
万葉集
自分の年のせいなのか,それともなにがしかの僅かばかりの知的集積がさらなる知的好奇心を醸成したのかは分からないが,日本の古来からの文化に対する憧れが高まっている。万葉集というのは,小学生でも知っている存在だと思うが,実は僕はこの年になるまで万葉集に関する書籍を読んだことがなかった。
そこで何か手始めに良い本はないかと思っていたところ,「万葉の花」(片岡寧豊著,青幻舎)という本に出会った。この本は,春夏秋冬,万葉集の歌の中に出てくる四季折々の花を季節別に取り上げ,写真入りで解説し,その花ごとに必ず一つの歌を取り上げている。例えば春の花のアセビについて述べると,分類上はツツジ科で,万葉名はあしび。植物の分類やその特性,外観に言及され,写真で実際にその姿を見ることができるし,花の名前の語源まで解説されている。アセビに関する歌の一つとして次のような歌が紹介され,訳(大意)まで記されている(10頁)。
「磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに」
(大伯皇女(おほくのひめみこ),巻二-一六六)
「岩のほとりに生えているアセビを手折りたいけれど,それを見せるべきあなたがこの世にいるわけではないのに」(大意)
この本は,万葉集の時代の生活振り,その歌が詠まれた背景などについても解説されているし,その一方で植物図鑑のようでもある。万葉集の世界にさらに興味をもった。万葉集というのは7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた,日本に現存する最古の和歌集で,その成立は759年以降のようである。それにしても思うのは,日本人というのは,自然を愛で慈しみ,花などの有り様を見て四季の移り変わりを感じ,自然に触れてはその都度心を動かされる繊細で優しい,内省的な民族性を有しているということである。
変な夢の意味は
どんよりとしたねずみ色の空が拡がり,より濃いねずみ色の雲があちこちにたれ込めている。辺り一面は荒涼たる荒野で,いたる所に塹壕のようなものが掘られている。寒風が吹きすさび,肌を刺す。塹壕のような所では,十数名の人間がいずれも自分の寝具をもって寝支度を始めている。男性は何故か僕だけで,あとは比較的高齢の女性がほとんどである。各自の手持ちの寝具の量には差があり,それだけでは寒さが凌げそうもないような寝具しか持ち合わせていない人もいれば,けっこう豊富に寝具を持っている人もいる。あちこちで寝具を貸し借りする情景がある。僕の場合は,敷き布団と掛け布団と薄い毛布があるため,何とか自分の寝具だけで寒さは凌げる。寒風が吹きすさぶ中,塹壕みたいな所に自分の布団を敷いて寝に入ったが,なかなか寝付かれない。やはり少し寒い・・・。
こういうシーンで目が覚めた。夢を見ていたのだ。目が覚めた時の自分の格好は,いつもは着ているパジャマがなく,下着姿で,しかも布団も掛けられていなかった。寒さで目が覚めたのだ。晩酌のほろ酔い加減でお風呂に入り,今日は少し暑いななどと思いながらパジャマも着ず,お気に入りの本を読んでいるうちに寝入ってしまったらしく,やはり夜中に寒さで目が覚めたのだ。その時は風邪をひきそうな寒さだった。
睡眠中の身体の外的条件が夢の内容を規定したり,夢の内容に影響を与えたりすることははやりあるのだと思う。確か高校時代にフロイトの夢判断に関する本を読んだ時に,そんなことが書いてあった。そこで挙げられていた例としては,確か,ある男性がその手をベッドの木枠か何かに挟んだまま寝ていたら,その人は自分の手を怪我した夢を見ていたというものだったと思う。
それにしても,僕が見た奇妙な夢。自分の身が寒かったから,荒涼たる荒野で布団を敷いて寝ているという情景なのは分かるが,何故僕のまわりは高齢の女性ばかりだったのだろうか(爆笑)。
こまったちゃん
いつも見ていた訳ではないけれど,僕がまだ少年だったころに,「ロンパールーム」という幼児向け番組がやっていた。「鏡よ鏡よ鏡さん・・・」というやつである。その番組では,良い子のにこちゃんと,悪い子のこまったちゃんが登場していた。社民党の福島みずほという党首は,本当にこまったちゃんである。この人や社民党こそ,つける薬がないと思う(もっとも民主党もだけど)。「ロンパールーム」のこまったちゃんは割と可愛いけれど,この党首の場合はそのビジュアル面にその思想,行動をダブらせるとすごく醜悪に見えてしまう。思わずチャンネルを変えてしまいたい衝動に駆られるのである。実際には「また何をバカなことを言っているのだろう。」と思いながらその発言を聞いたあとに変えるのであるが・・・。
この人は,米軍海兵隊普天間基地移設問題に関し,重みをもつ日米共同声明が基本的に現行案(辺野古沖)を前提にし,またその移転先を明記することなどに強烈に反対し,最近では仮に政府方針の中には移転先が明記されなくても,日米共同声明に移転先が明記されることとの関係ではダブルスタンダードだとして,閣議決定に反対,署名拒否をする旨を明確に表明した。あげくに,本来所管すべき仕事もそっちのけで単独で沖縄を訪問したり,テニアンの関係者と会談したりしている。完全に閣内不一致なのではないのか。鳩山首相はなぜこの閣僚を罷免しないのか。昨年末に連立維持を重視して政府案決定を先送りし,同盟の相手国の信頼を喪失してしまった愚を繰り返そうとしている。
