
4声
もう,ホントにしつこいんだから,と言われそうですが,今朝もバッハのゴルトベルク変奏曲の第30変奏のお話しです。本当にめちゃくちゃ佳い曲なのです。私の練習はまだ第1変奏で止まっておりますが(笑),先日,本命の第30変奏というのは私にも本当に弾けそうなのかどうか,恐る恐る楽譜を見てみました。そうしたところ,とにかく一生懸命に頑張れば,何とかなりそうでした。
楽譜を見ておりましたら,この第30変奏は得も言われぬ美しさをもった4声の曲でした。4声というのは文字通り4声部を持った曲で,イメージとしてはソプラノ,アルト,テノール,バスといった感じです。これを両手で弾くのですから,大体,右手でソプラノとアルトの2声部を,そして左手でテノールとバスの2声部をそれぞれ担いながらの演奏ということになります。
この第30変奏があまりにも素晴らしく,仕事中でもそのメロディーが頭から離れない時があるものですから,ネットで「ゴルトベルク変奏曲 第30変奏」とキーワードを入れて検索し,ユーチューブにアップされている動画でその音楽を楽しんだりしております。ある時,この第30変奏の動画でネットサーファーみたいに次から次にクリックしていましたところ,偶然にこの第30変奏の構造を視覚で理解できる動画を発見しました。音楽の進行と共に4声部の各動きが黄色,緑色,青色,ピンク色で表示されていく動画です。そうか,こんな風な構造になっていたのかと感動しました。やはりバッハはすごいのです。対位法の究極の完成者であるバッハ自らが述べていたように,無駄な音が一つもないのです。
ただ,この第30変奏の楽譜の中には,10度の音程を弾かなければならない箇所があります(例えば,ドから1オクターブ上のドをさらに超えてミまで手指を開かなければならないということです)。これはさすがに私には無理です。どちらかを離さなければなりません。必然的に主旋律重視で上の音だけを押すということになりそうです。ピアノの道に進む人は大変ですね。親指と人差し指の間の,いわゆる水かき部分を切除して拡げる人もいるそうですね。
私は,何としてでも,どんな卑怯な手を使ってでも,何とかこの第30変奏をマスターしたいと念願しております。そういえば,ロータリークラブの仲間(60歳代の女性)が,最近私のバッハ好きの言動に影響されてか,バッハのゴルトベルク変奏曲のCDを購入して楽しんでいるとのこと。それもグレン・グールドの1982年録音盤という素晴らしい録音を選択されたそうです。僭越ながら,これからもバッハの音楽の伝道につとめたいと思います(笑)。
癒しの時間
昨晩は晩酌はしませんでしたから,半身浴をしました。半身浴をした夜は,ぐっすり眠ることができます。これはどうやら体験的にそのように思います。理由は分かりませんが,特に睡眠の質が良くなるような気がしますし,夜中に目覚める回数も少なくなるのです。寝酒などといった言葉があり,私自身は寝酒はしませんが,酔っているか,あるいは少し酔っているからといって,眠りの質が良くなるとは思えず,かえってお酒を飲んだ方が夜中に目が覚めてしまうことが多いような感じです。まあ,個人差もあるでしょうが。
さて,バッハのゴルトベルク変奏曲のうちの憧れの第1変奏のその後の練習はどうなったでしょうか。・・・遅々として進みません(笑)。暗譜などはできる訳もなく,楽譜を見ながらなんとかゆっくり,ゆっくり弾くことのできる程度です。もう少し本来のテンポで弾けるようにしなければなりません。でも私の場合は,所詮その程度の才能なのでありますよ。
この練習に少し時間がかかったのは,運指を考えながらの練習だったからだと思います。というのも,私が入手したゴルトベルク変奏曲の楽譜には,所々に小節番号はあっても,運指番号が全くない楽譜だったからです。運指というのは,その音やそれから先の数音を,どの指でタッチするのが合理的でスムースなのかを示すものです。運指番号は,右手の親指を1として,人差し指から小指までが順に2,3,4,5と表示され,左手も親指を1として,人差し指から小指までが順に2,3,4,5と表示されます。親切な楽譜ですと,要所要所に運指番号が表示され,「ああ,この音はこの指で鍵盤を押すのが合理的なんだな。」と分かる訳です。でも入手した楽譜に運指番号がなかったので,自分で運指を考え,鉛筆で表示しながらの練習でした。この憧れの第1変奏の練習もあともう少しです。
これをマスターしたら,これまた憧れの第30変奏の練習に着手したいと思います。これもまたとても素晴らしい曲なのです。「ゴルトベルク変奏曲 第30変奏」とキーワードで入れて検索してごらんなさい。ユーチューブにもアップされており,どれほど佳い曲なのか分かりますよ。これも弾けたらな,と思います。
バッハの音楽は本当に癒しの時間なのであります。こんなに素晴らしい世界はございません。
待望の着手
皆さんは,バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をお聴きになったことはあるでしょうか。本当に素晴らしいでございますことよ。この変奏曲は主題となる印象的なアリアが冒頭と最後に置かれており,主題ですから当然に印象深いメロディーなんですが,昔から私が特に好きで,弾けたらいいなと憧れていたのは,むしろ第1変奏でした。
この第1変奏は,特に素晴らしいと思います。インターネットで,「ゴルトベルク変奏曲」,「第1変奏」というキーワードを入れて検索すれば,動画でもアップされていますから,騙されたと思って一度お聴きになってはいかがでしょうか。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は,亡きグレン・グールドの若かりし頃の録音と最晩年の録音が特に有名ですが,私は最晩年の録音の方が好きです。また現在活躍しているピアニストの中では,アンドラーシュ・シフの演奏が好きです。誠実さがにじみ出ています。
先日,昼食を終え,私の事務所から歩いて約10分のところにある楽器屋さんに行き,待望の「ゴルトベルク変奏曲」の楽譜を手に入れました。そして,週末にはその中の憧れの第1変奏の練習に着手したのです。正に待望の着手です。着手することとちゃんと弾けることとは全く別の問題です(爆笑)。練習に着手したのはいいけれども,所詮私の能力ですから,悪戦苦闘しておりますが,何とか前半部分は弾いてみました。完全にマスターするまでには,これから先も長いと思いますが,絶対にマスターしようと思います。約束します。民主党の腐ったようなマニフェストなんかより明らかに実現性が高いと思います。ト長調(♯が1つだけ)ですし,練習すればそれほど困難な曲ではないですから。くどいようですが,本当に佳い曲なのですよ。
話はずいぶんと変わりますが,U-22のサッカー日本代表は,2-1で何とかシリアを破って予選突破に弾みをつけました。でも,国歌斉唱の時,何で彼らは「君が代」をちゃんと歌わないのでしょうか。カメラが追っていくのが恥ずかしいのでしょうか。あるいは,反日左翼の日教組の影響で小学校の頃から国歌をまともに教えて貰えなかったのでしょうか。国歌斉唱の時には,どの国の選手も大きな声で誇りをもって歌っているか,あるいは胸に手を当てるかしております。当然のことです。しかしU-22の日本代表選手のほとんどは,肩を組んだままで口を動かしておりません。自分の国歌も歌えないような者は,もう応援してやらないよ?
花言葉のような
実は以前から少しばかり気になっているものに,「調性格論」というものがあります。シェーンベルクの音楽のように調性を超えた無調音楽ならばともかくとして,普通の音楽には調性というものがあります。ほら,例えば,イ短調とか,ニ長調とか,嬰ハ短調とか,変ホ長調とかです。
そしてそれぞれの調には性格というものがあるとして,昔から「調性格論」なるものが議論されてきました。私がこういうことを初めて知ったのは,「マタイ受難曲」(礒山雅著,東京書籍)という本の中で,ヨハン・マッテゾンという音楽学者の「調性格論」に言及されていたからです。このマッテゾンという人は,私にとっては神のような存在であるヨハン・セバスティアン・バッハと同時代に生きた人です。
このマッテゾンの「調性格論」の一部から順不同に紹介すれば,次のようになっております。
ニ長調・・・幾分鋭く頑固,騒動,陽気,好戦的,元気を鼓舞するようなもの
イ短調・・・少し嘆く,品位ある落ち着き,眠りを誘うが不快なものは全くない
変ホ長調・・非常に悲愴,深刻に訴えかける,官能的な豊かさを嫌う
ロ短調・・・奇怪,不快,憂鬱,めったに用いられない
ヘ長調・・・世界で最も美しい感情を表現する,洗練を極める,寛大,沈着,愛,徳
ハ短調・・・並外れて愛らしい,哀しい,温和すぎる
嬰ヘ短調・・ひどい憂鬱,悩ましげに恋に夢中になっているような感じ,孤独,厭世
ト長調・・・人を引きつけ雄弁に語る,輝き,真面目,活発
ホ長調・・・絶望,死ぬほど辛い悲嘆,恋に溺れて全く救いのない状態
ト短調・・・最も美しい調性,優美,心地よい,憧れ
などなどです。肯定的なものもあれば,否定的なものもあります。その調性の個々の曲を思い浮かべると,確かに一理あるなと思える面もありますが,「えっ?」と思ってしまうものもあります。例えば,ショパンのバラード第1番は私が好きな曲で,ト短調だったと思いますが,マッテゾンの性格付けどおりでしょう。でも,ショパンの作品9の2の夜想曲(ノクターン)は変ホ長調ですが,マッテゾンの性格付けには違和感を覚えます(笑)。それに,バッハの「ミサ曲ロ短調」は畢生の大作であり,私はむちゃくちゃに好きなんですが,ロ短調の性格付けの悲惨なこと(爆笑)。
マッテゾン自身も,この性格論は主観的なものであり,曖昧な面を含んでいることは認めているようです。それに,実はマッテゾン以外の音楽学者の中にも「調性格論」を論じている人がいて(例えば,ミース,シューバルトなど),それこそ千差万別の性格付けです。でも,それもまた面白いと思います。花言葉だって,何か確たる根拠があるとは思えません。そういう意味では,「調性格論」もちょうど花言葉のような感じでしょうか。
仕方ないわね・・・
すみません,またバッハの話ですわ。どうしても好きなんだから,仕方ないわね・・・。
インヴェンションという2声の初歩的な対位法を駆使した曲集がありますが,自分でも弾くことのできるものが多くて,身近に感じます。インヴェンションという曲集には素晴らしい曲ばかりが集められておりますが,私が昔から特に好きなのは,13番目のイ短調の曲が素晴らしいと思います。・・・泣けてきますよ,本当に。昔何かの本で読んだことがあるんですが,ある音楽評論家か演奏家だったかはもう忘れましたが,その人はこのバッハの13番目のインヴェンションを聴いて感動し,音楽の道に進む決心をしたそうです。
それからっと・・,バッハのパルティータ第1番のプレリュード,これも本当に素晴らしい。・・・泣けてきますよ,本当に。特にグレン・グールドで聴いてみてごらんなさい。バッハっていう人は,どうしてこういう美しい曲想が浮かぶのでしょうか。この美しいメロディーが頭から離れません。癒されるのです。
それからっと・・,「主よ,人の望みの喜びよ」という曲をピアノで聴いてみたのですが,・・・泣けてきますよ,本当に。さっきから本当に,お前は感情失禁か!と言われるくらい泣いておりますね(笑)。それくらい美しいメロディーなのです。もともとこの曲は,バッハの教会カンタータ第147番の「心と口と行いと生活で」の中にある声楽曲なのですが,ピアノで聴くのもまた素晴らしいと思います。この「主よ,人の望みの喜びよ」のピアノ楽譜はいろいろなものが出ていますが,何と言ってもヘス編曲のものが最高でしょうね。マイラ・ヘスというイギリスの女流ピアニストが編曲したものが一等味わい深いと思うのです。
秋の夜長,CDで聴くのもいいでしょうし,私が挙げた以上の3曲,ユーチューブでもアップされておりますので,是非聴いてみてください。・・・泣けてきますよ,本当に。
ブルックナーの気宇壮大
朝晩は少し肌寒いような季節になってきました。私はいよいよ元気です。前にもこのブログで書いたことがあるような気がしますが,音楽を聴くとしても,真夏など暑くてたまらないような日々にはせいぜいバッハかショパンが精一杯です。ブルックナーとかマーラーを蒸し暑い真夏に聴かされたら,辛いです(笑)。でも,秋や冬のような季節には,こういった曲もむしろじっくりと聴きたい気分になります。
ブルックナーの交響曲はどれも長大で重厚ですが,本当に魅力的です。いわゆるブルックナー開始と言われる弦の幽玄な響き,大自然や宇宙を思わせるような雄大な構想とメロディー,期間が長いか短いかは別として,ブルックナーの交響曲の世界に凝ってしまう人も多いのではないでしょうか。彼の交響曲を聴いていると,彼の物事に対するとらえ方や心構えがとてつもなく大きく,気宇壮大な感じがします。些末なことでクヨクヨするなと励まされているかのような・・・。
ずいぶん前になりますが,あるドイツ人の夫婦が,ブルックナーをめぐって結局は離婚問題に発展し,実際に離婚したという記事を読んだことがあります。奥さんがとにかくブルックナーの曲が大好きで,自宅では四六時中ブルックナーの音楽を流し(夜の寝室においてもです。),夫の方がもうイヤだと,堪忍袋の緒が切れてしまったようです。この実話では,私はむしろ夫の方に同情しますが(笑),その一方で,それだけブルックナーの交響曲の魅力も否定できないという気もします。彼の曲にはそういう何かがあるのですよ。
ブルックナーの交響曲では,やはり第4番(ロマンティック),第7番,第8番,そして円熟の極みである第9番(この第4楽章は彼の死の直前まで作曲作業が続けられていたのですが,未完に終わっております)などが好きです。その中で1つだけ今聴かせてあげるといわれたら,第8番(ハ短調)を選ぶでしょうね。
音楽活動,楽しんでね
昨日は,ある地区の小中学校連合音楽会に行ってきました。私の所属しているロータリークラブは,この地区のこの連合音楽会を25年間にわたって協賛してきたそうです。そして昨日は,大きなステージでの晴れ舞台,小中学校の若い人たちの生の演奏を楽しんだのです。仕事の都合で一部しか鑑賞できませんでしたが,素晴らしい演奏でした。吹奏楽あり,合唱あり。
それにしても音楽活動に参加している若い人たち(小中学生)は元気で,本当に楽しそうですね。目が生き生きとしています。やはり音楽というものの力を感じます。ロータリークラブは職業奉仕だけでなく社会奉仕をしているのですが,こういう若人の音楽会に協賛できることは本当に嬉しいことです。このステージに立っている人の中には将来音楽で身を立てる人もあるでしょうし,そうでなくても,こよなく音楽を愛し,生活の一部に音楽を取り込み,精神的に凹むような出来事があっても音楽に癒しを求めたり,音楽で元気を回復していけるような大人に成長することでしょう。
話は少し変わりますが,この連合音楽会に参加した子供達は,その置かれている音楽環境には様々なものがあるでしょうが,概してその環境は恵まれているでしょう。音楽に対する関心,興味を持てば,満足のいくまで追求していくことができます。でも,あのバッハやヘンデルの幼少時代は必ずしもそうではなかったようです。バッハは9歳から10歳にかけて,相次いで父母を亡くし,一時期は長兄ヨハン・クリストフ・バッハのやっかいになっていたのですが,この兄は弟バッハの音楽的な急成長をどう感じたのか,バッハの懇願にもかかわらず,有名な作曲家の楽譜を見せてあげず,この楽譜を鍵のかかる戸棚に隠してしまったのです。何とかその楽譜を見ることができたバッハは,夜中に月の光で何か月もかけて苦労して写譜をしたのです。音楽に対する渇望です。
一方,ヘンデルの方はというと,その父はヘンデルが法律家になることを強く希望していたため,ヘンデルが音楽に関心を示したり,没頭することを嫌い,家の中にあった楽器という楽器を全部屋根裏部屋に移動させ,ヘンデルが楽器演奏をすることを禁じました。でもヘンデルは,音楽に対する興味を抑えきれず,父に内緒でこっそりと屋根裏部屋に忍び込み,そこにあったチェンバロを弾いたのです。これも父に見つかり,父はチェンバロを家から無くしてしまいます。ヘンデルはそれでも友人の家のチャンバロを弾かせてもらっていたのです。やはり音楽に対する渇望です。
魂に語りかける音楽
昨夜は自宅で夕食をとってから,好きなお酒を一滴も飲まずにすぐにバッハの音楽を聴き始めました。中断してお風呂に入り,再びバッハの音楽を聴きながら眠りにつきました。7月28日はバッハの命日ですので,その前夜私はバッハの音楽にじっくりと浸りたかったのであります。
昨夜はバッハのいろいろな音楽を聴きましたが,やはり涙が出てきました。特に,「ミサ曲ロ短調」の最終曲である「平和を我らに与えたまえ(ドナ・ノヴィス・パーチェム)」の時にはあふれましたね。バッハの音楽は魂に語りかけるような,魂を揺さぶるような深遠な音楽なのです。バッハは,音楽の究極の目的は神をたたえることと魂の再生だと考えていたようです。私はキリスト者ではないので,その意味からすると,たとえバッハの音楽に感動したとしても,キリスト者のそれの半分くらいの感動の度合いなのかもしれませんが,自分自身バッハの音楽で心から癒され,魂の再生をはかるきっかけが与えられることは間違いありません。
最終的には,バッハの音楽が好きならば自分だけがその深い森の中で癒されていれば良いのですが,どうしてもバッハの良さを伝えたい衝動もあります。ただ,私のように楽理的なことも分からず,音楽史の研究をしたこともないような者がいくら声高に叫んでも説得力がありませんので,これは数枚のDVDに登場する何人かの人のコメントなのですが,それを紹介したいと思います。
① 生物学者 ルイス・トマス
→ 宇宙,そして地球外の生物に送り届けたいメッセージや人類の誇るべき宝は何かと言われれば,それはバッハの音楽だ。
② ピアニスト ジョアンナ・マクレガー
→ バッハの音楽がない世界はあり得ないのです。
③ 歌手 ボビー・マクファーリン
