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弁護士ブログ

2010/07/09

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 僕がかつて大所帯の法律事務所で勤務していた頃は,同僚の弁護士と連れだってよくランチに行ったものだが,独立した現在は,「ぜんまいざむらい」の弁当箱に入った弁当を食べる時以外は,一人でランチすることが圧倒的に多い。確かに,最初の頃は一人で食べるのは何かしら苦手な面もあったが,最近では慣れてしまった。日によってはむしろ気楽でいいとさえ思う。

 

 でもね,週刊誌で読んだんだけどね,信じられない現象が起こっているんだって。「便所飯」という現象が若者の間に広がっているんだって。学生食堂や社員食堂で一人でさびしく食べている姿を同級生や同僚に見られたくないばっかりに,トイレで昼食を済ますんだと。どうやら,そういう行動をとる人は,一人で食べているような人は友達がいない=最低な人間だと思いこみ,そんな評価を受けるんだったらいっそのことトイレで食べた方がマシだという発想をするらしい。

 

 ・・・・・信じられない。人の目を気にしすぎだ。もっと武士ならば武士らしく堂々とせよ(笑)。僕なんかは,何やらトイレ独特のにおいや不衛生な雰囲気の中で食事するのと,一人で食べているところを見られるのとどちらがいいかというと,全く選択の余地がない。一人で食って何が悪い!トイレでメシ食うくらいなら,いっそのことコーヒーか牛乳を飲んで一食抜く方がマシである。

 

 ランチついでにもう一つゴーマンかます。先日いつものように一人ランチのために行きつけのそば屋に行った。お一人様用に丸く細長い10人くらいが座れるテーブル席がある。大好きな海老おろしそばを食べていると,向かい側に僕と同じか少し上の年齢と思われる会社員風の男の人が座った。その人は,その店に置いてあったマンガを読み始め,注文の品が来てもマンガを手放さず,終始食べながらマンガを読んでいた,あるいはマンガを読みながら食べていた。箸で食べ物を口に入れながら,目はマンガの方へ・・・。とても見苦しかった。分別盛りのいい大人があんな食べ方をするものではない。こういう人は自分がそんな振る舞いをしているのだから,家庭内でも自分の子にロクな躾ができていないだろう。余計なお世話だって?・・・余計ではないっ(笑)。

2010/07/08

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 最近,ちょこっとブログの更新率が低くなっている。弁護士のブログの割りにはまめに更新している方だとは思うけど,それでも今までよりはサボることが多い。仕事が本当に忙しいのである。目が回るくらいである。めまいが起こったらイヤだな。今の僕の業務量の多さからすれば,うちの事務所に若い弁護士さんを迎え入れても良さそうなのであるが,いざ迎えるとなると経営のことや相性のこともあって二の足を踏んでしまう。いまどきは,やみくもに司法試験合格者を増やしており1年間で2000名を超えている。そんな訳で,司法修習生を経てせっかく弁護士になったのに就職できないという人も増えている。僕の事務所でも是非採用して欲しいという圧力はかかっているのだけれど・・・。

 

 近況といえば,僕が最後に人間ドックを受けてから2年が経とうとしている。これまでは年に1回は受けていたのだが,ここのところ足が遠のいている。人間ドックを受けるのが少し恐ろしくもあるのである。腹部エコー検査の時にこそばゆくて笑い出した前科が何度もあったり,胃部バリウムX線検査の際の発泡剤のゲップを我慢しきれにすぐにゲップした前科が何度もあったけれど,今度もそんなことになるのではないかという心配などからではない。実は,ロータリークラブの夜のお付き合いがあったり,その他の会合でお酒を飲むことが多くて,どう考えても不摂生をしていて,検査結果や数値に直面する勇気がないのである。でも,ここ数か月は摂生に心掛けて,再び人間ドックは受けてみようとは思う。

 

 近況といえば,年齢だからしょうがないとはいうものの,髪の毛が少なくなってきている。年相応ということならば仕方ないけど,やっぱり気にはなる。熾烈なハゲ競争(少しでもその進行を遅らせるという意味)でデッドヒートを繰り返しているライバルのY弁護士の近況はどうだろうか。引き離されてでもいたら・・・。今度逢うのが恐い(笑)。でも,仮に僕がリードを許していたとしても,彼は僕より相当若い。その意味では自己を正当化できる要素がある(笑)。