社民党というのは,衆議院議員定数480名のうちの僅か7名,参議院議員定数242名のうちの僅か5名という政党である。議席の占有率からすれば僅か1.66パーセントに過ぎない。この政党の党首が「国民,国民」と言ってあたかも国民の意思を代弁しているかのように述べているが,いったいどれほどの支持を得ていると認識しているのであろうか。この党首は,社会主義インターナショナル副議長であるし,少子化対策の担当大臣であるにもかかわらず,家族制度そのものに反対し,「産まない選択 子供を持たない楽しさ」なる本まで出している(笑)。こんな人がこともあろうに少子化対策の担当大臣に任命されているとは,笑えないブラック・ジョークであり,やはり鳩山首相というのは尋常ではない。結局はこの人のことに行き着くのだから,ぐるぐる回っており,ルーピーの状態である。
再び社民党であるが,この政党と党首は政権内や同盟の相手方をさんざん引っかき回して,さんざん困惑させることによって「存在感」を示そうとしているのだろう。極めてネガティブな存在感しか示すことができていない。こんなことを続けている社民党という政党の党勢がこれからどうなるのか,今度の参議院議員選挙がとても楽しみである。
体重が減り,だんだんと小顔になっている件
誠にありがたいことに,最近では体重が減って,だんだんと憧れの小顔になっていきつつある。確かに,最近では食べる物にも気をつけるようにしているし,自宅での晩酌の回数もできるだけ減らすようにしてきた。知人から誘われるままに「夜のパトロール」と称して繁華街に繰り出す機会も少なくしようとしてきた。そんな訳でここ約1か月の間に見事に3キロほど体重が減り,憧れの小顔を手に入れようとしている。
僕がなぜ小顔に憧れるかというと,端的に言えば,見た目として毛髪量とのバランスがとれるということである。人の顔の真ん中辺りに横線を引いて上下に二等分すると,ほっぺた付近の領域と,毛髪の領域に区分することができる。老化のせいか,最近では毛髪量も減ってきているという由々しき事態となっているが,ほっぺた付近がブクブク太っていると,プロポーションというかバランス的に毛髪部分が相対的にさらに小さく見えてしまう。逆に,ほっぺた付近がほっそりし,小顔になってくると,相対的に人をして毛髪量がそこそこあるかのような錯覚に陥れることができる。小顔のメリットはこういうところにもある。ただこれはあくまでも目くらましに過ぎず,ちゃんとできるだけの努力をして毛量を維持し,脱毛の進行を少しでも遅らせる必要があることは自覚している。
錯覚ついでに言うと,社民党という政党は徹頭徹尾錯覚に陥っている政党であるか,あるいはダダをこねることが唯一の綱領であるかのような政党であると思う。米軍海兵隊普天間基地移設問題では,やれグアムだ,やれテニアンだなどとほざいては,関係者は勿論,同盟国を困惑させてもてんとして恥じない。憲法9条・非武装中立ということのみのシングル・イシュー(単一争点)政党である。現行案に近い案など断固飲めないというのであれば,そして閣議決定に署名したくないのであれば,なぜ潔く与党連立から離脱しないのであろうか。明らかに閣内不一致である。政権内にとどまってギャーギャー言っていた方が存在感が高まるとでも思っているのであろうか。私は福島みずほという党首がテレビ画面に出るたびに眉をひそめてしまう(顰蹙というやつ)。明らかに国益に反している。社民党というのは絶滅危惧種とも言われていた。私はトキのことは心からその絶滅を心配しているが,社民党のことなどは・・・。
破綻
何も,うちのカミさんとの婚姻関係が破綻したのではない。破綻したのは,名古屋グランパスの特に守備である。ワールドカップによるJリーグ中断前の第12節の鹿島アントラーズ戦はホームであったにもかかわらず,グランパスは1-4の惨敗であった。ある程度予想してはいたが,これほどまで試合内容が酷く,守備が破綻しているとは・・・。さらに,土曜日のヤマザキナビスコカップ予選の大宮アルディージャ戦ではやはり1-3の惨敗で,わずか7分の間に3失点してしまっている。正に破綻という表現がピッタリである。
もうくどいように素人の僕が指摘してきたように,中盤が全く機能しておらず,選手自身が言うように「(中盤が)スカスカ」なのである。もっと高いラインからプレスをかけ,相手のやりたいことを封じなければダメだと思う。ストイコビッチ監督は,最近では一つ覚えのように,終盤にはDFの闘莉王らを前線に上げてストライカーみたいなまねをさせ,前掛かりになったところでカウンターを食らっている。本当のところは,闘莉王だってそんなまねはしたくないはずだ。そんなまねをしなくてもいいような状態にしなきゃ。監督としてチームをあずかってもう相当期間が経過しているのだから,個人技に頼るだけじゃなく,ちゃんと中盤を支配し,相手ディフェンダーをひやひやさせるような有機的な攻撃ができるような共通戦術,共通理解を早いとこ確立せんかい!(怒)。リーグ戦再開までの2か月弱の期間内に,どこまで修正できるかがポイントだが,実は僕は残念ながらもうあまり期待してはいない。
破綻といえば,僕のゴルフもいったんは破綻しかけた。でも,土曜日のラウンドではまたまた復調の兆しが見えたのである。スコア的には決して良くはなかったのだが,自分だけに分かる何かを得たのである(笑)。だったらちゃんと結果を出せよってか?・・・出すよっ(笑)。
