読売新聞でも報道されていましたが,日本への移住を希望する中国人の急増に伴い,ビザ取得の手続を行う日本各地の行政書士事務所に相談が殺到しており,特に増えているのが「経営・管理ビザ」なるものの取得を求める中国人です。将来の日本の国益を全く考えずに,刹那的な政策ばかりを実行する自公政権(今夏の参議院議員選挙でも容赦のない国民の審判を受けるでしょう)。2015年4月の改正入管難民法施行によって,資本金500万円以上を用意して事業所などを確保すれば取得できるため,中国のSNSでは「簡単に取れる」といった投稿があふれ,日本移住の方法を指南する「マニュアル」も出回り,日本の行政書士事務所には移住に関心を示している中国人が旅行中にスーツケースを持ったまま訪ねる人もいるとのこと・・・本当に勘弁してほしいですわ。
しかし,出入国在留管理局による「経営・管理ビザ」発給審査はとても甘く,実際には経営・事業実態があいまいなケースも多いようですし,大阪市中央区のある行政書士法人の月100~150件ある相談の6~7割が,「経営・管理ビザ」の取得を求める中国人であるとのことですし,同新聞によるとこうした中国人の集住地区は大阪市浪速区と西成区で近年目立つようになりました。
そういえば,在留資格にもいろいろありますが,埼玉県川口市の芝園団地は,住民約4500人のうち約6割が外国人で,その大半は中国人です(朝日新聞)。そりゃー,日本人が逃げ出したくもなりますよね。
もうかなり前からのことになりますが,イタリアのトスカーナ州のプラートという町には中国人が続々と移住して主に服飾関係の業務に携わって集住し(2020年の段階でプラート市民の約2割が中国人),一時は警察もなかなか近寄れないような治外法権化した状況にもなったようです。
また,子供の教育目的で日本に移住する中国人も続々と増え,日本各地の進学塾やインターナショナルスクールには中国人の子供が殺到しているとの報道もありますし(読売新聞),そういえば,宮崎県には日章学園九州国際高校という学校があり,生徒の約9割が中国人であり,入学式や卒業式では中華人民共和国の国旗が掲揚され,同国の国歌が斉唱されているというもの凄い画像を見たことがあります(日本人生徒は隅の方でおとなしく座っていました。)。このような私学にも高校授業料無償化が適用されるのでしょうか。それに,昨年10月の週刊文春の記事では,東京大学の中国人留学生の数は3396人であり,これは外国人留学生の66.5%を占めているというのだから驚きです。さらには,自民党参議院議員の佐藤正久氏が外交防衛委員会で質問していましたが,日本の国公立大学には複数の中国人の副学長が在籍しており,中には「中国人民解放軍関係者との共同研究者もいる」とのことです。加えて,中国人の富裕層はどんどん日本の不動産を買い漁っている実情があります。
また,中国には,有事に軍事動員する「国防動員法」と,有事・平時を問わず中国政府の情報工作活動への協力を義務づける「国家情報法」があり,両法ともに中国国内はもちろん,海外在住の中国人をも対象にしております。このまま日本は「平和ボケ」していてよいのでしょうか。それに外国人の集住やこれとの文化的・習慣的軋轢によって日本人がいつもストレスを感じる社会になってしまい,日本という国の形がだんだん壊れていく状況にはやはり危機感を覚えます。
もう我々もはっきりと気づいていると思いますが,同じ東アジアとはいっても,日本と中国・朝鮮半島とは違う全く文明です。アメリカの政治学者サミュエル・P・ハンティントンが著した「文明の衝突」では,現在の主要文明は7個または8個であるとされ,日本はそのうちの1つの独自の文明と分類されていました。
中国では1994年ころから江沢民国家主席主導の下で特に反日歴史教育等が強化され,その内容たるやもはや歴史学ではなくプロパガンダ(政治的宣伝)です。そのような教育を受けてきた人たちが続々と日本へ移住してくることには強い危機感を覚えるのです。
徒歩通勤の途上でも,見事な桜の姿に見とれて思わず立ち止まる名所が数か所あります。小学校,公園,神社など・・・。私の住むこの名古屋では,残念ながらもうすっかり葉桜になってしまいました。少し寂しい感じがします。
