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弁護士ブログ

2013/05/30

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 みなさん,当然試してみましたよねっ!みなさん,実際に聴いてみましたよね?えーっ!試してない?実際に聴いてないのー?

 

 そりゃいけませんわ。前回のブログでジョルジュ・ムスタキのことを書きましたが,名曲「私の孤独」も紹介しました。こんな佳い曲,何で聴いてみないの?インターネットで「ムスタキ 私の孤独」とキーワードを入れて検索してみれば,その動画がユーチューブにアップされておりますですことよ。私が高校時代でしたか,強く印象に残った曲なのです。押しつけがましいことは重々承知ですが,実際に聴いてみてください。

 

 ああーっ!我が栄光の読売巨人軍,澤村投手が相変わらず同じ間違いを繰り返しております(笑)。この選手は聞く耳を持っているのでしょうか。味方の選手が初回の攻撃に入る前の段階で,相手攻撃の場面で先頭打者を歩かせるわ,ボールが先行するわ,投球数は多いわ,ランナーは溜めるわ,挙げ句に3ランを浴びるわ・・・。ただでさえ今のジャイアンツ打線がこの季節のように湿っているのに,初回に3点を取られてしまっては,味方選手も気が萎えてしまいますわね。

 

 澤村投手は,5回までで何と113球です。ヒットは3本しか打たれてはおりませんが,6四死球です。初回の3ランだって,ランナーを溜めて,相対するバッターにはボール先行で1-3のカウント。次にストライクを取りに行ったボールをホームラン。これではいけません。同じ失敗を繰り返しております。阿部捕手の「野手も疲れるだろ」というコメントが全てを物語っております。

 

 先日,ある画家の先生から「強くあれ、巨人。」という名前の本格芋焼酎をいただいておりました。私はそれを思い出し,敗戦が濃厚となったテレビ中継を観ながら,水割りで思わずそれをあおってしまいました(笑)。

2013/05/28

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 意地悪な言い方ですが,今の名古屋グランパスがどれほど弱いのか,実際にテレビ中継を観て確認させていただきました。土曜日の対セレッソ大阪戦がBSで生中継されていましたので,この目でとくと確認してみたのです。素人の私がこれまでこのブログで生意気にも指摘していたとおりの試合内容でした。誠に残念ながら,攻撃面での組み立てがほとんどできていないだけでなく,実は組織的な守備もほとんどできていません。2点目の失点のシーンには愕然としてしまいました。

 

 私はといえば,先日のゴルフではドライバーが絶好調で,自分にとっては記録的な好スコア。宿敵3名を勝負強く下しました(笑)。名古屋グランパスも私を見習っていただきたいと思います。

 

 ところで,フランスの歌手,ジョルジュ・ムスタキが亡くなりましたね。寂しい気がいたしました。私が高校生時代だったでしょうか,ムスタキの「私の孤独」という曲が日本でも大ヒットしまして,私もこの曲がとても好きでラジオなどでよく聴いていたのを覚えております。大変なつかしい気がいたしました。調べて見ると,ムスタキは若い頃,あのエディット・ピアフとごく短期間恋人関係にあったという意外な事実も分かりました。ムスタキはギリシャ系ですが,ギリシャといえばその頃やはり日本でも人気があったナナ・ムスクーリという女性歌手がおります。自分の高校生時代,彼女の歌にも聴き惚れておりました。私の姉は,その当時はいろんな音楽を聴いていたようで,カーペンターズやムスタキやムスクーリの曲を勧め,教えてくれたのが姉でした。ショパンやバッハばかりを聴き,クラシック一辺倒だった私に「もっといろんな音楽に触れたら?」という感じで教えてくれたのでしょう。

 

 懐かしいと言えば,日曜日の晩,ロバート・デ・ニーロが一躍有名になった「タクシー・ドライバー」という映画がBSでやっておりました。デ・ニーロという人は名優ですね。年齢を経るほどにそう感じますし,この「タクシー・ドライバー」という若かりし頃の主演作を観るにつけ,あらためて名優だと思います。最初にこの映画を観たときはビックリしましたが,ウィキペディアでも表現されているように,元海兵隊のタクシー運転手が,腐敗しきった現代社会に対する怒りや虚しさ,逃れられない孤独感から徐々に精神を病み,ついには自分の存在を世に知らしめるために過激な行動に出て行く姿が,鬼気迫るタッチで描かれております。この映画も大変なつかしい気がいたしました。

