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弁護士ブログ

2009/11/30

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 とうとう待ちに待ったドラマ「坂の上の雲」が始まった。NHKで,2011年の秋にかけて3年がかりの全13話ということらしい。この「坂の上の雲」という小説は,司馬遼太郎原作の巨編であり,これまでの発行部数が1800万部を超えたという。日本の人口を考えると,この発行部数は凄い数であろう。

 

 文春文庫から全8冊(第1巻~第8巻)の文庫版が出ていて,僕も読んだことがある。何とも言えない読後感であった。感動したこともちろんである。明治の人々の気骨と無私の精神,失われてはいけない日本人の特性を認識できたし,今後自分の人生で遭遇するであろう個々の局面でどのように考え,行動すべきかについての規準を示してくれる。少なくともヒントを与えてくれると思う。よく,識者に対するアンケートで「この一冊」というものがあるが,この本を挙げる人も結構いる。

 

 この小説は,秋山好古,真之兄弟,正岡子規の3人を中心に話が展開していくが,これらに限らず,途方もなく魅力的な明治人が次々に登場する。前にもこのブログで,その中の一人として広瀬少佐について言及したが,そのほかにも,児玉源太郎,東郷平八郎,大山巌,小村寿太郎,陸羯南など素晴らしい明治人が目白押しである。これらの人々に加え,黒木為楨,奥保鞏,乃木希典,野津道貫などに恐らく共通するのは,いずれも明治維新前に各藩で藩校などの教育機関,さらにそれより小単位の制度(例えば,薩摩藩における郷中,会津藩における什など)でしっかりとした教育,識見を植え付けられ,これを身につけていたということだろうと思う。

 

 今,民主党政権下で「子供手当て」や「高校無償化」などの金銭等の給付面のみに言及され,実際に施される教育の中身について触れられることが少ない。資源の少ない日本は,人こそが資源であり,教育(科学技術研究も含む。)こそ国家存立の基盤という認識が必要なのではないだろうか。

 

 この「坂の上の雲」を読み,それぞれの場面を想像するにつけても,人こそが資源だなと改めて痛感する。この本は何度も何度も読み返したいし,それに値する一冊である。さて,ドラマの方はというと,正岡子規役の俳優香川照之は,役作りのために体重を30キロ代後半まで減量したという。確かに正岡子規は類い希な才能には恵まれつつも,宿痾のために世を去り,この小説の第3巻目までの登場である。ここまでの役作りをして臨むというのも役者として凄い。ドラマにも大いに期待したい。

2009/11/27

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 平成20年11月28日,このホームページが世に誕生するとともに,この拙いブログも産声を上げました。全国6185万人のこのブログファンのために(爆笑),何とかまめに更新してきました。皆様のおかげでブログ1周年記念の節目を迎えることができました。深く感謝いたします。これからも,浅学非才ながらも,老骨にむち打って何とか続けたいと思っております(ここまでは,ですます調)。

 

 さて,唐突だが,エリック・サティを久しぶりに聴いてみた。サティの曲はあまり詳しくはなく,僕が知っている曲もお馴染みのものである。そこで,「3つのジムノペディ」,「3つのグノシェンヌ」を聴いてみた。・・・・・・あぁ,こういう曲を聴いていると,もう事務所に行きたくなくなる。要するに,一日中,家の中でまったりしたくなってしまうのである。だから,こういう曲を平日の朝に聴いてはならない。平日に聴くならば,一日の仕事が終わって夜自宅でくつろいでいる時であろうし,そうでなければ休日だろう。とても佳い曲なのだが,勤労意欲の方が危うくなるのである。

 

 ジムノペディの中では,やっぱり1番が1番いいし,グノシェンヌの中では,やっぱり1番に1番魅力を感じる。特に,グノシェンヌの1番は,何やら妖しい雰囲気を醸し出し,独特の魅力がある。以前にもこのブログで書いたが,細身の美女が薄着の衣装で妖艶な踊りをしているような雰囲気なのである。グノシェンヌの1番は凄い魅力を秘めている。

 

