先日は休養日を満喫しました。久しぶりのゴルフに,夜は外で気の置けない友人と一献傾けるという日でした。まずゴルフですが,スコアはともかくとしてとても良い運動になりましたね。コンディションは抜群で,正に小春日和でした。
小春日和というのは,晩秋から初冬にかけての冬の寒さの中,春のように穏やかで暖かい晴れた日のことをいいますが,この日は正にそのような日でした。私の場合,以前から感じていたのですが,バンカーショットが課題かな(笑)。暇なときにYouTubeを見て研究しているのですが,論者によってそれこそ打ち方は様々で,未だに腑に落ちるこれはといった打ち方に巡り合えていません。
ただね,やはり実際にクラブ(私の場合は何といってもSW)を手にして実際にバンカーで打つ練習をしなければ話にならないのです。でも,打ちっぱなしの練習場に行って人が見ている前でバンカー練習するのは恥ずかしくて(笑)。
夜は友人のTさんと,彼が予約してくれた美味しいお店で一献傾けました。締めに梅茶漬けをいただいて,その後は行きつけの昭和の香りのするスナックへ(ママは御年84歳【真珠湾攻撃の年の生まれです】)。一次会でさんざんよもやま話をしていますので,たいていはカラオケになります。
以前もこのブログで書いたことがあるのですが,かつてTさんは,ちあきなおみの「喝采」という歌に凝っていた時期があったので,私もこれまで数えきれないほどTさんの「喝采」を拝聴しました。し,しかしながら,誠に残念ながらTさんの場合,とても喝采を受けるような出来ではないのです(笑)。要するに,とてつもなくOut of tune なのです(爆笑)。
私も最初の頃は面白がってTさんに「喝采」をリクエストしていたのですが,そのうちだんだん笑えなくなってしまいましたので,最近では惻隠の情といいますか武士の情けで,私が「喝采」を唱って差し上げております(笑)。
じゃあ,Tさんは音痴なのかというと決してそうではありません。彼にも2つか3つ勝負歌というものがあって(笑),それを歌うと見事に90点近く得点するのですよ。立派です。定義,概念的には,Out of tuneというのは「音程や調子がずれている状態」を意味し,音痴というのは「正しい音の認識や発声ができず,音程やリズムがずれてしまう状態」を意味しますから,厳密には違います。Out of tuneというのはどちらかというと一過性のもの(したがって曲による。),音痴というのは先天的,場合によっては後天的である程度継続性を有するもの(したがって大体はどの曲も・・・)ということができそうです。
彼の名誉のために弁護しておきますが,これを要するに友人のTさんは決して音痴などではない,ただ時として発作的に度外れた Out of tune の症状を呈するに過ぎないということです(笑)。そして決して悪い人ではなく,愛すべきキャラクターというべきです(キリッ!)。
私ももう年齢のせいか,昔のように頻繁にブログをアップすることはしなくなりましたが,今週2度目のアップです。ここ最近の外国人犯罪の頻発の状況には嫌気がさしますし,恐怖すら覚えます。このままでは父祖が築いてくれた日本という国や地域社会が壊れていく・・・。ここ数日,Yahoo!ニュースで紹介された事件に絞っただけでも,以下のようなものです。本当に嫌になります。本日はここまで(笑)。いや笑い事ではありません。
・12月5日
