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2012/07/11

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 「毛沢東 大躍進秘録」(楊継縄著,伊藤正・田口佐紀子・多田麻美訳,文藝春秋)という本を読み終えました。ちょっと時間がかかりましたけどね。だって568ページのボリュームですし,何しろ各ページが2段組になっていますから,1000ページ以上読んでしまった感があります。でも内容が大変濃く,この本の序章の第三項の見出しにあるとおり,毛沢東が指導・実行した「大躍進」なるものは,人類史上最悪の惨劇だったことは間違いありません。

 

 中国共産党の毛沢東は,経済面でアメリカやイギリスを追い越そうとして,1957年から前例のない実験に着手しました。「公共食堂」なるものを作って家庭での食事を否定し,生産だけでなく消費や生活に至る全ての面で「公有化」を目指し,この政策が「大躍進」と呼ばれました。毛沢東は「共産主義下で家庭は消滅する」と嘯き,これを推進しようとしたのです。その結果,農民を中心として推定でも約3600万人もの人々が餓死しました。約3600万人です・・・。壮大な失敗だったのです。この本は,「大躍進」の被害者であるこれらの餓死者に対する「墓標」としての意味があります。

 

 この本には「大躍進」の問題点や当時の実態が,中国共産党がひた隠しにする資料に基づいて詳細に記述され,中国国内では発禁となっています。「大躍進」の問題点や当時の実態として指摘されたのは主として次のような点です(読後,思いついたまま書いてみます)。

・毛沢東やこれに迎合する取り巻きの幹部連中が,どだい無理な生産目標を設定する。

・各省や地方政府の上層部は,やはり政権中枢に迎合する形で,しかも他の地域と競争する形でこれまた到底無理な生産目標を設定する。
・農民は本来の農業生産だけでなく,途方もなく大規模な利水事業等の労役にかり出され,また粗末な炉を作って使い物にならない鉄の生産まで余儀なくされ(当然その材料として各戸にあったなけなしの鍋,釜などの金属類を供出させられ),疲弊します。

・また生産現場では「密植」なるとんでもない指導などがなされ,各地方では農業生産量が減少しますが,各地方政府幹部は処分を恐れ,あるいは自己の評価を上げようとして,実際の生産高とはほど遠い過大な生産があった旨の虚偽の報告をします。実際にはありもしない生産高を他と競って虚偽の報告をすることを「衛星を打ち上げる」と表現されていました。
・共産党中央は,各地方から上がってくる虚偽,過大な報告を真に受け,各地方に対して,これを前提とした過大な農産物買い上げノルマを課してしまいます。しかし実際の生産量は虚偽の報告を大きく下回っていますから,買い上げようにも物理的に無理なのです。でも地方幹部らは,自己保身からノルマの達成を目指して,農民に対してなけなしの生産物を供出するように苛烈な要求をし,これを拒む者は「反革命分子」などとして批判闘争にかけられ,殴る蹴るなどの暴行や拷問を受け,数え切れないほどの数の農民らが殺されました。
・党中央への報告とは異なり,実際には農業生産量が低い訳ですから,「公共食堂」における食料供給が次第にできなくなり,機能停止,解散となって餓死者が続出します。親が一人ずつ子供を殺してその人肉を食べたり,土中に埋められた死体を掘り起こしてその肉を食べるなどの凄惨な事態があちこちで発生します。
・このような餓死者続出の情報は少しずつ党中央にも伝わり,「大躍進」政策の調整が検討されますが,結局は「廬山会議」で正論を主張した彭徳懐らが粛清されてしまい,基本的にはこの政策の維持が決定され,毛沢東自身,餓死者の続出という事実を認めようとはしませんでした。
・もともとの政策の誤りがあったのですから,その後も餓死者は続出し,1960年の春から秋にかけてがそのピークでした。この本の第十章の見出しどおり「毛沢東への忠誠度と餓死者の数は比例する」状況でした。ようやく1962年の「七千人大会」で劉少奇が勇気をもって毛沢東に諫言するなどして,「大躍進」は徐々に収束しますが,毛沢東は劉少奇に恨みをもち,彼を「実権派(走資派)」などと呼んで追い落としの機会を待ち,最終的にはあの凄惨な「文化大革命」の発動によって劉少奇を粛清するのです。

 

 最後に,訳者である伊藤正氏の巻末の解説を引用しておきます。

 

「楊氏は本書執筆のため、新華社記者の特権を使い、全国一七省の内部資料や関係者の証言を入手した。その結果、驚くべき悲劇の実態が明らかになった。一九五八年から五年間の餓死者は推計三六○○万人に上り、その大半が農民だった。都市や工業建設の資金を確保するため、食糧供出の過大なノルマを農民に課した結果だった。本書では、他人の死体を掘り起こしたり、子どもを殺したりして飢えをしのぐ地獄図さえ描く。その一方で、幹部たちが宴を張り、贅沢の限りをつくしていたことも明らかにされている。こうした悲劇が起こった究極の原因について楊氏は毛沢東を絶対的権力者とした極権制度に求め、少数の権力者が労少なく最大の果実を享受する不公平な体制は現代に引き継がれているものの、市場経済の発展により、民主主義制に変わる日は近いと予測している。」

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