 その他には,これも有名な「ジュ・トゥ・ヴー(Je te veux)」がいい。それと,「パラード」や「梨の形をした3つの小品」もたまにはいい。サティは音楽会の異端児などと評されているが,作曲技法などはあの印象派のドビュッシーやラヴェルにも多大の影響を与えているそうだ。酒場(文学酒場の「黒猫」など)でピアノを弾いて生計を立て,ほとんどいつも貧しかったようだ。でも,サティは,青少年の育成を目的とする団体でボランティア活動をしたり,自分でピアノを弾きながら孤児たちにコーラスを教えたり,ソルフェージュ教室を開いたりしていたという。孤独ではあったが優しい人だったのだ。

2009/11/26

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  「冬来(きた)る 欲かくおにぎり たねちがい」

 

 コートを着ていくかどうか迷う朝がある。いよいよ冬である。これから夏を迎えるというのと,これから冬を迎えるというのとどちらがいいかというと,僕は冬の方を選ぶ。理由はよくわからない。

 

 さて,先日,休日返上で事務所で仕事をしたが,その途上,コンビニでおにぎりを買った。おにぎりのたねにはいろいろあるが,皆さんはどんなたねのおにぎりが好きであろうか。梅,サケ,おかか,ツナマヨ,明太子,焼きたらこ,こんぶ・・・・・・・。その日はどうしても梅のおにぎりが食べたかった。おにぎりのコーナーに行ったら,おにぎりがいっぱい並べてあり,それぞれおにぎりの列があった。こういう時,皆さんは,ちゃんと列の先頭からおにぎりをとってカゴに入れるであろうか。

 

 僕としては,経験則上,消費期限が迫っているものから順に各列の先頭から並んでいるのではないかという認識をもっている。要するに,より新鮮なおにぎりほど,最後尾の方に並んでいるのではないか。そこで,僕は通常,おにぎりをカゴに入れるときは,店員やその他の客の目があるときは,ちゃんと列の先頭のものを取ってカゴに入れる。逆に,店員やその他の客の目がないときは,より新鮮なおにぎりがいいなと欲をかいて,最後尾のものをカゴに入れる。一体全体,社会正義を実現すべき職責を有する弁護士がそのような了見でいいのか!(笑)。

 

 休日返上で仕事をするため,昼食用にコンビニでおにぎりを買ったとき,僕は食べたかった梅のおにぎりの列に手を伸ばし,人目がなかったことから,梅の列の最後尾のものをカゴに入れて買った(もちろん,精算はしております。・・・念のため)。さて,事務所に着いて梅のおにぎりを食べようとしたら,そのおにぎりのたねはおかかだった。要するに,念願の梅の列の最後尾に,何かの手違いでおかかが紛れ込んでいたのだ。冒頭の句は,そのときに,悔し紛れに一句ひねったものである(笑)。

2009/11/24

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 グレン・グールドという人は,異色かもしれないが,天才ピアニストであったことは間違いない。バッハのゴルトベルク変奏曲のうち,晩年に録音した方のものや,平均律クラヴィーア曲集などは今でも僕の愛聴盤である。グールドは秋に亡くなったが,早くも没後27年も経つ。そのグールドは,カナダ国籍だったが,夏目漱石の「草枕」をこよなく愛し,繰り返し読んでいたということだ。

 

 正直言うと,文豪夏目漱石の作品は,「坊っちゃん」,「吾輩は猫である」,「こゝろ」くらいしか今まで読んだことがなかった。かのグールドが「草枕」を愛読していたという情報に接して,それで興味を持ったのである。・・・・・・・「草枕」を読んでみた。すぐには読書感想が思い浮かばない。僕がかつて読んだ漱石の作品と比較すると,少し異色の作品ではなかろうか。グールドがこの作品を愛読していた理由を知りたい気になった。彼はこの作品のどんな点に惹かれたのであろうか。とても興味深い。

 

 漢文調の文章が延々と続くくだりにはいささかやっかいな思いをしたが,何となく魅力のある作品ではある。宿屋の庭付近から夜中に聞こえてくる小さな歌い声や,突如として湯気の中に浮かぶ女体,その他の自然描写などは幻想的ともいえる。また,その歌い声や女体の主は,出戻りの那美という女性であるが,彼女はこの小説においては極めて大きな存在である。また,随所に現れる人生や事象に対する内省的,洞察的な表現。繰り返すが,あのようなバッハを表現するグールドがこの「草枕」という作品のどんな点に惹かれたのかが知りたい。