→詐欺被害金を「円元交換」してマネーロンダリングをしたとして,福岡地方裁判所小倉支部は30代の中国人男性に対し組織犯罪処罰法違反(犯罪収益仮装)で有罪判決を宣告した。
・12月4日
→短期滞在16回を重ねた中国人男性2名が,東京メトロ千代田線地下鉄内で女性の財布を窃取し(被害額約2万3000円),逮捕される。
→営利目的で拳銃24丁を輸入したとして,宮城県警は40代の中国人男性を逮捕した。
→山形県含め5県合わせて75件(被害総額800万円)の窃盗を繰り返したとして,警察はベトナム人男性3名を逮捕した。
→宮城県警は,金属盗対策法違反(金属盗用の特殊な金属カッター所持)の容疑でベトナム人男性3名を逮捕した。
・12月2日
→千葉県の東京ディズニーシー・ホテルミラコスタの宴会場に30代の中国人男性が刃物を持って侵入し,逮捕される。
→大阪府でいわゆる違法白タク営業をしたとして,中国人ら7名が道路運送車両法違反で逮捕される。
→東京都あきる野市で女性の居住するアパートのクローゼット内からいきなりカンボジア人男性が出て来たことから,住居侵入と不同意性交の疑いで逮捕される。
→ベトナム人女性2名が関西空港に乾燥大麻31キロ(末端価格1億5000万円)を密輸入したということで,大麻取締法違反で起訴される。
→女性の「家の中に人がいた」との被害申告で,岐阜県警は20代のペルー人男性を住居侵入の容疑で逮捕した。
・11月30日
→福岡県警は,民家など10軒に侵入して現金や腕時計を盗んだ疑いで,中国人男女3名を窃盗の容疑で逮捕した。
・11月28日
→インターネット上で証券口座が乗っ取られ,不正に売買される被害が相次いだ問題で,警視庁は,30代と40代の中国人男性2名を金融商品取引法違反(相場操縦)及び不正アクセス禁止法違反の容疑で逮捕した。
それはそうと,前回のブログの中で,谷崎潤一郎の「陰影礼讃」とご紹介しましたのは,「陰翳礼讃」の誤りでした(もっと正確には「陰翳禮讃」)。お詫びして訂正いたします(笑)。
高市首相のいわゆる台湾有事発言に立腹して,中国共産党が自国民に日本旅行を自粛するよう強権発動をしましたね。中国人観光客のホテル,旅館のキャンセルがすごい数になっているようですし,中国から日本への航空機の欠便が相次いでいるようです。
実をいうと私はオーバーツーリズム状態に辟易していましたし,特に中国人観光客のマナーの悪さにビビッていたのです。同じような体験をして懲りた人たちのネット上でのコメントにも,次のようなものがありました。
・経営しているカフェにはデザ-トメニューもそろえているのに,来店した中国人家族が他所から購入したケーキを堂々と持ち込んで食べる。
・関西空港1階国際線到着ロビー近くのカフェにいた中国人旅行客数名が,そのカフェに押し寄せてカップ麺に入れるための「お湯をくれ。」と言って要求する。
・今年の夏九州のとあるJRホテルに宿泊したところ,中国人旅行客が朝食のビュッフェのパンを山盛りに持ってきて,テーブルの下でビニール袋一杯に詰め替えたり,ドリンクバーで大人から子供まで自分たちの水筒にジュース類をこぼれんばかりに入れていた。などなど
そんなもんですわ(苦笑)。私なんかあるYouTubeの動画で,中国人旅行客が満開の桜の枝にぶら下がって強く振り,桜の花びらを無数に散らせて花吹雪状態にし,面白がって動画撮影しているという罰当たりな情景を目にしたことがありました。そんな手合いと一緒に花見などしたくはない!