「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂う 山桜花」(本居宣長)
宣長の詠った桜は山桜であり,ソメイヨシノとは違っておりますが,いずれにしても桜の花というのは本当に美しいですね。その姿,形の美しさや風情,そして潔さが素晴らしいだけでなく,何といいますか観る者をして思索的にさせ,何かを思わせてしまうものがあるのです。うまく表現できませんが,来し方行く末を思わせてしまうような・・・。
「さまざまの事 おもひ出す 桜かな」(松尾芭蕉)
高齢者や病気の人は来年も元気で桜の花を観ることができるかしらと思うでしょうし(私もそのひとり),就学中の若い世代は桜の季節に入学していろいろな経験をしたり友達もできたな,お別れするのはつらいけど次の新生活はどんなものかななどと,寂しさと将来への期待とが入り混じった心境で桜を見るのでしょう。そして桜の花が日本人の心情に合致するというと誤解を生ずるかもしれませんが,「武士道」を著した新渡戸稲造博士が述べているとおり,私自身も自然の呼び声(風)に応じていつでもこの世を去る潔さを桜の花に感じます。
最後に「武士道」の一節を引用しておきましょうか。西洋のバラをここまで悪しざまに言ってしまうのにはちょっと引いてしまいますが(笑),とても説得的です。
「本当に、サクラは長年にわたって私たち国民の特愛の花であり、私たちの国民性の表徴であった。・・・その美しさの洗練と優雅とは、他のどの花もできないほど、私たちの美感に訴える。ヨーロッパ人がバラをほめたたえるのを、私たちは共にすることはできない。バラには、私たちの下に隠れている刺(とげ)、バラの生命にしがみつくしつこさ、まるで時期尚早に散るよりはむしろ、茎の上に朽ちることを選び、死ぬのをひどく嫌い恐れるかの風があること、バラのケバケバしい色彩とくどい香気-これらすべてが、私たちの花と大違いの特徴である。桜はその美しさの下に、およそ刃物も毒もかくしておらず、自然の呼声に応じて、いつなんどきでも世を去る覚悟ができているし、その色彩は決して派手ではなく、そのあわい香りは決して飽きがこない。・・・太陽がめぐり昇って、まず〈極東〉の島々を照らし、桜の馥郁(ふくいく)たる香りが朝の大気をよみがえらせるとき、いわばまさにこの美わしい日の息吹きを吸い込むこと以上に、晴朗爽快な感覚はまずない。」(「武士道」新渡戸稲造著,佐藤全弘訳,教文館,219~221頁)
先週の日曜日にうちのカミさんと一緒にドライブに出かけました。昨年の秋に車を買い替えたのですが,まだ1000キロも走っていませんでしたし,良い陽気にもなってきましたので出かけたのです。
さてどこへ行こうか・・・。気楽に日帰りでドライブできる場所で,ついでに美味しいものでも食べられる行き先を検索している時,ふっと三ヶ根山(愛知県西尾市西幡豆町)に存在する「殉国七士廟」のことに思い至りました。私が以前から是非訪れてみたいと思っていた場所を思い出したのです。
あの不当な,国際法上の根拠もなく,あろうことか事後法で裁いた「東京裁判」。アメリカの若い判事の一人もこれは間違いなく戦勝国による復讐(リンチ)だとその本質を看破していました。殉国七士廟の「七士」というのは,この東京裁判で「A級戦犯」として絞首刑に処せられた土肥原賢二,松井岩根,東条英機,武藤章,板垣征四郎,広田弘毅,木村兵太郎です。これらの方々のご遺骨がこの場所に葬られているのです。
横浜市の久保山火葬場にある共同骨捨て場におけるGHQの米兵の厳しい監視下で,小磯国昭大将の弁護人であった三文字正平弁護士らが七士のご遺骨の一部を何とか確保するに至るまでの涙ぐましいまでの努力がありました。取り敢えず何とか確保した七士のご遺骨の一部は伊豆山中の興亜観音に隠されましたが,昭和35年8月18日にこの殉国七士廟に安置されるに至ったのです。
