安倍晋三元首相が遊説中に凶弾に倒れ,鬼籍に入られました。あまりにも突然のことで未だに信じられませんが,現実は現実として受け止めざるを得ません。第二次安倍内閣が組閣される前,間近でご講演を拝聴する機会に恵まれましたが,第一次及び第二次安倍内閣がなし得た実績を通覧しても,安倍元首相が卓越した,そして傑出した政治家であったことは疑いようもありません。衷心よりご冥福をお祈りいたします。
やはり相当に喪失感というものがありますね。政治家の訃報に接して涙が出てきた経験というのは,平成21年10月に中川昭一元財務大臣の訃報に接した時と今回だけです。私は,中川昭一,安倍晋三各氏こそが確固とした国家観,歴史観,愛国心に基づいて自由民主党を引っ張っていかなければならない真のリーダーだと思っていましたからね。私は,最近ではひな壇芸人やタレントなどが多用されている本当にくだらない地デジなどの番組からは遠ざかっており,よくYouTubeなどで保守系の番組を見ておりますが,それらの番組の中で,例えば櫻井よしこさんや阿比留瑠比さんなども,安倍元首相のこのたびの無念の落命に言及する際には目を赤くされていました。
それでも安倍元首相は立派な業績を残されたと思います。積極果断というべき判断の下で可能な限りの成果をあげられたと思います。産経新聞の阿比留瑠比さんが新聞で指摘していましたが(7月9日付け朝刊),第一次安倍政権の時には,占領下に作られた教育基本法を戦後初めて改正し(教育内容こそ重要),防衛庁を省に昇格させ(防衛力強化の必要性),憲法改正に必要だが未整備だった国民投票法を制定しました(主権国家として最低限具備していなければならない条文の制定)。
第二次安倍政権以降は,経済政策「アベノミクス」で株価を上げて雇用を創出し,国家安全保障会議(NSC)を設置して政府の戦略的意思決定を迅速化し,さらに,集団的自衛権の限定的行使を容認する安全保障関連法を成立させ,特定秘密保護法も制定しました。首相退任後も,やはり日本を取り巻く安全保障環境に危機感を抱きつづけ,正当にも勇気をもって核兵器のシェアリングの議論,そして反撃能力(敵基地攻撃能力)の保持や,防衛力の抜本的強化・防衛予算の増額などで自民党内の議論をリードしてきました。
安倍元首相が政治家として国際的にも高く評価されていた事実は,このたびの諸外国からの弔問者数からも十分に窺えます。
これも産経新聞の阿比留瑠比さんが産経新聞で指摘していたことですが,安倍元首相は生前マックス・ウェーバーの次の言葉を引用していたということです。
「断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」
こういった強い信念の下で政治家として活動していたからこそ,あのような立派な業績を残すことができたのでしょう。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら『日本』はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」(三島由紀夫「果し得てゐない約束-私の中の二十五年」)
本当に,今後自由民主党内において,中川昭一さんや安倍晋三さんのようなちゃんとした政治家がリーダーにならないようでは,この日本も三島由紀夫が憂えた国に成り下がっていくのではないかと思っております。