→ バッハのメロディーはすごいんだ。聞くたびになぜか涙があふれる。魂に届くんだよ。「2つのヴァイオリンのための協奏曲」の第2楽章を初めて聴いた時,涙が止まらなかった。
④ 音楽学者(ハーバード大学教授) クリストフ・ヴォルフ
→ バッハの楽曲は実に多様性に富み,知性と豊かな感情を併せ持っています。私を魅了して止みません。
⑤ 音楽学者 ジョシュア・リフキン
→ 彼(バッハ)の音楽は語りかけてきます。仲間内に1人だけいる少し変わった人のように・・・「僕は流行とは違うかもしれない。人気もないかもしれない。でも信じてほしい。信じてくれれば,あなたの人生を変えますよ。」とね。
求道者
弁護士の感じるストレスにもいろいろなものがあるでしょうが,事件処理の見通しがなかなか立たないことにストレスを感じることもありますし,最近では仕事がなかなかはかどらないことに対するストレスも,これまたなかなかのものです(笑)。そういう訳で,せめて仕事以外の時間帯では癒されたいとの気持ちから,バッハの音楽世界(深い森の中)に入って行ってしまうのです。
ごく最近,佳い音楽DVDを入手できました。トン・コープマン指揮,アムステルダム・バロック管弦楽団・合唱団の演奏による「バッハ:カンタータ集 全6曲」というDVDです。全6曲のうち,5曲は教会カンタータで,もう1曲は「コーヒーカンタータ」という名で有名な世俗カンタータ(おしゃべりはやめて、お静かに)です。5曲の教会カンタータは,56番(われは喜びて十字架を負わん),106番(神の時こそいと良き時),131番(深き淵より、われ汝に呼ばわる、主よ),140番(目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声),147番(心と口と行いと生きざまもて)です。
どうですかねえ,200曲近くあるバッハの教会カンタータの中でたった5曲を選べと言われたら本当に困りますが,私の中で当選確実なのは140番(目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声)と147番(心と口と行いと生きざまもて)ですが,その他はとても選び切れません。でも,このDVDに収録されている曲はどれも素晴らしいと思います。
トン・コープマンという人は,一言で表現しますと,求道者という表現がピッタリです。バッハのカンタータ全曲録音という偉業を達成しておりますし,その研究熱心さは半端ではありません。この人は,昔から,「バッハの弟子でありたい」と公言してきたことからも分かりますように,本当にバッハが好きなのでしょうし,古楽器演奏を追求しています。
「バッハ=カンタータの世界Ⅰ 教会カンタータ アルンシュタット~ケーテン地代」(東京書籍)の中で,トン・コープマンは次のように述べております(364ページ)。
「幸い、メンゲルベルク,リヒターのようなバッハの演奏は、もはや過去のものとなっている。といって、われわれは、知ったかぶりになるつもりはないし、警察官を気どりたいわけでもない。われわれが望むのはただ、バッハがわれわれの肩をたたいてこう言ってくれることだけである。『君たちは、私の考えていたことが何であったかを誠実に探してくれた』、と。」
古楽器演奏の追求により,バッハの作品が,バッハの時代に鳴り響いていたのと同じやりかたで再現されるのは好ましいことでしょう。その意味でも,トン・コープマンは求道者なのでしょう。ただ,私は,カール・リヒターの演奏もこよなく愛しております。リヒターのような演奏が過去のものになってしまったとの評価には違和感を覚えますし,それが「幸い」とは思いません。どちらの演奏も佳いのです。それにしても,トン・コープマンの指揮ぶりは,ユーモラスで,ひたむきで,ほほえましさを感じます。
バッハの凄み
またバッハのことか,と言わないで読んでいただきたいと思います。私がクラシック音楽を聴くとき,最近ではもうバッハの曲が90パーセント以上になってしまっているのではないでしょうか。自分の中ではバッハは神様のような存在ですし,癒しの源泉なのです。そのバッハの曲の中でも,かねてから「凄み」というものを感じている曲があります。
「凄み」とひとことで言っても分かりにくいでしょうが,この場合の「凄み」の意味というのは,魂の深部に語りかけるような内省的な音楽であること,バッハと同時代の音楽家でも後生の音楽家でもまねが出来ないような独創性があること,今聴いてもちっとも古さを感じない斬新さがあることなどでしょうか。最近でも繰り返して聴いているバッハの曲の中で,特に「凄み」を感じている曲を3つほど挙げてみたいと思います。
第1は,ミサ曲ロ短調の終わりから2番目の曲,「アニュス・デイ(神の子羊)」です。アルト独唱で,低音域が中心の沈鬱なメロディーで,ためいきの動機が繰り返されます。魂の深部に語りかけるような内省的な音楽で,こういう旋律は誰にもまねが出来ないでしょう。その後に続く終曲の「ドナ・ノヴィス・パーチェム(平和を我らに)」の平和的で安らかな旋律とは好対照ですが,この曲の旋律も何故かずっと頭に残る素晴らしいものです。本当に凄みというものがあります。
第2は,平均率クラヴィーア曲集第1巻の第24番のフーガです。この曲集の最後を締めくくるのに似つかわしい雄大な構想のフーガで,その半音階的進行には斬新さがあり,これもバッハならではです。やはり凄みを感じます。
第3は,無伴奏チェロ組曲第5番のサラバンドです。最初に聴いた時は,何と不気味な曲だろうと思ったのですが,何度も聴いていると,これも魂の深部に語りかけて内省的ですし,独創性,斬新さが半端ではありません。あのムスティスラフ・ロストロポーヴィッチがこの曲をこよなく愛していたそうです。
この3曲などは特に頭の中に残っているのですが,いずれにしてもバッハは凄いのです(笑)。
ふるさと
前にもこのブログで書いたことがありますから,二度目というのは気が引けますが,童謡・唱歌の「ふるさと」という曲は,本当に佳い曲ですね。つくづくそう思います。
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと 如何にいます 父母 恙 無しや友垣 雨に風につけても 思い出ずる ふるさと 志を 果たして いつの日にか 帰らん 山はあおきふるさと 水は清き ふるさと」(作詞/高野辰之,作曲/岡野貞一)
私も幼少の頃,約2年間,熊本県の田舎でのんびりと過ごした経験があります。このふるさとという曲を聴いてじーんとくるのは,その当時目に焼き付いた田舎の風景が私自身の原風景として残っているからでしょう。でも,私だけでしょうか。都会育ちでも,田舎育ちでも,この歌詞に出てくるような風景は日本人誰もが有している心象風景なのではないでしょうか。
「世界三大テノール」として有名,しかも親日家(来日は20回以上)であるプラシド・ドミンゴさんは,この4月に来日し,東京・渋谷のNHKホールでのコンサートのアンコール曲として,この「ふるさと」を日本語で唱われたそうです。本当にありがたいことです。東日本大震災や,福島第一原発の事故などで,海外のアーティストによるコンサートのキャンセルが相次ぐ中で,このドミンゴさんは,「来ないつもりは全くなかった。震災を前に音楽ができることはほとんどないが,音楽はつかの間であっても人を幸せにできる。悲しみや苦しみを忘れさせることができる。」と話されたそうですし,日本の悲劇をワシントンで知り,総監督を務めるワシントン・ナショナル・オペラでの公演前,「君が代」を演奏してくれたということも伝えられています(産経新聞)。
ドミンゴさんは,アンコールでこの曲を選んだ理由を,「ノスタルジックで誰もが知る曲と聞いた。日本語の曲を歌ったことはあるが,今日は特別な意味があった。いつの日か強い気持ちになれる日が来ると信じています。」と述べられたそうです。
そして,ドミンゴさんが日本語で「ふるさと」を歌い始めると,約3600人の聴衆からはどよめきが起こり,やがて聴衆全員が総立ちになって合唱し,多くの人は泣きながら唱っていたそうです。
癒されるとともに勇気も与えられる
バッハの教会カンタータ第22番「イエスは御許に十二弟子を招き寄せ」の第5番目(最終曲)のコラールは何と癒される曲なのでしょう。思わず何度も何度も繰りかえし聴いてしまいました。美しいメロディーの四声部からなる合唱(コラール)を支えているのは,特にオーボエと第1バイオリンで,このリズムとメロディーはどことなく人間の着実な歩みの様を彷彿とさせます。
このコラールの歌詞の中に,「起こし給えわれらを、御身の御恵みもって」(訳:松浦純)というのがあります。このような歌詞と,人間の着実な歩みの様を彷彿とさせリズムとメロディーを聴いていると,いったんは打ちのめされた人間が復興していくための勇気も与えられます。本当にバッハは佳い曲を作ってくれたものです。
ドイツは無条件降伏,日本はポツダム宣言の受諾をして終戦を迎えたのですが,辺り一面は無残な焼け野原,廃墟です。しかしながら,日本は終戦後わずか13年しか経っていない1968年にはGDP(国内総生産)で世界第2位になり,見事な復興を遂げています。またドイツも,焼け野原の数年後には世界のトップ3に入る復興を遂げました。4月8日付けのウォール・ストリート・ジャーナルのウェブサイトには,このたびの東日本大震災に寄せて,次のような記事を掲載されています。
「(ドイツの戦後復興の記事を受けて)日本人は深夜も働き続けたドイツ人によく似ている。社会における教育と愛国主義への重視も突出している。この国は土地が狭く、自然資源も乏しいのにこれほどの繁栄を成し遂げたのだ。だが、最も強大な資源は『日本人』という国民だ。彼らはほぼ全員が優れた教育を受け、目標を成し遂げようとする強い意志を持っている。常に革新の精神を持ち、心の底から国の盛衰興廃に関心を寄せているのだ。」
時の政権担当者の有能・無能の違いによって遅い・速いの違いがでてくるのは仕方ありませんが,東日本は必ず復興すると確信しています。
王者・魔術師より詩人の方が好き・・・
まず初めにお断りしておきますが,音楽好きの私は,どの音楽家も心から尊敬しております。ただ好みの問題として,個々の曲には好きかそうでないかの違いはもちろんありますし,音楽家(作曲家)の作風についても若干そういうところはあります。
今年は西暦2011年ですから,作曲家であり著名なピアニストであったフランツ・リスト生誕200年記念の年です。ですからリストは,昨年生誕200年を迎えたショパンやシューマンより一歳年下ということになります。今年はリスト生誕200年を記念して何らかのイベントやコンサートが開かれるでしょうね。
リストはそれはそれはすごい超絶技巧をもったピアニストだったようです。テクニック的にはその当時右に出る者がいなかったほど。ですからリストは「ピアノの魔術師」とか「鍵盤の王者」などと呼ばれていました。「ラ・カンパネラ」とか「超絶技巧練習曲」とかの彼の作品からすればそのテクニックの凄さを窺い知ることができます。実際にそれを作曲し,聴衆の前で演奏していたのですから。そういえば,リストの曲を得意としていたピアニストを振り返ってみても,ジョルジ・シフラ,スビャトスラフ・リヒテル,アンドレ・ワッツといったテクニシャンぞろいです。
でも私は,リストの曲は最近では聴く機会が少なくなりました。昔からそれほど多くもありませんでしたが。はっきり言うと,感動があまりないのです。「超絶技巧練習曲」なんかを聴いていても,技巧面ばかりが強調されているような気がして,「詩」を感じないのです。リストのファンには申し訳ありません。
同時代のショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれているように,たとえば「12の練習曲」(作品10),「12の練習曲」(作品25)を聴いていて,感動しますし,詩的で「詩」を感じます。「詩人」のショパンの方を私は好むのです。あの名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーもショパンの曲を大いに評価し,自ら奏でていたとその夫人が伝えておりました(エリーザベト・フルトヴェングラー)。また,どのピアニストも旧約聖書のように評価,練習しているであろうバッハの「平均率クラヴィーア曲集」のどのプレリュード,どのフーガにも詩的なものを感じるのです。
アルマンド
先週末にはちょっとばかり感動したことが2つあった。
金曜日の夜の月を皆さんはご覧になっただろうか。仕事を終えて自宅に帰る道すがら,それはそれは見事な月を眺めることができたのである。何しろ大きかったし,色も真っ白ではなく少し茜色がかっているように見えた。月というのはこんなに大きなものだったのかという驚きさえあったし,うさぎさんの餅つきの様子も何となく分かったのである。月というのは日によって様々な姿を見せてくれるし,見る者に様々な思いを抱かせてくれる。とにかくこの晩の月には感動した。
明くる土曜日の晩には,うちのカミさんが飲み会ということで娘のあかねちゃんと行きつけの蕎麦屋さんで外食したのだが,その道行きの世間話で,こちらからその話題に触れた訳ではないのに,あかねちゃんの方から前夜の月の見事さに言及してきた。あかねちゃんも前夜の月にはちょっとした感動を覚えたようだ。
週末の2つ目の感動はやはりバッハの音楽であった。土曜日の晩はあかねちゃんのお酌でほろ酔い加減となり,お風呂に入った後はすぐに布団に入り,良い気分で上田秋成の「雨月物語」を読んでいた。この古典のすばらしさは後日改めてこのブログで触れることにして,ちょっと疲れたなと思ってテレビのスイッチを入れたら,本当にタイミング良く,ちょうどアンドラーシュ・シフというピアニストの演奏会の放送が始まるところだった。この日は幸運だった。演目はバッハのフランス組曲全曲などであった。私もこの演奏家の平均率クラヴィーア曲集のCDを持っているが,アンドラーシュ・シフはおそらく当代一流,世界最高のバッハ弾きの一人であろう。
フランス組曲は第1番から第6番まであり,どれも好きなのだが,特にこの晩に聴いた組曲第2番の冒頭のアルマンドの旋律は胸にじーんときた。感動のあまりうっすらと目に涙が・・。アルマンドはドイツ風の舞曲というほどの意味で,摺り足が主体となる舞曲のこと。バロック期の組曲の冒頭(第1曲)は,だいたいは前奏曲(プレリュード)かこのアルマンドということになる。アルマンドはフランス組曲第5番のものが特に有名で私も好きだが,この晩ばかりは組曲2番のアルマンドに感動した。これは本当に佳い曲である。
翌日曜日の昼間に恐る恐る練習してみた。私にとっては苦闘の連続だったが,前半だけは何とか譜面を見て弾けた。なぜ苦闘の連続なのかというと,私の技術が劣っている点は度外視するとして,いわゆる係留音が少なくないからであろう。でもバッハを弾く場合にはこれは乗り越えなくてはならない宿命なのである。
組曲2番のアルマンドに感動し,そのメロディーがくるくる頭の中で回っている状況で,昨日は東京出張であった。もちろん八重洲地下中央口の旭川ラーメン「番外地」の塩バターコーンラーメンを食べて帰ってきたことはいうまでもない(笑)。
元気をもらうの巻
皆様,新年明けましておめでとうございます。相変わらず大変なふつつか者ですが,本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて,今朝も徒歩での通勤になりましたが,名古屋の朝はとても寒く感じました。年末までは手袋をすることもなかったのですが,今朝は思わず手袋をしてきました。昨年の夏は語りぐさになるほどの暑さだったのですが,同じような振幅でこの冬は語りぐさになるような寒さになってしまうのでしょうか・・・。
きのうは家族とともに大阪に行ってきました。同業の弁護士さんから勧められ,宝塚歌劇団の歌劇を観てきたのです。大阪の梅田芸術劇場のシアター・ドラマシティという所で,その演目は月組公演「STUDIO 54(スタジオ フィフティフォー)」でした。宝塚歌劇は生まれて初めての経験で,うちのカミさんも娘のあかねちゃんも同様でした。
ミュージカル風の進行で,開始して30分ほどの間は少なくとも私は放心状態でした。圧倒的な迫力と大音響と非日常性(笑)とで,私はもはや仮死状態(笑)。瞳孔が開きかけたのではないかと思いました(爆笑)。でも,25分間の休憩を経て最後まで鑑賞したら,やはり感動しました。宝塚の中でもどうも月組は,「芝居の月組」と言われるだけあって,非常に完成度が高いと思いました。男役主演の霧矢大夢さん,女役主演の蒼乃夕妃さん,カッコ良かったわよー。
一時は仮死状態に陥った私でしたが(笑),とにかく元気をもらいました。宝塚ファンの気持ちがよく分かりました。というのも,観終わった後にはとにかく元気になるのです。やはりプロだと思いましたね。歌舞伎も確かに良いのですが,落ち込んでいる時に理屈抜きで自分を元気にするなら,宝塚もありですね。特に月組・・。
お互い今年も良い年にしたいと思います。
年の瀬もせまる
平成22年の年の瀬もせまってまいりました。皆さんはこの1年はどんな年でしたでしょうか。自分自身のことを申しますと,歳のせいかあまり楽観的に物事を考えることができず,今年も何とか無事に年を越せそうだとの安堵の気持ちでいっぱいというのが実情です。
さて,来年の7月からは地デジ放送が始まり,それまでのアナログテレビは映らなくなります。最近では画面が黒く縁取られ,その旨のメッセージが流され,「早く地デジに切り替えんかい!」とばかりにプレッシャーをかけられているような感がありました。そこで私もとうとう,窮鼠が猫を噛むように,先日地デジテレビに切り替えたのであります。確かに画像が鮮明です。