相当に読みごたえがあった本(続々)
またまたくどいようであるが,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本の続きである。このお話は今日で終わり(笑)。昨日僕は,著者の若泉敬は無私な愛国者だったのだろうなという正直な感想を述べた。その具体的な理由については,本書を読めばその内容で十分に分かると思う。また,若泉敬は,京都産業大学に招聘されて長年にわたって教鞭をとり,国際政治学者として活躍したのだが,平成4年に同大学を退職した際に支給された退職金全額を,同大学の世界問題研究所に寄付している。一部の官僚が天下りを重ねて「渡り」をし,その退職の都度数千万円もの退職金を手にしているのとは雲泥の差である。また若泉敬は,初出の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の発刊に当たり,著作権使用料にあたる額を「沖縄戦で犠牲となられた関係者の方方の鎮魂と,ご遺族のために,ささやかなりともお役に立てたい」と希望し,出版元の文藝春秋は同氏の意志を尊重して,その手続をとったということである。
この本の末尾の「新装版に寄せて」という一文を書いた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏の話(同書631頁)やその他の情報によれば,結局,若泉敬は,この本を出した2年後に,毒杯をあおって自裁(自殺)し,この世を去った。この本は自分の死を視野に収めて書き継がれ,彼は,国家機密を公にした結果責任をとって,本書の刊行後に沖縄の鎮魂碑前で命を絶つ覚悟だったようだ。最終的には本書発刊の2年後である平成8年に彼はこの覚悟を現実のものにしたのである。
本書においては,若泉敬は随所に説得力のある文献,文章の引用をしているが,現在の日本及び日本人が置かれている状況,いわば退廃的な状況について,若泉敬もそれを痛感し,僕も胸を打たれた文章があった。正にそのとおりだという文章が・・・。それは論客福田恆存氏の次のような主張,文章である(本書565頁,旧字は訂正してある。)。
「今日、社会党も共産党も安保条約を目の敵にしておりますが、その様子を見ていると、いくら目の敵にしても安保体制はついに叩き割れぬ『硬い胡桃』だと思い込んでいるらしい。が、もしそうなら反安保闘争そのものが無意味だということになります。だが、私には安保体制はそれほど『硬い胡桃』だとは思えません。それが『硬い胡桃』だという前提には、アメリカがアメリカのために日本を軍事的に離さないだろうという独り合点、あるいは思い上りがあるからでしょうが、実際にそうでしょうか。軍事的にアメリカが日本を必要とする度合と日本がアメリカを必要とする度合と、その両者を比較した時、私は後者の方がはるかに大であると思います。もしそうなら、日本が本気で掛かれば安保体制はいずれは解消できましょう。しかも、それに代る軍事同盟が結ばれないとすれば、日本政府にとって最も恐るべき敵はアメリカだということになる。そういうことも考慮に入れながら反安保闘争をやっていただきたいものですが、私の見るかぎりでは、アメリカとの安保体制、あるいは軍事同盟がなくともアメリカは日本に友好的であらざるを得ないという心理が一般に働いているように思われます。戦後25年、アメリカの御厄介になってきたお蔭でしょうが、そうなると反米闘争もアメリカの傘の下で安心して行われているのかと言いたくなります。軍事的、政治的独立よりも、精神的独立の方が急務である所以です」
鳩山首相さん,平和ボケ・思考停止・反日左翼のジャーナリストさん,同じくコメンテーターさん,精神的独立の方が急務なのではないでしょうか(笑)。
相当に読みごたえがあった本(続)
さて,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本の続きである。この本は600ページを超えており,内容だけでなく分量的にも相当に読みごたえがあった。そして,読み終えてつくづく思うのは,著者の若泉敬は無私な愛国者だったのだろうなという正直な感想である。
当時の佐藤栄作首相の意向を受け,タフ・ネゴシエーターのキッシンジャー大統領補佐官を相手に,日本の国益のためにギリギリの交渉を行った。その結果としての悲願の沖縄返還の達成と,有事の際の核持ち込みの密約の存在があった。彼がこの本を出そうとした動機は究極的には真実を書き遺すということだろうと思うが,この本の末尾の「新装版に寄せて」という一文を書いた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏の指摘のとおり,「いまこそ密約のすべてを明らかにし,主権国家が持つべき矜持を忘れ果てた日本に覚醒を促したい」という側面があったのではないかと思う。このことは,本書中の次のような文章からも窺える(616頁)。