2009/11/20

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 僕としても,このブログであまり政治的なことは書きたくない。もっと楽しい話題,例えば,ぜんまいざむらいとか,新撰組とか,神のように崇めているバッハのことなんかを書きたいのだ。でも,さすがに最近の民主党,とりわけ鳩山由紀夫という人の迷走ぶり,脳天気ぶりを見ていると,話題にせざるを得ない。僕も国を憂えざるを得ないのだ・・・。

 

 それにしても,一体全体,この鳩山由紀夫という人の頭の中はどうなってしまっているのだろうか。きっと凄いことになっているのではないだろうか。米軍普天間基地移設問題をめぐるこの人の言動は,もはや首相としては常軌を逸している。

 

 オバマ大統領が来日した際の日米首脳会談で,同大統領が早期の履行を求めたのに対し,鳩山首相は「Please trust me(どうか私を信じてほしい)」と述べ,同大統領は「Absolutely, I trust you(もちろん,あなたを信じますよ)」と答えたということだ。この米軍普天間基地移設問題の重要性は大統領来日前からアメリカの高官から強調されていたのであり,首脳会談で鳩山首相が特に異議を留保することもなく,このようなやり取りがなされれば,アメリカとしては,設置が合意された閣僚級作業グループでの協議内容が従前の日米合意の早期履行が前提となると信頼するのは当然である。ところが,大統領を日本においたままAPEC首脳会議のためにシンガポールに出かけてしまった鳩山首相は(このこと自体外交儀礼に反すると思うが),あろうことか,「オバマ大統領とすれば,日米合意を前提と思っていただろうが,それが前提なら作業グループを作る必要がない。」と明言したのである。それだったら,その旨を堂々と首脳会談の時に明言しろよ。基軸となるべき同盟国に明らかな不信感を抱かせるような,手のひらを返すようなこの鳩山発言に,民主党の長島昭久防衛政務官ですら「オバマ大統領が『今の日米合意を迅速に実行する』と言ったにもかかわらず,首相が(打ち消すような)話をして正直びっくりした。」とテレビで戸惑うといった始末である。

 

 この基地移設問題の最終決断時期についても,鳩山発言はブレにブレている。10月16日には名護市長選(平成22年1月)と県知事選(同年11月)の間くらいには決断すると明言したのに,その1週間後(10月23日)には,名護市長選の後でと言っているつもりはない,早く結論がでればそれに越したことはない,と前言を事実上翻している。ところが,オバマ大統領との首脳会談の直後,鳩山首相は今度は,「名護市長選にしたがって方向性を見定めてゆくこともある。市長選が全く念頭にないというわけではない。」と発言しているのである。ここまでくると,アメリカは,あきれかえっているのではないだろうか。

 

 どうやら,鳩山首相が何かにつけて名護市長選や知事選に言及するということは,自分自身で高度に政治的な問題に対する判断力,決断力を欠いているものだから,市長選などの選挙結果をバックボーン,力にしてアメリカと再交渉ができればなどといった魂胆なのではないかと穿ってみたりもする。でも,これまで約14年もかけて日米でこの問題を協議し,両国でこれが最良の方法だと合意し,名護市も最終的には苦渋の選択をしたのである。国防というのは同盟国との信頼関係を維持しながら,最終的には国自体が判断しなければならない問題である。この点をめぐる鳩山首相の言動は,その一方で「日米同盟を外交の基軸と位置づけている」との言葉とは裏腹に,明らかに同盟の相手方の不信を買い,国益を損ねている。

 

 鳩山由紀夫という人は,この防衛,安全保障の問題だけでなく,その他のマターでも言うことがコロコロ変わる。変節といってもいい。それは結局,定見がないからである。これに尽きる。奥さんと一緒にファッションショーに登場したり,政府専用機の中で奥さんと指相撲に興じている場合ではない。一国の宰相に定見がないというのは,非常に深刻な事態である。

2009/11/18

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 あの薩長連合の立役者である坂本龍馬の命日がいつだかご存知だろうか。そう,11月15日である。では,かつて新撰組の参謀として活躍し,その後これと袂を分かって御陵衛士となった伊東甲子太郎の命日がいつだかご存知だろうか。そう,11月18日である。いずれも慶応3年(1867年)のことであり,龍馬と共に近江屋で襲撃された中岡慎太郎も結局は11月17日に死亡しているから,11月15日から18日にかけての僅か4日間で3名もの有為な人材が相次いで暗殺により落命しているのである。惜しまれる。

