも思っているのであろうか。私は福島みずほという党首がテレビ画面に出るたびに眉をひそめてしまう(顰蹙というやつ)。明らかに国益に反している。社民党というのは絶滅危惧種とも言われていた。私はトキのことは心からその絶滅を心配しているが,社民党のことなどは・・・。

2010/05/24

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 何も,うちのカミさんとの婚姻関係が破綻したのではない。破綻したのは,名古屋グランパスの特に守備である。ワールドカップによるJリーグ中断前の第12節の鹿島アントラーズ戦はホームであったにもかかわらず,グランパスは1-4の惨敗であった。ある程度予想してはいたが,これほどまで試合内容が酷く,守備が破綻しているとは・・・。さらに,土曜日のヤマザキナビスコカップ予選の大宮アルディージャ戦ではやはり1-3の惨敗で,わずか7分の間に3失点してしまっている。正に破綻という表現がピッタリである。

 

 もうくどいように素人の僕が指摘してきたように,中盤が全く機能しておらず,選手自身が言うように「(中盤が)スカスカ」なのである。もっと高いラインからプレスをかけ,相手のやりたいことを封じなければダメだと思う。ストイコビッチ監督は,最近では一つ覚えのように,終盤にはDFの闘莉王らを前線に上げてストライカーみたいなまねをさせ,前掛かりになったところでカウンターを食らっている。本当のところは,闘莉王だってそんなまねはしたくないはずだ。そんなまねをしなくてもいいような状態にしなきゃ。監督としてチームをあずかってもう相当期間が経過しているのだから,個人技に頼るだけじゃなく,ちゃんと中盤を支配し,相手ディフェンダーをひやひやさせるような有機的な攻撃ができるような共通戦術,共通理解を早いとこ確立せんかい!(怒)。リーグ戦再開までの2か月弱の期間内に,どこまで修正できるかがポイントだが,実は僕は残念ながらもうあまり期待してはいない。

 

 破綻といえば,僕のゴルフもいったんは破綻しかけた。でも,土曜日のラウンドではまたまた復調の兆しが見えたのである。スコア的には決して良くはなかったのだが,自分だけに分かる何かを得たのである(笑)。だったらちゃんと結果を出せよってか?・・・出すよっ(笑)。

2010/05/21

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 またまたくどいようであるが,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本の続きである。このお話は今日で終わり(笑)。昨日僕は,著者の若泉敬は無私な愛国者だったのだろうなという正直な感想を述べた。その具体的な理由については,本書を読めばその内容で十分に分かると思う。また,若泉敬は,京都産業大学に招聘されて長年にわたって教鞭をとり,国際政治学者として活躍したのだが,平成4年に同大学を退職した際に支給された退職金全額を,同大学の世界問題研究所に寄付している。一部の官僚が天下りを重ねて「渡り」をし,その退職の都度数千万円もの退職金を手にしているのとは雲泥の差である。また若泉敬は,初出の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の発刊に当たり,著作権使用料にあたる額を「沖縄戦で犠牲となられた関係者の方方の鎮魂と,ご遺族のために,ささやかなりともお役に立てたい」と希望し,出版元の文藝春秋は同氏の意志を尊重して,その手続をとったということである。

 

 この本の末尾の「新装版に寄せて」という一文を書いた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏の話(同書631頁)やその他の情報によれば,結局,若泉敬は,この本を出した2年後に,毒杯をあおって自裁(自殺)し,この世を去った。この本は自分の死を視野に収めて書き継がれ,彼は,国家機密を公にした結果責任をとって,本書の刊行後に沖縄の鎮魂碑前で命を絶つ覚悟だったようだ。最終的には本書発刊の2年後である平成8年に彼はこの覚悟を現実のものにしたのである。

 