そんなある晩,夕食をしながら家族でその新品のテレビを見ていたら,L'Arc~en~Cielというバンドが演奏しておりました。私はこのバンドのことはあまり知らなかったのですが,隣に座っていた娘のあかねちゃんに,「L'Arc~en~Ciel」というのはフランス語で虹という意味なんだよ。」と教えたら,「ふーん。そうなんだぁ。」と感心しておりました。私がどうしてそれを知っていたかというと,大学時代に選択しなければならなかった第二外国語はフランス語だったからですし,何よりも当時好きだったシャンソンの「パリの空の下」の歌詞の最後が「arc en ciel」だったからです。
そしてその家族団らんの時,私は「パリの空の下」というシャンソンの名曲のメロディーを頭に浮かべながら,遠い昔の自分の幼少時代のことを思い出したのです。私は姉と妹にはさまれた3人兄弟で,両親とともに5人暮らしをしていたのですが,子供部屋は母屋とは棟が別の離れになっていました。私は幼少のころから風邪をひくとよく扁桃腺が腫れ,寝込んでおりました。そういった時,離れのベッドで一人ポツンと寝ており,食事の時以外は「静かに寝ていないと直らない」とか「お姉ちゃんたちにうつるから」などと養生するように言われ,食事の時以外は家族と一緒に過ごせないことが多かったのです。風邪で扁桃腺が腫れた時は,子供ながらにすごくさびしかったのであります。そういうある日曜日の晩,ああ早く夕食にならないかなぁ,母屋の方に行って家族と一緒にご飯が食べたいなぁ,などと思いながら夕食のお呼びがかかるのを待っていたのです。それぐらい離れで一人過ごすのは寂しいのでありました。そして,ようやく夕食のお呼びがかかりました。私は家族と暖かい部屋で合流し,一緒に晩ご飯を食べたのです。本当に暖かく,「家族っていいなあ。」と心もうれしかったのです。その時にテレビコマーシャルで流れていた音楽が「パリの空の下」だったのです。強烈に印象に残っております。もちろんその当時はその曲名は知るよしもなかったのですが,そのメロディーが頭に焼き付いており,大人になってからその曲名を知ったのです。古いシャンソンの名曲で,その後はよくジュリエット・グレコの歌で聴きました。
先日,そんなことを回想しながら新しい地デジテレビを見ておりました。
さて,全国6192万人もの読者のために(笑),今年も割とまめにブログを更新してきました。来年も,仕事そっちのけで(爆笑),更新していきたいと思います。皆様良いお年をお迎えください。
「諸君,脱帽したまえ。天才が現れた!」
平成22年(2010年)も,もうすぐ暮れようとしている。2009年はメンデルスゾーンの生誕200年記念の年だったし,2010年はショパンの生誕200年記念の年であった(また,心から敬愛するバッハ没後260年でもあるけど)。
でも,2010年はドイツが生んだ作曲家シューマンの生誕200年の年でもある。ショパンとシューマンは同年の生まれなのである。2010年ももうすぐ暮れようとしているのだから,どうしてもシューマンのことについても触れておきたい。
自分の明確な記憶として,私がシューマンの曲を最初に鑑賞したのは12歳(小学校6年生)の時である。音楽の授業でロマン派の曲の鑑賞をし,その際にシューマンの歌曲「流浪の民」を耳にしたのである。その迫力とすばらしさに圧倒された記憶がある。その後もシューマンの曲は何度も耳にしたが,私が好きなのは交響曲ならば第1番「春」と第3番「ライン」である。特に第3番「ライン」はとうとうと流れるライン川を彷彿とさせるし,心をわくわくさせるものがある。あとは,先ほどの歌曲「流浪の民」,それからピアノ組曲となっている「子供の情景」から「知らない国々」,「珍しいお話」,「トロイメライ」なんかが好きである。シューマンは妻のクララとの間に8人の子をもうけ,大変な子煩悩だったといわれているが,「子供の情景」の各曲を聴くとそんな感じがよく出ていると思う。「トロイメライ」って変な名前だなと思っていたが,どうやらドイツ語で「夢想」とか「夢想にふける」といったような意味のようである。確かに曲調からすると,夢見がちな子供が何かしら静かに夢心地で夢想にふけっている感じがある。
私が12歳だったころは趣味でピアノを習っていた。少しでもうまくなりたいと願っていた。そんな頃にシューマンの伝記を読んでいたら,シューマンはやはり少しでもうまくなりたいとの一心からピアノの猛練習をし,それがたたって薬指に怪我をし,ピアニストの夢をあきらめ,音楽家,評論家としての道を歩むことになったとのこと。ピアニストの夢をあきらめざるをなかったことに,子供ながらに同情したものだ。ショパンと同時代に生きたシューマンは,評論家としても著名で,本日のブログのタイトルは,評論家シューマンがショパンを初めて世に紹介した時の言葉である。
どうやらシューマンは,晩年はライン川に身を投げたりして精神を病み,不遇だったと伝えられるが,その作品群の価値は不滅である。改めて伝記と,珠玉の作品群を鑑賞してみたいと思う。伝記については,「シューマン-愛と苦悩の生涯」(若林健吉著,新時代社)が好評のようだ。一度読んでみよう。
リチェルカーレ
この寒さはいったい・・・。あれほど長い,あれほど暑い夏だったのに。厚手の布団で寝ていても,どうやら寒さで目が覚めた。大好きな秋が短く終わり,このまま冬に突入するのだろうか。低体温に気をつけなきゃ。
リチェルカーレというのは,ウィキペディアによると,楽曲様式の一つで,その淵源を辿るとルネッサンス期までさかのぼる。リチェルカーレはイタリア語で「探求」という意味のようである。その様式はフーガと同様いくつかの声部からなり,曲の冒頭で1つの声部に示された主題が次々と他の声部に模倣されていく。その模倣の態様にフーガほどの規則性はないが,素人の耳にもフーガとよく似ていると思われるし,区別がつきにくいと思う。歴史的にはリチェルカーレはフーガに取って代わられた。
リチェルカーレですぐに思いつくのは,やはりバッハの「6声のリチェルカーレ」である。学生時代から精神的にゆったりしたい時などに聴いていた。この曲は,バッハの「音楽の捧げ物」の中に含まれており,傑作であると思う。リチェルカーレは,前にも触れたように,一つの声部に示された主題が次々と他の声部に模倣されていくのだが,この「6声のリチェルカーレ」の冒頭から現れる主題こそ,フリードリヒ大王がバッハに示したハ短調の主題である。この主題は,何と言おうか,深甚な憂いを秘めて忘れがたく,いつまでも頭に残るような主題である。この主題から次々に他声部へ模倣され,変奏され,織物のように展開されていく。バッハ晩年の円熟,枯淡をしみじみと感じさせる素晴らしい曲である。
11月3日は文化の日。文化の日といえば,ゴルフである(笑)。この時のゴルフのスコアというと,先日の雨中のゴルフの時と比べると,何と21打縮まった。しかしそのスコアでさえも,決してほめられたものではない。もう僕のゴルフも潮時か・・・。いや,もう少し頑張ってみる(笑)。
夜想曲
秋の夜長に癒される曲を聴くのだったら,やはり夜想曲(ノクターン)であろう。昨日,10月17日はショパンの命日であった。子供の頃に最初にあこがれた音楽家がこのショパンだった。
ショパンの夜想曲で最も好きなのは,有名すぎるかもしれないが作品9-2のものと,「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」という楽想指示がついている嬰ハ短調(遺作)のものである。作品9-2の変ホ長調のものは,僕が小学生の頃にある商品のテレビコマーシャルで初めて耳にした曲で,本当にあこがれたものだ。こんな風にピアノが弾けたらいいなと・・・。
年をとってしまった今は,むしろ嬰ハ短調(遺作)の方が好きだ。遺作となっているが,これは楽譜が死語に発見されたという意味で,実際の成立年代,つまり作曲された時期はショパンがまだ20歳前後のころ,姉のルドヴィカのために作られたといわれている。これは本当に佳い曲である。この曲を聴いただけでショパンが好きになる人もいるのではないか。ポーランド生まれのショパンは,20歳ころにフランスに移って以降は,結局生まれ故郷には帰ることができなかった。でも姉のルドヴィカは何とかショパン最期の年にパリを訪れ,その臨終の際もショパンの病床に付き添い,看取った。
ポーランドで思い出すのは,僕が20歳だったころ,東京で知り合ったIさんという大学院生のことである。僕がショパンを熱く語っていたところ,偶然このIさんはポーランドに留学に行く直前だった。その後Iさんは,僕の自宅に「ジェラゾヴァ・ヴォラ」という写真集を贈ってくれた。今もこの写真集は僕の自宅にあるが,この写真集の題名はショパンの生まれ故郷の名である。是非その地を訪れてみたくなるような写真集である。
蛇足といってはボロディンに失礼だが,夜想曲(ノクターン)といったら,このボロディンの弦楽四重奏曲第2番ニ長調の第3楽章の夜想曲も捨てがたい。なにも捨てる必要などは全くないが,これまた本当に佳い曲で,秋の夜長にピッタリなのである。
秋めいて芸術めく
本当によい季節になった。秋が一番好きである。こういう季節を迎えると,理由は全く分からないが,何かしら佳い音楽を聴きたい気持ちになるし,空の雲や月,街路樹,路傍の小さな花などにも目が向くようになる。炎天下の夏では,精神的にもそういう余裕がもてないのであろう。
産経新聞を読んでいたら,あのピアニストのマウリツィオ・ポリーニが高松宮殿下記念世界文化賞を音楽部門で受賞したという記事が載っていた。18歳でショパン国際ピアノコンクールで優勝したこの現代最高のピアニストの一人も,もう68歳だ。僕も今まで二度コンサート会場でポリーニの演奏を聴いたが,もう一度聴いてみたい。10月には東京と京都で公演があるようだが,残念ながら今回は行けそうにない。過去二度のポリーニ体験のうち一度は,東京文化会館での青少年のためのコンサートで,確か20代までという年齢制限がなされていたのだが,どうしても聴きたかった僕は年齢詐称してでも潜り込んでしまった(当時既に30歳を超えていた(笑)。もう時効である)。
思い起こせば,若いころにポリーニの「ショパンの24の練習曲集」のレコード(ケースの帯に「これ以上、何をお望みですか?」というキャッチフレーズの付いたもの)を聴いてからというもの,このピアニストに絶えず注目してきた。今でも世界最高のピアニストの一人であろう。先の産経新聞の記事では,ポリーニのインタビューにおける発言も掲載されていたが,ポリーニは日本の聴衆などについて次のようにコメントしている。
「日本の聴衆は並はずれて丁重で、音楽も演奏家も大切にしてくれます。日本人の民主主義的な国民性や芸術に対する深い尊敬、優れた教育、礼儀が、そういう民主主義的態度を形成していると思えます。武満徹や細川俊夫のような現代作曲家を生み、映画などでも並はずれた芸術的感性を発揮していますね。」
今年2010年は,ショパンの生誕200年に当たる。ポリーニのショパン演奏は誠に素晴らしい。できるだけ最新のポリーニのショパン演奏の録音を物色してこよう。
芸術と言えば,俳句も日本の素晴らしい芸術世界,精神世界の一つである。日曜日の朝に何気なくテレビを見ていたら,江戸年間の尼僧俳人である田上菊舎の生き方とその俳句作品についての紹介がなされていた。得度していること,漂泊の旅を続けていたことなどから,種田山頭火にも一脈通ずるところがある。女性の身でありながら仏道修行と作句しつつの漂泊の旅。何が彼女をそうさせたのであろうか。テレビでは,菊舎の次の句が紹介された。滞在先で菊舎にまとわりつくほどに懐いていた可愛い女の子と,前年の暮れには年が明けて春になったらあちこちに花見をして回ろうとの約束をしていたのに,その女の子は急死し,その約束もかなわなくなった。その時の心境を詠んだ句であり,切々たる無常観にあふれている。
「花に遊ぶ やくそくむなし 野辺送り」
菊舎は,次のような句も残している。
「鐘氷る 夜や父母の おもはるゝ」
芸術めく秋に,少しばかり田上菊舎に関する本でも読んでみようか。
癒しの源泉
今日7月28日は,あのヨハン・セバスティアン・バッハの命日である。今年は没後260年となる。思い起こせば,僕にとってバッハの音楽は,自分の若い頃から初老の今日に至るまで,絶えず癒しの源泉であった。
昨年の7月28日もバッハの命日にちなんだ記事をこのブログで書いた。僕がいくら天才ブロガーといえども(笑),昨年のこの日に書いたバッハの命日にちなんだ記事以上のものはもう書けない。だから今日は,バッハの音楽に対する僕の偽らざる思いを,音楽評論家の加藤浩子さんの著作を引用する形で伝えたい。
実は以前にも1度,このブログで取り上げた著作に,「バッハへの旅」(加藤浩子著,東京書籍)というのがある。これは著者が,バッハ生誕の地であるアイゼナッハからその終焉の地であるライプツィヒまでの旅を綴った本で(写真家の若月伸一さんの写真が豊富に掲載),これ1冊でバッハゆかりの地を実際に旅した気分に浸れるし,バッハの伝記にもなっているし,音楽史や楽曲に関する知識も得られる。
この著作の随所に現れる表現内容からしても,バッハ及びその音楽に対するこの著者の心からの敬愛の情を窺い知ることができる。だから今日は,バッハの音楽に対する僕の偽らざる思いを,この加藤浩子さんの著作を引用する形で伝えたい(同書342~343頁の「あとがき」から)。
「バッハに導かれて、ここまできた。いつ出会ったか、記憶にないままに。けれど気づいてみたら、いつもバッハがいた。好きな作曲家は大勢いるのに、好きな音楽もたくさんあるのに、ふと佇んだとき、曲がり角にいるとき、いつもバッハがそこにいた。バッハはさりげなかった。そして強かった。・・・・・だがその足跡をたどればたどるほど、私はバッハの音楽へのかぎりない愛を、音楽を極めたい、その高みに上り詰めたいというたぎるような情熱を、感じずにはいられなかった。それがどれほど破格であることか。それはバッハに魅せられたひとりひとりが知っている。バッハに慰められたひとりひとりが知っている。行く手の見えなかった私がここまで歩いてこられたのも、バッハの強さの、破格さの、証明であるように思えるのだ。」
歌のテスト
中学生の時も,高校生の時も,音楽の時間の歌のテストはとても苦手だった。僕は音楽自体はとても好きだったのだが,歌のテストだけは気が重かったし,恥ずかしかったのである。先生の伴奏に合わせて個室でテストされるのならまだしも,衆人環視,みんなの前で一人ずつというのはどうも・・・。
おとといの夕食の時,娘のあかねちゃんが,来週音楽の時間で歌のテストがあると言って何やら口ずさんでいた。そのメロディーを聴いてすぐにピンと来た。何と,僕が以前から好きだったヘンデルの「私を泣かせてください」というアリアである。どうやら,この歌のテストは生徒が2曲のうちから好きな方を選択できるようで,もう1曲はメンデルスゾーンの「歌の翼に」という曲だそうだ。あかねちゃんは,「私を泣かせてください」の方を選ぶとのこと。
「私を泣かせてください」というのは,とても佳い曲,美しい曲で,ヘンデルの歌劇「リナルド」の第2幕で登場する有名なアリアである。敵の魔術師に捕らわれたアルミレーナという女性が悲嘆にくれながら恋人を想って切々と歌う。その歌詞の冒頭は次のようなものである。
「私を一人で泣かせてください 過酷な運命に ため息をつかせてください 失われた自由に ・・・・・・」
あぁー,ヘンデルもいいよね。メロディーメーカーだわ。ヘンデルはバッハと同じ年(1685年)にドイツで生まれたが,ロンドンに渡って大活躍した。この歌劇「リナルド」はロンドンに渡って初めて世に問うた歌劇で,初演は大成功を収めたということだ。
あと,ヘンデルの歌劇のアリアでお勧めなのは,ご存知,「ラルゴ」という名で知られた「オンブラ・マイ・フ」である。これは歌劇「セルセ」第1幕第1場で出てくるアリアであり,そのメロディーの美しさはたとえようもない。それにしても,部活で真っ黒に日焼けしたボーイッシュなあかねちゃんが,「私を泣かせてください」を歌うとは。想像もできないし,仮に想像できたとしても思わず笑っちゃう(笑)。
バイエル
昔はピアノを習う人の必須の教科書みたいになっていたのが,バイエルピアノ教則本である。僕が習い始めたのは遅くて,もう小学校6年生になっていた。当然そのころは,このバイエルピアノ教則本から入る。僕が使っていたのは,確か「こどものバイエル」という本で,随所に可愛らしい挿絵が入っているものだった。今でも自宅で晩酌をして少し酔っぱらってピアノでも弾いてやろうかという時には,バイエルを引っ張り出すことがある。そうすると,懐かしい昔の記憶が蘇るのである。
うちの娘もかつてピアノを習っていたが,やはりバイエルの教則本を使っていた。運指や基本的な技術を学ぶにはやはり格好の教材なのだろう。♯や♭が徐々に増えて,自然に音階も学べるようになっている。このバイエル教則本を作ったのがフェルディナント・バイエルというドイツの作曲家で,5月14日はこのバイエルの命日である。1803年生まれで1863年に亡くなっているから,時代としては今年生誕200年を迎えるショパンやシューマン,その1年先輩のメンデルスゾーン,その4年後輩のワーグナーらと同時代人である。僕も娘のあかねちゃんもバイエルの練習曲で学んだのである。
その娘のあかねちゃんも,もう高校2年生である。学校であった事など,食卓で娘からいろんな話を聞くが,どうやら学園生活は多少の気苦労もあるが,とてつもなく楽しいらしい。それに,興味のあるアーティストが,最近ではEXILEからUVERworldに移行しつつあるらしい。うちのカミさんの通報によると,少し前のある夜中に,あかねちゃんが寝言で絞り出すような声で叫んでいたらしい。翌朝,朝食時に「昨日,寝ながら絶叫してたよ。すごく恐い夢でも見たの?」とうちのカミさんが尋ねたら,どうやら学校でもとりわけ親しい同級生が転校することになったという夢を見て,悲しさのあまり叫んだということである(爆笑)。どうやらあかねちゃんは,学園生活を謳歌しているらしい。
車で移動する時は
先週のある一日は大変疲れた。その日は仕事上,自分で運転して車で移動することが多く,愛西市で法律相談を終え,安城市で建物明渡しの立会,名古屋市中川区で被疑者接見と続いたのである。