 

 坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺したのが誰なのかについては,最も有力な説は,佐幕派の急先鋒であった京都見廻組の佐々木只三郎らというものである。そのほかには,薩摩藩説も有力である。結局,龍馬は佐幕派からも倒幕派からも恨まれる立場にあったからなのか。でも,言い換えれば,龍馬はそれだけ動乱の幕末にあって大きな仕事をしたからだとも評価できる。さらには,漫画家の黒鉄ヒロシさんは,龍馬暗殺について,何とその3日後に暗殺される伊東甲子太郎率いる高台寺党犯人説を主張する。新撰組を犯人に仕立て上げるための証言などの出所が高台寺党から出されていることなどが根拠になっているようだ。龍馬らを暗殺した真犯人の確定については,決定的な証拠の不存在,当時の様々な人間関係,政治力学が複雑に絡み合っていて,決め手がない。

 

 伊東甲子太郎という人は,神道無念流をおさめた後,さらに北辰一刀流もおさめたほどの相当の使い手で,知的でもあり,尊王攘夷論では相当の理論家だったらしい。彼を七条油小路付近(近藤勇の妾宅のすぐ近く)で暗殺したのは新撰組隊士であることは間違いない。その理由は,伊東らが薩摩藩と気脈を通じ,新撰組の近藤らを暗殺して新撰組を勤皇倒幕へ向かわせようと画策していたからだそうだ。でも,伊東甲子太郎がこのような形で落命するのも,坂本龍馬や中岡慎太郎らの有為な人材と同じく,惜しい。伊東は,僕が何かしら親近感をもつ新撰組の山南敬助の切腹後,これを悼んで次のような歌を詠んでいる。

 「春風に 吹きさそわれて山桜 ちりてぞ人に おしまるるかな」

 

 いやー・・・,幕末あたりの歴史,人間関係,志士の思惑などはとても複雑だな。でも,その当時の歴史の流れや人物像について興味を持つ人が多いのも分かるような気がする。

2009/11/17

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 ぜんまいざむらいに出てくるずきんちゃんが,そのずきんを取った姿はどうなっているのか。ずきんちゃんは未成年のようであるが,子供なのに何故いつもずきんをかぶっているのだろうか,何か訳でもあるのだろうかと思っていた。可愛いから別にどうでもいいのだけれど・・・。

 

 こういう訳で僕としては,ごく最近まで,ずきんちゃんのずきんの中がどうなっているのか全く知らなかったが,先日,この点につき新たな発見をした。ずきんちゃんが通りでぜんまいざむらいと話をしている最中に,突風が吹いた。その瞬間,何と,ずきんちゃんのピンク色のずきんが風で吹き飛ばされたのである。その時僕が見たものは,少し栗色がかった多すぎるほどの豊かな髪であった。正直言ってびっくりした。思いがけないほど豊かな髪の量であり,おそらくずきんちゃんとしては,多過ぎてまとまりにくい髪をずきんをかぶることによってしのいでいたのであろうと思われる。・・・・・思いがけず,朝っぱらから新たな発見をした。

 

 ところで,僕ももういい加減にダイエットモードを軌道に乗せなければならない。そういう訳で,ぜんまいざむらいの弁当箱で弁当を食べる日以外は,コンビニなどでサンドイッチやおにぎりなど軽い食事を買ってくることが多い。先日,コンビニのレジで順番待ちをしていた時,レジの近くに大きな旗というかのぼりのような物があって,よくよく見ると,チビ太であった。すごく可愛い。チビ太がおでんを手に持っているのだが,改めてその姿,容貌を見ると,本当に可愛いのである。これも新たな発見であった。

 

 ピカチュウ,ドラえもん,ゴマちゃん,オバケのQ太郎,チビ太など,どれもこれも本当に可愛い。今や我が日本国のアニメは世界を席巻している感がある。日本のアニメに登場するキャラクターのほとんどは理屈抜きに可愛いが,世界的に好評なのは,それが大きな理由の一つではなかろうか。         