僭越ながら私がずっと以前から指摘していたことだし,みなさんも感じていたことだと思うのですが,オーバーツーリズムの結果,日本人が旅行や観光を控えがちになっているという事象はあるのではありませんか。私は間違いなくその一人です。昨年意を決してカミさんと一緒に河口湖へ行き,霊峰富士の偉容と温泉を堪能しはしましたが,あふれんばかりの外国人観光客の多さにはやはり辟易しました。
あるサイトの記事によれば,例えば京都に限っても,日本人の「京都離れ」が止まらないようです。訪日外国人観光客(インバウンド)の増加によるオーバーツーリズムが問題視される中,清水寺など主要観光地を避けたり,京都を修学旅行先から外したりする動きが出ています。京都市によると,2024年の秋(11月1日~12月15日)に市内主要観光地周辺を訪れた人は,前年のほぼ同時期と比較して外国人が約30%増加する一方,日本人は約15%も減少したようです。北野天満宮は外国人約42%増に対し,日本人は約42%減,伏見稲荷大社は外国人約46%増に対し,日本人約23%減という結果になっています。
私はつい先ごろ谷崎潤一郎の「陰影礼讃」を改めて読み返してみましたが,本当に味わい深い名著ですね。何度読んでもいい。日本人というのは隅から隅まで明かりで照らす西洋文明に比し,落ち着いた暗がりを好むのですよ。私のイメージとしては,雪明りが白い障子を通してうっすらと室内に入り込む,食事には落ち着いた色,そう漆黒の漆器がよい,昼にも行燈がいる,鬱蒼とした林間のその足元には苔むす地面が広がる,落ち着いた湖面には数葉の病葉(わくらば)が浮かんでいる・・・。そんな世界に身を置きながら,私はしみじみと古代や中世の歴史や文化を偲び,ノスタルジアに浸りながら来し方行く末を思うのです。そんな落ち着いた雰囲気の中,いきなり甲高い,全く遠慮のない大音声の中国語などが聞こえてきては興ざめなのです(笑)。
中国共産党による日本への渡航制限ですか・・・。私にとっては渡りに船,これ幸い,ダチョウ倶楽部のギャグじゃありませんが,「どうぞどうぞ!」(笑)。
あー,MLBロスが深刻ですわ(笑)。楽しみの一つが当分消えた。来年春の開幕が待ち遠しい限りです。それにしても改めて思うに,山本由伸という投手は本当にすごい選手ですね。この選手の実力と弛まぬ努力,そして愛される人柄は突出しています。ドジャースでの活躍ぶり,そして今年のワールドシリーズMVPの獲得は,むべなるかなといったところです。
ダグアウトでの山本選手の様子を見ていると,チームメイトからいじられたり,投手として最高の栄誉であるサイ・ヤング賞を二度も獲得したブレイク・スネル投手ととても仲が良かったりで,要するに愛されキャラなんでしょうね。今年のワールドシリーズでは第2戦と第6戦で完璧なピッチングをし(いずれも勝利),延長18回まで戦ったあの激闘の第3戦では,第2戦で力投しているにもかかわらずブルペンでスタンバイする貢献姿勢を見せ(結局フリーマンのサヨナラホームランで投げなくてよかったけど),さらには決戦となる運命の第7戦ではやはり総力戦となり,前日の試合(第6戦)であれだけの力投をしていたにもかかわらず,中0日で見事クローザーの役割を全うしてドジャースの2年連続ワールドチャンピオンに絶大な貢献をしました。
思えば,山本投手は日本プロ野球時代には無双していましたね。3年連続で沢村賞を獲得し,2年連続でノーヒット・ノーランを達成しています。そんなこんなで山本投手は,所属していたオリックス・バファローズには十分すぎるほどの貢献をしていたものですから,チームから大いに祝福されてMLBに送り出されています(悪いけどいつもロッテと契約更改で揉めたり,腫物に触るように扱わざるを得なかったり,必ずしも祝福されて送り出された訳ではない佐々木朗希投手とはかなり違うような【笑】)。
山本由伸投手は,MLBへと羽ばたくに当たって,所属していたオリックス球団からは心温まるポスターを作成し,贈られていたようです。その球団からのメッセージを読んだら,じーんときてしまいます。そのポスターには「14470球にありがとう」というタイトルが付けられ,次のようなメッセージが記されているのです。彼がオリックスに所属していた間に投手として投じたボールが14470球だったのでしょうか。いずれにしても球団からの熱い思いが込められていることが窺えます。
「重力無視のストレート。魔法みたいな変化球。笑ってしまうほど精密なコントロール。」
「バファローズで投じた14470球。そのすべてに、ありがとう。」