こういう日は,車内で音楽を聴くためにお気に入りのCDを用意して車に乗り込む。この日は少し気合いを入れるため,リヒャルト・ワーグナーの管弦楽曲集のCDをかけた。ワーグナーの管弦楽曲集の定番は,「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲」,「歌劇ローエングリン第1幕への前奏曲」,「歌劇タンホイザー序曲」,「楽劇トリスタンとイゾルデ第1幕への前奏曲」,「ジークフリート牧歌」などである。特に,「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲」と「歌劇タンホイザー序曲」を聴くと気合いが入る。「楽劇トリスタンとイゾルデ」では「愛の死」が有名であるが,僕は以前から「第1幕への前奏曲」の方が好きだった。その他の曲も,緑豊かで幻想的な中世の世界を彷彿とさせて癒される。ワーグナーの世界は,その重厚な響きと不協和音を含む独特の和声進行が魅力で,しかも士気を鼓舞してくれる面がある。この日に聴いたのは,カール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏のものだった。
本当にワーグナーの素晴らしさを味わうためには,楽劇や歌劇を全曲通して鑑賞すべきなのであろうが,実は全曲を通して鑑賞したことがあるのは,「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー」だけであり,その他は前奏曲や序曲だけのつまみ食いしかしていない。なかなか時間がないこともあるのだが,取りあえずは,ストーリーが分からなければ話にならないので,お話の中身から勉強してみたい。特に,ニーベルングの指環(ラインの黄金,ワルキューレ,ジークフリート,神々の黄昏)には興味があるので,そのあらすじから勉強してみたいと思っている。
かつて唯一全曲を通して鑑賞したことがある「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第3幕の終わり近くで,ハンス・ザックスがドイツ芸術,文化,伝統の素晴らしさ,これを今後も守っていくことの必要性を力説するシーンが特に印象に残っている。このあたりのセリフ,表現は後のナチス・ドイツに利用されたと指摘されることもあるが,ワーグナーがこの作品を完成した時点では当然ナチスなる存在はなかった訳で,あくまでもこれはワーグナー自身の言葉による自国の芸術,文化,伝統への礼賛であったのだ。僕が先にあげたシーンが特に印象に残っているのは,わが日本にも同じことが言えると感じたからであろう。
雨だれ
通勤はできるだけ歩くようにしているから,雨の日の今朝も傘を差して事務所まで歩いてきた。ゴルフの時はともかくとして,雨は別に嫌いではない。すれ違う際に,「江戸しぐさ」でいう傘かしげをしない人が増えてしまったことは残念であるが。
雨の日は,家の窓から外を眺めていても,外を歩きながら傘に落ちてくる雨の音を聞いていても,ショパンの「雨だれ」という前奏曲(プレリュード)をいつも連想するし,聴きたくなる。24の前奏曲集の15番目の変二長調の曲であるが,冒頭からずっと奏でられる左手の八分音符のリズムが,いかにも雨だれを連想させる。中間部は底知れぬ不安な心理を象徴し,徐々に雨も小やみになり,最後の数小節はようやく雨も止んで,雲間あるいは木々の葉の間から薄日が差してきたような情景が浮かぶ。ショパンは「ピアノの詩人」と称されるが,この曲なんかを聴いていると正にそのような表現がピッタリである。
僕がこの曲を一番最初に聴いたのは小学校6年生のころであり,ショパンの伝記も読んだりした。それによると,この「雨だれ」という曲は,ショパンがジョルジュ・サンドと一緒にスペインのマジョルカ島で療養している時期,ヴァルデモッサのカルトゥハ修道院(僧院)で作曲されたようだ。冬の期間でもあり,寒くて雨がちの地中海の気候は,結核療養中のショパンの健康には良くなかったという。僕は小学生のころ,一度はショパンの追体験をしようと,このマジョルカ島へ行ってみたいなと思った。その後,その気になれば行けたとは思うが,結局はこの島を訪れることなくこの歳になってしまった。いつかはここを旅行してみたい。それに,ここ15年くらいの間はバッハ一辺倒の感じだったが,今年はショパン生誕200年の記念の年でもあるから,もう一度ショパンの作品を味わいなおしたいと思う。
あるメロディーが頭の中でぐるぐる回っている件
先日車で移動している最中に,ブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第2楽章の甘美なメロディーに接した。とても久し振りだった。それ以来,ここ数日,自分でそのメロディーを意識的に「再生」しようとしなくても,自然に頭の中でぐるぐる回ってしまっている。
この弦楽六重奏曲第1番の第2楽章の甘美なメロディーは,ルイ・マル監督の「恋人たち」という映画の中でもとても効果的に使われている。独身時代に映画館でこの映画を観たときは,いいメロディーだなと思った。その映画に出ていたジャンヌ・モローという女優も魅力的であった。若干唇が厚めだが,名女優といって良く,その当時はモローの出ている映画を立て続けに観たものだ。やはりルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」,フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」など。これらは,いわゆるヌーヴェル・バーグと呼ばれる作風のもので,ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」では,モーリス・ロネという俳優がこれまたとても印象に残る演技をしていた。この俳優が主演している映画でその他にお勧めなのが,やはりルイ・マル監督の「鬼火」である(そういえば,この映画ではエリック・サティの音楽がこれまた効果的に使われていた。人によっては,エリック・サティの旋律も頭の中でぐるぐる回るであろう。グノシェンヌやジムノペディなど)。
むちゃくちゃに話が脱線したが,音楽の話に戻すと,ブラームスは天才的なメロディーメーカーだと思う。印象に残るものが多い。交響曲第3番の第3楽章の甘美で感傷的なメロディーも頭の中でぐるぐる回りそうだが,これも「さよならをもう一度」という映画に使われているそうだ。以前このブログでも書いたが,「子守歌」も好きだし,変イ長調のワルツ(作品39の15番目のやつ)も素晴らしいメロディーである。
ぞろ目
僕の誕生日は6月6日だから,ぞろ目である。今日は2月22日で,僕の結婚記念日である。これもぞろ目といえばぞろ目である。それに今日は平成22年2月22日と,見事に2が並んでいる。「22-2-22」という記念すべき印字のある乗車券を求める人も多いと思う。
僕の結婚記念日がなぜ2月22日になったかというと,この日は大好きなショパンの誕生日だったからである。その頃に結婚することになっていたので,それじゃあせっかくだからショパンの誕生日に合わせてみようと思ったのである。ショパンの誕生日としては3月1日説もある。でも僕が子供の頃に読んだ伝記では2月22日になっていたし,その後の文献でも2月22日とされているものが多かったと思う。
そういう訳で,久し振りにショパンの「子守歌」を聴いてみた。癒される曲である。小学生の時に初めてこの曲を聴いた際には,正直いって「変なメロディーだな。」と思った。人口に膾炙し,分かりやすいメロディーのモーツァルト,シューベルト,ブラームスのそれぞれの「子守歌」とは少し感じが違う。でも,改めて聴いてみるとこのショパンの「子守歌」もとても優しくて,佳い曲である。さきほど挙げたいくつかの「子守歌」の中では,ブラームスの「子守歌」が一番好きである。このメロディーは,どことなく同じブラームスのワルツ集(作品39)の第15番目のワルツ(変イ長調)のメロディーに似ている。これは佳い曲である。
話を元に戻すと,今年はショパン生誕200年である。今年も4~5月の連休中に東京国際フォーラムなどでは「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日)音楽祭2010」が開催される。今年のテーマは「ショパンの宇宙」だそうだ。生誕200年を記念してのことであろう。去年もこの催しでバッハのミサ曲ロ短調を家族で聴きに行った。今年も,もしその頃の暮らし向きが良ければ行ってみたい。
記念碑
昨年の11月7日(土),不肖私めも第2コーラスバスパートの一員として,バッハの「マタイ受難曲」の演奏に加わった。このことは以前にもこのブログで触れたが,昨日その演奏を収録したDVDが事務所に届いた。コーラスのメンバーが届けてくれたのだ。ありがたい。
早速,昨晩そのDVDを全曲視聴してみた。勿論僕はソリストでも何でもないから大勢の中の一人として小さく映っていたが,我ながらよく頑張っている姿だった。合唱団の演奏としては完成度が高くないのかもしれないが,聴いていてそれなりに感動できる。ソリストやオーケストラの演奏は素晴らしい。約一年間の練習の成果が集約されたDVDだから,とても愛着があるし,一緒に練習を積んだメンバーのそれぞれの表情を見ていて,本当にやってよかったなと心から思えるのである。
このDVDには,我々の黒地の衣装群に混じって白地の衣装で臨んだ可愛いこども達の姿も映っている。非常に通る声で,僕たちもとても心強く感じたのだが,演奏していないときにはあどけない顔で眠そうにしていたり,あくびをしたりといったご愛嬌のシーンもある。
また,どのソリストも素晴らしい演奏だったのだが,とりわけ後方で聴いていて感動したのが,ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の平尾雅子さんである。とても素晴らしい演奏であった。特に,第57曲目のバスのアリア「来たれ,甘い十字架」の伴奏は感動したし,第35曲目のテノールのアリア「忍べよ!忍べよ!」の伴奏も凄い。合唱団の一員としてこの平尾雅子さんの後ろ姿しか見えなかったが,DVDで改めて拝見させていただくと凜として美しい方で,賢人の風情があり,何よりもヴィオラ・ダ・ガンバを心から愛しているという雰囲気が伝わってきた。このような演奏家と同一ステージに立てただけでも貴重な体験である。いずれにしても,今回の「マタイ受難曲」体験は,僕の人生の中でもとりわけ大きく,このDVDは記念碑的な存在となろう。
時空を超えた素晴らしきもの,それはバッハの「マタイ受難曲」。
おやすみ
さあ,またとりとめのない話が始まるぞ。
僕の低体温改善のためのスロートレーニングは順調である。その最中はとても辛いけど。最初のうちは,このスロートレーニングは朝にやる方がいいのではないかと思っていたが,出勤前にやるのはやめた。今は冬だからいいけど,夏場は恐らく汗びっしょりになってしまって大変だ。そういう訳で,今は夜に行うことにしている。理由は4つある。第1に,朝のスロトレは辛く,出勤前に疲れてしまう。第2に,成長ホルモンは午後11時ころから午前2時ころまでの間に最も多く分泌されると聞いたことがあるので,やはり夜にスロートレーニングをした方がいいという素人考えに基づくものである。第3に,さきほども述べたが,夏場などにスロトレで汗をかいて出勤するのはどうかと思うし,夜に汗かいても入浴できて衛生的である。第4に,夜にスロトレを行うと,適度な疲れに導かれてふとんの中に入り,本当にグッスリ眠れるのである。
また,低体温解消のためには,半身浴も続けているし,クナイプ社の岩塩入浴剤もとてもいい。前にも言ったが,クナイプのオレンジ・リンデンバウム(菩提樹)が好きだし,体がよく温まる。それにしても,特に冬に暖かい毛布とふとんにくるまってこれから眠ろうとする時が一番幸せである。思わず自分自身に「おやすみ」と言いたくなる。
1月31日はシューベルトの誕生日だそうな。短命に終わった作曲家だけど,今の季節は連作歌曲集「冬の旅」を想い出す。シューベルトのピアノソナタなんかを聴いていると,失礼ながら冗長な印象をもつこともあるが,シューベルトの歌曲は本当に素晴らしいと思う。「冬の旅」も古くはハンス・ホッター,そしてディートリヒ・フィッシャー=ディースカウで味わったものだ。この「冬の旅」には,第5曲目の「菩提樹」や第24曲目(終曲)の辻音楽師など素晴らしい曲がちりばめられているが,何故か昔から一番好きだったのは第1曲目の「おやすみ」であった。
ショパンの伝記
僕とクラシック音楽との意識的な最初の出会いは,ショパンのピアノ曲だったと思う。小学校6年生のころから高校2年生ころまでの間は,ほとんどショパン一辺倒だった。今年は2010年だから1810年にポーランドで生まれたショパンの生誕200年記念の年であり,いろいろなイベントが企画されている。
僕もこれまで様々なショパンの伝記を読んできたが,「この一冊」として現在でもお薦めなのが「ショパン」(カシミール・ウィエルジンスキ著,野村光一・野村千枝共訳,音楽の友社)である。なぜこの伝記が素晴らしいのだろうか。ひとことで言うと,著者もショパンと同じポーランド人で,同国内の豊富で新規な資料(書簡なども含まれるであろう。)に基づいて著作されており,特にショパンがパリに定住する以前のポーランドでの半生に関する叙述部分が豊富なのと,書簡などに基づいた心理描写に詳しいからということになろう。この本の訳者あとがきの箇所には,訳者の野村光一氏が次のように述べている。
「・・・そのうえ、彼はその著述に当り、同郷の便もあって、今日まで西欧諸国には未発表のままになっていた、ショパンが祖国に遺した多くの文献を入手して、これを使用する好機を得た。本書中におけるその顕著なる一例は、ショパンが他界するまで彼と親交があり、特にその死の床で独唱を行なったことで名高くなった麗人デルフィーヌ・ポトツカに関する記述であって、これは従来西欧あるいはアメリカで公刊されたいかなるショパン研究書にも見出し得ぬ、新資料による珍しい叙述である。・・・・・・・ひいてはまた、そのために本書ほどショパンの発育時代について紙数が費やされている著述もないのである。」(426頁)
僕はこの本を店頭で手にした際,すぐに気に入った。根拠となる資料も確かなものだし,心理的な描写も多い。ショパンの気持ちはショパンしか判らないのは当然であるとはいえ,心のどこかでこの著者がショパンの同郷人として似通ったメンタリティーをもっているのではという期待もあった。実際に読んでみたが,情報量も豊富で,現存する書簡などからの引用部分も多いため,リアリティーをもって読み進むことができ,読後もとても満足のいくものであった。ショパンの伝記で物足りなさを感じている人があるなら,やはりこの伝記を薦める。この本の序の部分には,20世紀最大のピアニストの一人であるアルトゥール・ルービンシュタインの次のような推薦の言葉もある。
「私はショパンにかんする著書を読むことが非常に好きである。それによって、私はいつも非常に喜びを感じてはいるが、しかしそれにもかかわらず、ショパンの大部分の著書は、なお満足に遠いものである。・・・・・・・・・彼の微妙な正確さと、手法の節約とは、彼の動揺する熱情と、深刻な感情から切り離しがたいものである。一方では妥協を絶対に排する英雄主義と、他方では至高の繊細さと感受性を-彼の世界はあらゆる豊かさをもって、この二極地の間を循環しているものである。この異常な特色の結合が、いかにしてショパンの生涯を構成したか、ということは本書に語られているところであって、彼の音楽、および人間についての理解を広めたい人人に、私が本書を薦める所以もまた、ここにあるのである。」(2~8頁)
ピアノがちょっと寂しげにしている件
僕の家にあるピアノはどこにでもあるようなごく普通の黒のアップライトである。敢えてほめるとすれば,夜間でもヘッドホンで練習できるようなサイレント機能がついていることである。今の住宅に引っ越した際,僕としては日当たりが良くて少し広いリビングにこのピアノを置こうと考えた。でも,実際に引っ越し屋さんにこのピアノをリビングに設置してもらおうとしたら,何をどうやってもピアノが入り口を通過せず,リビングに設置することが不可能であることが分かった。入り口の間口が狭すぎたのであろう。
結局このピアノは,北側のほとんど日の当たらない小さな部屋に置かれることになった。ピアノの上には,バッハの白い像が置かれ,その横にはバッハ没後250年(西暦2000年)を記念した絵皿(レリーフ)が飾られている。でも,ここのところこのピアノが弾かれる機会がほとんどない。ピアノがちょっと寂しげなのである。朝の出勤時,同じ部屋のクローゼットの中にあるコートを取り出すとき,いつもこの寂しげな感じのピアノを目にする。
僕の理想は,例えば今頃の季節だったらこの部屋を暖かくして,コーヒーなどを飲みながら,ものにしたい意中の曲を少しずつ練習してマスターしていくような,ちょっと達成感のある趣味の愉しみ方をしたいということ。しかし,近頃これを妨げているのは,仕事に追われて精神的な余裕と時間が少ないことと,晩酌の機会が増えていることである。ただでさえスキルが低いのに飲酒して練習しても上手くはならない。
でもこの状況がずっと続くとは思えないし,続けないようにしたい。晩酌の機会は自分の意思で減らせるし,仕事面だって今後なんとかなるし,していきたい。やりようによっては好きな趣味を楽しめる精神的余裕は確保できるのだ。前にもこのブログで触れたかもしれないが,今僕がものにしたい意中の曲は,ショパンのイ短調のワルツ(作品34の2)とバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の第1番のフーガである。まずはこの2曲を少しずつでも練習して何とかものにしたい。
ブログ1周年記念
平成20年11月28日,このホームページが世に誕生するとともに,この拙いブログも産声を上げました。全国6185万人のこのブログファンのために(爆笑),何とかまめに更新してきました。皆様のおかげでブログ1周年記念の節目を迎えることができました。深く感謝いたします。これからも,浅学非才ながらも,老骨にむち打って何とか続けたいと思っております(ここまでは,ですます調)。