 本書においては,若泉敬は随所に説得力のある文献,文章の引用をしているが,現在の日本及び日本人が置かれている状況,いわば退廃的な状況について,若泉敬もそれを痛感し,僕も胸を打たれた文章があった。正にそのとおりだという文章が・・・。それは論客福田恆存氏の次のような主張,文章である(本書565頁,旧字は訂正してある。)。

 

 「今日、社会党も共産党も安保条約を目の敵にしておりますが、その様子を見ていると、いくら目の敵にしても安保体制はついに叩き割れぬ『硬い胡桃』だと思い込んでいるらしい。が、もしそうなら反安保闘争そのものが無意味だということになります。だが、私には安保体制はそれほど『硬い胡桃』だとは思えません。それが『硬い胡桃』だという前提には、アメリカがアメリカのために日本を軍事的に離さないだろうという独り合点、あるいは思い上りがあるからでしょうが、実際にそうでしょうか。軍事的にアメリカが日本を必要とする度合と日本がアメリカを必要とする度合と、その両者を比較した時、私は後者の方がはるかに大であると思います。もしそうなら、日本が本気で掛かれば安保体制はいずれは解消できましょう。しかも、それに代る軍事同盟が結ばれないとすれば、日本政府にとって最も恐るべき敵はアメリカだということになる。そういうことも考慮に入れながら反安保闘争をやっていただきたいものですが、私の見るかぎりでは、アメリカとの安保体制、あるいは軍事同盟がなくともアメリカは日本に友好的であらざるを得ないという心理が一般に働いているように思われます。戦後25年、アメリカの御厄介になってきたお蔭でしょうが、そうなると反米闘争もアメリカの傘の下で安心して行われているのかと言いたくなります。軍事的、政治的独立よりも、精神的独立の方が急務である所以です」

 

 鳩山首相さん,平和ボケ・思考停止・反日左翼のジャーナリストさん,同じくコメンテーターさん,精神的独立の方が急務なのではないでしょうか(笑)。

2010/05/20

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 さて,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本の続きである。この本は600ページを超えており,内容だけでなく分量的にも相当に読みごたえがあった。そして,読み終えてつくづく思うのは,著者の若泉敬は無私な愛国者だったのだろうなという正直な感想である。

 

 当時の佐藤栄作首相の意向を受け,タフ・ネゴシエーターのキッシンジャー大統領補佐官を相手に,日本の国益のためにギリギリの交渉を行った。その結果としての悲願の沖縄返還の達成と,有事の際の核持ち込みの密約の存在があった。彼がこの本を出そうとした動機は究極的には真実を書き遺すということだろうと思うが,この本の末尾の「新装版に寄せて」という一文を書いた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏の指摘のとおり,「いまこそ密約のすべてを明らかにし,主権国家が持つべき矜持を忘れ果てた日本に覚醒を促したい」という側面があったのではないかと思う。このことは,本書中の次のような文章からも窺える(616頁)。

 

 「このような試煉に立つ歴史の一大変容期に直面している今日、経済的には自他ともに認める〝大国〟と成り上った日本および日本人は、果たして〝日本の理念〟を普遍的な言葉と気概をもって世界に提示できるのであろうか。より根源的には、いかなる価値観を拠り所に波風荒い大洋への〝海図なき航海〟に乗り出さんとしているのであろうか。ここで敢えて私の一片の赤心を吐露させて頂くならば、敗戦後半世紀の日本は「戦後復興」の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果、変わることなき鎖国心理の中でいわば〝愚者の楽園〟と化し、精神的、道義的、文化的に〝根無し草〟に堕してしまったのではないだろうか。もしもそうだとするならば、このような〝悲しむべき零落〟から再起し、国際社会での生存要件たるそれ相応の信頼と尊敬を受けるために、今の日本と日本人に求められている内なる核心的課題とは一体何なのであろうか。一言にして言うならば、それは、ホイットマンの魂の琴線を揺さぶり、〝世界的日本人〟新渡戸が一世紀近く前に訴えた、あの〝真の武士道〟の伝統に深く念いをいたし、それを明日の行動の指針とすることではないだろうか。そこには、衣食足って礼節を知り、義、勇、仁、誠、忠、名誉、克己といった普遍的な徳目が時空を超えて静かな輝きを放ち続けている。その不滅の光芒の中に、私は、戦陣に散り戦火に斃れた尊い犠牲者たちが、彼らの祖国とその未来を担う同胞に希って止まない「再独立の完成」と「自由自尊の顕現」を観るのである。」