「正直めちゃくちゃ寂しいけれど、行ってほしくない気持ちもあるけれど。だけど、やっぱり、アメリカで無双する山本由伸が見てみたい。」
「いけ、由伸、僕らの手の届かないところまで。」
「日本最強が、世界最強だと証明してくれ。」
「西洋の自死-移民・アイデンティティ・イスラム」(ダグラス・マレー著,中野剛志解説,町田敦夫訳,東洋経済新報社)という本を読み終えました。これが三度目です。何度読んでも名著だと思います。日本の伝統,文化,秩序,風俗,地域社会を守るため,立法府を構成する国会議員は必読の書だと思いますし,否,日本国民全員の必読書だと思いますよ。本当に。
私がこの本を下手に要約するより,引用した方が良い。その方がより直接的にこの本の素晴らしさが分かるからです。例えば,表紙カバーの内側にはこうあります。
「●欧州各国が、どのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか。」
「●マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れへの懸念の表明が、どのようにしてタブー視されるに至ったのか。」
「●エリートたちは、どのような論法で、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしてきたのか。」
また,この本を解説した中野剛志さんは,次のように述べています(同著3~11頁)。
「『欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した』そして、恐るべきことに、この書き出しが単なる煽り文句ではなく、否定しがたい事実であることが、読むほどに明らかになってゆくのである。」
「もっとも、この移民受け入れによる文化的な自死という戦慄すべき事態は、対岸の火事などではない。これは、日本の問題でもある。」
「そして日本もまた、欧州の後を追うかのように、自死への道を歩んでいる。」
この本を読んでいて,そしてネットで日々アップされるショッキングな動画を見て,「ああ,私たち夫婦が30数年前に訪れたパリの姿はもうないな。」と思いました。この本には,移民たちによる目を覆いたくなるような,枚挙にいとまがない凄絶な犯罪の数々(殺人,レイプ,強窃盗,傷害など),いわゆる3Kの職場における移民労働者への依存,文化的そして生活上の軋轢,移民労働者が国のGDP成長にはトータルでは寄与しないこと(居座りや家族の招き入れ,高齢化による社会保障費の圧迫)などが具体的データや説得力をもって記述されています。このあたりのことは,先に鬼籍に入られた保守の論客である西尾幹二先生が1990年代から警鐘を鳴らしていた事態なのです。慧眼だったと思います。
日本国の国会議員,いい加減に気づけよ(笑)。
この本を読んでいて毎回私の胸に突き刺さるフレーズがあります。
「それとは別種の正義への訴えが、より保守的な考えを持つ人々から出されてもよかった。そうした人々は、たとえば18世紀の政治家エドマンド・バークと同様の見解を持っている可能性がある。保守主義者のバークは次のように洞察した。文化や社会というものは、たまたま今そこにいる人々の便のためにではなく、死者と生者とこれから生まれてくる者たちが結ぶ大切な契約のために働くものだと。そうした社会観においては、尽きることなく供給される安価な労働力や、多様な料理、特定の世代の良心を慰謝することなどを通じて人々がどれほど大きな恩恵を得たいと望んでも、その社会を根底から変えてしまう権利までは持ちえない。なぜなら自分たちが受け継いだ良いものは、次に引き渡すべきものでもあるからだ。仮に祖先の考え方やライフスタイルの一部は改善可能だという結論に達するとしても、だからといって次の世代に混沌とし、粉砕され、見分けもつかないようになった社会を引き渡すべきだということにはならない。」(同著450~451頁)
これが,この本を読んでいて毎回私の胸に突き刺さるフレーズなのです。ご先祖様が大切に保ってきたこの社会を,私たちだけの都合で(何らの疑念も抱かずに理性万能主義的な発想で),次世代に「(かつてのものとは)見分けもつかないような」社会しか引き継げないようでは困るのです。毎日のように新聞紙上を賑わしている外国人移民の犯罪報道,大阪の特区民泊での中国人の傍若無人の振る舞い,他の乗客が静かに乗車している電車の中でムスリム3,4人が床で礼拝をしている動画などを見るにつけても,日本は西洋の自死の後追いをすべきではないと痛感するのです。