2013/05/23

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 わが栄光の読売巨人軍,最近ちょっとおかしいですね。打撃面でも投手力の面でも,「ああ,強いな。」とは思えなくなってきています。昨夜も缶チューハイを飲みながら,我が家で巨人対楽天戦をテレビで見ていたのですが,1-2になった直後にチャンネルを変えてしまいました。逆転するような気配がなかったからです。

 

 投手の澤村拓一選手の投球は,相変わらずですね。昨日テレビで見ていてつくづく思ったのは,「独り相撲」が多いということです。いつもそのように感じております。守っている野手はイヤになるだろうなと心配してしまいます。5,6回で100球を超えることはザラで,ボールとストライクの区別がはっきりしていて,誰も振らないだろうなというようなボールもあり,暴投(ワイルドピッチ)も多い。失敗を恐れてはいけないものの,彼の場合は同じ失敗を繰り返す傾向があり,これはいけません。

 

 でもまあ,我が栄光の読売巨人軍のユニフォームを着ている以上は,ファンの一人として応援していきます。次こそはぜひ頑張って欲しいものです。

 

 失敗という言葉で思い出しましたが,先日の読売新聞の「編集手帳」の記事は大変面白かったです。あのホンダの創始者本田宗一郎さんの幼い頃の失敗談でした。私の小学校時代の頃もそうでしたが,通信簿というのは各学期終了ごとに生徒に渡され,親にちゃんと見せ,親にハンコを押してもらった上で学校に提出することになっておりました。ところが,手先が器用で,成績の悪い通信簿の内容を親に知られたくなかった本田少年は,あろうことか親のハンコを自作(偽造)して通信簿に押してしまったのです(笑)。その成功談を聞いた級友が「おれにも彫って!」と次々に本田少年にせがんだ。

 

 得意になって級友のハンコ作りを引き受けたのはいいけれど,後で先生に呼ばれてド叱られた。「本田」という左右対称の姓ばかりではないことに,うかつにも気付かず,文字が左右逆のハンコで「偽造」が発覚したというのです(爆笑)。これは本田宗一郎さんの親友であったソニー創業者井深大さんが「わが友本田宗一郎」(ごま書房)に書き留めているエピソードです。

 

 本田宗一郎さんの名言(箴言)は多く存在しますが,そのうちの失敗に関する名言をいくつか紹介しましょう。

 

「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。」
「日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんていう人間は、最低なのである。」
「私の現在が成功というなら、私の過去はみんな、失敗が土台作りしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。」

2013/05/21

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 昨日はじり貧というタイトルで書きましたが,実はじり貧は名古屋グランパスだけではありません(笑)。法科大学院,ひいては新司法試験・法曹養成制度もじり貧状態になっているのです。

 

 今,一般の方々の中には,裁判官,検察官,弁護士,すなわち法曹三者を養成する司法試験制度がどうなっているのか詳しくはご存じない方が多いのではないでしょうか。私が合格した当時は,5~600名の合格時代で,確か2万数千人が受験しておりました。熾烈な競争率,合格率でしたが,受験生の間では何と言っても公平感というものがありました。

 

 でも,2004年度からは法科大学院制度が発足し,法科大学院修了者にしか受験資格が与えられないということになったのです。まずこの時点で高い学費を負担できる経済的に余裕のある者が有利となっていました。

 

 鳴り物入りでスタートした法科大学院,新司法試験制度でしたが,合格率は当初標榜していた水準とはほど遠く,しかも政策的に合格者数が増やされ,年間2000名を超えるようになり,合格者(その後司法修習生,法曹)の質の低下が叫ばれるようにもなったのです。

 

