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弁護士ブログ

2018/11/16

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そういう訳で,結局私は,あれほど楽しみにしていたマウリツィオ・ポリーニの生の演奏に接することができませんでした。そこで,いよいよ秋も深まってきたことですから,ポリーニが33歳から35歳にかけて録音したベートーベンのピアノソナタ第30番,第31番,第32番のCDを聴いてみました(ドイツ・グラモフォン)。

 

今から40年以上も前の録音ですが,やはりポリーニの演奏は完璧です。比類のない美しさと深みというものがあります。そして,それにしてもです,私が改めて感動したのはベートーベンのピアノソナタ,特に最後期の作品の素晴らしさです。

 

第30番(ホ長調,作品109)の第1楽章の出だしの美しさは言うまでもありませんが,第3楽章を聴いていて,思わずじーんと胸に迫り来るものがありました。この楽章には,楽譜に「歌に満ちて、内的な感情を伴って」などといった指定があります。正にそのような曲。その旋律の美しさと盛り込まれた対位法(フーガ)などは,バッハのミサ曲ロ短調の最終曲ドナ・ノヴィス・パーチェムを想わせるものがあります。

 

第31番(変イ長調,作品110)も特にフーガの部分が素晴らしいと思います。これも好きな曲です。1821年の成立ですから,死の約6年前の作品ですが,晩年になるとフーガというものに回帰したくなるといった傾向があるのでしょうか。

 

第32番(ハ短調,作品111)はベートーベン最後のピアノソナタです。この第1楽章でもソナタ形式の中に対位法がふんだんに駆使されています。何よりも凄みを感じますのは,第2楽章(アリエッタ)の5つの変奏であり,特に第3変奏のあの時代を先取りしたようなリズムと曲想。全聾となり,また晩年を迎えて持病や甥(カール)の不祥事など私生活上の悩みを抱えつつも,このような作品を生み出すことができる精神力の強さと天才に敬服します。

 

ベートーベンの後期,特に最後期のピアノソナタを聴いていますと,作曲者自身が来し方行く末に深く思いを致し(内省),人生における様々な苦悩を乗り越えた末に到達できた達観のようなものを感じますし,ひょっとしてこの時ベートーベンは孤独にも神と対話をしていたのではないかとも思えてきます。

 

いくら天才を賦与されているとはいえ,作曲家にとって聴力を失うということはどういうことなのか。素人の私には想像もつきませんが,ハイリゲンシュタットの遺書があるように,このことはベートーベンを筆舌に尽くしがたい深い苦悩に陥らせたことは間違いないでしょう。学生時代の私は,ベートーベンの深い苦悩とは比較にはなりませんが,それでも小さなことでくよくよ悩むことがあったのですよ。聴力を失いながらも,そして私生活上の悩みを抱えながらも,それでもあれほど人を感動させる傑作の数々を世に問うほどのベートーベンの精神力の強さ,生き様に学生時代の私は鼓舞され,勇気づけられ,感動しておりました。

 

確か,そういった学生時代,私は「ベートーヴェンの手紙(上),(下)」(岩波文庫)という本を読んでさらに深く感動したことを覚えております。もう一回読み直してみようと思って自宅の隅から隅までその本を探してみたのですが,見つかりません。あれから何度も引っ越しをしておりますから,処分してしまったのかもしれません。

 

おそらく今も販売されていると思いますので,もう一度購入して読んでみようと思います。失礼しました。

2018/11/08

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今年の夏もあれほど暑くて閉口したのに,もう秋も深まり,朝晩はそこそこ冷え込むようになりましたね。早いものでもう11月に入りました。

 

新選組のことなど,私も幕末の歴史物に割と興味があるのですが,11月といいますと坂本龍馬や伊東甲子太郎が相次いで暗殺された事件を思い浮かべます。当時は尊王攘夷派,佐幕派など政情も社会も不安定な状況でした。坂本龍馬は慶応3年(1867年)11月15日に,また一度は新選組に籍を置き,その後袂を分かった高台寺党の領袖,伊東甲子太郎は同年11月18日にそれぞれ京都で暗殺されたのです。いずれも有意な人材であったことは間違いないでしょう。

 

さて,その新選組ですが,やはり当時の時代状況からすればもはや刀や鎗の時代ではなく,火器の時代になっていたのであり,哀しいかな彼らも滅びゆく運命でした。新選組には北辰一刀流,神道無念流,天然理心流などの免許皆伝,相当の手練れがいましたが,その僅か2か月後に勃発した戊辰戦争の戦況を見ても明らかなように,スナイドル銃や大砲などの火器には到底太刀打ちできないのです。悲哀を感じます。

 

また,沖田総司は新選組の中においてもその剣術の腕前を永倉新八や斉籐一らと争ったほどの凄腕でしたが,沖田総司ももうその頃には持病の結核の症状が悪化し,戦列には加わることができなくなっていました。若くして病死するのは無念だったでしょうが,火器の前には剣術も無力でしたから,戦場で失望し無力感を覚えるよりは良かったのかもしれません。

 

子母澤寛のいわゆる新選組三部作のうち,「新選組遺聞」(中公文庫)の中の「沖田総司房良」の章には,江戸・千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で病床にあった総司が死を迎えるまでの描写があります。先日の産経新聞の産経抄にも記載されていたのですが,この植木屋平五郎は総司をかくまい,その最期をみとった人物として新選組ファンにはよく知られております。