2009/11/16

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 11月12日の木曜日は,ちょっと東京へ行ってきた。皇居前広場で開催される天皇陛下即位20周年記念の国民祭典に参加するためである。

 

 名古屋駅10時発ののぞみに乗った。そうすれば,理想的なランチの実現,すなわち,ちょうどお昼少し前に,東京駅の八重洲地下にある旭川ラーメン「番外地」に到着できるからである。注文はいつものように「塩バターコーン」である。相変わらず魚介系ダシがよく利いていてとても美味しい。ラーメンで満足した後は,当然のように上野の「鈴本演芸場」へ直行である。落語を聞いていると何だか落ち着くのである。日本の話芸である。昼の部の中入りの時に出て,皇居前広場に向かった。

 

 天気が心配されたけど,前後日の雨天を縫うかのようにして,この日は雨は降らなかった。風が強くて寒い一日だったけれど,天皇陛下の即位20年を祝う国民の熱気は凄かった。開会宣言は,尊敬するあの平沼赳夫衆議院議員であった。その後各界を代表する方々のスピーチがあった。僕たちはいくつかのスクリーンを見ての参加ではあったが,女優の森光子さんや,スポーツ界では王貞治さん,原監督らも出席していた。EXILEのパフォーマンスも素晴らしかった。ヴォーカルのあつしさんもグラサン外していたしね。

 

 天皇皇后両陛下は,二重橋までお出ましになり,僕たちはスクリーンを通してそのお姿を拝見した。誠実で暖かいお人柄がうかがえた。我々は,提灯に点灯し,日の丸の小旗を振って御祝いした。天皇陛下のお言葉は,いつ聞いても美しい日本語である。それに率直で,我々の心にストレートに訴えかける力がある。「寒くはなかったでしょうか。」,「ありがとう。」というお言葉もあった。

 

 この国民祭典は午後7時に終了し,充実した気持ちで皇居前広場を後にしたのである。天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であるが,僕自身,恥ずかしながら天皇という存在について正確な知識と理解を欠いている部分もある。そこで今読んでいるのは,小林よしのりさんが書いた「天皇論」(小学館)である。基本的な理解をするには,読みやすく,格好の本である。

2009/11/11

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 あまりしつこくなってもいけませんが,「マタイ受難曲」上演当日の思い出を続けます。第1部と第2部との間に約20分間の休憩があったのですが,楽屋に戻ってお茶を入れてなどといった時間的余裕も精神的余裕もありません(笑)。トイレ休憩の後に,再び第1コーラスと第2コーラスとが舞台の下手と上手に分かれ,舞台袖の所で整列です。第1部の最後の29曲目の大コラールでは,「調子に乗って合唱のテンポが早くなったな。」,「もっと指揮者のタクトを見ないといけないな。」などといった反省の言葉が各員から聞かれました。確かにそのとおりでした。総譜(スコア)にばかり目をやっていてはいけません。

 

 いよいよ,第2部の始まりです。イエスが捕縛された後,尋問,裁判,ペテロの否み,ユダの自殺,ゴルゴタの丘への行進,磔刑,埋葬へと続いていきます。特に有名な第39曲(憐れんでください)のアルトのアリア,第42曲(私のイエスを返せ)のバスのアリアは,合唱団員として背後で聴いていても感動するできだったと思います。第1バイオリンと第2バイオリンのそれぞれの筆頭格の各演奏(伴奏)も素晴らしかったと思います。それと印象的だったのは,第57曲(来たれ,甘い十字架よ)のバスのアリアの際の,ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏(伴奏)の素晴らしさでした。細身の女性ですが,卓越した技術を駆使した渾身の演奏で,その後に得た情報では,指揮者直々のご指名だったそうです。さすがでした。

 

 僕も,第2コーラスのバスの一員として,約1年間の練習の成果を発揮しようと頑張りました。間違えた所もありましたし,自信のない所は口パクでした(笑)。でも思いのほか,頑張ったのではないかと思います。いよいよ終曲では,絶対に泣いてはいけないと自分に言い聞かせて臨みました。幸い泣きはしませんでしたが,感動しながら唱っておりました。僕にとっては大恩ある方の奥様が,当日券を何とか購入して鑑賞に来てくれたそうです。直後にその奥様からハガキをいただき,終曲の時は涙が止まらなかったと仰ってくださいました。ありがたいことです。人に感動を与える演奏の一翼を担うことができるなんて。