昭和天皇は,昭和54年5月に愛知県豊田市で開催された全国植樹祭に行幸された際には,豊田市からは遠く離れた三ヶ根山の「グリーンホテル」にご宿泊になられました。翌朝午前6時,天皇皇后両陛下は部屋の窓際に佇立され,三ヶ根山山頂に向かってしばらくの間正対されました(15分間じっと頭を下げておられたという説もあります。)。
私たちも「殉国七士廟」に到着した後,すべての墓石,記念碑にお参りをしました。
本当は「東京裁判」なるものに対しては言いたいことがたくさんあるし,中国や韓国が「A級戦犯」合祀を理由に政治カード化し,日本国の首相や閣僚が靖国神社を参拝することを不当に非難している状況を看過できないのですが,「お前のブログは文章が長い」とよく言われますので,今日はこの辺でやめておきます(笑)。
ただ皆さん,「A級戦犯」だの「(首相らの)靖国神社参拝反対」などぎゃーぎゃー言っている中国人や韓国人を黙らせるためには,我々日本人が「東京裁判」の真実を知って理論武装する必要があるのではありませんか。また,日本国は,サンフランシスコ講和条約第11条に基づいて関係11か国の同意の下,昭和27年6月9日の参議院本会議「戦犯在所者の釈放等に関する決議」,同年12月9日の衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」,昭和28年8月3日の衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(全会一致),昭和33年「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がそれぞれなされたことにより,「A級戦犯」は昭和31年に,また「BC級戦犯」は昭和33年までにいずれも名誉回復がなされております。殉国七士は,これら前後4回にわたる国会決議前の昭和23年12月23日未明に処刑されておりますが,この名誉回復は他の「A級戦犯」と何ら径庭はないはずでしょう。
ついでに,さきほど理論武装と言いましたが,できるだけ読みやすく理解しやすいように理論武装するなら,「世界がさばく東京裁判-85人の外国人識者が語る連合国批判-」(監修佐藤和男,明成社)という本が最適でしょう。
結局は本日も文章が長くなってしまいました(笑)。このドライブの日,「殉国七士廟」に滞在している時間が思いのほか長くなり,田舎の飲食店がどこもお昼の営業時間終了が迫っていたこともあり,おにぎりを買って車中で食べる羽目になりました(笑)。
東京で行われたドジャース対カブス戦に引き続き,ドジャースにとっていよいよアメリカ本土での開幕戦ですね(対デトロイト・タイガース戦)。いやー,大谷翔平選手,本当にすごいプレーヤーですわ。改めて感動いたしました。この開幕戦の第4打席で時速153キロのシンカーをものの見事に打ち返し,左翼スタンドに本塁打を放ちました。
これで東京シリーズに引き続き早くも第2号です(3試合目)。この開幕戦では4打数2安打,1打点,1得点・・・。何か知らないけど彼の活躍に胸が躍るのです。
私は少年時代に長嶋茂雄選手の雄姿を観ながら育ち,それ以来胸をときめかせてずっと読売巨人軍の応援をしてきましたが,実は原前監督時代から次第に心が離れ,阿部監督についてもあまり好感は持てず,今ではジャイアンツの中に応援したいなという選手は一人もいないのです。ですから,今では日本のプロ野球にはあまり興味が湧かなくて,テレビ中継はほとんど観ませんし,日本のプロ野球中継を観る時間があったらMリーグ(麻雀)を観てしまいます(笑)。
一方,NHKBSとかでドジャース戦が中継されると,仕事以外の時間帯ではテレビ画面に食い入るようにして観てしまいます。そうです,すっかり大谷選手のファンになってしまい,結果的にドジャースのファンになってしまったし,ひいてはMLB(メジャーリーグベースボール)のファンになってしまいました。やはりレベルや迫力が違うなと思ってしまうのです。それもこれも大谷選手のせいです。本当に罪な人です。
