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弁護士ブログ

2009/07/09

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 何という佳い曲であることか!聴いていて思わず楽しくなるし,明るくなるし,一緒に喜びたくなる。マニフィカト,これもバッハの傑作中の傑作であろう。仕事に疲れてぐったりの時でも,寝る前などに聴くと精神的には生き返る。

 

 新約聖書の中のルカによる福音書第1章の中に,天使ガブリエルがマリアに受胎告知する場面の記載がある。そこでマリアは,イエスの母となる栄光を与えられて神に感謝し,「わが魂は主を崇めます・・・・・・」と歌いはじめる。このマニフィカトは,イエスの母となる栄光を与えられたマリアが神に感謝し,賛美するほめ歌のことである。

 

 このマニフィカトの中で特に好きなのは,第1曲と第2曲である。第1曲は,祝祭的な感じのするトランペットの音が印象的で,合唱も非常にイキイキとしているから,聴いている方もワクワクする。第2曲はソプラノのアリアで,抑制的ながらも喜びが表出していて,これもずっと耳に残るメロディーである。この2つの曲は,いずれもニ長調で3拍子という点で共通している。

 

 そういえば,いつだったか,「心が躍る曲」としてバッハのミサ曲ロ短調の中から,「グローリア・イン・エクシェルシス・デオ」と「クム・サンクト・スピリトゥ」の2つを挙げたが,この2つに共通しているのもニ長調で3拍子という点である。そうだとすると,やっぱりニ長調で3拍子というのは高揚した気分を表現するのに最適な組み合わせなのだろう。ヨハン・マッテゾンの調性格論のニ長調の箇所には,「元来鋭く、わがままな調性で騒動や陽気で好戦的なもの、元気を鼓舞するようなものにおそらくもっとも適合するが、・・・」とある。好戦的,わがままというのは若干引いてしまうが,元気を鼓舞する,士気を鼓舞するというのはやはりあるようだ。

 

 梅雨の季節のせいなのか,それとも年齢のせいなのか,ちょっと疲れやすくなっているし,元気のない時もある・・・・・・・・・。でも,バッハは本当にいいなぁ。心にしみる。特に元気を回復させるには,ニ長調と3拍子がよい。

2009/07/03

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 僕が中学1,2年生のころ,まだ柄にもなくピアノを習っていた当時,しのつく雨の日の朝によく思っていたことがある。それは,こういう日は学校には行かずに,一日中雨を眺めながらピアノを弾いていたいなということだった。怠惰な性分だったのかしらん。結局,しのつく雨の日といえども,学校をずる休みしてそういう大それたことを実行したことはなかったが・・・。

 

 こういうことは,実は今でも思うことがある。仕事を休んで,雨を眺めながらピアノをぼちぼち弾いていたいなという願望である。どういう訳か雨を見るとそういう願望が芽生えてしまうのである。しかし,これも未だに実行に移したことはない。でも,今度こそ一度やってやろうかなと目論んでいる。

 

 先日,家で晩酌をした後,夜の雨の音を聞いていたら,急に久しぶりにピアノが弾いてみたくなった。いわゆる酔っぱらい演奏というやつである(サイレント機能が付いているのでご近所には全く迷惑は掛けていない)。途中で,以前から弾けたらいいなと思っていたバッハのフランス組曲第5番のアルマンドに挑戦してみた。第5番の冒頭の短い曲である。これは大変好きで佳い曲である。この曲は聴いている分にはそれほど難しくはない曲のように感じるのだが,実際に弾いてみるとこれが結構難しい。ピアノの上級者だったら初見であらかた弾いてしまうのだろうが,僕の実力では到底無理である。楽譜の中の掛留音を弾きこなすのが苦手である。でも,掛留音に苦手意識をもっていたのでは,バッハの曲を弾くのは容易ではないであろう。何とかこれに慣れて,克服しなければ。

 

