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弁護士ブログ

2020/10/06

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ジュリエット・グレコというシャンソン歌手のコンサートに臨み,彼女の生のシャンソンを聴くことができたのは,私にとって宝物のような体験でした。私が結婚したのが29歳の時でしたから,その1,2年前のことだったと思います。その時のコンサート会場は,その当時名古屋市千種区池下にあった厚生年金会館でした。

 

この時もグレコはお決まりの黒のドレスで,装飾は一切なし。身振り手振りを交えた,まるで女優が演技をしているような歌い方で,曲に物語性を吹き込むシャンソン歌手そのものでした。選曲も日本人好みのスタンダードナンバーが中心で,「パリの空の下」,「枯葉」,「ラ・メール」,「聞かせてよ愛の言葉を」,「詩人の魂」,「ロマンス」などを歌ってくれたと思います。また,その晩はそれだけでなくジャック・ブレルなどの新しい曲も歌ってくれました。大変満足した夜でした。

 

私は昔から音楽は好きな方で,大学生時代は,クラシック音楽(バッハ,ショパンなど),ビートルズ,シャンソンという3つの領域に熱中しておりました。シャンソンの中では特にジュリエット・グレコが大好きだったのです。それと,私の記憶に間違いがなければ,昭和54,5年当時名古屋の栄にも「ソワレ・ド・パリ」というシャンソンを聴かせてくれるライブハウスがあったと思います。司法試験に合格した先輩が,たまには息抜きということで未合格の私たち3名をその店に連れて行ってくれたことを覚えています。「そうか,司法試験に合格すれば好きな時にこういう店でシャンソンが聴けるのか。よし,早く合格しよう。」などと不遜なことを思ったものです(笑)。

 

グレコは「サンジェルマン・デ・プレのミューズ」と呼ばれたシャンソン界の女王です。第二次世界大戦中,レジスタンス運動に参加した彼女の母親が,姉とともに強制収容所に入れられたことから,15歳の彼女は一人で生きてゆかなければならなくなり,ようやくある繊維会社の電話交換手の職を見つけ,そのかたわら演劇を勉強して,端役で舞台に立ったりしておりました。そして,終戦後,サン・ジェルマン・デ・プレの地下酒場「タブー」はジャン・ポール・サルトルを中心とする実存主義者のたまり場になり,グレコもそこに出入りするうちに彼らのマスコット的な存在になり,その後歌手としてスカウトされ,スターダムにのし上がるのです。1952年には「ロマンス」でACCディスク大賞を受賞し,シャンソン歌手としての名声を不動のものにし,長期間にわたって活躍し,映画にも出演したこともあります。

 

彼女は1961年に初来日し,日本でもたびたびコンサートを開き,相当に親日家だったようです。そんな訳で私も彼女のコンサート予定をリサーチし,ようやく名古屋でも彼女の生のシャンソンを聴くことが出来たという訳です。フィリップスレコードから出ているグレコのベストコレクションのCDは私が今でも大切にしている愛聴盤です。

 

土曜日はたまたま私が自宅で一人寂しく晩酌をしており,しみじみとお酒を飲みながらユーチューブで若かりし頃のグレコの「パリの空の下」の曲と映像に接し,思わず涙が出てきそうになりました。

 

ジュリエット・グレコは去る9月23日,老衰のため93歳で逝去されました。合掌。

 


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