 (さらに続く)

2010/05/19

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 このブログでも一,二度紹介したことがあったが,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本は,相当に読みごたえがあった。外交,安全保障の在り方について本当に考えさせられたのである。

 

 この本の初出は,平成6年5月であるが,僕が読んだのはこの本の新装版で昨年10月に出版されたものである。この本の内容は,そのサブタイトルに「核密約の真実」とあるように,著者の若泉敬が沖縄返還交渉において佐藤栄作首相の特使として重要な役割を果たした際の,ホットラインでの行き詰まる交渉経過,核密約の内容と存在等についての真相を語ったものである。

 

 さる5月15日は,沖縄が本土復帰を果たして38年目の記念日であった。戦後,沖縄の本土復帰は民族的な悲願であったし,これに臨む佐藤栄作首相は不退転の決意であり,この民族的悲願達成のために沖縄返還交渉では苦悩を重ね,日本の外務省,アメリカの国務省のという正規ルートとは別に,若泉敬という特使を派遣して,時の大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーひいてはニクソン大統領と行き詰まる交渉を重ねていた。有事の際の核持ち込みの密約は,沖縄返還達成のための超法規的なやむを得ぬ措置であった。

 

 それにしても,本来の外交というのは,このようにホットラインで,日本のスタッフ(首相,外相,防衛省,官房長官ら)も一枚岩で,基本的には相手国との信頼関係を維持しながら時には懐疑をはさみながら,タフな交渉をしつつ自国の国益を守っていく尊い作業だということを痛感した。しかもその実効的な手法は,時には特使を介した首脳同士の膝詰め談判という形式であるべきこともある。現在日本においては,民主党政権という得体の知れない存在がうごめいており,岡田外相は核密約の存在を暴いて鬼の首を取ったようにしている。笑止である。そのようなものの存在はとうに公然の秘密となっていた。これを暴くこと自体に何の意味があるのだろうか。暴いた後,これをどうしようというのか。鳩山首相をはじめ,彼らに求められていることは,相手国から交渉の当事者としての適格性を認めてもらうことだ。現在の状況は,相手国(アメリカ)は,誰を交渉相手に,誰を信頼してよいのか皆目分からないという(笑),深刻で信じられない事態になっており,アメリカは心底あきれかえっていると思われる。それもそのはず,米軍海兵隊普天間基地移設問題について,民主党政権発足後は,首相の言っていることと外相の言っていることと防衛相の言っていることとが全く違っていた時期が長かったし,アメリカとしては困惑するしかなかった。当然である。鳩山首相は,韓流スターを公邸に招いて食事したり,首を前後させてハトのまねをしているようなヒマがあるのだったら,この「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という本でも読んで外交や安全保障の在り方の勉強するとよい(続く)。

2010/05/18

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 僕が初めて将棋を覚えたのは,中学2年生か3年生の頃だったと思う。クラスメートや近所の友人とやっているうちに,だんだんと没頭するようになってしまった。こんな面白いゲームがあったのかと・・・。高校に入ると,将棋熱がますますエスカレートし,勉強もそこそこに,「将棋世界」や「近代将棋」などといった雑誌を買ってきては,プロ棋士の棋譜を並べたりしていた。

 