 さらには,急激な法曹人口の増加(そのほとんどは弁護士)により,次第に弁護士志望者の就職難が現実のものとなり,せっかく司法試験に合格したのに,事実上弁護士登録ができない状況に追い込まれる人も出てきました。その数は無視できない数になっております。また,私たちの頃は司法修習生時代は国からお給料をもらっていたのですが,そのような給費制は廃止され,現在では貸与制(つまり司法修習生時代の生活維持等のためにお金を貸与すること)になり,やっとのことで弁護士登録をした1年生の中には,法科大学院の学費捻出による借金と,司法修習生時代の貸与制による借金とで,総額1000万円に近い借金を背負って弁護士生活をスタートせざるを得ない人もいます。

 

 こんな新司法試験制度,法曹養成制度に魅力を感じる若者がいるでしょうか。この点については,数字が雄弁に物語っております。2004年の法科大学院制度スタートの年には,法科大学院への志願者数が何と約7万2800名にも達していたのに,本年度の志願者数は1万3924名にまで落ち込んでおります。そして実際に法科大学院に入学した人数は,初年度(2004年度)の5767名に対し,本年度は2698名になっています。また,受験者等を募集した法科大学院全69校のうち,93%に当たる64校で「定員割れ」という現象が生じているのです。さらには,うち40校では入学者が定員の半数にも満たず,23校では入学者が10人未満という悲惨な状況です。

 

 一方,司法試験受験資格を法科大学院修了者に限定することの不公平性を自覚してか,さすがに当局も,最近では「予備試験」合格者(必ずしも法科大学院を修了する必要はありません)にも受験資格を与えているのですが,本年度の予備試験受験者数は9224名(速報値)であり,年々増加し,法科大学院入学者2698名と比較すれば格段の差があります。しかも,この法科大学院・新司法試験制度をスタートさせたお偉方の目論見に反し,法科大学院修了者の合格率よりも,「例外的な制度」である予備試験に合格して受験資格を得た者の合格率の方が圧倒的に高いのです。

 

 まとめに入りましょう(笑)。法科大学院制度,そして原則として司法試験受験資格を法科大学院修了者のみに与えるという制度は質的にも,量的にも既に破綻しているのです。ホットコーヒーを注文しておきながら,それを誤ってこぼしてやけどをした人間が,「熱いから気をつけてください。」という警告がなされなかったという理由で損害賠償請求訴訟を起こしたり,アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかける不道徳な弁護士を揶揄したもの)という言葉が定着しているアメリカのような訴訟社会と,日本国の国民性とは全く異なるのです。ロースクールなるものを闇雲に日本社会に定着させようとし,闇雲に弁護士を増加させればよいという安易な発想こそ現在の混乱,破綻状況を招いたのです。

 

 司法試験・法曹養成制度がこのままでは,本当に優秀な人材の確保すら困難になり,本当にじり貧になってしまいます。昔のような制度で何が悪いのでしょうか。

2013/05/20

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 じり貧という言葉は,「じりじりと貧しくなる」の略で,もともとは第一次世界大戦の後,不況のために業績が悪化していく企業を指して使われた言葉ですが,次第に個人の場面でも使われ,じりじりと良くない状況に落ち込むこと,次第に状況が悪くなるさまを指します。

 

 前置きが長くなりましたが,名古屋グランパスの現在の状況は正にじり貧で,不幸にして私の予言が当たりつつあります。グランパスは土曜日の試合でも鹿島アントラーズに1-3で敗れ,3勝6敗3分の14位・・・。J2降格争いをこれからしていく「勢い」です(笑)。現在の問題状況については,これまで素人の私が生意気にも指摘してきたとおりで,戦術の共通理解とその徹底がなされていないこと,そもそも戦術が存在しないこと,個に頼りすぎていて組織的なサッカーが全くできていないこと,その「頼るべき個」である選手自身のモチベーションが低くなっているのではないかと思われることなどです。

 

 ストイコビッチ監督は,監督としてはもはや限界なのではないでしょうか。あの悪夢のような民主党政権の終焉により,やっと日本が元気になりつつありますが,グランパスの監督も政権交代の時期では・・・。ストイコビッチ監督は,組織的なチームを作っていこうとしているのでしょうか(もう5年以上も経過しておりますが),そして次週に対戦する相手チームのビデオを分析して戦い方を研究し,選手達に周知徹底しているのでしょうか。かつてグランパスを率いていたアーセン・ベンゲル監督のような,また現在チームを首位に導いている大宮アルディージャのズデンコ・ベルデニック監督のような監督としての知性を感じません。チームを何とか組織的に,有機的に機能させていこうとする熱意が感じられないのです。