 まあそれでも,このフランス組曲第5番のアルマンドだって,雨の日の一日があれば,さすがの僕もマスターできるのかもしれない。

2009/06/12

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 仕事の忙しさや様々なストレスに押しつぶされまいとして,自分なりに工夫してストレスを解消したり,癒しを求めたりしている。ゴールデンウィーク(連休中)には東京へ行き,バッハのミサ曲ロ短調を聴いてきたのだが,これは本当に素晴らしい。名曲の宝石箱のようである。

 

 このミサ曲ロ短調の中で,とりわけ心が躍ってしまう曲,精神的に凹んでいるような時にお薦めの曲が,「グローリア」の中の「クム・サンクト・スピリトゥ」である。これはいいですよ。心だけでなく,体まで踊ってしまいます。指揮者のジョン・エリオット・ガーディナーもこの曲の舞踊的・舞踏的要素を強調しているし,実際に彼が指揮をしている時は小躍りした感じになっているくらいで,すごく躍動感がある。でも,総譜(スコア)を見ると,特に中間部は16分音符が流れるように配置され,歌唱技術としては相当に高度なものが要求されるのではないだろうか。単に聴いている分には楽だけど(笑)。

 

 この「クム・サンクト・スピリトゥ」はニ長調で書かれ,トランペットが効果的に使われている。このニ長調とトランペットと旋律,そして三拍子というのが躍動感の源泉なのであろうか。同じニ長調とトランペット,そして三拍子の組み合わせと言えば,やはりこのミサ曲ロ短調の「グローリア」の中の「グローリア・イン・エクシェルシス・デオ」でも共通して使われ,これも心が躍る名曲である(祝祭的な感じもする)。

 

 以上,精神的に凹んでいるような時にはこの2つの曲がお薦めです。元気になりますよ。
 

2009/06/02

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 連休中に,以前から欲しかったバッハのDVDを銀座の山野楽器で買ってきた。そのDVDの中に,ジャック・ルーシェというピアニストの発言場面があった。「あれっ,この人,ひょっとしてバッハをジャズ風にアレンジした人じゃないか?」と直感したら,やはりそのとおりだった。そうなんです,若い人は知っているかどうか知りませんが(笑),今から50年ほども前に「プレイ・バッハ」というタイトルでバッハの名曲をジャズ風にアレンジした録音をし,世界的に有名になった人だったのです。

 

 実は,「プレイ・バッハ」というレコードがあったことは,大学時代には知っていたけど,その当時の僕は,あの神聖なJ.Sバッハの曲をジャズ風にアレンジするなんて,とあまり快くは思っていなかったんです。了見が狭いね・・・(笑)。でも,さっきのDVDでのジャック・ルーシェの発言や実演の場面を見ていたら,非常に興味がわいてきて,「ザ・ベスト・オブ・プレイバッハ」というCDを手に入れ,早速聴いてみた。

 

 こ,これはすごいわー。ぜんまいざむらいのなめざえもん風に言えば,「これはすごいでやんす。」となるし,豆丸風に言えば,「こ,これはすごいでござる。」となり,わたあめひめ風に言えば,「これはすごいでごじゃりまするー。」となる。ジャック・ルーシェは,見事なまでにバッハのジャズ風小宇宙を形成してみせたのである。手に入れたCDでは,平均律クラヴィーア曲集のいくつかの前奏曲とフーガ,無伴奏チェロ組曲第1番の前奏曲,G線上のアリア,「主よ,人の望みの喜びよ」,「目覚めよと呼ぶ声あり」,イタリア協奏曲などを,本当に見事なまでにジャズ風にアレンジし,演奏していた。ジャック・ルーシェという人は心の底からバッハが好きなのだなと確信したし,結局,音楽のジャンルを問わずバッハの普遍性も再認識できた。バッハはやっぱり現代に至るまでの音楽の原点だねぇ。

 

 「プレイ・バッハ」で一世を風靡したそのジャック・ルーシェも,今年の10月26日でもう満75歳。月日が経つのは早い。彼は自分が好きだったピアニストとして,30代そこそこで鬼籍に入ったディヌ・リパッティを挙げている。僕も大学生時代,ディヌ・リパッティのショパン「ワルツ集」を愛聴していた。ジャック・ルーシェのこともますます好きになった。