2010/07/01

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 あー,暑いなあもう。僕ももう年だ。正直言って,夏を越すのは辛い。日中に移動するときは自慢の男性用日傘を愛用しているが・・・。

 

 先日,裁判所からの帰り道に愛知県護國神社の前を通ったら,「夏越の大祓」という表示があった。へぇ,「夏越(なごし)」という言葉があったのか。夏越の大祓というのは,毎年6月の晦日(30日)に執り行われる神事のようだ。炎熱の夏を迎えて荒廃しがちな心を清め,また,人間も作物も何とか無事に一夏を越せますようにと祈るのだ。またこの時,茅輪(ちのわ)くぐりも行われる。やはり,夏を越すという言葉があったのだねぇ。辛いのは僕だけじゃないんだ。

 

 今日も梅雨の晴れ間が広がりそうだけれど,梅雨はジメジメして何となく気分がすぐれないし,体がだるく感じる。雨自体は嫌いではないけど,湿度が高いのは体にこたえる。おとおいだったか,車を運転して仕事先まで向かう途中で,ラジオで「てるてる坊主」の童謡が流れていた。てるてる坊主は僕も小さいときに作って,軒先に下げたことがある。でもこの童謡の3番目の歌詞を耳にした時,エッ,と思った。その3番目の歌詞はというと,
 「てるてる坊主 てる坊主 明日(あした) 天気にしておくれ それでも曇って 泣いてたら そなたの首を チョンと切るぞ」
 そういえば,僕も幼い時にこの歌詞を知って「エッ」と思った記憶がある。久し振りの「エッ」であった。ただこの歌の童謡としての価値は十分で,人口に膾炙している。

 

 あー,暑いなぁー。あー,スイカ食べたーい。あー,めちゃくちゃスイカ食べたい。よーし,こうなったらどんな卑怯な手を使ってでもスイカを手に入れ,今日は絶対スイカを食べるぞー(笑)。

2010/06/24

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 サッカーにおける鉄則とも言うべきものに,「数的優位を作る」というのがある。攻撃面でも,守備面でも,ある局面で自分が1人,相手チームが2人だったら,仮に自分がボールを持っていても相手方に奪われてしまう可能性が高くなるし,逆にボールを奪いにいこうとしても,上手くパスされてかわされてしまう。要するに,それぞれの局面では味方が多い方が有利なのである。

 

 よくあることだが,昨日も一人ランチであった。味噌ラーメンが無性に食べたくなった。こうなると頭の中は味噌ラーメン以外には何もなくなる。事務所から歩いて10分くらいの所にあるラーメン屋に直行である。しかし,このラーメン屋において完全な数的優位を作られてしまった。

 

 午前11時30分に入店。いいねえ,自由業は。勤務時間を自分で決められるし,好きなときにランチに行ける。ところが,入店したら店のスタッフ2名がいるだけで,他には全く客がいなかった。予定どおり味噌ラーメンを注文。ほどなく注文の品が届く。山盛りになった白髪ネギを箸でスープ内に沈め,一味唐辛子を振りかけて食べ始める。しかしその2人のスタッフは,ともに並んで僕の方向を見ている。僕の方向を見ているだけなのか,僕を見ているのかは分からない。というのも,僕は彼らの顔を見たり,目を合わせたりはしなかったから。それにしても彼らは微動だにしない。また彼らは互いに全く会話もしない。完全に1対2である。数的優位を作られた状態である。北京の天安門広場に田舎から直訴に来た農民1人と,武装警察官(公安)2名とが対峙しているかのような風情であった(爆笑)。

 

 ここのラーメンは旨いと思う。特に味噌ラーメンは野菜タップリでシャキシャキした食感も良く,スープがクリーミーで旨いのである。麺も僕好みの中細だし。ただ難点を言うと,1000円近い値段なのに,チャーシューが一枚も入っていないことであった。トッピングしないとダメなようだ。これをすると1000円の大台に乗ってしまう。それにしても11時30分というと,もうそろそろお昼時であり,街中なのだから他に客がいてもよさそうなのに僕だけであった。このままだと,数的優位を作られた結果,ボールを奪われてしまう(笑)。まぁそのうち誰かお客が来て,視線リスクの分散に寄与してくれるだろうと楽観していた。し,しかし誰も来ない。気分的に落ち着いてラーメンを味わいたいと思っているのに・・・。半分以上食べ終わっても,相変わらず天安門広場での対峙が続いている(笑)。もう一人味方がパスコースに来てくれればパスできるのに。