 

 ネット情報ではありますが,名古屋グランパスはJ1のチームの中でも最も練習量が少ないそうです。ストイコビッチ監督自身,その現役時代を振り返りますと,旧ユーゴスラヴィアの名門レッドスター・ベオグラードのきら星のように輝く天才集団(ロベルト・プロシネツキ,シニシャ・ミハイロヴィチ,デヤン・サビチェヴィッチなどなど)の中でもとりわけ輝きを放っていた天才選手でした。天才肌にありがちな,技に溺れる傾向,ほどほどの練習量と本番で爆発させればよい個人技・・・。監督になっても結局は個人技頼みなのでしょう。だから敗戦の弁はいつも選手の責任になることが多いのです。要するに,今の名古屋グランパスの試合内容を見ておりますと,全く組織というものを感じません。また,どんなサッカーを目指しているのかさえ分かりません。

 

 このままでは残念ながらじり貧でしょう。

2013/05/15

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 私もゴルフ場の貴重品ボックスを利用することが多いのですが,中国人窃盗団の手口は悪質ですね。客を装ってゴルフ場の貴重品ボックスに小型カメラを設置し,客が暗証番号のキーを押す手元を隠し撮りし,ボックスから取り出したキャッシュカードをスキミングして情報を入手し,偽造カードを作ってコンビニなどのATMで現金を引き出していたのです。まずは3人の中国人が窃盗等の罪で逮捕されましたが,背景には大がかりな組織が存在するとして,その被害総額は2億円に上ると新聞で報道されておりました。

 

 そういえば,この3月にも,中国人がインターネットバンキングを不正操作して,三菱東京UFJ銀行の口座から不正に送金し,不正アクセス禁止法違反で逮捕されたという新聞報道もあり,やはりこういう犯罪がグループによって行われているようです。

 

 これとは芸風は違いますが,中国メディアの発表によると,5月7日,中国浙江省温州市の高校の食堂で朝食として出された炊き込みご飯の中にネズミの頭が入っていたそうですし,背景には上海の食肉業者がネズミなどの小動物の肉を羊肉や牛肉に見立てて偽造し,市場に流していたということです。

 

 先週号の週刊文春の記事にも,スーパーなどでは中国産の食品は買われずに売れ残ってしまい,行き場を失った中国産食品が外食産業や冷凍食品となって消費されているとのこと。加工されれば原産国表示をしなくてもよいことになっておりますから,私たちは水際で口に入るのを阻止することができません。私はコンビニなどでおにぎりを買うことがありますが,中国産の海苔が相当に使用されているとのことです。日本での海苔養殖,製造は綺麗な水を多量に使用して衛生的に行われておりますが,中国でのそれは極めて不衛生であるとの記事の内容でした。ですから,おにぎりを買うときは,「有明産海苔使用」のものを買うようにしています。

 

 中国という国は,メンツを重んじる国だと言われておりますが,それならばこそ,犯罪者を輸出したりすることのないよう,そして「チャイナフリー」などといった言葉が定着することのないよう,しっかりと国民の民度を高め,安全な食品の提供に最大限の努力をすべきでしょう。要するに,メンツを重んじるのであれば,まずは自国の信用を高め,リスペクトされるような国を目指すべきです。

 

 新聞報道によりますと,5月2日の夜には鹿児島県の奄美大島の西の接続水域を原子力潜水艦が通過し,5月12日深夜から13日朝にかけては,沖縄県久米島南方の接続水域をやはり原子力潜水艦が通過しております。日本政府は中国のものであると断定しています。中国という国は,自国の大気汚染,水質汚濁,年間18万件ともいわれる暴動発生,食品の危険性など,そんなことをやっている場合じゃないでしょうに。