2009/05/22

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 またマタイ受難曲かと言われそうだけど,平成5年に初めてマタイ受難曲の全曲を聴いた。それまではつまみ食いのような形で断片的に聴いていただけであったが,カール・リヒター指揮,ミュンヘン・バッハ管弦楽団,ミュンヘン・バッハ合唱団のCD(アルヒーフから出ている1958年録音のやつ)で初めて全曲の鑑賞と相成ったわけである。大げさな奴と言われてもいい,この時の感動は文章では表現できない。形容しがたい。筆舌に尽くしがたい(泣)。事前にマタイによる福音書でイエスの「受難の記事」を予習して臨んだものだから,感動も倍になったのだろう。

 

 僕が就職してからマタイ受難曲の全曲鑑賞に至るまでにも,いろいろな曲や作曲家の世界をのぞいてみた。フランス音楽,例えば,サン・サーンスの交響曲,フランクやフォーレの室内楽曲,ドビュッシーやラヴェルの印象派の世界も楽しんだ。ドイツ3大Bの残りのBであるベートーヴェンやブラームスの諸作品(ピアノソナタ,交響曲,室内楽曲など),ラフマニノフの交響曲やピアノ協奏曲,そのほかプロコフィエフやストラヴィンスキーに至るまでの諸々の作品も。ブルックナーやマーラーのことは以前にも述べたとおりである。

 

 でも,マタイ受難曲体験以来,僕の音楽の本籍はJ.Sバッハの音楽世界になってしまった。勿論今でも他の作曲家の音楽も聴くが,その後の僕の音楽遍歴といっても,基本的にはバッハの世界の中での遍歴となって今日に至っているので,「僕の音楽遍歴」シリーズも今回で最終回となる。

 

 バッハは生前,音楽の究極の目的について,「神をたたえることと人間の魂の再生」と述べていたらしい。僕はキリスト者ではないから宗教的なことはよく分からないが,「人間の魂の再生」という点では全く共感できるし,バッハの音楽を聴くたびに魂を揺さぶられ,癒され,明日への勇気がわいてくるのである。「キザなことを言いやがって!」と言われてもいい。バッハの音楽に巡り会い,これを聴くことができるのは,自分の人生の意味と楽しみの相当部分を占めているといっても過言ではない。

 

 バッハでお薦めの曲はと尋ねられたら本当に困ってしまう。マタイ受難曲は言うまでもなく,ミサ曲ロ短調も当然お薦めである。ただ,これらの曲は全曲を聴くとなれば2~3時間はかかる。声楽曲の中で割とお手軽で,一般受けするやつと言えば,教会カンタータ第82番「われは満ち足れり」の中の「子守歌」,教会カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」,教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の中の「主よ人の望みの喜びよ」などですか・・・。皆さん,これらを聴いて,魂をブルブル,ガクガクと揺さぶってもらったらどうでしょうか(笑)。

2009/05/19

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 今年11月の本番に向けて,バッハ「マタイ受難曲」の合唱練習に通っている。前にも述べたと思うけど,毎週火曜日の夜,これに加えて週によっては金曜日の夜も練習があるし,月に最低一度は日曜練習もある。

 

 先週金曜日の夜の練習では,3曲ほどの練習を行ったが,終曲の1つ前のレチタティーヴォ中の4声の合唱部分の練習をしている際に,感動して思わず目頭が熱くなってしまった。

 

     Mein Jesu gute Nacht!
     私のイエスよ,おやすみなさい!