 

 結局,味方は現れなかった。味噌ラーメンはとても旨かったが,「本当はもっと精神的に落ち着いて味わいたかったのに・・・」という敗北感が残った。次回は何とか頑張りたい(笑)。何を頑張るんだ(爆笑)。

2010/06/21

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 僕の誕生日は6月6日。この日にはカミさんと娘からそれぞれプレゼントをもらって素直に嬉しかった。そしたら昨日は父の日。娘からまたプレゼントと手紙をもらっちゃったどぇーす。手紙の文面で涙にむせぶ夜ではありました。

 

 僕は梅雨時の生まれだからか,雨は嫌いではない。むしろ雨の日の方が落ち着くこともある。ある日裁判所での仕事を終えて,傘を差しながら事務所までテクテクと歩いて帰ったのだが,その日は急に裁判所近くにある護国神社の構内を横切るルートにした。あじさいが咲いていないか見たかったからである。そしたら,あちこちに咲く色とりどりのあじさいが本当に見事だった。白色を含め,どのあじさいも美しかったが,とりわけ薄い青紫色のやつが素晴らしかった。水滴に濡れ,みずみずしさと生命力に溢れていた。・・・・・あじさいはいいね。

 

 その日はどういう訳か風流心がめばえ,ふっと好きな種田山頭火のことが頭に浮かんだ。梅雨時の行乞も大変だったろうな・・・。でも,山頭火にとっては自然現象である雨も当然に自分の一部であって,「濡れたらいやだな」などといった心情からはもう超越しており,濡れたって全く平気だったのだろう。

 

 「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」
 「笠をぬぎ しみじみと ぬれ」
 「雨ふるふるさとは はだしであるく」

 

 ジトジトした梅雨時は早く風呂にでも入ってサッパリしたい。今日は仕事も早めに切り上げて風呂にでも・・・。山頭火の次の句もユーモラスでまことに好きである。

 

 「ちんぽこの 湯気もほんに良い湯で」

2010/06/18

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 娘のあかねちゃんは夢見がち。テスト勉強や部活などの時は類い希な集中力を見せるが,非番(笑)の時は,将来のことについては夢見がちである。自分が高校生だった頃とそっくりである。

 

 夢見がちといえば,あかねちゃんは夢(睡眠中に体験するやつ)もよく見るようだ。朝食の時などは,家族でそれぞれ前夜に見た夢の内容を告白することが多いが,その告白の回数ではあかねちゃんがダントツである。あかねちゃんが告白した一番最近の夢の内容は,次のようなものであった。

 

 → 時間帯はいつなのかは分からないが,外国人窃盗団が家に侵入し,お父さんが仕事でいつも着ている背広,スーツ,ワイシャツなどを片っぱしから盗んでいった。それで仕方なく,お父さんはチェック柄のシャツとチェック柄のズボンを身につけてショボンとして仕事に出かけた。しかし,はいているズボンは半ズボンだった。

 

 あかねちゃんが見た夢の内容は概ね以上のようなものだった。なぜ半ズボンなのだろうか。なぜその柄は上下ともチェック柄なのだろうか(笑)。そもそも僕はそんなシャツやズボンは持ってもいねぇのに。ちっとも理解できない(爆笑)。

 

 夢の話はこの程度にして,昨日の昼間は自分で運転して車で移動した。その車中のラジオ番組で,ビートルズの「レット・イット・ビー」という曲がかかっていた。懐かしかったし,改めてこの曲の素晴らしさを思った。「・・・Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom 〝Let it be.〟」聴いていて胸がジーンとなった。思えば,ビートルズに関心をもつようになったきっかけの曲がこれだったのである。朝食の時はCDで音楽を聴きながらの食事で,平日の場合は主にクラシック音楽(バッハの曲が圧倒的に多い)をかけるが,土曜日や日曜日の朝はビートルズの曲をかけることが多い。あかねちゃんはその影響からか,ビートルズの曲が大好きである。彼女にとっても,ビートルズの曲は古さを感じないのだそうだ。僕もそう思う。