「このような試煉に立つ歴史の一大変容期に直面している今日、経済的には自他ともに認める〝大国〟と成り上った日本および日本人は、果たして〝日本の理念〟を普遍的な言葉と気概をもって世界に提示できるのであろうか。より根源的には、いかなる価値観を拠り所に波風荒い大洋への〝海図なき航海〟に乗り出さんとしているのであろうか。ここで敢えて私の一片の赤心を吐露させて頂くならば、敗戦後半世紀の日本は「戦後復興」の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果、変わることなき鎖国心理の中でいわば〝愚者の楽園〟と化し、精神的、道義的、文化的に〝根無し草〟に堕してしまったのではないだろうか。もしもそうだとするならば、このような〝悲しむべき零落〟から再起し、国際社会での生存要件たるそれ相応の信頼と尊敬を受けるために、今の日本と日本人に求められている内なる核心的課題とは一体何なのであろうか。一言にして言うならば、それは、ホイットマンの魂の琴線を揺さぶり、〝世界的日本人〟新渡戸が一世紀近く前に訴えた、あの〝真の武士道〟の伝統に深く念いをいたし、それを明日の行動の指針とすることではないだろうか。そこには、衣食足って礼節を知り、義、勇、仁、誠、忠、名誉、克己といった普遍的な徳目が時空を超えて静かな輝きを放ち続けている。その不滅の光芒の中に、私は、戦陣に散り戦火に斃れた尊い犠牲者たちが、彼らの祖国とその未来を担う同胞に希って止まない「再独立の完成」と「自由自尊の顕現」を観るのである。」
(さらに続く)
相当に読みごたえがあった本
このブログでも一,二度紹介したことがあったが,「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本は,相当に読みごたえがあった。外交,安全保障の在り方について本当に考えさせられたのである。
この本の初出は,平成6年5月であるが,僕が読んだのはこの本の新装版で昨年10月に出版されたものである。この本の内容は,そのサブタイトルに「核密約の真実」とあるように,著者の若泉敬が沖縄返還交渉において佐藤栄作首相の特使として重要な役割を果たした際の,ホットラインでの行き詰まる交渉経過,核密約の内容と存在等についての真相を語ったものである。
さる5月15日は,沖縄が本土復帰を果たして38年目の記念日であった。戦後,沖縄の本土復帰は民族的な悲願であったし,これに臨む佐藤栄作首相は不退転の決意であり,この民族的悲願達成のために沖縄返還交渉では苦悩を重ね,日本の外務省,アメリカの国務省のという正規ルートとは別に,若泉敬という特使を派遣して,時の大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーひいてはニクソン大統領と行き詰まる交渉を重ねていた。有事の際の核持ち込みの密約は,沖縄返還達成のための超法規的なやむを得ぬ措置であった。
それにしても,本来の外交というのは,このようにホットラインで,日本のスタッフ(首相,外相,防衛省,官房長官ら)も一枚岩で,基本的には相手国との信頼関係を維持しながら時には懐疑をはさみながら,タフな交渉をしつつ自国の国益を守っていく尊い作業だということを痛感した。しかもその実効的な手法は,時には特使を介した首脳同士の膝詰め談判という形式であるべきこともある。現在日本においては,民主党政権という得体の知れない存在がうごめいており,岡田外相は核密約の存在を暴いて鬼の首を取ったようにしている。笑止である。そのようなものの存在はとうに公然の秘密となっていた。これを暴くこと自体に何の意味があるのだろうか。暴いた後,これをどうしようというのか。鳩山首相をはじめ,彼らに求められていることは,相手国から交渉の当事者としての適格性を認めてもらうことだ。現在の状況は,相手国(アメリカ)は,誰を交渉相手に,誰を信頼してよいのか皆目分からないという(笑),深刻で信じられない事態になっており,アメリカは心底あきれかえっていると思われる。それもそのはず,米軍海兵隊普天間基地移設問題について,民主党政権発足後は,首相の言っていることと外相の言っていることと防衛相の言っていることとが全く違っていた時期が長かったし,アメリカとしては困惑するしかなかった。当然である。鳩山首相は,韓流スターを公邸に招いて食事したり,首を前後させてハトのまねをしているようなヒマがあるのだったら,この「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という本でも読んで外交や安全保障の在り方の勉強するとよい(続く)。
信念の人ではあるけれど
僕が初めて将棋を覚えたのは,中学2年生か3年生の頃だったと思う。クラスメートや近所の友人とやっているうちに,だんだんと没頭するようになってしまった。こんな面白いゲームがあったのかと・・・。高校に入ると,将棋熱がますますエスカレートし,勉強もそこそこに,「将棋世界」や「近代将棋」などといった雑誌を買ってきては,プロ棋士の棋譜を並べたりしていた。
僕の将棋熱のピークは高校時代であり,その頃は多くのプロ棋士に憧れ,毎週日曜日に放送されていたNHK杯戦は何があっても絶対観ていたし,テレビの前に盤を置いて棋譜読み上げの声に合わせて駒を並べていたものだ。その当時活躍していたプロ棋士の中でもとりわけ好きだったのは加藤一二三元名人である。18歳でA級八段に上り,20歳で名人戦挑戦権を得たように,加藤元名人は「神武以来の天才」と言われた。その後も将棋界で活躍し,名人をはじめタイトルも獲得した。才能の割りにタイトル獲得数に恵まれなかったのは,全盛期をむかえていた大山康晴第15世名人という巨人の存在があったからとも言われている。僕としては,いろんなプロ棋士に憧れたが,その独特のしぐさや「伝説」もあって,加藤元名人を特に応援していたのである。