さて,唐突だが,エリック・サティを久しぶりに聴いてみた。サティの曲はあまり詳しくはなく,僕が知っている曲もお馴染みのものである。そこで,「3つのジムノペディ」,「3つのグノシェンヌ」を聴いてみた。・・・・・・あぁ,こういう曲を聴いていると,もう事務所に行きたくなくなる。要するに,一日中,家の中でまったりしたくなってしまうのである。だから,こういう曲を平日の朝に聴いてはならない。平日に聴くならば,一日の仕事が終わって夜自宅でくつろいでいる時であろうし,そうでなければ休日だろう。とても佳い曲なのだが,勤労意欲の方が危うくなるのである。
ジムノペディの中では,やっぱり1番が1番いいし,グノシェンヌの中では,やっぱり1番に1番魅力を感じる。特に,グノシェンヌの1番は,何やら妖しい雰囲気を醸し出し,独特の魅力がある。以前にもこのブログで書いたが,細身の美女が薄着の衣装で妖艶な踊りをしているような雰囲気なのである。グノシェンヌの1番は凄い魅力を秘めている。
その他には,これも有名な「ジュ・トゥ・ヴー(Je te veux)」がいい。それと,「パラード」や「梨の形をした3つの小品」もたまにはいい。サティは音楽会の異端児などと評されているが,作曲技法などはあの印象派のドビュッシーやラヴェルにも多大の影響を与えているそうだ。酒場(文学酒場の「黒猫」など)でピアノを弾いて生計を立て,ほとんどいつも貧しかったようだ。でも,サティは,青少年の育成を目的とする団体でボランティア活動をしたり,自分でピアノを弾きながら孤児たちにコーラスを教えたり,ソルフェージュ教室を開いたりしていたという。孤独ではあったが優しい人だったのだ。
ついにやりました(その3)
あまりしつこくなってもいけませんが,「マタイ受難曲」上演当日の思い出を続けます。第1部と第2部との間に約20分間の休憩があったのですが,楽屋に戻ってお茶を入れてなどといった時間的余裕も精神的余裕もありません(笑)。トイレ休憩の後に,再び第1コーラスと第2コーラスとが舞台の下手と上手に分かれ,舞台袖の所で整列です。第1部の最後の29曲目の大コラールでは,「調子に乗って合唱のテンポが早くなったな。」,「もっと指揮者のタクトを見ないといけないな。」などといった反省の言葉が各員から聞かれました。確かにそのとおりでした。総譜(スコア)にばかり目をやっていてはいけません。
いよいよ,第2部の始まりです。イエスが捕縛された後,尋問,裁判,ペテロの否み,ユダの自殺,ゴルゴタの丘への行進,磔刑,埋葬へと続いていきます。特に有名な第39曲(憐れんでください)のアルトのアリア,第42曲(私のイエスを返せ)のバスのアリアは,合唱団員として背後で聴いていても感動するできだったと思います。第1バイオリンと第2バイオリンのそれぞれの筆頭格の各演奏(伴奏)も素晴らしかったと思います。それと印象的だったのは,第57曲(来たれ,甘い十字架よ)のバスのアリアの際の,ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏(伴奏)の素晴らしさでした。細身の女性ですが,卓越した技術を駆使した渾身の演奏で,その後に得た情報では,指揮者直々のご指名だったそうです。さすがでした。
僕も,第2コーラスのバスの一員として,約1年間の練習の成果を発揮しようと頑張りました。間違えた所もありましたし,自信のない所は口パクでした(笑)。でも思いのほか,頑張ったのではないかと思います。いよいよ終曲では,絶対に泣いてはいけないと自分に言い聞かせて臨みました。幸い泣きはしませんでしたが,感動しながら唱っておりました。僕にとっては大恩ある方の奥様が,当日券を何とか購入して鑑賞に来てくれたそうです。直後にその奥様からハガキをいただき,終曲の時は涙が止まらなかったと仰ってくださいました。ありがたいことです。人に感動を与える演奏の一翼を担うことができるなんて。
このようにして僕のマタイ受難曲体験は終了しました。打ち上げ会は,演奏終了後ほどなくして,指揮者,ソリストのほとんどを交え,和気藹々と行われました。特に僕の印象に残ったのは,少年少女の合唱指導に当たられた先生が,その挨拶の時に感極まって落涙されたことです。恐らく,良い仕事ができたという達成感と,何よりもバッハのマタイ受難曲に対する思い入れがあったのではないかと推察いたします。その気持ちはとてもよく分かります。その後に催された2次会もとても楽しかった・・・・・。
さて,僕は,バッハのマタイ受難曲を歌いたい一心で合唱団に入団しましたが,仕事が多忙であることもあり,その目的を達し,このたび退団です。これは最初からの予定でした。でも,このような活動の素晴らしさは実感しました。バッハの曲であれば,何とか仕事と折り合いを付けてでも参加したいなという気持ちはあります。そのような虫の良い入退団が許されるのかどうかは分かりませんが,将来,ふたたびバッハの曲が演目として選ばれたら,さながら子羊のような姿でオーディションを受けてでも(笑),再びこのような貴重な体験をしたいと思っております。
ついにやりました(その2)
子羊のような姿で入場したものの,実際にステージに立って見ると,晴れがましくもありました(本日もいつになくですます調です)。総譜(スコア)を見ながらの合唱ですから,着用したメガネは老眼用です。ですから,客席の聴衆のお顔はぼやけていてよく分かりませんでした。でもその方が緊張しなくてかえって良いのでした。
コンサートマスターによる音合わせの後,静まりかえったホール。指揮者の登場を待ちます。緊張します。でもこの時,われわれ合唱団のすぐ前に位置していた40歳代と思われる男性のファゴット奏者が,後ろを振り返り,右手の親指を立てて「大丈夫」といったような仕草をして勇気づけてくれました。優しい人なんだと思いました。また彼もそのようにして自分の緊張もほぐしていたのではないでしょうか。
指揮者登場。冒頭合唱曲の出だしの段階で,早くも胸に迫り来るものがありました。「深沈とした、管弦楽の前奏。・・・・・ゴルゴタへ向けてのイエスの一行の、重い歩みを聴く。」(マタイ受難曲125頁,137頁:礒山雅,東京書籍)とあるように,厳粛で悲痛な出だしです。さあ,いよいよ始まりました。一年間の練習の成果を発揮するぞー・・・・・・。
相当に緊張しておりましたが,最初に発声して以降は大分気分が落ち着きました。サッカーでもボールへのファーストタッチ後は選手も気が落ち着くのと同じでしょう。やがて,少年少女たちによる「おお罪なき神の子羊(O Lamm Gottes,unschuldig)・・・・・・・」の部分の力強く美しい声がホールに響き渡りました。素晴らしい。あー,子どもたちも頑張ってるんだ。この力強くも美しい声にどれほど勇気づけられたか。どれほど士気を高められたか。
その後,いくつかのコラールもそれほど大きなミスもなくできました。このマタイ受難曲は,第1部と第2部に分かれ,演奏時間約3時間を要する大曲ですが,第1部の途中からは,緊張してミスを恐れるという心理状態よりも,この曲に関わることのできる人生でも極めて貴重な体験を味わおうとする精神的な余裕も出て来ました。
それと同時に,ステージ上で,この曲の凄さを鑑賞することもできるという贅沢な状況でもありました。第11曲の中には,イエスが,裂いたパンを「私の体」であると言い,杯のぶどう酒を「私の血」であると言って,弟子たちに味わわせる場面があります。その際にアリオーソ風に歌われる4分の6拍子の堂々たる,美しいメロディーが途方もなく好きです。じーんと来るんです。これを本当に間近で聴くことができました(イエス役のソリストは私のすぐそばで声高らかに唱っていたのです)。特にこの時は,僕も聴衆の一人として感動したのでありました。
このようにして,どんどん曲が進み,第29曲の大コラールもとても気持ちよく歌い終え,第1部の終了。プレーヤーも聴衆も約20分間の休憩とあいなりました(続く)。
ついにやりました(その1)
合唱団の一員として,バッハの「マタイ受難曲」の上演,ついにやりました。
その悲願の上演は,11月7日の土曜日の午後3時から,中京大学文化市民会館オーロラホールにおいて行われました。この日の朝は,緊張の中にもワクワクした期待感,高揚感もありました。まずは,その一日の動きをご報告いたします(今日は,いつもと違って,何故かですます調となっております)。
自宅では,入念に持ち物チェックをいたしました。黒の蝶ネクタイを忘れたら様になりませんし,老眼用のメガネを忘れたら大切な楽譜も満足に読めなくなるからです。午前10時15分ころに自宅を出発し,近くのコンビニで昼食用のサンドウィッチと牛乳などを買って,タクシーで会場に向かいました。会場では,生まれて初めて「関係者用」の出入り口を通り,管理人さんに会釈をして楽屋に入りました。
「楽屋」というものに入ったのは生まれて初めてだと思います。入り口以外は,概ねコの字型にずーっと棚机が続き,各自用の椅子と各自用のカガミが設置されておりました。午前11時20分ころからは,リハーサル室で発声練習が始まりました。この時は実際のステージ上と同じ配置で行われましたが,この時点ではまだ普段着です。
この発声練習の時も,それまで約1年間にわたってずっと指導してくれた合唱指導の先生が担当してくれました。「よくぞ導いてくれました。」という感謝の気持ちが湧きました。これを確か約40分間行い,その後に楽屋で少し休憩した後,午後0時30分から約50分間,ステージでサウンドチェックが行われました。指揮者も,オーケストラも,ソリストも,合唱団も全員集合で,冒頭合唱曲,終曲の他に,指揮者の先生が少し気になる数か所のチェック,練習が行われました。
午後1時30分少し過ぎには,各自楽屋に戻り,目の前のカガミに写った自分の姿と対面しながら,コンビニで買っておいたサンドウィッチと牛乳の昼食を取り,いよいよ着替えです。黒の略式礼服上下,白のシャツ,黒の靴下,黒の靴,黒の蝶ネクタイ。何しろ蝶ネクタイを身につけるのは初めての経験でしたから,礼服用の立った形のエリと,蝶ネクタイの位置関係がどうなるのかとまどい,年配の方にご指導を仰ぎました。着替えが終わって少し経ってから,リハーサル室で最後の発声練習が始まりました。この時点では,午後2時30分から会場で行われた指揮者によるプレトークが始まっていたと思います。入場時の楽譜の持ち方も指導がありました。いよいよ緊張してきました。みんなも真剣です。・・・・・・でも,楽しそうです。
その後,入場に備えて,舞台の下手と上手に分かれ,第1コーラスと第2コーラスが舞台袖に整列しました。ああ・・・・・いよいよ,舞台に入場です。入場直前にモニターを見ましたら,我々合唱団の黒衣装に囲まれ,少年少女の白衣装が十字架のように浮かび上がる舞台演出がなされていたことに,この時はじめて気づきました。緊張し,さながら子羊のような姿で僕も舞台に入場しました(続く)。
いよいよ晴れ舞台
僕が心から愛してやまないバッハの「マタイ受難曲」。昨年の12月に,さながら子羊のような姿で合唱団のオーディションを受け,辛うじて合格。その後約11か月にわたってバスの一員として練習を重ねてきた。いよいよ明日の土曜日に晴れ舞台である。
昨晩も,オーケストラ,ソリストなど,ほぼフルキャストで練習をしたし,今日は,午後2時30分ころからゲネプロ。ゲネプロという言葉は最近はじめて聞いたのだが,ドイツ語のゲネラール・プローベの略で,演奏会の間近に舞台上で行う最後の全体リハーサルのことである。緊張する。今までは気楽に観客席から鑑賞していたが,今度は柄にもなく舞台上である。
でも,憧れのマタイ受難曲の演奏のごくごく一部でも担うことのできる幸せを感じるとともに,人生において極めて貴重な体験ができることに感謝している。練習の際に見せる指揮者,楽団員,ソリストの姿とパフォーマンスは,やはりプロである。凄いと思う。このような世界に経験の少ないアマチュアの僕が一瞬でも足を踏み入れることができようとは。本当にありがたいことである。
それにしても,総譜(スコア)を見ながらの練習の渦中にあって,各パートの旋律とこれらの絶妙な融合,曲の全体構造のすばらしさ,敬虔な信仰心と深い精神性を痛切に感じ,つくづくバッハという音楽家の偉大さを思う。
・・・さてと,生まれて初めての黒の蝶ネクタイもそれ用のシャツも既にデパートで購入してきた。立ち座りの箇所やステージでのマナーも一応チェックした。緊張の中にもワクワクした精神の高揚感もある。明日は,自分なりに最高のパフォーマンスをしたい。
ポリーニの平均律
マウリツィオ・ポリーニというイタリアのピアニストは,現在においても世界を代表する巨匠である。今までに2度,上野の東京文化会館でポリーニの生演奏を聴いたことがあるが,その音色の美しさ,正確無比なテクニック,楽曲解釈に対する納得性のいずれをとっても当代一流であると思う。
僕がこれまでに聴いたポリーニの録音はというと,ショパンの練習曲集,前奏曲集,ピアノソナタ(第2番,第3番),ベートーヴェンのピアノソナタ集,ピアノ協奏曲などであったが,そういえば,何故バッハの録音がされないのか不思議に思っていた。彼がバッハの曲にどのような思い,考えをもっているのか,一度コメントを聞いてみたいとも思っていた。
ところが,先日,昼食を済ませてCD店の中をブラブラしていたら,何と!・・・ポリーニの演奏するバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻のCD(ドイツグラモフォン)が販売されているではないか。昨年9月から今年の2月にかけてミュンヘンで録音されたもので,ポリーニのバッハ初録音だということである。あれほど待望したポリーニのバッハが聴けるのである。早速家に帰って聴いてみた。素晴らしいの一言である。相変わらずその音色は美しく柔らかであるし,テクニックも健在。僕は,気の利いたことも言えず,楽理的なことにも無知であるが,これだけは言えると思うのは,このバッハ演奏についてもポリーニの「真摯さ」が感じられるということである。第1番ハ長調のプレリュードを聴いた時は,美しい響きではあるが,テンポが思いのほか早いなと感じ,全体的に早めのテンポ設定なのかと危惧したが,第1番ハ長調のフーガを聴いて安心した。実に落ち着いた名演奏である。特に感動したのは,平均律の第1巻の中でもとりわけ僕の好きな,第8番変ホ短調のフーガ(3声),第24番ロ短調のプレリュードとフーガ(4声)であった。上手く言い表せないが,「天上的な美しさ」とでも言うべきであろうか。
憧れのポリーニのバッハ演奏を聴くことができた。1960年に18歳の若さでショパン国際ピアノコンクールで優勝して以来,常に世界の注目と尊敬を集めてきたこのピアニストも,今年67歳である。ジャケットの写真を見ると,年輪と誠実な人柄を感じさせるとてもいい顔である。是非とも,平均律クラヴィーア曲集第2巻の録音も聴きたいものである。
ラフマニノフが恋しくなる季節
スーツの上着を着たまま歩いていても,もうそれほど暑くはなく,木々の葉も黄色くなり始めた。こういう季節になると,何となくではあるがラフマニノフの曲が聴きたくなるのである。昔から。春や夏にはそういう風には思わないのだけれど,秋や冬は何となくラフマニノフの曲が恋しくなる。
久しぶりに聴いてみたが,やはり佳い。この季節にもピッタリである。ラフマニノフの曲で好きなものを思いつくままに挙げていくと,まずは何よりもピアノ協奏曲の第3番と第2番。それから交響曲の第2番と第3番。前奏曲の中では何故かト短調のやつが中学生の頃からとても印象に残っている。今朝も前奏曲ト短調を聴いてきたのだが,どことなくショパンのポロネーズ第5番嬰ヘ短調(作品44)に感じが非常に似ている。昔からそのように思っていた。それとラフマニノフの中ではヴォカリーズのメロディーが好きである。交響曲第2番の第2楽章といい,このヴォカリーズといい,ラフマニノフは無類のメロディーメーカーである。あとは,これも有名な曲だが,パガニーニの主題による狂詩曲の第18変奏がいい。
前にもこのブログで書いたことがあるが,ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番ではとっておきの,お気に入りのCDがある。20世紀屈指の名ピアニストであったヴラディーミル・ホロヴィッツと名指揮者ユージン・オーマンディー(ニューヨーク・フィル)とが競演したカーネギーホールでのライブ録音である。演奏終了直後の熱狂的な拍手で,こちらも思わず興奮する。素人が聴いてもこのピアノ演奏には超絶技巧が必要なのではないかと思うが,ホロヴィッツは難なくこれをこなしている感じである。でも,ラフマニノフがこの曲を作ったのだし,自演したであろうから,ラフマニノフ自身も相当なテクニックをもった超一流のピアニストだったのであろう。
一度は訪ねてみたい街
「マタイ受難曲」の本番もいよいよ1か月後に迫ってきた。何だか落ち着かなくなってきたし,今まで全くしたこともない黒の蝶ネクタイも購入しなければならない。そういうのはどこで売ってるんだろう。
本番に備えての合唱練習は今日の夜もあるが,自宅でもDVDとスコア(総譜)を見ながらの練習を始めた(そういうときはもちろん酒は飲んでいない)。その「マタイ受難曲」のDVDというのは,平成12,3年ころ,僕がある番組で録画したもので,ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団,聖トーマス教会合唱団,指揮はトーマスカントル(同教会の音楽監督)のゲオルグ・クリストフ・ビラーのものである。すごく佳い演奏であり,何度聴いても感動する。実はこのDVDを録画して繰り返し鑑賞するようになってから,この演奏者の組み合わせによる「マタイ受難曲」の演奏が,名古屋で二度あった。昨年の3月とその3年ほど前の3月だった。そのコンサートにはもちろん行き,感動を新たにしたものである。僕が録画したそのDVDも,その後の名古屋での二度の公演も,エヴァンゲリスト(福音史家)はマルティン・ペツォルトであった。「マタイ受難曲」第一部の20番目の美しいテノールのアリアは,歌う人にとっては確かに難易度が高いと思うのだが,ペツォルトの歌い振りは失礼ながら一杯一杯という感じ。ホルスト・ラウベンタールやペーター・シュライヤーが余裕をもって歌っているのと比較すればね。でも何かしら憎めない人である。ある本でカンタータに関するマルティン・ペツォルトの論文を読んだことがあるが,この人はもともと立派な研究者のようである。