 

先日亡くなられた女優・江波杏子さんはその植木屋平五郎の玄孫(やしゃご)にあたる人です。往年の映画ファンにとって女優・江波杏子は,何と言っても賭博のつぼ振り師・昇り竜の「お銀」でしょう。

 

産経抄によりますと,昭和41年公開の「女の賭場」という映画では,もともとは若尾文子さんが主演するはずだったようですが,自宅の浴室でころんでケガをした若尾さんの代役で起用されたのが江波さんだそうです。ところがこれが大映のドル箱になり,江波さんもスターダムにのし上がります。76歳で亡くなる数日前までラジオドラマの収録に参加されていたようですが,とてもいい味を出していた女優さんですね。合掌。

2018/11/02

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いやはや,恐れ入りました(笑)。韓国の最高裁判所にあたる大法院は,元徴用工の韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めていた訴訟で,驚くべきことに同社に合計4億ウォン(約4000万円)の支払を命じる判決を言い渡したのです。

 

どうやらこのような判決を下した裁判官の一部は,「建国者になったつもりで判決した。」などと述べているようですが,こんなものはもはや司法ではなく政治であり,国際的な常識から逸脱した判断です。本当に彼らは法律家なのかと疑いたくなります。法治国家ではなく「情治国家」と言われてしまうゆえんです。何しろ,この国は,国民情緒に合うという条件さえ満たせば,行政・立法・司法は実定法には拘束されない判断・判決を出せるという不文律があり,こういった状況は「国民情緒法」などといって揶揄されております(笑)。

 

日本政府は,この問題については,国交正常化に伴って1965年に締結した日韓請求権協定で両国及び個人の財産や請求権の問題について「完全かつ最終的に解決された」としており,このことは韓国政府自体もこれを認めていたはずです。2005年には当時の廬武鉉政権がこの協定に関して,「元徴用工の個人が日本企業に損害賠償を行う問題を解決する責任は韓国政府にある」との見解を示していたのです。

 

ところで,この問題について,日韓請求権協定で解決済みという日本政府の説明は確かに国際法の世界ではもちろん通用する理屈ですが,私はかねてから力説しておりますように(笑),いわゆる「従軍慰安婦問題」と同様,むしろそんな事実(強制性など)は存在しないのだという意味で,ファクト(事実)のレベルで毅然と争い,堂々と主張して欲しいのです。本当はね。

 

その点については,私が愛読する(笑)産経新聞の「正論」欄で,西岡力さんが正当にも指摘しておられました。それによると,今回のとてつもなく変な判決が出された裁判では4人の男性が原告になっており,彼らはいずれも「徴用工」とされていますが,彼らの経歴をよく調べてみると実は「徴用」で渡日したのではありません。1人は1941年,3人は1943年に徴用ではなく「募集」,「官斡旋」で渡日しているのです。このうち2人は,平壌で日本製鉄の工員募集の広告を見て,担当者の面接を受けて合格し,その引率で渡日したといいます。

 

そもそも国家総動員法に基づく朝鮮での戦時労働動員は,この変な判決がいうような「日本企業の反人道的不法行為」ではなく,戦時における合法的な民間企業での期限契約賃労働でした。39年から41年に民間企業が朝鮮に渡って実施した「募集」,42年から44年9月まで朝鮮総督府が各市,郡などに動員数を割り当てて民間企業に引き渡した「官斡旋」,44年9月から45年3月頃までの徴用令に基づく「徴用」の3つのタイプがあったのです。

 

どれも動員先は民間企業で,通常は2年の期限契約であり,待遇は総体的に良かったのであり,例えば44年に広島の軍需工場に徴用された労働者は月給140円をもらっていたのです。相当に高給です。当時は日本人男性の多くが徴兵のため不在で,日本本土は極度の労働者不足で賃金は高騰しておりました。ですから「募集」の時期には出稼ぎ目的の朝鮮半島からの「個別渡航」が並行して多数あり,同じ時期,渡航許可なしに不正に渡日して送り返された者が1万6000人ほども存在していたのです。

 

日本政府は,本当はファクト(事実)のレベルにおいても争うべきですし,韓国の裁判所も,いやしくも司法を掌る機関として,証拠の評価を含めて「合理的な疑いを入れない程度に確からしい」との心証を得て事実認定をすべきであり,くれぐれも賠償を求める者の「供述」だけを鵜呑みにしてはいけません。

 

今回の判決を受けて,韓国政府の行政安全部のあるセクションには,「うちの祖父も被害者だが,いま訴訟を起こせば勝てるのか。」といった類の問い合わせが殺到しているとのことです。韓国という国は,例えば「従軍慰安婦」に関する日韓合意など,仮に国際的な合意に至ったとしても平気でゴールを動かしてしまいます。本当に困ったものです。日本と韓国は,1965年にこの日韓請求権協定と同時に,日韓基本条約を締結し,日本は経済協力として韓国に合計5億ドル(無償3億ドル,有償2億ドル)を供与するとともに,その他に民間の円借款などを含めると総額8億ドルにも上る供与を行っているのです。これは当時の韓国の国家予算の2.3倍にもなります。韓国政府はこういったことをちゃんと国民に説明しているのでしょうか。

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