その加藤元名人が,先日,自宅敷地内での野良猫への餌やりの問題で地域住民から提訴され,餌やりの差し止めと,約200万円の慰謝料支払を命じられたそうだ。誠に残念なことである。加藤元名人としては,野良猫の命をつなぐために信念として餌やりを続けていたのであろうが,やはり社会人でもあるのだから,自重すべきであろう。将棋でいえば,無理筋なのである。特定行為の差し止めが認められたり,慰謝料支払を命じられるということは,やはり客観的には近隣住民の受忍限度を超えていたと裁判所も判断したからに他ならない。もちろん控訴審の判断を仰ぐのはかまわないが,加藤元名人は,差し止められたのはあくまでも敷地内での餌やりだからという論法で,敷地外で今後も餌やりを継続するようなことをコメントしている。僕としてもずっと応援していた一ファンとして憂慮している。それは「悪手」ではないかと・・・。
はまりそうな世界
土曜日はカミさんと一緒に名古屋の御園座で歌舞伎を観た。ありがたいことに顧問先の社長さんが,いつもこの季節に1等席のチケットを2枚くださるのである。おかげさまで今回も十分に楽しませていただいた。
この日は市川段四郎,市川亀治郎などの舞台であった。前から7列目でしかも花道に近く,迫力もあった。話の筋が泣かせるもので,何よりも市川亀治郎などの演技が誠に素晴らしく,両眼から溢れる涙が頬を洗うのにまかせていた。恥ずかしながら,冗談や誇張ではなく,3つくらいのシーンでそれぞれ涙が二筋くらいずつ流れたのである。こういう時は,慌ててハンカチなどで拭いたりせず,とりあえずはそのままにしておき,しばらくしてほとぼりが冷めてからそっと指で涙をぬぐうのが一番よい。経験上,そうすれば泣いてしまったことを悟られずに済むことが多いのである。
それにしてもプロの技は凄い。また古典芸能の素晴らしいこと。亀治郎は女形であるが,身のこなしや体型が美しく,いかにも節制していなければあれだけの体型を維持していくことはできないであろう。僕は実はこれまでは,チケットをいただいた時しか歌舞伎を観に行くことはなかったが,これからは当然身銭を切ってでもこの歌舞伎という古典芸能の世界にはまってしまいそうである。
この日の観客の中にも,泣かせる場面ではあちこちでハンカチを目に当てたりするご婦人がいたり,鼻をすする音も聞こえた。義理や人情,人間としての誇り,正義を渇望している人が多いのではないだろうか。そしてそういう文明の一端に触れるために,歌舞伎という世界に一時的に身を寄せているかのようである。「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社)という本にも紹介されているように,確かにこの日本には近代以前にこの世でも特異な素晴らしい文明が確実に存在していたのである。礼節,秩序正しさ,優しさ,質素,自然の豊かさ,義理人情,互いに気持ちよく生活していくための工夫などが支配していた文明である。
歌舞伎の演目の中にはそういう文明の一端に触れられるものが多い。しかも毎回思うのだが,歌舞伎の観客は老若男女さまざまで,層が厚いようである。いずれにしても,歌舞伎は当分の間マイブームになりそうな予感がする。
バイエル
昔はピアノを習う人の必須の教科書みたいになっていたのが,バイエルピアノ教則本である。僕が習い始めたのは遅くて,もう小学校6年生になっていた。当然そのころは,このバイエルピアノ教則本から入る。僕が使っていたのは,確か「こどものバイエル」という本で,随所に可愛らしい挿絵が入っているものだった。今でも自宅で晩酌をして少し酔っぱらってピアノでも弾いてやろうかという時には,バイエルを引っ張り出すことがある。そうすると,懐かしい昔の記憶が蘇るのである。
うちの娘もかつてピアノを習っていたが,やはりバイエルの教則本を使っていた。運指や基本的な技術を学ぶにはやはり格好の教材なのだろう。♯や♭が徐々に増えて,自然に音階も学べるようになっている。このバイエル教則本を作ったのがフェルディナント・バイエルというドイツの作曲家で,5月14日はこのバイエルの命日である。1803年生まれで1863年に亡くなっているから,時代としては今年生誕200年を迎えるショパンやシューマン,その1年先輩のメンデルスゾーン,その4年後輩のワーグナーらと同時代人である。僕も娘のあかねちゃんもバイエルの練習曲で学んだのである。
その娘のあかねちゃんも,もう高校2年生である。学校であった事など,食卓で娘からいろんな話を聞くが,どうやら学園生活は多少の気苦労もあるが,とてつもなく楽しいらしい。それに,興味のあるアーティストが,最近ではEXILEからUVERworldに移行しつつあるらしい。うちのカミさんの通報によると,少し前のある夜中に,あかねちゃんが寝言で絞り出すような声で叫んでいたらしい。翌朝,朝食時に「昨日,寝ながら絶叫してたよ。すごく恐い夢でも見たの?」とうちのカミさんが尋ねたら,どうやら学校でもとりわけ親しい同級生が転校することになったという夢を見て,悲しさのあまり叫んだということである(爆笑)。どうやらあかねちゃんは,学園生活を謳歌しているらしい。
えぇーっ!