それにしても,ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏はいつ聴いても素晴らしい。歴史の深みと伝統の重みを感じる。創立が1743年だからバッハの晩年のころである。名前の由来は,「ゲヴァントハウス」(織物の見本市会場として使われていた建物)を演奏の本拠地にしていたからだという。この管弦楽団を,あのメンデルスゾーンが率いていた時期もある(ちなみに今年はメンデルスゾーン生誕200年)。もう一度名古屋に来ないかな。このライプツィヒは,あのバッハが約27年間生活しその終焉の地となった街だ。ぜひとも一度は訪ねてみたい街である。
とりとめのない話
とりとめのない話といっても,音楽の話である。
先週のある日は,仕事上,車を運転しながら移動することが多い一日だった。そういう時は,音楽を楽しみながら移動する。よく聴くNHKFMにチューニングしてみると,「にっぽんのうた・世界の歌」という番組がやっていた。最初に流された曲は,亡くなった名優渥美清さんが歌う「ふるさと」であった。感動した。渥美さんの温かみがあり情感のこもった歌声もよかったし,何よりその詩である。
「兎追ひし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷」
「如何にいます 父母 恙なしや 友がき 雨に風に つけても 思ひ出づる 故郷」
「志を はたして いつの日にか 帰らん 山は青き 故郷 水は清き 故郷」
何とも,佳い詩ではないか。今もこういう曲を小学生にはきちんと伝えているのだろうか。この詩のイメージが日本人の原風景,また心象風景であり,誠に胸に迫り来る名曲だと思う。
目頭ジーンと感動していたところ,今度は同じ番組で作曲家武満徹さんの歌が数曲紹介された。実は僕は武満徹さんの現代音楽に分類される前衛的な曲は苦手だなという漠然とした意識があったのだが,武満徹さんが作った数多くの歌の中には素晴らしいものがある。この日に車の中で耳にした「小さな空」,「燃える秋」,「翼」などはつくづく佳い曲だなと思った。そういえば,NHKのある番組で評論家の立花隆さんが武満徹さんのことを回想して,感極まって人目をはばからず涙しながら話していたシーンがあったのを思い出した。生前,武満さんと深い親交があったのだろうと思われるが,そんなシーンを見るにつけても武満さんという人は温かい人だったのだろう。武満さんが世を去る直前には,入院先であのバッハのマタイ受難曲を聴いていたという。この人もマタイ受難曲が大好きだったそうだ。
さて,その日の夕刻には,やはりNHKFMのある番組でビートルズ特集をやっていた。遺産分割調停を終えて,四日市から名古屋へ帰る途中で「レット・イット・ビー」という名曲を聴いた。中学生の時に始めてこの曲を聴いた時の感動が蘇った。1970年の曲なのに,ちっとも古いとは感じない。ビートルズ解散直前のポール・マッカートニーの切ないヴォーカルが胸にしみる。
この日は佳い曲ばかりに触れることができた。いやー,音楽って本当にいいですねー。
ゴルトベルク変奏曲
僕がNHK教育テレビにチャンネルを合わせるのは「ぜんまいざむらい」の時だけではなく,夜でも何気なくチャンネルを合わせることがある。少し前のある晩,何気なくチャンネルを回していたら,「こだわり人物伝」という番組がやっていた。この「こだわり人物伝」は,毎週火曜日だったかな,午後10時25分から10時50分までの番組のようである。以前にも詩人の「中原中也」が取り上げられた時に偶然に見たことがあった。
その日の晩は,たまたまピアニストのグレン・グールドのことが内容となっていた。グールドの生前の演奏の映像が流れ,思わず見入ってしまった。グールドは50歳の若さで世を去った天才で,僕は学生の頃からグールドの弾くバッハが好きだった。「平均率クラヴィーア曲集第1巻,第2巻」,「パルティータ」,「イタリア協奏曲」などをよく聴いたものだが,グールドが弾くバッハの中では特に「ゴルドベルク変奏曲」が好きである。しかも1955年の若かりし頃の録音ではなく,最晩年の1981年録音の方が好きだ。
「こだわり人物伝」の中で見たゴルトベルグ変奏曲の最後のアリア・ダ・カーポを弾くグールドの姿を見たら,胸にじーんときてしまった。この曲は当然多くのピアニストが手がけているだろうが,グールドの「ゴルトベルク変奏曲」は僕にとっては宝物のような存在である。
また,番組では,グールドが夏目漱石の「草枕」の愛読者であったことが紹介されていた。このことはこのブログでも以前に書いたことがあったが,この番組ではグールドが草枕の一節を朗読する貴重な音声も紹介されていた。彼は「草枕」を何十回も読んでいたそうな。歳をとると人間誰しも多少は内省的になるが,グールドがそれほどまでに愛読した「草枕」に興味をもった。恥ずかしながらまだ読んだことがなかった。今度こそ読んでみようと思う。
本当にこの人は・・・
さながら子羊のような心境で臨んだオーディション。これにパスして入団を許された合唱団。ここでの練習を始めて早くも9か月が経った。11月7日が「マタイ受難曲」上演の本番だからあと2か月しかない。
先週金曜日には3曲の練習を行ったが,そのうち第63曲bをみんなで練習していて,僕は感動してしまった。この第63曲bの部分は,イエスが磔刑により死を迎え入れ,その直後の天変地異を目の当たりにしたローマの百人隊長や兵卒が「本当にこの人は神の子だったのだ。」と神性の認識を示す箇所である。この曲は,第1コーラスと第2コーラスのそれぞれの4パート(ソプラノ,アルト,テノール,バス)がユニゾンで唱い上げる僅か3小節である。でもここがね,本当に美しいし,思わず情感がこもってしまうのですよ。僕はバスのパートだから,他の3声部より1拍遅れて唱い出すのだけれど,唱ってて目頭が熱くなるくらい感動的で美しいのですよ。
「Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewe sen」 (本当にこの人は,神の子だったのだ。)
バッハの自筆総譜のうち,この部分を見ると,その前後の音符の間隔よりは明らかに密になっており,特に遠くから眺めるとあたかも十字架を浮かび上がらせたかのように見える。「マタイ受難曲」(東京書籍)という本では著者の礒山雅氏はバッハが意図的にそのように記したのではないかと指摘しているが(415頁),確かにそのように思われる。だからこそ僕としては,この部分は僅か3小節であるが,サッと唱い流すのではなく,カール・リヒター指揮,ミュンヘンバッハ合唱団のように情感豊かにゆっくりと唱われたらなと思う。
練習は最終的には全パートで合わせるが,その前の段階では各パートごとに他のパートの人にも聞こえる形で行われる。譜面を見ながら,そうか他のパートはこういうメロディーなんだと改めて認識できるし,合わせ練習の時にはこんな僕でもバスの一員としての役割を担っているという実感もあって嬉しくなる。また,この第63曲bはもちろんであるが,このマタイ受難曲の中のその他の曲でも,特にアルトとテノールのパート部分の旋律,和声が曲の豊饒さを増していると思われる。
それにしても,それにしても,それにしても,バッハという作曲家はすごいなぁ。「本当にこの人は・・・」と思ってしまう。
ショパンのワルツはというと・・・
夏だから当たり前だろ,とはいうものの,暑い・・・。涼しい季節ならば,どっかりと腰を落ち着けてブルックナーの交響曲などを味わいたいところだが,ここまで暑いとなるとそういう曲には食指が伸びない。どうしてもピアノの音を求めるようになる。
そういう訳で,久しぶりにショパンのワルツ集を聴いてみた。夭折した天才ピアニストのディヌ・リパッティの演奏である。小学生の時もいいなあと思っていたのだが,あらためてショパンのワルツを聴いてみると,少しは暑さがやわらぐ気がする。
さて,ショパンのワルツは,生前発表されたものとそうでないものを含めて全部で19曲あるようだ。ショパンのワルツはというと,昔から特に好きなのは,第7番嬰ハ短調(作品64の2)と第3番イ短調(作品34の2)の2曲だ。好きさかげんでいうと,この2曲は他のワルツをかなり引き離している感じである。
まず第7番のワルツを聴いていると,やはりショパンのポーランド人としての魂を感じる。ポーランドの民族舞曲マズルカとは異なるが,マズルカ風のワルツと表現してもよいだろう。僕のピアノ技術は拙劣だが,我が身をかえりみずに何とかワルツにチャレンジしてみようと最初に思ったのがこの曲である。それくらいこの曲に憧れていたのである。今でもつっかえつっかえだが,何とかこの曲は最後までたどりつける。本当に佳い曲だと思う。
次に第3番のワルツもとてもいい。小学生の頃,最初にこの曲を聴いた時はなんて暗い曲なんだろうと思ったが,これも魅力的だ。今度時間を見つけて,この曲にもチャレンジしたいと思う。何しろイ短調で,ト音記号の後には♯も♭もないから僕にも弾きやすい。恐らくであるが,この曲はショパンのワルツの中でもテクニック的には最も楽なのではないかと思う。でも味わい深い曲である。
こうしてみてくると僕の場合,ショパンのワルツの中では,短調(マイナー)の方を好み,舞踏用ではなく,憂鬱,不安,諦めなどの内面,心情を吐露したような作品の方に魅力を感じているようである。
最期の曲
今日は7月28日。この日は,僕が心から敬愛し,その音楽に心酔しているJ.Sバッハの命日である。文献によると,1750年のこの日の午後7時15分に永眠したとある。今日と同じ火曜日だったそうだ。
「バッハの思い出」(アンナ・マグダレーナ・バッハ,山下肇訳,講談社学術文庫)によると,バッハは,臨終の直前,妻のアンナ・マグダレーナに対し,美しい死の歌をうたって欲しいと希望し,妻は,「もろびとなべて死すべきもの」というコラールを歌って聴かせたということである。「わたくしはちょっとためらいました。もうまもなく天上の音楽を聴く身になろうというこの人に、私たちはこの地上の最後の音楽として、どんな音楽を捧げたらよいのでしょうか。そのとき、神さまがずばりとよい考えを恵んでくださったのです。わたくしは『もろびとなべて死すべきもの』のコラールをうたいだしました。・・・・・・・うたっているうちに、大いなる平和が彼の顔の上にあらわれてきました-彼はもうほとんどこの世のものではなく、いっさいの無常なるものを打ち越えた高みに立っているように思われました。」(284~285頁)
あのバッハが最後に耳にした音楽とは一体どんな音楽なのだろう。早速所蔵のCDの中から探し出し,僕も聴いてみた。本当に目頭が熱くなった。僅か16小節の短いコラールだが,何という美しい曲であろうか。この作品自体もオルガン小曲集のうちの一つとして,バッハ自身が28,9歳のころに作曲したものだ。このコラール歌詞は,「人はみな死ななければならない。すべての肉体は干し草のように枯れゆく。生きとし生けるものは滅びなければならないが,ふたたび新たに生まれ変わる定めにある。」というもの。それにしても感動的な美しさ,安らかさである。
バッハは,自分自身が作った天上的な美しさを有するこの曲とともに安らかにこの世を去ったのである。
マニフィカト
何という佳い曲であることか!聴いていて思わず楽しくなるし,明るくなるし,一緒に喜びたくなる。マニフィカト,これもバッハの傑作中の傑作であろう。仕事に疲れてぐったりの時でも,寝る前などに聴くと精神的には生き返る。
新約聖書の中のルカによる福音書第1章の中に,天使ガブリエルがマリアに受胎告知する場面の記載がある。そこでマリアは,イエスの母となる栄光を与えられて神に感謝し,「わが魂は主を崇めます・・・・・・」と歌いはじめる。このマニフィカトは,イエスの母となる栄光を与えられたマリアが神に感謝し,賛美するほめ歌のことである。
このマニフィカトの中で特に好きなのは,第1曲と第2曲である。第1曲は,祝祭的な感じのするトランペットの音が印象的で,合唱も非常にイキイキとしているから,聴いている方もワクワクする。第2曲はソプラノのアリアで,抑制的ながらも喜びが表出していて,これもずっと耳に残るメロディーである。この2つの曲は,いずれもニ長調で3拍子という点で共通している。
そういえば,いつだったか,「心が躍る曲」としてバッハのミサ曲ロ短調の中から,「グローリア・イン・エクシェルシス・デオ」と「クム・サンクト・スピリトゥ」の2つを挙げたが,この2つに共通しているのもニ長調で3拍子という点である。そうだとすると,やっぱりニ長調で3拍子というのは高揚した気分を表現するのに最適な組み合わせなのだろう。ヨハン・マッテゾンの調性格論のニ長調の箇所には,「元来鋭く、わがままな調性で騒動や陽気で好戦的なもの、元気を鼓舞するようなものにおそらくもっとも適合するが、・・・」とある。好戦的,わがままというのは若干引いてしまうが,元気を鼓舞する,士気を鼓舞するというのはやはりあるようだ。
梅雨の季節のせいなのか,それとも年齢のせいなのか,ちょっと疲れやすくなっているし,元気のない時もある・・・・・・・・・。でも,バッハは本当にいいなぁ。心にしみる。特に元気を回復させるには,ニ長調と3拍子がよい。
雨の日の一日があれば
僕が中学1,2年生のころ,まだ柄にもなくピアノを習っていた当時,しのつく雨の日の朝によく思っていたことがある。それは,こういう日は学校には行かずに,一日中雨を眺めながらピアノを弾いていたいなということだった。怠惰な性分だったのかしらん。結局,しのつく雨の日といえども,学校をずる休みしてそういう大それたことを実行したことはなかったが・・・。
こういうことは,実は今でも思うことがある。仕事を休んで,雨を眺めながらピアノをぼちぼち弾いていたいなという願望である。どういう訳か雨を見るとそういう願望が芽生えてしまうのである。しかし,これも未だに実行に移したことはない。でも,今度こそ一度やってやろうかなと目論んでいる。
先日,家で晩酌をした後,夜の雨の音を聞いていたら,急に久しぶりにピアノが弾いてみたくなった。いわゆる酔っぱらい演奏というやつである(サイレント機能が付いているのでご近所には全く迷惑は掛けていない)。途中で,以前から弾けたらいいなと思っていたバッハのフランス組曲第5番のアルマンドに挑戦してみた。第5番の冒頭の短い曲である。これは大変好きで佳い曲である。この曲は聴いている分にはそれほど難しくはない曲のように感じるのだが,実際に弾いてみるとこれが結構難しい。ピアノの上級者だったら初見であらかた弾いてしまうのだろうが,僕の実力では到底無理である。楽譜の中の掛留音を弾きこなすのが苦手である。でも,掛留音に苦手意識をもっていたのでは,バッハの曲を弾くのは容易ではないであろう。何とかこれに慣れて,克服しなければ。
まあそれでも,このフランス組曲第5番のアルマンドだって,雨の日の一日があれば,さすがの僕もマスターできるのかもしれない。
心が躍る曲
仕事の忙しさや様々なストレスに押しつぶされまいとして,自分なりに工夫してストレスを解消したり,癒しを求めたりしている。ゴールデンウィーク(連休中)には東京へ行き,バッハのミサ曲ロ短調を聴いてきたのだが,これは本当に素晴らしい。名曲の宝石箱のようである。
このミサ曲ロ短調の中で,とりわけ心が躍ってしまう曲,精神的に凹んでいるような時にお薦めの曲が,「グローリア」の中の「クム・サンクト・スピリトゥ」である。これはいいですよ。心だけでなく,体まで踊ってしまいます。指揮者のジョン・エリオット・ガーディナーもこの曲の舞踊的・舞踏的要素を強調しているし,実際に彼が指揮をしている時は小躍りした感じになっているくらいで,すごく躍動感がある。でも,総譜(スコア)を見ると,特に中間部は16分音符が流れるように配置され,歌唱技術としては相当に高度なものが要求されるのではないだろうか。単に聴いている分には楽だけど(笑)。
この「クム・サンクト・スピリトゥ」はニ長調で書かれ,トランペットが効果的に使われている。このニ長調とトランペットと旋律,そして三拍子というのが躍動感の源泉なのであろうか。同じニ長調とトランペット,そして三拍子の組み合わせと言えば,やはりこのミサ曲ロ短調の「グローリア」の中の「グローリア・イン・エクシェルシス・デオ」でも共通して使われ,これも心が躍る名曲である(祝祭的な感じもする)。
以上,精神的に凹んでいるような時にはこの2つの曲がお薦めです。元気になりますよ。
プレイ・バッハ
連休中に,以前から欲しかったバッハのDVDを銀座の山野楽器で買ってきた。そのDVDの中に,ジャック・ルーシェというピアニストの発言場面があった。「あれっ,この人,ひょっとしてバッハをジャズ風にアレンジした人じゃないか?」と直感したら,やはりそのとおりだった。そうなんです,若い人は知っているかどうか知りませんが(笑),今から50年ほども前に「プレイ・バッハ」というタイトルでバッハの名曲をジャズ風にアレンジした録音をし,世界的に有名になった人だったのです。
実は,「プレイ・バッハ」というレコードがあったことは,大学時代には知っていたけど,その当時の僕は,あの神聖なJ.Sバッハの曲をジャズ風にアレンジするなんて,とあまり快くは思っていなかったんです。了見が狭いね・・・(笑)。でも,さっきのDVDでのジャック・ルーシェの発言や実演の場面を見ていたら,非常に興味がわいてきて,「ザ・ベスト・オブ・プレイバッハ」というCDを手に入れ,早速聴いてみた。
