今日7月28日はヨハン・ゼバスティアン・バッハの命日です。没後275年ということになりますね。私が一番,そして別格に好きな作曲家です。今日はバッハを偲んで夜に「マタイ受難曲」を聴こうかな。あらゆるジャンルを通じ,これまでに私が聴いた曲の中では「マタイ受難曲」こそ人類の史上最高傑作だと思われるのです。
さて清浄な世界からドロドロした世界に目を転じますと,今現在自由民主党の「両院議員懇談会」が開かれておりますね。おそらくこのようなガス抜きに過ぎない会合から,いずれ機関決定のできる「両院議員総会」が開かれるのではないでしょうか。開催要求に必要な所属議員の3分の1の署名が既に確保されているようです。
石破茂という人物はこれまで総裁選に5回も立候補し,卑怯にも同じ所属議員を後ろから銃で撃つかのような振る舞いをし,首相になりたくてなりたくて仕方がなかったのです。それゆえ,衆議院議員選挙,東京都議会議員選挙,参議院議員選挙に3連敗してもしぶとく続投を表明し,せっかく手に入れた首相たる地位に恋々としています。言っては悪いのですが,容貌だけでなく政治家としての立ち居振る舞い,身の処し方も醜い。
なお,自民党が3連敗した責任をこの人物だけに押し付ける訳にはまいりません。というのも,前回のブログで書きましたように,選挙でこのような結果が出たのはこれまでの長きにわたる自民党政権(公明党も論外)の政策の失敗,国会議員としての職務放棄などの実情に有権者がほとほと愛想が尽きたからだと思われるからです。
ではなぜ石破茂という人物は首相を辞めなければならないのか。それは彼がそもそも日本国首相としての資質,能力がなく,その器でもないからですし,保守政治家とは到底言えないからです。何やら国会議事堂前では「石破やめるな!」などといったプラカードを掲げた応援デモがあり,そのデモ参加者はどうやら完全に平和ボケした人たちやバリバリの反日左翼活動家だったりのようです。このようなことからも,石破氏はその思想面ではお里が知れているのです。
石破茂という人は,父親から地盤・看板・かばんを引き継いで弱冠29歳で衆議院議員となり,もうかれこれ39年間も議員をやっています。私だったら政治家としての潤沢な歳費と時間を利用して,ネイティブの英会話家庭教師を雇い,将来の役割(海外の要人との人脈形成,外交)のために英語ペラペラになりたいと思います。
でも映像を見る限り海外での会議やセレモニーにおいても彼は英語が話せないようで完全に孤立し,会議開始前には海外の要人と交わることもなくスマホをいじっております(笑)。全く外交になっておりません。同様に,人間そして政治家としての魅力がないために仲間や人脈,有力なブレーンにも乏しく,結果としてロクな組閣ができず,現在の閣僚の面々(岩屋毅,村上誠一郎,中谷元など)を見ても分かるように,惨憺たるものです(笑)。これを要するに,夢にまで見るほど首相にはなりたかったのだけど,全くその準備すらできていなかったのでしょう。
いずれにしても石破茂という人,将棋に例えるならば首相としては既に詰んでおります。にもかかわらず彼はしぶとく続投を宣言しています。特に胸騒ぎ,嫌な予感がするのは,彼が戦後80年の「談話」ないし「見解」を発表したりすることです。それだけはやめろと言いたい。ウィキペディアをご覧になってもお分かりのように,この人は靖国神社の「A級戦犯」分祀を要求しておりますし,いわゆる「歴史問題」で日本は韓国が納得するまで謝罪し続けなければならないといった趣旨のことを述べております。
このような自虐史観,いわゆる東京裁判史観に偏った人物が戦後80年「談話」や「見解」を発表することは百害あって一利なし,国益を害すること甚だしいのですから,絶対に余計なことはするな!と言いたいのです。