2013/05/14

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 この日曜日は「母の日」でした。私も今年83歳になった母に赤いカーネーションをプレゼントしました。また,うちのカミさんに対しても,日頃の労をねぎらって夜はお寿司を取り,家族三人で美味しくいただきました。カミさんの労をねぎらうといっても,私と娘は茶碗蒸しの底に沈んでいた苦手のぎんなんをカミさんに食べてもらいましたが(笑)。

 

 先日,歌手の田端義夫さんが亡くなりましたが,日曜日(母の日)の産経新聞の「産経抄」に書かれていたコラム記事には感動し,思わず涙ぐんでしまいました。朝食後,娘にこの記事の存在を知らせたら,娘もこの記事を読み,泣いておりました。その後カミさんもこの記事を読んだのですが,彼女もまた泣いておりました。

 

 そのコラム記事を変に要約してしまうと感動が薄れてしまうのですが,全部引用することもできませんので,やむなく以下に要約することにします。

 

 「田端義夫さんは,ある曲を歌う前は『この曲を歌うとおっ母さんが恋しくて仕方ないんです。』と述べていた。その曲の2番にある『なつかしき 父のまた母の 膝はゆりかご』の部分にさしかかると,田端さんのほおに涙が光って見えた。田端さんは3歳で父を亡くした。その後は,ひよこの人形作りの内職をする母に育てられた。といっても貧乏なため,9番目の子であった田端さんは,小学校に弁当を持っていけず,遠足の経験もなかった。小学校に通ったのも3年半だけで,13歳で奉公に上がった。普通なら恨みごとのひとつも言いたくなるが,田端さんは逆だった。その著書には,『(奉公のため別れたおっ母さんの)顔が,目が,涙が,それからのわたしの人生の支えになっているのです』と書いた。田端さんは母親に感謝し続け,慕い続けた生涯だった。今日は『母の日』である。かつての日本には貧しくとも,懸命に子供を育てる田端さんの母親のような人がたくさんいた。それがまた,国を支える原動力にもなった。そんな母親たちの歴史を考えることも,この日の過ごし方に思える。」

 

 本当にそのとおりであります。先日の母の日には,私も,娘も,カミさんも,朝っぱらからこのコラム記事を読んで居間で涙を流しておったのであります(笑)。それにしても,娘の涙を見て,この子も成長したなと思いました。少なくとも共感力は人一倍だ,などと親ばか丸出しの評価をしてしまいました。

2013/05/09

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 それはたかだか30分弱という時間でしたが,私にとっては地獄の責め苦のような時間帯でした(笑)。私は刑事裁判の日には時間絶対厳守ということで自動車は使用せず,公共交通機関で移動することにしていますが,名古屋から四日市までの特急列車に乗っての移動中にその「地獄の責め苦」は起こりました。

 

 午前9時50分発の○号車の7番Aの座席に静かに座っていた私は,さて少しばかり車内で仕事をしようかなと思っていた矢先,前方からけたたましい声で「7番,7番だっ!」という中年女性ら(どちらかというと還暦に近い年齢)の声と姿に接しました。迫り来る恐怖といいますか,得体の知れない不安感に苛まれている時間もなく,4人組の中年女性らは私の近くに闖入し,7番C,D,8番C,Dの席にどっかと腰を降ろしたのです。

 

 それからは,その4人組は他の客の迷惑を全く顧慮することなく,大声でしゃべくりまくったのです。私は仕事どころではなく,ただひたすら子羊のように震えながら堪え忍んでおりました(笑)。やがて今度は,その4人組は午前9時50分というのにサンドイッチを大きな口で食べ散らかしておりました。もはや地獄絵です(爆笑)。食べている間くらいはせめて静かになるだろうと思ったのですが,やはり物を口に入れたままの大声の会話が伴っておりました。回りの乗客は一体どんな心境でその姦しい大音声の会話を聞いているのだろうと思いました。もうこの頃には私は,瞳孔が開きかけておりました(笑)。仮死状態になりながら(笑),内心でこの人たちはこの時間にサンドイッチを思いっきり頬張っているが,旦那や子ども達の朝食はちゃんと作ってあげたのだろうかと,余計な心配をしておりました。