2010/06/17

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 昨日は東京地方裁判所での仕事があった。こういう日は,たとえ裁判所での仕事が1時間程度であったとしても,往復の移動時間を考えると結局は1日仕事ということになる。午前10時ころの新幹線だから,東京駅にはお昼少し前に着いた。

 

 あとは当然に,八重洲地下中央口の近くにある旭川ラーメン「番外地」に直行である。これは僕にとってはあまりにも当然の行動であるし,注文もあまりにも当然な「塩バターコーンラーメン」である。東京駅にはラーメンストリートというのが出来たのは百も承知だが,僕はどうしてもこのラーメン屋に足が向いてしまう。魚介系のダシの利いたスープを好むんでしょうね。

 

 午後1時には東京地裁に到着し,予定の仕事を終えた。最初に応対してくれた若い女性の書記官はテキパキして美人だった。でも,面接した男性の担当裁判官の方はあまり感じは良くない。物腰もさることながら,全く相手の目を見て話さないのが不快感を与える原因なのだろうと思う。前日には名古屋地裁豊橋支部に出張に行ったのだが,その担当裁判官は非常に感じが良かったのに。様々だね。

 

 さて,その後は裁判所の構内から依頼者と自分の事務所の事務員さんに指示を出し,あとはどうしてくれよう。鈴本演芸場で落語を聴いてやろうかとも思ったが,最近は仕事に追われていることもあり,そこはグッとこらえて帰路についた。八重洲地下にあるNHKキャラクターグッズを売っている店で「ぜんまいざむらい」の弁当箱を新しく購入しようと思い立ったが,ここもグッとこらえた。今使っている「ぜんまいざむらい」の弁当箱は確かに古くはなったし,絵の一部もはがれているけど,もう少しの間は使えると思ったからだ。まだ古いやつを捨てるにはかわいそう過ぎる。結局,ビール2缶とつまみを買って,新幹線の中では一人で宴会状態であった。ただ,あちこちで「プシュッ」とビールのふたを開ける音は聞こえたけど。

 

 東京出張もたまにはいい。気分転換になるし・・・。でも,タクシーの運転手さんに,思わず「キャディーさん」と言い間違えて,案外しらけた態度をとられてしまったことは,返す返すも悔いの残る出来事ではあった。

2010/06/07

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 6月6日。家族に誕生日を祝ってもらった。ワインにお寿司,それにカミさんと娘からはそれぞれプレゼントをいただいた。事務所の事務員さんからは事前にお菓子のお祝いもいただき,一緒にご馳走になった。ありがたいと思う。

 

 自分の誕生日がだんだん近づいて来ると,また年をとってしまうという気分的な停滞感があるが,誕生日を迎えていったん年を一つとってしまうと,あと一年間はこの年を維持できるという妙な安心感もある。西洋では6が並ぶことは縁起が悪いことだと言われているらしい。新約聖書の中の「ヨハネの黙示録」では6が三つ並んでいるのを「獣の数字」としている。そういえば,映画「オーメン」に出てくる悪魔の子ダミアンは6月6日午前6時に生まれている。・・・ふふん,そんなことはどうでもよい。僕はキリスト者ではないし西洋人ではない。れっきとした日本人だ。そんなもの関係あるかっ!・・・そうはいうものの,僕の出生した時間が気になる(笑)。

 

 でも僕は,この6月6日という日は嫌いではない。生まれ変わるとして,好きな誕生日を選んでいいぞと言われたら,強がりでなくやはり6月6日を選ぶかもしれない。なにしろ覚えやすい。それに,昔から芸事は6歳の6月6日から始めると上達すると言われており,そのため6月6日は「楽器の日」,「邦楽の日」,「いけばなの日」にもなっているのである。そ,それに,あえて付け加えるならば,絵描き歌の「コックさん」の歌詞の中にも6月6日が出てくるのであるっ!(コックさんの絵はとてもかわいいし)。

 