こ,これはすごいわー。ぜんまいざむらいのなめざえもん風に言えば,「これはすごいでやんす。」となるし,豆丸風に言えば,「こ,これはすごいでござる。」となり,わたあめひめ風に言えば,「これはすごいでごじゃりまするー。」となる。ジャック・ルーシェは,見事なまでにバッハのジャズ風小宇宙を形成してみせたのである。手に入れたCDでは,平均律クラヴィーア曲集のいくつかの前奏曲とフーガ,無伴奏チェロ組曲第1番の前奏曲,G線上のアリア,「主よ,人の望みの喜びよ」,「目覚めよと呼ぶ声あり」,イタリア協奏曲などを,本当に見事なまでにジャズ風にアレンジし,演奏していた。ジャック・ルーシェという人は心の底からバッハが好きなのだなと確信したし,結局,音楽のジャンルを問わずバッハの普遍性も再認識できた。バッハはやっぱり現代に至るまでの音楽の原点だねぇ。
「プレイ・バッハ」で一世を風靡したそのジャック・ルーシェも,今年の10月26日でもう満75歳。月日が経つのは早い。彼は自分が好きだったピアニストとして,30代そこそこで鬼籍に入ったディヌ・リパッティを挙げている。僕も大学生時代,ディヌ・リパッティのショパン「ワルツ集」を愛聴していた。ジャック・ルーシェのこともますます好きになった。
僕の音楽遍歴(終)
またマタイ受難曲かと言われそうだけど,平成5年に初めてマタイ受難曲の全曲を聴いた。それまではつまみ食いのような形で断片的に聴いていただけであったが,カール・リヒター指揮,ミュンヘン・バッハ管弦楽団,ミュンヘン・バッハ合唱団のCD(アルヒーフから出ている1958年録音のやつ)で初めて全曲の鑑賞と相成ったわけである。大げさな奴と言われてもいい,この時の感動は文章では表現できない。形容しがたい。筆舌に尽くしがたい(泣)。事前にマタイによる福音書でイエスの「受難の記事」を予習して臨んだものだから,感動も倍になったのだろう。
僕が就職してからマタイ受難曲の全曲鑑賞に至るまでにも,いろいろな曲や作曲家の世界をのぞいてみた。フランス音楽,例えば,サン・サーンスの交響曲,フランクやフォーレの室内楽曲,ドビュッシーやラヴェルの印象派の世界も楽しんだ。ドイツ3大Bの残りのBであるベートーヴェンやブラームスの諸作品(ピアノソナタ,交響曲,室内楽曲など),ラフマニノフの交響曲やピアノ協奏曲,そのほかプロコフィエフやストラヴィンスキーに至るまでの諸々の作品も。ブルックナーやマーラーのことは以前にも述べたとおりである。
でも,マタイ受難曲体験以来,僕の音楽の本籍はJ.Sバッハの音楽世界になってしまった。勿論今でも他の作曲家の音楽も聴くが,その後の僕の音楽遍歴といっても,基本的にはバッハの世界の中での遍歴となって今日に至っているので,「僕の音楽遍歴」シリーズも今回で最終回となる。
バッハは生前,音楽の究極の目的について,「神をたたえることと人間の魂の再生」と述べていたらしい。僕はキリスト者ではないから宗教的なことはよく分からないが,「人間の魂の再生」という点では全く共感できるし,バッハの音楽を聴くたびに魂を揺さぶられ,癒され,明日への勇気がわいてくるのである。「キザなことを言いやがって!」と言われてもいい。バッハの音楽に巡り会い,これを聴くことができるのは,自分の人生の意味と楽しみの相当部分を占めているといっても過言ではない。
バッハでお薦めの曲はと尋ねられたら本当に困ってしまう。マタイ受難曲は言うまでもなく,ミサ曲ロ短調も当然お薦めである。ただ,これらの曲は全曲を聴くとなれば2~3時間はかかる。声楽曲の中で割とお手軽で,一般受けするやつと言えば,教会カンタータ第82番「われは満ち足れり」の中の「子守歌」,教会カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」,教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の中の「主よ人の望みの喜びよ」などですか・・・。皆さん,これらを聴いて,魂をブルブル,ガクガクと揺さぶってもらったらどうでしょうか(笑)。
本当にこの人は・・・
今年11月の本番に向けて,バッハ「マタイ受難曲」の合唱練習に通っている。前にも述べたと思うけど,毎週火曜日の夜,これに加えて週によっては金曜日の夜も練習があるし,月に最低一度は日曜練習もある。
先週金曜日の夜の練習では,3曲ほどの練習を行ったが,終曲の1つ前のレチタティーヴォ中の4声の合唱部分の練習をしている際に,感動して思わず目頭が熱くなってしまった。
Mein Jesu gute Nacht!
私のイエスよ,おやすみなさい!
この部分はこれだけの歌詞だが,4声の各パートが,フレーズごとにメロディーを先導していくのである。最初のフレーズではソプラノ,その次はアルト,その次はわがバス,最後はテノールといった風に。その和声の例えようもなく美しいこと・・・。こういうすごい曲をどうしたら作れるのだろう。どうしたらこのような美しいメロディーが浮かぶのであろうか。自分で歌っていて感動してしまうのだから世話はない。ヨハン・セバスティアン・バッハ・・・。バッハは僅か9歳の時に母を,そして10歳の時に父を亡くし,その後は自活できるまで兄に引き取られて生活した。経済的には恵まれず,したがって誰かに師事して作曲技法を本格的に学ぶ機会があったとは思われないのに,そのような逆境にもかかわず貪欲に知識を吸収し,その天才を開花させた。「音楽の父」と呼ばれるまでになった。そして,聴く者の魂を揺さぶるようなその音楽の素晴らしさ。本当にこの人は・・・・・。
「マタイ受難曲」の練習は,何しろ一日の仕事が終わった後に始まる。正直言って,今日は休みたいなと思う日もあり,実際に仕事で参加できない日もあった。でも,この宗教音楽の最高峰とも,人類の至宝とも評価される「マタイ受難曲」演奏の一翼を担うことができるのだ。ずぶの素人である僕が,この先繰り返しそういう経験ができるとも思えない。極めて貴重な体験であるし,実際に練習に参加していて目頭が熱くなるほど感動してしまう曲である。今は,こういう貴重な体験ができることに感謝し,できるだけ練習に参加したいとすら思えるのである。そして今日も練習日。
僕の音楽遍歴(その13)
数年間,ブルックナーとマーラーの音楽にうなされていた後,恐らく平成4年頃から数年間の間に,相次いで当代一流のピアニストの生演奏を聴く機会に恵まれた。ヴラディーミル・アシュケナージとマウリツィオ・ポリーニの2人である。テクニックも,音色も,音楽に対する真摯さも,どれをとっても全く素晴らしいピアニスト。大げさかもしれないが,同時代に生まれ合わせたこと,生でその演奏を聴く機会を得たことを本当に光栄に思っている。
アシュケナージの演奏は,確か,金山の名古屋市民会館(旧名称)で聴くことができたと思う。今となってはそのプログラムは思い出せないが,見たところは小柄でひょうひょうとしていて,すごくシャイな感じだった。プログラムの中には,ベートーヴェンのピアノソナタが1曲含まれていたと思うが,本当に素晴らしい演奏で感動した。音色に独特の響きと暖かみを感じた。アシュケナージは,1955年のショパン国際ピアノコンクールで第2位に輝いているのだが,この時彼こそが優勝者だとの評価をしていたアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を辞するという,いわくつきの大会だった。第2位ではあったが,その後のアシュケナージのピアニストとしての活躍,評価,名声は改めて言うまでもない。また,彼の指揮者としての実績も素晴らしい。実はピアニストとしてのアシュケナージに心酔していた僕は,アシュケナージ指揮のレコードを購入することを躊躇していた。でも,彼がアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現在のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)を指揮したラフマニノフの交響曲第2番を聴いたとき,「ああ,やっぱりこの人もラフマニノフと同様,ロシアの大地が心象風景として存在しているのだな。」と思った。これも実に素晴らしい演奏なのである。
ポリーニのピアニストとしての凄さは今さら言うまでもない。世界屈指。ポリーニは,18歳の時,1960年のショパン国際ピアノコンクールで優勝し,その後充電期間を経て,国際的な活躍をしてきた。彼の生の演奏は,確か,上野の東京文化会館で2度聴く機会を得た。これも今となっては,プログラム内容を思い出せないが,やはりベートーヴェンのピアノソナタが含まれていたと思う。それまでにポリーニが録音したショパンの「練習曲集」,「前奏曲集」などを聴いて憧れの存在だったのだ。実物を見たときは胸が高鳴った。正確無比なテクニック,音色の美しさが際だっていた。僕は前衛音楽は苦手だが,もう一度,ベートーヴェンかショパンの曲をポリーニの生演奏で聴いてみたい。
あっ,そうそう。思い出した。同時代に生まれ合わせたこと,生でその演奏を聴く機会を得たことを本当に光栄に思えるピアニストとして,タチアナ・ニコラーエワがいる。平成3年か4年に,やはり上野の東京文化会館で,J.Sバッハの「平均率クラヴィーア曲集」を聴く機会に恵まれたのである。第1巻だったか,第2巻だったかは思い出せないが,いずれにしてもどちらかの全曲であった。バッハ弾きとして世界的に高い評価を得ていたピアニストであり,その素晴らしい演奏の,歴史の証人になったような感じがした。ニコラーエワはその当時既に67,8歳だったと思うが,全く衰えを感じさせなかった。アンコールにはスクリャービンか何かの曲を目の覚めるようなテクニックで弾いていたことを今も覚えている。残念なことに,彼女はこの演奏の1,2,年後に急逝してしまった。この演奏に巡り会えたのは貴重な体験だった。
畢生の大作
バッハの不朽の傑作といえば,何をおいても「マタイ受難曲」と「ミサ曲ロ短調」の2つが思い浮かぶ。このうち「ミサ曲ロ短調」については,バッハが自らの死の直前までその楽譜に手を加えていたということからすれば,畢生の大作といえるのは「ミサ曲ロ短調」ではなかろうか。この曲を,ミシェル・コルボ指揮,ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルが演奏してくれるというので,この連休中に東京まで足を運んだ。
これは,ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(「熱狂の日」)音楽祭2009のプログラムの一つで,有楽町の東京国際フォーラムなどで行われた。僕がワクワクしながら鑑賞したのは5月4日(月)午後9時15分から開演のものだった。ミシェル・コルボ指揮の演奏は,テンポは全体的に早めであったが,聴衆の魂の奥底に訴えかけるような,そして真摯な,とても素晴らしい演奏であった。終曲のドナ・ノヴィス・パーチェムを聴き終えた時はとても感動し,充たされた。
今回のこの「熱狂の日」のテーマは「バッハとヨーロッパ」というもので,バッハ作品が幅広く鑑賞できる。来年のテーマは「ショパン」ということだ。2010年は,ショパンが生まれて200年経つからであろう。来年も楽しみなことである。
さて,東京行きが決まった時,僕としては,東京駅八重洲中央口地下の旭川ラーメン「番外地」の塩バターコーンラーメンがまた食べられることを,これまた楽しみにしていた。と,ところが・・・・。5月2日から数日間,店内改装工事のために休業の貼り紙がしてあった。あー,東京行きの楽しみの25%程度がもろくも崩れ去った。
「ミサ曲ロ短調」の感動から一夜明けた翌日,今度は「落語だぁー」と思って鈴本演芸場まで出かけた。と,ところが・・・・。薄々感じてはいたのだが,連休中ということで,前売りは全席完売,当日券があるにはあるが,「立ち見」ということで,これも断腸の思いで断念せざるを得なかった。あー,これで東京行きの楽しみの20%程度がもろくも崩れ去った。気を取り直して,今度は渋谷道玄坂の名曲喫茶「ライオン」まで出かけた。ここだけは僕の期待を裏切らない。昔ながらの雰囲気で僕を迎え入れてくれた。本を読みながら名曲を聴き,とても静かな時間を過ごした。ただ,この喫茶は客からのリクエスト曲をかけたりするのだが,僕がいた時間帯には,どうやらオールドファンからのリクエストがあったらしく,ジャック・ティボーのバイオリン,アルフレッド・コルトーのピアノ演奏による,ベートーヴェンの「クロイツェルソナタ」が蓄音機でかけられていた。店員さんが何回も何回も手巻きぜんまいを巻きながら,苦労してレコードをかけていた。
あとは,靖国神社,遊就館にも行って来たし,銀座山野楽器で前から欲しかったバッハ関係のDVDも手に入れた。一泊二日の短期旅行にしては,まあまあ充実した旅となった。
僕の音楽遍歴(その12)
さて,さて,僕の就職後,数年間はブルックナーの音楽だけでなく,グスタフ・マーラーの音楽にうなされていた。正直に言うと,「怖いもの見たさ(聴きたさ)」という心境だったかもしれない。
マーラーの音楽(主として交響曲)の鑑賞,うなされ,の順番は今となってはもう思い出せない。第1番(巨人),第2番(復活),第3番,第5番,第6番(悲劇的),第7番(夜の歌),第8番(千人の交響曲),第9番,それから「大地の歌」などをよく聴いた。特に愛聴していたのはグラモフォンから出ていたレコードで,クラウディオ・アッバード指揮のものがほとんど。楽団はシカゴ交響楽団,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団のものであった。でも,「大地の歌」だけは,ブルーノ・ヴァルター指揮のもので,キャスリーン・フェリアが熱唱していたレコードを愛聴していたことは今でもはっきりと覚えている。
その当時に思ったのは,マーラーの音楽は,「現代人」の苦悩と子供のような無邪気さ,ちょっと間違えれば「支離滅裂さ」を感じさせる音楽だということ。でも,とてつもない魅力がある。子供のような無邪気さ,特にトランペットをはじめとする管楽器の多用は,マーラー自身の幼少期の自宅近くに兵舎があり,毎朝そこから聞こえてくるラッパの影響だったのか・・・。また,「苦悩」は,妻アルマの不貞や,満たされない創作欲(満足のいく作品の追求)が原因か・・・・。
東京で勤務していた当時,マーラー指揮で定評のあるエリアフ・インバルの演奏を生で体験できたことは貴重であった。その夜は交響曲第2番(復活)の圧倒的な熱演であった。「いやぁ,マーラーの音楽はあまり知らないけど。」という向きには,月並みだけれど,交響曲第5番の第4楽章(アダージェット)を聴いたりすれば,その魅力の一部に触れることができるのではないかと思う。ちょうどその頃,この曲が採用されたルキーノ・ヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」という映画を観たことも今となっては懐かしい思い出である。
そういえば,最近はバッハの音楽に熱中し過ぎていて,マーラーの交響曲はとんとご無沙汰だが,久しぶりに聴いてみたくなった。さて,何からいこうか・・・・・・。
僕の音楽遍歴(その11)
少し前のブログで触れたように,大学卒業から社会人1年生の頃にかけて,その演奏をこよなく愛し,愛聴していた指揮者のカール・リヒターとピアニストのグレン・グールドの急逝という残念な出来事があった。でも,ガッカリしてばかりはいられない。昭和58年頃からの数年間,僕もいよいよブルックナーとマーラーの音楽にうなされることになる。「うなされる」といった表現を使ったのは,ある音楽評論家が,クラシックファンの多くは一時期ブルックナーやマーラーにうなされる時期があるというようなことを言っていたからであり,僕自身実際に熱中していたのである。
ブルックナーの交響曲は,「ブルックナー開始」といわれる弦のトレモロによる独特で幽玄な響きから始まり,重厚・長大ではあるが決して冗長でない,そして宇宙的な拡がりを感じる音楽である。うまく表現できないがやはり魅力的なのである。雑誌だったか,新聞だったか思い出せないが,ドイツではブルックナーの音楽が原因で,ある夫婦の離婚問題にまで発展したそうな。妻はブルックナーの音楽を熱狂的に好み,朝から晩まで,そして寝室でもその音楽を流していたため,夫はそれに辟易して結局離婚に至ったというのである。やれやれ,である。当時僕がよく聴いていたのは,いずれも交響曲で,第3番「ワーグナー」(ジョージ・セル指揮,クリーヴランド管弦楽団),第4番「ロマンティック」(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団),第6番(オイゲン・ヨッフム指揮,楽団は忘れた),第7番(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団),第8番(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団,ハンス・クナッパーツブッシュ指揮,ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団),第9番(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮,ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)などである。
ブルックナーの交響曲の中で最も好きなのは,やはり第8番(ハ短調)である。演奏はというと,もちろんフルトヴェングラーも良いが,ひょっとするとクナッパーツブッシュ指揮の方がスケールが大きいかもしれない。いずれにしても,ブルックナーの音楽が原因で離婚問題にまで発展するというのはいかがなものかと思うが,それくらい魅力的なブルックナーの世界ではある。また,今思い出すと,寝る時によくブルックナーの交響曲を聴いていたように思うし,疲れている時などはよく眠れた(笑)。