 

 一連の食事が終了した後,今度は菓子袋の「シャワ,シャワ」という音がし始め,お菓子をよってたかって頬張り始めたのです。この菓子袋の「シャワ,シャワ」という音はその後ほとんど絶えることがなく,バロック音楽における通奏低音のように,ただし不規則に続いていきました(笑)。やはり私はじっと子羊のように震えながら堪え忍んでおりました(爆笑)。そのおぞましくも大音声のけたたましい会話はその後も容赦なく続きました。あたかも周囲の者を奈落に突き落とすかのように・・・。それにしても,大声の会話,食事,お菓子,大声の会話,大声の会話,お菓子,大声の会話,お菓子,大声の会話,・・・少しは自分達の口に休息を与えてやったらどうかと内心思いました。彼女らの口が過労死してしまわないのだろうかと,全くしなくてもよい心配さえしてやったのです(笑)。

 

 恐る恐る横目で7番Cの座席の人(距離的に私に最も近い)の様子を窺うと,最も地声の大きかったその人は,今度はあろうことかマニキュアを取り出し,姦しい会話を中断することなくそれを爪に塗り始めたのです。サンドイッチの残り香とシンナー臭さがないまぜになった車内・・・。もう,やりたい放題です(爆笑)。静謐を心から渇望している周囲の乗客の人権は蹂躙されたままです(笑)。

 

 このけたたましい中年女性の4人組は,その手荷物の量からして日帰りの旅行を楽しんでいたのでしょう。でもこのマナー面での乱暴狼藉は度し難いものがありました。私は,何とか四日市駅までの30分弱でこの「地獄の責め苦」から解放されましたが,これが1時間も続いていたら,「急性」のノイローゼになっていたでしょう(笑)。

 

 その昔,「オバタリアン」という漫画や言葉が流行りました。最近ではあまり耳にしません。「オバタリアン」という漫画の主人公は,特に世間に対し無神経に迷惑を掛ける存在として描かれておりましたが,これが転じて,一般的に無神経であつかましい中年女性のことを指すようになりました。

 

 「オバタリアン」は今でも厳然と世に生息していたのであります(笑)。劣化した日本人の典型として。

 

 「サウイフモノニ/ワタシハナリタ」くないし,妻や娘にも絶対になって欲しくはありません。

2013/05/07

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 私の長嶋茂雄さんに対する熱い思いは,これまでにもこのブログで述べてきましたが,その長嶋さんと共に国民栄誉賞を受賞した松井秀喜さんも,これまた素晴らしい。

 

 NHKのBSで,松井秀喜さんの特集番組が放映され,テレビチャンネルを回していた私は偶然にこの番組を目にし,そのまま引き込まれるように最後まで見ました。とても感動しました。この番組は第1部が松井選手が大リーグで叩き出した全部で175本のホームランの連続シーンでしたし,第2部が主として松井さんやヤンキースの元監督,同僚など関係者のインタビューを中心に構成されていました。

 

 あの広い大リーグの球場で松井秀喜選手が叩き出した全部で175本のホームランシーンが次から次に連続で映されている間,私はなぜか泣けてきました。本当に凄い選手です。あの栄光のピンストライプのユニフォームを着て,豪快なホームランを打ち,ヤンキースの大人から子どもまでのファンを熱狂させる・・・。解説や言葉なしの連続シーンというのは,例えば映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストシーン(アルフレードがトトのために保存していた当時は放映禁止のキスシーンの連続)のように,なぜか人を感動させるものがあります。

 

 それにしても,松井秀喜選手のホームランというのは打った瞬間にそれと分かる豪快なものです。175本の連続シーンの中には,相手投手が松井選手の一振りを目にした瞬間にもはや後ろを振り返りもせずに項垂れるシーンがいくつかありました。松井選手のホームランというのはそういうホームランです。

 

 松井選手のヤンキース時代のほとんどを一緒に過ごしたジョー・トーリ元監督の「彼を一言で表現するなら”trustworthy”(頼れる男)だ。」,「松井の監督だったことを誇りに思う。」という言葉にまた泣けてきました。また,ヤンキースのキャプテンであるデレク・ジーターの「ヒデキは特別の存在だ。彼は決して言い訳をしない。とても尊敬している。」という言葉にまた泣けてきました。