朝食の時にうちのカミさんに「今日は休肝日ね。」と高らかに宣言しても,その日に大谷選手が本塁打を放ったら急遽方針を変更してやはりうれしくて晩酌する旨をカミさんにメールで伝えるのです。今日も大谷選手が第2号本塁打を放ちましたので,カミさんに方針変更を伝えたところ「ホームラン打ったのですね!了解です🫡」という返事をいただきました。酒のつまみをこしらえてくれます。カミさんにとってはこういった方針変更はいい迷惑でしょうが,私にとっては誠にありがたいことなのです(笑)。
今日もとりとめのないお話をしますので,こういう時の表題は「雑感」となります(笑)。
いよいよMLBも開幕を迎えますね。わくわくドキドキです。ドジャースの勇士たちが,チャーター機で本日午後3時ころ羽田空港に降り立ちました。開幕戦は,ドジャース対カブス。私なんかいつでも東京に観戦に行く用意はあるにしても,そもそもチケットを手に入れることはできないだろうと最初から諦めました。ビールを飲むか,あるいは旬の甘夏あるいは八朔を食べながらのテレビ観戦です(笑)。
思い起こせば,昨年の今頃,大谷翔平選手は通訳の水原なる者に裏切られ,精神的に非常に辛い開幕を迎えましたね。本当に可哀そうでした。ドジャースに移籍したばかりの最初のシーズンでは40打席本塁打が出ませんでした。ようやく第1号が出た時なんか,涙が出ましたよ。シーズンが終わってみれば,54(本塁打)-59(盗塁)をやってのけるんですもの,本当に大した男です。
昨年の開幕戦のころのあるシーンを捉えた写真を今日見て,思わず目頭が熱くなってしまいました。ロッカールームを出た廊下で,後ろ姿ですが,同僚のフレディー・フリーマンが大谷と並んで,大谷の背中にそっと手をやり,傷心の彼に何やら言って優しく慰めている感動的なシーンです。いやあ,フリーマンって本当にいい奴だなあ・・・。
話は変わりますが,みなさんはわが日本が生んだ世界的数学者である岡潔という人をご存じですか。この人は,多変数解析函数論の分野における超難題「三大問題」を解決し,数学者として世界をあっと驚かせた偉大な人なのです(1978年没)。
でもこの岡潔という人は,数学の世界で圧倒的な業績をあげただけでなく,実は思想家としても多大な影響を及ぼした人です。いわゆるナンバースクールをはじめとした旧制高校での教育は,教養主義といいますか,文系,理系を問わず幅広い教養を身に着ける教育的土壌があったのですね。もう春という素晴らしい季節にもなりましたので,さきごろ「春宵十話」(岡潔著,角川ソフィア文庫)という本を読みました。
この本のタイトルは「春宵十話」というのですが,実はこの本には春宵十話というエッセイ,随筆だけではなく,その他の作品も含まれております。そのうちの「日本的情緒」という作品中のある箇所の文章にいたく感動しました。冒頭の一文が,「新しく来た人たちはこのくにのことをよく知らないらしいから、一度説明しておきたい。」で始まるので,学校の新入生か何かを対象とした講話なのかなと思います。いたく感動した文章の一部を以下に引用してみます。
「『白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける』という歌があるが、くにの歴史の緒が切れると、それにつらぬかれて輝いていたこういった宝玉がばらばらに散りうせてしまうだろう、それが何としても惜しい。他の何物にかえても切らせてはならないのである。そこの人々が、ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか。ましてかような美しい歴史を持つくにに生まれたことを、うれしいとは思いませんか。歴史が美しいとはこういう意味なのである。」(同著61頁)
この本のカバー裏の部分に「日本の文化を培ってきたのは自然に根差した『情緒』であり、戦後急速に西欧化が進む中、その伝統と叡智が失われることに鋭い警鐘を鳴らす。」
私も常日頃同じような問題意識を有しておりまして,岡潔先生の指摘には本当に共感できるのです。無批判にグローバリズムを受け入れたり,既に西欧がその失敗に気づいて慌てて撤回しようとしている無軌道な移民政策には大反対です。私は,特に露骨な反日教育を徹底している国からの留学生などが,日本のアカデミズムの世界に浸透しようとしている現状を憂いていますし,社会不安をきたす外国人犯罪と治安の悪化も憂いています。