 僕の将棋熱のピークは高校時代であり,その頃は多くのプロ棋士に憧れ,毎週日曜日に放送されていたNHK杯戦は何があっても絶対観ていたし,テレビの前に盤を置いて棋譜読み上げの声に合わせて駒を並べていたものだ。その当時活躍していたプロ棋士の中でもとりわけ好きだったのは加藤一二三元名人である。18歳でA級八段に上り,20歳で名人戦挑戦権を得たように,加藤元名人は「神武以来の天才」と言われた。その後も将棋界で活躍し,名人をはじめタイトルも獲得した。才能の割りにタイトル獲得数に恵まれなかったのは,全盛期をむかえていた大山康晴第15世名人という巨人の存在があったからとも言われている。僕としては,いろんなプロ棋士に憧れたが,その独特のしぐさや「伝説」もあって,加藤元名人を特に応援していたのである。

 

 その加藤元名人が,先日,自宅敷地内での野良猫への餌やりの問題で地域住民から提訴され,餌やりの差し止めと,約200万円の慰謝料支払を命じられたそうだ。誠に残念なことである。加藤元名人としては,野良猫の命をつなぐために信念として餌やりを続けていたのであろうが,やはり社会人でもあるのだから,自重すべきであろう。将棋でいえば,無理筋なのである。特定行為の差し止めが認められたり,慰謝料支払を命じられるということは,やはり客観的には近隣住民の受忍限度を超えていたと裁判所も判断したからに他ならない。もちろん控訴審の判断を仰ぐのはかまわないが,加藤元名人は,差し止められたのはあくまでも敷地内での餌やりだからという論法で,敷地外で今後も餌やりを継続するようなことをコメントしている。僕としてもずっと応援していた一ファンとして憂慮している。それは「悪手」ではないかと・・・。

2010/05/17

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 土曜日はカミさんと一緒に名古屋の御園座で歌舞伎を観た。ありがたいことに顧問先の社長さんが,いつもこの季節に1等席のチケットを2枚くださるのである。おかげさまで今回も十分に楽しませていただいた。

 

 この日は市川段四郎,市川亀治郎などの舞台であった。前から7列目でしかも花道に近く,迫力もあった。話の筋が泣かせるもので,何よりも市川亀治郎などの演技が誠に素晴らしく,両眼から溢れる涙が頬を洗うのにまかせていた。恥ずかしながら,冗談や誇張ではなく,3つくらいのシーンでそれぞれ涙が二筋くらいずつ流れたのである。こういう時は,慌ててハンカチなどで拭いたりせず,とりあえずはそのままにしておき,しばらくしてほとぼりが冷めてからそっと指で涙をぬぐうのが一番よい。経験上,そうすれば泣いてしまったことを悟られずに済むことが多いのである。

 

 それにしてもプロの技は凄い。また古典芸能の素晴らしいこと。亀治郎は女形であるが,身のこなしや体型が美しく,いかにも節制していなければあれだけの体型を維持していくことはできないであろう。僕は実はこれまでは,チケットをいただいた時しか歌舞伎を観に行くことはなかったが,これからは当然身銭を切ってでもこの歌舞伎という古典芸能の世界にはまってしまいそうである。

 

 この日の観客の中にも,泣かせる場面ではあちこちでハンカチを目に当てたりするご婦人がいたり,鼻をすする音も聞こえた。義理や人情,人間としての誇り,正義を渇望している人が多いのではないだろうか。そしてそういう文明の一端に触れるために,歌舞伎という世界に一時的に身を寄せているかのようである。「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社)という本にも紹介されているように,確かにこの日本には近代以前にこの世でも特異な素晴らしい文明が確実に存在していたのである。礼節,秩序正しさ,優しさ,質素,自然の豊かさ,義理人情,互いに気持ちよく生活していくための工夫などが支配していた文明である。

 

 歌舞伎の演目の中にはそういう文明の一端に触れられるものが多い。しかも毎回思うのだが,歌舞伎の観客は老若男女さまざまで,層が厚いようである。いずれにしても,歌舞伎は当分の間マイブームになりそうな予感がする。

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