 

 ワールドシリーズでMVPに輝いた松井選手ですが,ケガに泣かされた面もあってその後はあまり活躍できませんでした。この番組では,「失業中」の彼がマンハッタンのある場所の地下2階のバッティングセンターで黙々とバッティング練習をしていたという知られざるエピソードも紹介しています。そして,引退を決意した松井選手が心情を語るシーンでは,自然の呼び声に応じて散ってゆく桜のような潔さを感じましたし,彼のマスコミ対応における誠実さなどからしても,武士道精神を思い起こさせるものがあります。

 

 この大型連休の最終日は,テレビの前で泣いてばかりおりました(笑)。

2013/05/02

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 前にもこのブログで触れたと思いますが,年に数回,巨人ファンと中日ファンの同業者(弁護士)が同人数ずつで巨人対中日戦を観戦し,負けた方がその日の夕食をご馳走させられ,勝った方はそのチームのグッズを負けた方にプレゼントし,負けた方は飲食店内で,衆人環視の中でそのグッズを身につけながら食事をしなければならないという集まりがあります(「巨中会」といいます)。

 

 昨夜はナゴヤドームで観戦し,我が栄光の読売巨人軍が接戦をものにして勝利しました(笑)。球場内でも結構飲んでいたのですが,移動したいつもの台湾料理店ではさらに美味しいビールと,ベラボーに辛い台湾ラーメンをいただきました。ペナントレースはまだまだ始まったばかりですが,現在のところはジャイアンツはセ・リーグの頂点におります(笑)。

 

 頂点といえば,今年のドイツのクラブチームは本当に強いですね。ヨーロッパのクラブチーム№1を決めるチャンピオンズリーグは,バイエルン・ミュンヘンがバルセロナを,そしてボルシア・ドルトムントがレアル・マドリードをそれぞれ下し,ドイツ勢同士の決勝戦が行われることになりました。バイエルン・ミュンヘンのロッベンは本当に凄いわ。世界最高クラスのドリブラー,ウィンガーですね。さてさて,ヨーロッパのクラブチームの頂点を極めるのは,バイエルン・ミュンヘンか,それともボルシア・ドルトムントか・・・。

 

 またまた頂点といえば,日本の頂点,富士山が世界文化遺産として登録されることになりました。日本の誇りです。その美しさは万人が認めるところです。万葉集にも出てきますし,古今和歌集にも,そしてその他の古典にも当然のようにたびたび登場し,葛飾北斎の富岳三十六景にもその偉容と山としての様々な表情が描かれております。どうですかね,富士山という存在は,日本人にとっては,その姿を目にした時には決まって感動し,自ずと自分は日本国にいて,そして日本人なんだと再確認させてくれるような特別な存在なのではないでしょうか。要するにそれは日本人にとっては,単なる自然ではなく,原風景であり,「文化」なのです。富士山が世界自然遺産ではなく,世界文化遺産に登録されるのはそういうことからでしょう。今朝の讀賣新聞の記事によると,日本に帰化されたドナルド・キーンさんは,終戦後,海軍の通訳として帰国する船上において,日の光を浴びながら刻々とその美しい姿を微妙に変えていく富士山の姿を見て泣きそうになったそうです。

 

 私が心から愛する名著「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)にも,江戸後期から明治期にかけて相次いで来日した異国人は日本の文明に驚嘆し,富士山の美しさにも感動していたということが記されております。そのうちの一節を引用しておきます。

ミットフォード「午後のひととき、公使館のまわりをぶらぶらと歩いていると、不意に水平線から、なだらかに優美な曲線をえがき、白雪をいただく円錐形の山頂がくっきりと天空にそびえ立つ富士山の全容が、私の目に映った。私は名状しがたい強烈な興奮に駆られた。昨日までは考えもつかぬ狂気にちかい気持ちの高ぶりであった。そして、その時の異常な興奮はいまもなおその余韻がさめやらぬし、おそらく生涯の終わりまで消えることがないだろう。」

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