 

 この部分はこれだけの歌詞だが,4声の各パートが,フレーズごとにメロディーを先導していくのである。最初のフレーズではソプラノ,その次はアルト,その次はわがバス,最後はテノールといった風に。その和声の例えようもなく美しいこと・・・。こういうすごい曲をどうしたら作れるのだろう。どうしたらこのような美しいメロディーが浮かぶのであろうか。自分で歌っていて感動してしまうのだから世話はない。ヨハン・セバスティアン・バッハ・・・。バッハは僅か9歳の時に母を,そして10歳の時に父を亡くし,その後は自活できるまで兄に引き取られて生活した。経済的には恵まれず,したがって誰かに師事して作曲技法を本格的に学ぶ機会があったとは思われないのに,そのような逆境にもかかわず貪欲に知識を吸収し,その天才を開花させた。「音楽の父」と呼ばれるまでになった。そして,聴く者の魂を揺さぶるようなその音楽の素晴らしさ。本当にこの人は・・・・・。

 

 「マタイ受難曲」の練習は,何しろ一日の仕事が終わった後に始まる。正直言って,今日は休みたいなと思う日もあり,実際に仕事で参加できない日もあった。でも,この宗教音楽の最高峰とも,人類の至宝とも評価される「マタイ受難曲」演奏の一翼を担うことができるのだ。ずぶの素人である僕が,この先繰り返しそういう経験ができるとも思えない。極めて貴重な体験であるし,実際に練習に参加していて目頭が熱くなるほど感動してしまう曲である。今は,こういう貴重な体験ができることに感謝し,できるだけ練習に参加したいとすら思えるのである。そして今日も練習日。

2009/05/14

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 数年間,ブルックナーとマーラーの音楽にうなされていた後,恐らく平成4年頃から数年間の間に,相次いで当代一流のピアニストの生演奏を聴く機会に恵まれた。ヴラディーミル・アシュケナージとマウリツィオ・ポリーニの2人である。テクニックも,音色も,音楽に対する真摯さも,どれをとっても全く素晴らしいピアニスト。大げさかもしれないが,同時代に生まれ合わせたこと,生でその演奏を聴く機会を得たことを本当に光栄に思っている。

 

 アシュケナージの演奏は,確か,金山の名古屋市民会館(旧名称)で聴くことができたと思う。今となってはそのプログラムは思い出せないが,見たところは小柄でひょうひょうとしていて,すごくシャイな感じだった。プログラムの中には,ベートーヴェンのピアノソナタが1曲含まれていたと思うが,本当に素晴らしい演奏で感動した。音色に独特の響きと暖かみを感じた。アシュケナージは,1955年のショパン国際ピアノコンクールで第2位に輝いているのだが,この時彼こそが優勝者だとの評価をしていたアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を辞するという,いわくつきの大会だった。第2位ではあったが,その後のアシュケナージのピアニストとしての活躍,評価,名声は改めて言うまでもない。また,彼の指揮者としての実績も素晴らしい。実はピアニストとしてのアシュケナージに心酔していた僕は,アシュケナージ指揮のレコードを購入することを躊躇していた。でも,彼がアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現在のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)を指揮したラフマニノフの交響曲第2番を聴いたとき,「ああ,やっぱりこの人もラフマニノフと同様,ロシアの大地が心象風景として存在しているのだな。」と思った。これも実に素晴らしい演奏なのである。

 

 ポリーニのピアニストとしての凄さは今さら言うまでもない。世界屈指。ポリーニは,18歳の時,1960年のショパン国際ピアノコンクールで優勝し,その後充電期間を経て,国際的な活躍をしてきた。彼の生の演奏は,確か,上野の東京文化会館で2度聴く機会を得た。これも今となっては,プログラム内容を思い出せないが,やはりベートーヴェンのピアノソナタが含まれていたと思う。それまでにポリーニが録音したショパンの「練習曲集」,「前奏曲集」などを聴いて憧れの存在だったのだ。実物を見たときは胸が高鳴った。正確無比なテクニック,音色の美しさが際だっていた。僕は前衛音楽は苦手だが,もう一度,ベートーヴェンかショパンの曲をポリーニの生演奏で聴いてみたい。

 

 あっ,そうそう。思い出した。同時代に生まれ合わせたこと,生でその演奏を聴く機会を得たことを本当に光栄に思えるピアニストとして,タチアナ・ニコラーエワがいる。平成3年か4年に,やはり上野の東京文化会館で,J.Sバッハの「平均率クラヴィーア曲集」を聴く機会に恵まれたのである。第1巻だったか,第2巻だったかは思い出せないが,いずれにしてもどちらかの全曲であった。バッハ弾きとして世界的に高い評価を得ていたピアニストであり,その素晴らしい演奏の,歴史の証人になったような感じがした。ニコラーエワはその当時既に67,8歳だったと思うが,全く衰えを感じさせなかった。アンコールにはスクリャービンか何かの曲を目の覚めるようなテクニックで弾いていたことを今も覚えている。残念なことに,彼女はこの演奏の1,2,年後に急逝してしまった。この演奏に巡り会えたのは貴重な体験だった。