 ああ,そうそう。誕生日といえば,今年は運転免許証の更新もしなければならない。うっかり期限を過ぎてしまったら大変である。

2010/06/04

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 これをすごく食べたくなる時がある。今朝はその発作がおきて,たまごかけごはんを食べてきた。食べ方はごくシンプルで,小さい器に新鮮なたまごを割って入れる。そこに減塩醤油を垂らす。よくかき混ぜ,特に白身の部分も箸の先で切っておく。その箸で暖かいごはんの山の中央部分に窪みを作る。そこへたまごを流し込む。僕の場合は,決して混ぜたりはせず,そのまま食べる。そういう食べ方が好きなのだ。これは徹底しており,例えばカレーの時もそうであり,ごはんとカレールーが半々の状態で出されたら,できるだけそのまま半々の状態で食べ進み,決してルーをごはんと混ぜたりはしない。

 

 たまごかけごはんは日本特有のものらしく,素晴らしい食文化の一つであり,日本人に生まれて本当によかったなと思う。娘のあかねちゃんもたまごかけごはんが好きである。ただ,このたまごかけごはんをめぐっては,父娘の間で若干の緊張が走る時がある。うちの家族はいつも一緒に食事をするが,ある朝,僕が食卓でたまごかけごはんの準備をしていると,娘のあかねちゃんも自分も欲しくなったようで,やはりその準備を始めた。その時僕は,「すーぐ,お父さんのまねをする。」と茶化して言ってやった。結局その朝は二人ともたまごかけごはんを食べたが,娘としてはまねをしたと言われたことがよほど悔しかったらしい。それ以来,一方がたまごかけごはんの準備をしていても,よほどの事がない限り,他方はそのまねをしなくなり,たまごかけごはんに限っては父娘の間で神経戦が展開されている。

 

 もう半年も前のことになるが,新聞の投書欄でたまごかけごはんの想い出に関する記事を読んだことがあった。その投稿者は,もう年配の男性だが,その人が子供だった頃は家庭が貧しく,たまごかけごはんをする時は一個のたまごを兄弟で分けていたようだ。その人のお兄さんはなかなかの戦略家で,かき混ぜたたまごを分ける時は,いつも弟(投稿者)の茶碗に先に入れさせた。なぜかというと,先に入れた弟の方に大半の白身が流れ込み,黄身の多くがお兄さんの茶碗の方に行ってしまうからである。その投稿者は子供の頃は,いつかはたまごを一個ごと使って,たまごかけごはんを腹一杯食べることが夢だったという。ほのぼのとした内容の投書であった。

2010/05/28

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 どんよりとしたねずみ色の空が拡がり,より濃いねずみ色の雲があちこちにたれ込めている。辺り一面は荒涼たる荒野で,いたる所に塹壕のようなものが掘られている。寒風が吹きすさび,肌を刺す。塹壕のような所では,十数名の人間がいずれも自分の寝具をもって寝支度を始めている。男性は何故か僕だけで,あとは比較的高齢の女性がほとんどである。各自の手持ちの寝具の量には差があり,それだけでは寒さが凌げそうもないような寝具しか持ち合わせていない人もいれば,けっこう豊富に寝具を持っている人もいる。あちこちで寝具を貸し借りする情景がある。僕の場合は,敷き布団と掛け布団と薄い毛布があるため,何とか自分の寝具だけで寒さは凌げる。寒風が吹きすさぶ中,塹壕みたいな所に自分の布団を敷いて寝に入ったが,なかなか寝付かれない。やはり少し寒い・・・。

 

 こういうシーンで目が覚めた。夢を見ていたのだ。目が覚めた時の自分の格好は,いつもは着ているパジャマがなく,下着姿で,しかも布団も掛けられていなかった。寒さで目が覚めたのだ。晩酌のほろ酔い加減でお風呂に入り,今日は少し暑いななどと思いながらパジャマも着ず,お気に入りの本を読んでいるうちに寝入ってしまったらしく,やはり夜中に寒さで目が覚めたのだ。その時は風邪をひきそうな寒さだった。

 

 睡眠中の身体の外的条件が夢の内容を規定したり,夢の内容に影響を与えたりすることははやりあるのだと思う。確か高校時代にフロイトの夢判断に関する本を読んだ時に,そんなことが書いてあった。そこで挙げられていた例としては,確か,ある男性がその手をベッドの木枠か何かに挟んだまま寝ていたら,その人は自分の手を怪我した夢を見ていたというものだったと思う。

 

 それにしても,僕が見た奇妙な夢。自分の身が寒かったから,荒涼たる荒野で布団を敷いて寝ているという情景なのは分かるが,何故僕のまわりは高齢の女性ばかりだったのだろうか(爆笑)。                

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