5月10日の読売新聞の発表によると,最新の世論調査で鳩山内閣の支持率が24パーセントだという。え゛ぇ゛ーっ!思わず「え」に濁点である。まだ約4人に1人は支持してるの?とうとうわが日本も凄いことになっていますね。こんな政治状況を目の当たりにしても4人に1人が支持しているとは。この鳩山由紀夫という人のことはもうとやかく言うまい。思えば,この人は,初代の伊藤博文から数えて60人目の内閣総理大臣だが,総理大臣としての資質,能力についてこれほどまでに取り沙汰された人はいなかったのではないか。まだこの内閣を支持しているという人というのは,旧社会党系や連合,日教組などのコアな人たちなのだろう。
上海万博が今も続いているようだが,報道によると日本館には日の丸の国旗が掲揚されていないらしい。え゛ぇ゛ーっ!これも思わず「え」に濁点である。他の国のパビリオンの多くは自国の国旗を誇らしげに掲げているのに,なぜ日本館は掲げていないのか。新聞報道によると,反日感情に配慮したということらしい。何と卑屈な,何と情けない態度だろう。こういう態度を続けることこそがかえって将来にとって悪い影響を与えるのである。堂々と日の丸を掲揚し,それで何か反日的なトラブルが生じたならば,それこそが中国のこれまでの反日教育の結果だということを天下に示すことができる。国の誇りをなくしてはいけない。
かつてオリンピックで柔道金メダルを獲得した谷亮子さんが,この夏の参議院議員選挙で,民主党から比例代表で立候補することが伝えられた。しかも,母親としての育児,議員としての活動,ロンドンオリンピックでの金メダル(現役続行)を目指しているという。え゛ぇ゛ーっ!これまた思わず「え」に濁点である。確かにその心意気はいいとしても,少なくとも有権者の一人である僕自身は,そんな政治家を期待してはいない。僕が本当に待望しているのは,本当の意味での政治家(ステイツマン)である。この日本では選良という言葉は死語になってしまったのか。オリンピックで金メダルを獲得することは並大抵の努力ではできないはず。母親としての育児も極めて重要な役割である。それらと議員活動が両立するとはとても思えない。各政党も選挙で有名人に依存するにもほどがある。かつて民主党から議員になった女子プロゴルファーの父親は,議員になって以降,どんな仕事をしたというのか。「物議を醸した」ことが唯一の「仕事」だったのではないか。議員歳費は僕らの税金から賄われている。納税者としてはとても辛い。本当の意味での政治家(ステイツマン)を心から待望している。
目のやり場がない
この標題はちょっとピント外れかもしれない。目のやり場がないという言葉は,本来ならば見てはいけないものを見ないようにして,視線をどこに移すか困っている状態をいうのであろう。僕が今日訴えたいのは,前にもこのブログで言ったように,特に最近の民放番組の内容,企画がひどすぎて「目のやり場がない」のである。
若手芸人が登場し,ある飲食店の全65メニューを一定時間内に全部食べ尽くせるかという企画であった。当然最初のころは美味しそうに頬ばるが,そのうち満腹になって苦痛に顔をゆがめながら,イヤイヤ食べ続けるのである。もうダメだと言いながら,いったんは寝て休憩をとり,起きてはまたイヤイヤ食べ始めるのである。ある飲食店の全メニューを食べ尽くしたからといって,それが何になるのだ。食べ物というのは感謝しながらありがたいと思って食べるものである。イヤイヤ食べられている食べ物,食材が不憫でならない。こういうくだらない企画が最近では特に多い。日本の食糧自給率を高めるにはどうしたら有効なのかについて,ためになる討論番組や特集番組でもやらんかい!
