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弁護士ブログ

2011/08/23

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 先日の産経新聞の記事に,大正9年に日本がシベリアのポーランド孤児765名を救出し,手厚く看護,もてなしをして無事にポーランド本国に送り返してあげた実話が載っておりました。実はこの話は,私自身も以前から知ってはおりましたが,この記事を読んで改めて感動しました。

 

 ポーランドという国は私が好きなショパンを生んだ国ですが,列強によるポーランド分割により,第一次世界大戦の当時も国を失っておりました。ポーランドの若者は国を取り戻そうと独立運動を進めます。当然のことです。しかし,彼らの多くは極寒の地,シベリアに流刑されてきました。第一次世界大戦終結後は,ドイツは敗れ,オーストリアの国力は衰退し,ロシアも革命が起こって状況が一変したため,シベリアに流刑のポーランド人は歓喜に湧きましたが,新しく出現したソ連から弾圧を受け,ポーランド人は凍てつく原野で難民と化し,多くの孤児が出ました。

 

 この時,ポーランド人有志は必死で諸外国に救出活動の助けを求めましたが,日本はすぐに救出を決断し,日本赤十字社,シベリア出兵中の帝国陸軍が一生懸命,ポーランド孤児を救出しました。その数は765名です。日本は,東京と大阪の2か所で平均年齢5歳のポーランドの孤児を受け入れます。飢餓や凍傷で満身創痍の孤児達を必死で看護し,もてなしました。その結果,当時の日本人はこのいたいけなポーランド人孤児の一人も死なせることなく,故国に送ってあげたのです。

 

 この時,多くの日本人の児童は,自分がもっていた人形やおもちゃ,お菓子などを避難所に届けたそうです。本当に優しい子たちです。彼らだって当時,それほど裕福ではなかったはずです。共感力が強かったのでしょう。そして,このポーランドの子たちは,元気になっていよいよポーランドに出発する段になって,日本人看護婦さんの胸にしがみつき,日本人たちとの別れを必死に泣いて嫌がったそうです。

 

 また,これはその日の産経新聞の記事で初めて知ったことですが,当時21歳の看護婦であった松沢フミが担当したポーランドの幼女は凍傷の上に腸チフスを発症していて,もはや手遅れだと思われていました。松沢看護婦はその子が不憫でたまらず,毎晩その幼女のベッドで添い寝してあげました。彼女としては,その幼女が死を待つしかないのであれば,せめて自分の胸で死なせてやりたいと思ったからです。ところが幸いにして,その幼女は奇跡的に一命をとりとめ,それを見届けた松沢看護婦が倒れ,亡くなってしまいました。松沢看護婦自身が腸チフスに感染していたのです。結局,日本はこの765名のポーランド孤児を一人も死なせることなく本国に送ってあげ,亡くなったのは松沢看護婦一人だけでした。

 

 平成21年の秋に,私は家族とともに皇居前広場に行き,今上天皇即位20周年記念の式典などを拝見しました。その時,外国の来賓のスピーチとしてすごく早い段階で登場されたのが(一番最初だったかもしれません),ポーランドからの来賓の方(女性)だったのです。ポーランドは,台湾やトルコ,バルト三国,フィンランドなどと共に特に親日的な国ですが,ポーランドと日本の結びつきの強さは,この大正期の孤児救出も重要なきっかけとなっているのでしょう。阪神淡路大震災の時も,そしてこのたびの東日本大震災の時も,ポーランドから惜しみない援助が送られたのも,こういうことからでしょう。トルコとの絆で言えば,やはりエルトゥールル号事件は大きかったと思います。

 

 いずれにしても,昔の日本人は本当に優しかったのであります。そのメンタリティーは,基本的には今も受け継がれていると思いますがね。

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