 

 このようにして僕のマタイ受難曲体験は終了しました。打ち上げ会は,演奏終了後ほどなくして,指揮者,ソリストのほとんどを交え,和気藹々と行われました。特に僕の印象に残ったのは,少年少女の合唱指導に当たられた先生が,その挨拶の時に感極まって落涙されたことです。恐らく,良い仕事ができたという達成感と,何よりもバッハのマタイ受難曲に対する思い入れがあったのではないかと推察いたします。その気持ちはとてもよく分かります。その後に催された2次会もとても楽しかった・・・・・。

 

 さて,僕は,バッハのマタイ受難曲を歌いたい一心で合唱団に入団しましたが,仕事が多忙であることもあり,その目的を達し,このたび退団です。これは最初からの予定でした。でも,このような活動の素晴らしさは実感しました。バッハの曲であれば,何とか仕事と折り合いを付けてでも参加したいなという気持ちはあります。そのような虫の良い入退団が許されるのかどうかは分かりませんが,将来,ふたたびバッハの曲が演目として選ばれたら,さながら子羊のような姿でオーディションを受けてでも(笑),再びこのような貴重な体験をしたいと思っております。

2009/11/10

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 子羊のような姿で入場したものの,実際にステージに立って見ると,晴れがましくもありました(本日もいつになくですます調です)。総譜(スコア)を見ながらの合唱ですから,着用したメガネは老眼用です。ですから,客席の聴衆のお顔はぼやけていてよく分かりませんでした。でもその方が緊張しなくてかえって良いのでした。

 

 コンサートマスターによる音合わせの後,静まりかえったホール。指揮者の登場を待ちます。緊張します。でもこの時,われわれ合唱団のすぐ前に位置していた40歳代と思われる男性のファゴット奏者が,後ろを振り返り,右手の親指を立てて「大丈夫」といったような仕草をして勇気づけてくれました。優しい人なんだと思いました。また彼もそのようにして自分の緊張もほぐしていたのではないでしょうか。

 

 指揮者登場。冒頭合唱曲の出だしの段階で,早くも胸に迫り来るものがありました。「深沈とした、管弦楽の前奏。・・・・・ゴルゴタへ向けてのイエスの一行の、重い歩みを聴く。」(マタイ受難曲125頁,137頁:礒山雅,東京書籍)とあるように,厳粛で悲痛な出だしです。さあ,いよいよ始まりました。一年間の練習の成果を発揮するぞー・・・・・・。

 

 相当に緊張しておりましたが,最初に発声して以降は大分気分が落ち着きました。サッカーでもボールへのファーストタッチ後は選手も気が落ち着くのと同じでしょう。やがて,少年少女たちによる「おお罪なき神の子羊(O Lamm Gottes,unschuldig)・・・・・・・」の部分の力強く美しい声がホールに響き渡りました。素晴らしい。あー,子どもたちも頑張ってるんだ。この力強くも美しい声にどれほど勇気づけられたか。どれほど士気を高められたか。

 

 その後,いくつかのコラールもそれほど大きなミスもなくできました。このマタイ受難曲は,第1部と第2部に分かれ,演奏時間約3時間を要する大曲ですが,第1部の途中からは,緊張してミスを恐れるという心理状態よりも,この曲に関わることのできる人生でも極めて貴重な体験を味わおうとする精神的な余裕も出て来ました。

 

 それと同時に,ステージ上で,この曲の凄さを鑑賞することもできるという贅沢な状況でもありました。第11曲の中には,イエスが,裂いたパンを「私の体」であると言い,杯のぶどう酒を「私の血」であると言って,弟子たちに味わわせる場面があります。その際にアリオーソ風に歌われる4分の6拍子の堂々たる,美しいメロディーが途方もなく好きです。じーんと来るんです。これを本当に間近で聴くことができました(イエス役のソリストは私のすぐそばで声高らかに唱っていたのです)。特にこの時は,僕も聴衆の一人として感動したのでありました。

 

 このようにして,どんどん曲が進み,第29曲の大コラールもとても気持ちよく歌い終え,第1部の終了。プレーヤーも聴衆も約20分間の休憩とあいなりました(続く)。

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