2009/05/07

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 バッハの不朽の傑作といえば,何をおいても「マタイ受難曲」と「ミサ曲ロ短調」の2つが思い浮かぶ。このうち「ミサ曲ロ短調」については,バッハが自らの死の直前までその楽譜に手を加えていたということからすれば,畢生の大作といえるのは「ミサ曲ロ短調」ではなかろうか。この曲を,ミシェル・コルボ指揮,ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルが演奏してくれるというので,この連休中に東京まで足を運んだ。

 

 これは,ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(「熱狂の日」)音楽祭2009のプログラムの一つで,有楽町の東京国際フォーラムなどで行われた。僕がワクワクしながら鑑賞したのは5月4日(月)午後9時15分から開演のものだった。ミシェル・コルボ指揮の演奏は,テンポは全体的に早めであったが,聴衆の魂の奥底に訴えかけるような,そして真摯な,とても素晴らしい演奏であった。終曲のドナ・ノヴィス・パーチェムを聴き終えた時はとても感動し,充たされた。

 

 今回のこの「熱狂の日」のテーマは「バッハとヨーロッパ」というもので,バッハ作品が幅広く鑑賞できる。来年のテーマは「ショパン」ということだ。2010年は,ショパンが生まれて200年経つからであろう。来年も楽しみなことである。

 

 さて,東京行きが決まった時,僕としては,東京駅八重洲中央口地下の旭川ラーメン「番外地」の塩バターコーンラーメンがまた食べられることを,これまた楽しみにしていた。と,ところが・・・・。5月2日から数日間,店内改装工事のために休業の貼り紙がしてあった。あー,東京行きの楽しみの25%程度がもろくも崩れ去った。

 

 「ミサ曲ロ短調」の感動から一夜明けた翌日,今度は「落語だぁー」と思って鈴本演芸場まで出かけた。と,ところが・・・・。薄々感じてはいたのだが,連休中ということで,前売りは全席完売,当日券があるにはあるが,「立ち見」ということで,これも断腸の思いで断念せざるを得なかった。あー,これで東京行きの楽しみの20%程度がもろくも崩れ去った。気を取り直して,今度は渋谷道玄坂の名曲喫茶「ライオン」まで出かけた。ここだけは僕の期待を裏切らない。昔ながらの雰囲気で僕を迎え入れてくれた。本を読みながら名曲を聴き,とても静かな時間を過ごした。ただ,この喫茶は客からのリクエスト曲をかけたりするのだが,僕がいた時間帯には,どうやらオールドファンからのリクエストがあったらしく,ジャック・ティボーのバイオリン,アルフレッド・コルトーのピアノ演奏による,ベートーヴェンの「クロイツェルソナタ」が蓄音機でかけられていた。店員さんが何回も何回も手巻きぜんまいを巻きながら,苦労してレコードをかけていた。

 

 あとは,靖国神社,遊就館にも行って来たし,銀座山野楽器で前から欲しかったバッハ関係のDVDも手に入れた。一泊二日の短期旅行にしては,まあまあ充実した旅となった。

2009/04/24

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 さて,さて,僕の就職後,数年間はブルックナーの音楽だけでなく,グスタフ・マーラーの音楽にうなされていた。正直に言うと,「怖いもの見たさ(聴きたさ)」という心境だったかもしれない。

 