こういう状況だから,最近では僕は癒しを求めて「おじゃる丸」や「ざわざわ森のがんこちゃん」などの番組に「逃避」気味である。おじゃる丸のキャラが好きで,僕もスキを見つけては「まったり」したいのは言うまでもないが,「エンマ大王のシャク」を取り戻すために奮闘する子鬼トリオはとてもいい。アオベエの「・・でゴンス」という言い方はとてつもなく好きだし,アカネは僕の娘と同じ名前で,しかも僕の法律事務所の名前でもあるし,キスケはビジュアル的に理屈抜きに可愛い。また,「ざわざわ森のがんこちゃん」に出てくるがんこちゃんの弟のがんぺーちゃんの可愛いことといったら,もう恍惚ものである。しかも,「ざわざわ森のがんこちゃん」の筋書きというか設定には,なかなか哲学的で深く,考えさせられるものがある。NHKの報道や特集番組の中には反日的で東京裁判史観にドップリ浸かった不当なものがあるが,アニメや人形劇はまあいいね。・・・ただ,僕に何の断りもなく「ぜんまいざむらい」の放送が教育テレビから消えてしまったのは,極めて遺憾であり,正に断腸の思いである。NHKはこの一視聴者の言葉を厳粛に受け止めて欲しい。
万年係長同士の居酒屋での会話(その10)
大久保「・・・・・・。」
西 郷「おめぇ,元気ないな。・・・・・どうしたんだ。オレと会った時くらい,楽しく飲んでなんぼだろ。」
大久保「・・あぁ。・・・・・実はな,NHKのやつ,オレに何の断りもなく,突然『ぜんまいざむらい』の放送を止めやがって。」
西 郷「・・・あっ,そうだったのか。お前,ある意味じゃ,『ぜんまいざむらい』が生きがいだったのになぁ。」
大久保「・・・あぁ,このダメージは大きい。かくなる上は,まだ持ってない『ぜんまいざむらい』のDVDを買って,かみちよねーさんに会うしかない。」
西 郷「ハッ,ハッ,ハッ。まぁ,せいぜいがんばれよ。・・・それにしてもお前,髪の毛サッパリしたな。」
大久保「うん,土曜日に散髪に行ってきた。・・・あぁ,そうそう,お前も床屋さんに行くだろう?」
西 郷「そりゃ,行くわ。」
大久保「途中で,耳掃除してもらう?」
西 郷「うん,あれって,結構気持ちいいな。」
大久保「耳掃除してもらった後,・・・耳の穴をふさがれて,指でポンポンってされない?」
西 郷「あぁ,される,される。」
大久保「あれって,どういう意味があるの?」
西 郷「・・・・・・意味について深く考察したことはないけど・・・。これまた形而上学的に深い意味があるのかもしれないぞ。」
大久保「(お待ちどおさまっ)・・・あっ,来た,来た。お待ちかねの『うずらの玉子の串カツ』。これって,本当に美味いよな。」
西 郷「・・あぁ,オレにもちゃんと2本よこせよ。・・・あっ,そうそう,来た,来たと言えば,やっぱりとうとう来たよな。」
大久保「何が?」
西 郷「お前,知らないの?『子供手当』だよっ。」
大久保「・・・ん?」
西 郷「お前,そうやって鈍いから課長補佐にもなれないんだ。」
大久保「余計なお世話だ。お前が言うな!でも,何が来たんだ?」
西 郷「尼崎市に住んでいる韓国人男性が,タイで養子縁組したという554人分の養子の子供手当の申請をするために,尼崎市役所の窓口に来たというんだ。本気で受給するためにいろんな資料をそろえて。」
大久保「えーっ!・・・認められたら年間いくらになるんだ?」
西 郷「約8600万円だと。」
大久保「それって,受理されて,給付されることになったのか?」
西 郷「なわけねぇだろっ。却下されたということだ。『社会通念』を理由に。でもね,この子供手当の法案の審議の際に問題になっていたことが,現実に起こったね。」
大久保「・・・でもね,こういう申請をするというのは,日本人のメンタリティーには絶対ないよね。日本には『恥を知る』って言葉があるように。」
西 郷「うん。でも,『社会通念』という基準も曖昧だし,これが9人だったら通ったのかという気もする。この例に限らず,市町村の現場では,連日外国人が押しかけて大変だってよ。」
大久保「民主党という政党は,とにかくこの子供手当法案の審議も早々に打ち切って,採決を強行してしまった。今年の参議院議員選挙前に最初の給付を間に合わせようとしたんだ。給付要件の認定などは現場に丸投げ。選挙のことしか頭にない。」
西 郷「・・・でもね。さすがに,さすがにだよ,もう有権者もだまされないんじゃないの?政治とカネの問題や,普天間問題などの迷走ぶりからすれば・・・。」
大久保「・・・そう願いたいんだけどね。」
つける薬がない(その14)
鳩山由紀夫という人の今の政治家としての有り様は悲惨の一語に尽きる。しかも一国の首相なのである。この人は,先の遅すぎた沖縄訪問の際に,ようやく「抑止力」という言葉を用いた。この米軍海兵隊普天間基地移設問題は,「抑止力」に対する考察抜きには考えられない問題だというのに・・・。防衛や抑止力について「学ばせていただいた」末にようやく思い至っただと(笑)。