 マーラーの音楽(主として交響曲)の鑑賞,うなされ,の順番は今となってはもう思い出せない。第1番(巨人),第2番(復活),第3番,第5番,第6番(悲劇的),第7番(夜の歌),第8番(千人の交響曲),第9番,それから「大地の歌」などをよく聴いた。特に愛聴していたのはグラモフォンから出ていたレコードで,クラウディオ・アッバード指揮のものがほとんど。楽団はシカゴ交響楽団,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団のものであった。でも,「大地の歌」だけは,ブルーノ・ヴァルター指揮のもので,キャスリーン・フェリアが熱唱していたレコードを愛聴していたことは今でもはっきりと覚えている。

 

 その当時に思ったのは,マーラーの音楽は,「現代人」の苦悩と子供のような無邪気さ,ちょっと間違えれば「支離滅裂さ」を感じさせる音楽だということ。でも,とてつもない魅力がある。子供のような無邪気さ,特にトランペットをはじめとする管楽器の多用は,マーラー自身の幼少期の自宅近くに兵舎があり,毎朝そこから聞こえてくるラッパの影響だったのか・・・。また,「苦悩」は,妻アルマの不貞や,満たされない創作欲(満足のいく作品の追求)が原因か・・・・。

 

 東京で勤務していた当時,マーラー指揮で定評のあるエリアフ・インバルの演奏を生で体験できたことは貴重であった。その夜は交響曲第2番(復活)の圧倒的な熱演であった。「いやぁ,マーラーの音楽はあまり知らないけど。」という向きには,月並みだけれど,交響曲第5番の第4楽章(アダージェット)を聴いたりすれば,その魅力の一部に触れることができるのではないかと思う。ちょうどその頃,この曲が採用されたルキーノ・ヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」という映画を観たことも今となっては懐かしい思い出である。

 

 そういえば,最近はバッハの音楽に熱中し過ぎていて,マーラーの交響曲はとんとご無沙汰だが,久しぶりに聴いてみたくなった。さて,何からいこうか・・・・・・。

2009/04/09

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 少し前のブログで触れたように,大学卒業から社会人1年生の頃にかけて,その演奏をこよなく愛し,愛聴していた指揮者のカール・リヒターとピアニストのグレン・グールドの急逝という残念な出来事があった。でも,ガッカリしてばかりはいられない。昭和58年頃からの数年間,僕もいよいよブルックナーとマーラーの音楽にうなされることになる。「うなされる」といった表現を使ったのは,ある音楽評論家が,クラシックファンの多くは一時期ブルックナーやマーラーにうなされる時期があるというようなことを言っていたからであり,僕自身実際に熱中していたのである。

 

 ブルックナーの交響曲は,「ブルックナー開始」といわれる弦のトレモロによる独特で幽玄な響きから始まり,重厚・長大ではあるが決して冗長でない,そして宇宙的な拡がりを感じる音楽である。うまく表現できないがやはり魅力的なのである。雑誌だったか,新聞だったか思い出せないが,ドイツではブルックナーの音楽が原因で,ある夫婦の離婚問題にまで発展したそうな。妻はブルックナーの音楽を熱狂的に好み,朝から晩まで,そして寝室でもその音楽を流していたため,夫はそれに辟易して結局離婚に至ったというのである。やれやれ,である。当時僕がよく聴いていたのは,いずれも交響曲で,第3番「ワーグナー」(ジョージ・セル指揮,クリーヴランド管弦楽団),第4番「ロマンティック」(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団),第6番(オイゲン・ヨッフム指揮,楽団は忘れた),第7番(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団),第8番(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団,ハンス・クナッパーツブッシュ指揮,ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団),第9番(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮,ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)などである。

 

 ブルックナーの交響曲の中で最も好きなのは,やはり第8番(ハ短調)である。演奏はというと,もちろんフルトヴェングラーも良いが,ひょっとするとクナッパーツブッシュ指揮の方がスケールが大きいかもしれない。いずれにしても,ブルックナーの音楽が原因で離婚問題にまで発展するというのはいかがなものかと思うが,それくらい魅力的なブルックナーの世界ではある。また,今思い出すと,寝る時によくブルックナーの交響曲を聴いていたように思うし,疲れている時などはよく眠れた(笑)。

 

 もう仕事にかからなければならないので,グスタフ・マーラーの音楽に熱中していた頃のことは,次回に譲りたい。

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