ある雑誌で久保紘之というジャーナリストが,今の鳩山由紀夫という人の政治家としての有り様について,政治学者マックス・ウェーバーの「心情倫理」という言葉で説明していた。僕はこの説明に思わず納得し,腹に落ちた。日本大百科全書(小学館)ではこの「心情倫理」のことを次のように説明している。
「M・ウェーバーの用語で,責任倫理と対をなす。彼は,あらゆる倫理的行為を律する二つの対立した原則として,この二つを理念型的に区別する。行為の類型からすれば,心情倫理は価値合理的行為に,責任倫理は目的合理的行為に対応する。心情倫理においては,ある行為がどのような結果をもらたそうとも,それを意に介することなく,ひたすら自分が正しいと信じる究極的価値ないし倫理的命令に従って行為することが求められる。事の成否は問わない。『人事を尽くして天命を待つ』という態度である。・・・・・ここでは純粋な心情の炎に燃えて無条件かつ一義的に献身することだけが求められるから,もしその目的に成功の望みがなく実現不可能な場合には,破滅的な結果ともなりかねない。」
この鳩山由紀夫という人は,「日本列島は日本人だけのものではない」,「駐留なき安保」などと言ったり,「東アジア共同体」をぶち上げたりしており,最終的には国という形をなくしてしまう「地球市民」的な友愛発想に凝り固まっているのであろう。自分の信念に従って自分なりに頑張って努力したんだから,仮に普天間問題で上手くいかなくても信念と努力とを認めて欲しいという態度なのではないかと思う。そうすると,正にさきほどの「心情倫理」という言葉,定義で説明がつく。
し,しかしだ。政治は結果責任だと思うよ。少年野球だったら一生懸命やればそれなりに褒められるけど・・・。いやいや,本人は一生懸命のつもりだろうけど,例えばこの普天間問題だって,果たして一生懸命と言えるのだろうか。極めて疑問である。実効性ある外交がなされているとは到底言えない。「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本を読むと,当時の沖縄返還交渉問題について,佐藤首相,保利官房長官,愛知外相,岸(信介)特使,若泉特使らの組織的,一体的,意欲的,実効的な外交が展開されていたことが手に取るように分かる。今の政権と比較するのも失礼なくらいである。次元と格が違いすぎるのである。
1週間のうちに4回もゴルフをするの巻
皆さんのこの連休中の過ごし方は様々だろうが,僕の場合は標題のような過ごし方になってしまった。4月29日,5月1日,5月4日,5月5日の4日にわたって下手なゴルフに出かけてしまったのである。1週間のうちに4回もというのは,人生始まって以来だと思う。スコアは全然ダメ(笑)。この貴重な体験で得た収穫というのは,かつて僕がやっていたように,週に1回くらいは打ちっ放しの練習,しかも考えながら,修正しながらの練習,努力をしなければダメだと自覚できたことである。
スポーツついでに言うと,応援している名古屋グランパスの今シーズンの見通しは,やはり暗いといわざるを得ない。5月5日の浦和レッズとの試合をテレビで実際に観たが,試合内容が悪く,ワクワクするところが全然ない。象徴的なシーンがあった。敵陣内の好位置でのフリーキックの際,ゴールを予感させるようなボールを前線に供給するかと思いきや,近くの選手に短くパスし,その選手は横にいた味方選手にパスし,相手にプレスをかけられたら今度はDFにボールを戻し,最後はキーパーにバックパスときた(笑)。愕然とした。ボールキープができないし,パスミスが多い。攻めが遅いために,敵陣内でボールを持っても,その時点では相手側に完全に守備を固められている。速攻を成功させ,流れの中で得点できたシーンを見ることが皆無の状態になっている。相手選手に対するチェックも甘い。ジリジリ前線を下げているだけ。
ストイコビッチ監督の修正能力,学習能力に疑問符が付く。最近では,後半終了近くになってから,DFやMFの選手をフォワードに上げたりして前掛かりで猛攻にいくケースが散見される。でも,そんなことをする前の時点で,組織的でちゃんとした中盤を構成できるようなチーム作りをして欲しい。今でも3位という順位でいること自体,不思議な気がする。第9節のモンテディオ山形戦の試合終了後に,DFの闘莉王は,自分がフォワード役をやらなきゃならないという状況に疑問を呈していたが,もっともなコメントである。最近の試合後の彼のコメント内容からすると,彼にはチームの課題がよく分かっているのだと思う。
事務所のご紹介|業務案内|法律相談のご案内|弁護士費用|顧問契約|FAQ|弁護士ブログ|アクセスマップ|トップページ