もう仕事にかからなければならないので,グスタフ・マーラーの音楽に熱中していた頃のことは,次回に譲りたい。
対位法への憧れ
少し前のブログで,ピアニストのグレン・グールドが対位法への憧れの気持ちをもっていたようだと述べた。僕もそうである。対位法というのは,2声部以上の複数の旋律が互いにその独立性を失うことなく共存し,同時に鳴り響いてもバランスを保っている状態を作り出す作曲技法である。
バッハのフーガなどがこの対位法という作曲技法を駆使した典型だろう。主題(テーマ)が提示された後,右手と左手が互いに掛け合って,美しい織物のように展開していく。それがとてもカッコ良いのであるよ。バイエル教則本のように,基本的には右手が主旋律を奏で,左手は「ドミソ,ドミソ」,「ドソミソ,ドソミソ」みたいに伴奏をしていくというのは分かりやすいが,対位法では右手も左手も独立しつつ,美しい調和を保っている。どことなく知的な感じもするのじゃよ。
でも,ピアノのテクニックとしては確かに難しく感じる。子供たちがそれまでは順調に進んで来たのに,バッハのインベンションに入ってからはとたんに練習を嫌がる,ピアノに対する興味を失うことがあると以前聞いたこともある。分かる気もする。でも僕の場合は,対位法への憧れの気持ちから,バッハの平均率クラヴィーア曲集(第1巻,第2巻)のうち,この不才の自分でも何とかなるものだけをごく一部選んで挑戦したい。とりえあず,平均率第1巻の第1番目のフーガと第2巻の第7番目のフーガに挑戦する所存であります。弾けるようになるには,相当に時間がかかるとは思いますが・・・・・・。あたかもトンネル工事のように。
それにしても,対位法という技法により作曲されたものをピアノで弾くには,事前準備としてすごく良い練習本がある。「プレ・インベンション」(日下部憲夫編,全音楽譜出版社)である。その副題は「J.S.バッハ・インベンション-のまえに」とあるように,事前トレーニング用に最適である。ただし,上級者には無用なのかもしれないが・・・。その本の内容としては,その美しいメロディーのせいか僕が子供の頃から頭の中に残っていたJ.クリーガーのメヌエットも含まれている。この本のおわりに「◇複数の旋律を聴き分けられる聴覚の能力 ◇複数の旋律を弾き分けられる技術の能力」を確認しながら練習してくださいとある。正に対位法に慣れるに最適である。
新規採用と徳永英明
4月初めに街を歩いていると,いかにも新規採用と思われる初々しい社員,職員の姿が目に付く。いでたちはというと最近は就職活動時期のみならず,就職後も黒のスーツ姿がすごく多い。黒のスーツが主流というか,流行なのだろうか・・・。思い起こせば,かなりの昔,僕も新規採用の当日か翌日くらいにはすぐに職場で花見があって,桜の木の下で随分と飲まされて閉口したことがある。懐かしいなぁ。あのころは社会人の第一歩を踏み出した者として,不安もあったがそれをはるかに上回る期待と可能性を感じていたものである。あぁ,随分と年をとってしまった。
それにしても,新規採用といえば,やはり德永英明の歌がいい・・・・・・・・。・・・・・・・。いや,やっぱり無理があるね。フッ,フッ,フッ。新規採用だからといって,何で德永英明の歌に結びつくんだ(笑)。でも,全国約6127万4308人の僕のブログファンのためにも(笑),唐突で何の脈絡もない展開にしてでも,なりふり構わずブログだけは更新しなきゃ・・・。
石川ひとみの「まちぶせ」,中森明菜の「セカンド・ラブ」,松任谷由実の「卒業写真」などは,昔から好んでカラオケで歌っていた。德永英明の「ヴォーカリスト1~3」というアルバムでこれらの曲のカヴァーを聴くと,改めてこれらの曲のすばらしさと德永英明という歌手の凄さを感じる。
僕はカラオケに行くと,最初は腹式呼吸などをし,発声練習がわりに「ゲゲゲの鬼太郎」(古いヴァージョンのやつ),山口百恵の「いい日旅立ち」を歌う。これで声を作った後は,好きな曲を他の人を気遣いながらも歌う。最近では,「君が代」も歌う。「君が代」は曲としても素晴らしく,2回歌ったこともある。ちょうど「君が代」の最中に,注文しておいたビールとおつまみをカラオケの店員さんが部屋に運んでくれた時,苦笑いをされたが,へっちゃらである。名曲だと思う。
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん・・・・」(梁塵秘抄)
花冷えと徳永英明
真夏や横なぐりの雨でもない限り,運動のために僕は自宅から事務所まで歩いて通勤している。片道約25分,往復約50分である。散歩がてらの通勤で,気障だけど季節を感じることがよくある。もう冬用のコートはクリーニングに出してしまってあって,スーツだけで通勤しているが,さすがに昨日の帰途は寒かった。通勤経路の桜は満開で本当に見事だったが,この時期の一時的な寒の戻りというか,花冷えの夕刻であった。
それにしても,花冷えといえば,德永英明の歌がいい・・・・・・・・。いや,やはり無理があるね。フッ,フッ,フッ。花冷えだからといって,何で德永英明の歌に結びつくのか。絶対に唐突だ。いやね,正直言うと,頻繁にブログを更新するのはいいのだけれど,さすがに僕もブログのネタ切れになるのよ。でも,全国約6127万人の僕のブログファンのためにも(笑),唐突で何の脈絡もない展開にしてでも,なりふり構わずブログだけは更新しなきゃ。
ただ,実際に僕は,德永英明の歌に凝っている。このアーティストの名前は以前から知ってはいたが,その歌っている曲はほとんど知らなかった。きっかけは,NHKの「SONGS」という約30分の番組で德永の歌が好きになった。何となくではあるが,德永英明自身はすごく男性的なんだとは思うが,その歌声はどこか中性的で「癒し」の効果がある。現に,「ヴォーカリスト1~3」というアルバムはいずれも女性歌手の名曲のカヴァーである。非常に良いシリーズだ。
それに,彼がもやもや病という難病を克服して復活したということも同じ年代としてすごいと思う。さて,カラオケでも随分練習したのだけれど,僕が彼の曲で非常に好きなのは,「最後の言い訳」,「愛が哀しいから」,「僕のそばに」,「レイニーブルー」(デビュー曲),「壊れかけのRadio」,「抱きしめてあげる」,「輝きながら・・・」などである。
あぁーっ。カラオケ行きたいー。
復活上演
昨日は日曜日だけど,バッハの「マタイ受難曲」の合唱練習に行ってきた。昨日の練習会場は自宅から歩いていける距離だった。毎週火曜日は定期的な練習があり,月に1回はこのような日曜練習がある。正直言って,毎週火曜日の練習は,自分の仕事を終えて午後6時30分から午後9時までなので,大変疲れる。でも,いつでも練習後は,今日も練習に参加して良かったと心から思えるのである。「マタイ受難曲」の凄さである。昨日の日曜練習でも練習しながらこの曲の凄さに感動している有様である。
この練習は今年の秋の上演を目的に行われている。恥ずかしいのだが,本当のことを言うと,本番中に自分がステージ上で唱っていて感極まって泣いてしまったらどうしようという切実な不安がある。僕はここで笑ってはいけないという場面では大抵笑ってきてしまった前歴があるし,ここで泣いてはいけないという場面では踏みとどまることができるであろうか。いっそのこと,肌色のアイマスクに目を描いて,アイマスクの下で思い切り泣けるようにしておこうか。でもそれだと,指揮者の指揮棒も,スコア(総譜)も見られなくなってしまう・・・・・・。この「マタイ受難曲」に対する思い入れがこんなに強くなってしまった理由は自分自身でも分からないが,やはり理屈抜きでこの曲が好きだとしか言いようがない。
ところで,今年(2009年)は,メンデルスゾーンの生誕200年だそうだ。1809年生まれ。1810年にはショパンとシューマンが,1813年にはリヒャルト・ヴァーグナーがそれぞれ生まれているから,この時期にはそうそうたる作曲家が輩出されたことになる。このメンデルスゾーンは,20歳の時,すなわち1829年に「マタイ受難曲」を復活上演(蘇演)するという偉業,価値ある仕事を成し遂げている。残念ながらその当時は,バッハが亡くなってから(1750年),まだ100年も経っていないというのに,バッハが既に忘れ去られ,「マタイ受難曲」も演奏されることがなかった。このメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の復活上演(蘇演)は,アリアの約3分の1が割愛されたり,その他多くの手が加えられての上演だったが(その場には哲学者ヘーゲル,詩人ハイネもいたという),これを機にこの曲だけでなくバッハの音楽が再評価されるに至った。ありがたいことである。感謝のしるしに,今晩はメンデルスゾーンの無言歌集でも聴こうかな・・・。
僕の音楽遍歴(その10)
大学卒業から社会人1年生の頃にかけて,自分にとっては音楽愛好家としての衝撃的なことが相次いで起こってしまった。その演奏をこよなく愛し,愛聴していたアーティストが亡くなったのである。1981年2月に亡くなった指揮者のカール・リヒターと,1982年10月に亡くなったピアニストのグレン・グールドである。それぞれ54歳と50歳であったから,正に急逝だった。
今も思い出すのは,大学生時代にはカール・リヒター指揮,ミュンヘンバッハ管弦楽団演奏のバッハのブランデンブルグ協奏曲全曲をしょっちゅう聴いていたことである(グラモフォンから出ているレコード)。そのレコードは,確か第1番,第3番,第6番がカップリングされたものと,第2番,第4番,第5番がカップリングされたものに分かれていたと思う。リヒターの演奏は,それこそバッハの真摯な求道者で,誠実さを感じるものだった。それに何よりも,アルヒーフから出ているバッハの「マタイ受難曲」(1958年録音)とバッハの「ミサ曲ロ短調」(1961年録音)が本当に素晴らしい。この2つの録音には,アルトのヘルタ・テッパー(それは母なる大地と表現してもいいような包容力のある歌声),バスのキート・エンゲン,バスのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ,テノールのエルンスト・ヘフリガーの各ソリストが共通している。ああ,癒されたいなと思う時は今でもよく聴いて感動している。僕があの苦難のオーディションを受けて合唱団に入り,現在「マタイ受難曲」の練習に励んでいるのも,リヒターの演奏を聴いて感動した若き日の体験がその淵源にあるのである。
そして,ピアニストのグレン・グールド。僕はバッハ「平均率クラヴィーア曲集第1巻,第2巻」が非常に好きで,ここに含まれている全部で48曲のプレリュードと48曲のフーガは宝石箱の珠玉。正に小宇宙を構成している。今でも,これを聴いて触発され,ピアノの下手な自分をして何とかその一部のプレリュードやフーガの練習に駆り立てている(僕もグールドと同じで,対位法に憧れる部分があるのである)。そして,この「平均率クラヴィーア曲集第1巻,第2巻」の彼の演奏を大学生時代にこよなく愛していた。そして,グールドの死の直前(1981年)に再録音したバッハのゴルトベルク変奏曲も素晴らしい。同じ曲の1955年録音盤と聴き比べた場合,僕は最晩年の1981年録音の方が好き。ただ,ちょっと言わせてもらうと,グールドの演奏で好きなのはバッハだけである。彼の演奏するモーツァルトのピアノソナタ第8番イ短調(K310)を聴いてから,バッハ以外は聴くまいと少し食わず嫌いになったのかもしれない。そのグールドは,夏目漱石の「草枕」を愛読していたそうな。日本人でありながら僕はまだ読んでいない。近々読んでみたいと思う。
いずれにしても,大学卒業から社会人1年生の頃にかけては,愛聴していたアーティストが相次いで急逝し,衝撃を受けてしまったことを今でも覚えている。
気の乗らない日の朝の音楽
元気のない日でも,幸い,朝ご飯はとても美味しい。うちでは伝統的に,朝は,白いご飯に,味噌汁,納豆は定番で,そのほかにアジの開きだったり,卵焼きだったり,簡単な一品が添えられる。朝食はしっかりとるのである。これこそ大人と子供の基本である。
それはそれとして,やはり本日は音楽の話。これまたうちでは,伝統的に,朝ご飯の時はテレビなどは一切見ずに,音楽を聴きながら朝食をとる。ただ,いつも朝食そのものは美味しくても,あまり気の乗らない平日の朝は確かにあるものだ。できれば今日は自宅で仕事をしたいなぁといったような・・・。そういう日は,自分を何とか鼓舞するために,バッハの教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」を聴きながら朝ご飯を食べるようにしている。
そうすると何となくやる気が出てくる。この教会カンタータ第147番は,バッハが働き盛りの38歳の時に成立,完成した傑作である。この147番は,やはり何といっても,第6曲と第10曲に位置する「主よ,人の望みの喜びよ」があまりにも有名であろう。でも僕があまり気の乗らない平日の朝に自分を鼓舞するために好んで聴くのは,むしろ第1曲の方である。ハ長調,4分の6拍子。何やら祝祭的な,軽快なトランペットソロとオーケストラとの協奏で始まる。特に通奏低音部の軽快なリズムが僕の気分を高揚させるのだと思う。
バッハも人間。ライプツィヒの聖トーマス教会のカントルとして,やりがいがある一方で,ストレスがたまり,やる気をなくす時もあったであろう。多くの教会カンタータの中には自分の士気を鼓舞するために作曲,演奏したものもあったのではないかと思う。僕の場合は,第147番の第1曲目だ。さあ,今日も頑張るか。
僕の音楽遍歴(その9)
大学時代の僕の音楽の興味に関し,ビートルズとシャンソンについて前にもこのブログで触れたけれど,やはり本籍地がクラシック音楽であったことは間違いない。クラシック音楽といっても,中学,高校時代まではショパンのピアノ曲が中心であったが,大学に入ってからは,鑑賞のレパートリーが格段に広がった。広がり過ぎて,この時代に聴いた音楽のことをしゃべり始めるときりがなくなるので,いっそのこと,この時期に熱狂したアーティストですごく印象に残っている一人のことだけを紹介したい。
それは,ドイツの指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーで,この人はアーティストというより,20世紀を代表する巨匠(マエストロ)だ。僕の自宅の食器棚には,フルトヴェングラーの顔とサインが刻まれたマグカップが今も2つ大切に保管されている。確か,東芝EMIがフルトヴェングラーのレコードを購入するとこのマグカップをプレゼントするというキャンペーンか何かをやっていたと思う。のどから手が出るほど欲しかった。何で2つ獲得したかというと,1つだと割れてしまった時のことが不安で,念のためにもう1つ欲しかったからだ。
フルトヴェングラーは,ハンス・フォン・ビューロー,アルトゥール・ニキシュの後,第3代目のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任し,ヨーロッパの人々だけでなく全世界に感動を与え続けた名指揮者,巨匠である。僕の大学時代に持っていたフルトヴェングラー指揮のレコードを何とか思い出してみる。確実に記憶しているのは,ティタニア・パラストで演奏したブラームス交響曲第1番,この盤にはベートヴェンのエグモント序曲も含まれていたと思う。あとは,ベートーヴェン交響曲第7番,この盤にはワーグナーの楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲も含まれていたと思う。あとは,ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」で,これは確かオーケストラはヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団。第2楽章では会場内で何か道具が倒れるような音まで録音されてしまっているやつだった。それから,ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」で,ルツェルン音楽祭での演奏のもの。これは1954年8月下旬の演奏で,フルトヴェングラーが亡くなる約3か月前のものである。フルトヴェングラー指揮のこの曲の極めつけは,バイロイト音楽祭でのものを挙げるファンが多いであろうが,僕はルツェルンのやつがいい。聴衆の中には「これがフルトヴェングラーの最後の第九だろう。」との切ない思いで,ハンカチで涙を拭きながら聴いていた者も多かったらしい。大学時代に聴いたフルトヴェングラー指揮のレコードはまだ他にも多数あったと思うが,今となってはあまりはっきりと思い出せない。
昔も今も,フルトヴェングラー指揮の演奏が何故好きなのか,心を動かされるのかについては,やはりうまく説明できない。その指揮法は同時代のアルトゥーロ・トスカニーニのように明確でなく曖昧で,ここぞという時のあのアッチェレランド(次第に速くすること)は,スコア(総譜)に忠実にという人には相当に違和感があるだろう。でも,フルトヴェングラーの指揮が好きな理由を,敢えて,しかも抽象的にでも表現するならば,その深い精神性を感ずるところと,デモーニッシュ(悪魔的)なところであろう。
フルトヴェングラーについては,その人生の一時期,ナチ協力者などといった言われなき中傷を受けたこともあったが,彼は「ヒンデミット事件」や,ベルリン・フィルハーモニー等の音楽総監督を潔く辞任したことなどからも分かるとおり,芸術や芸術家をナチの毒牙から擁護しようと必死に振る舞う,苦悩の人だったのだ(その政治音痴であるが故にナチに利用されたのだと非難する人には非難させておけばよい。)。
また,「回想のフルトヴェングラー」(エリーザベト・フルトヴェングラー著,白水社)という本の中には,「『こういう作曲家がいるんだから,ピアニストの連中が実に羨ましい。』そう言ってから,皮肉っぽく,『それなのに,ショパンをぜんぜん弾かない人もいるね。あれは巨人だよ。ぼくは,ショパン礼賛だね。シューベルト,シューマン,ブラームスらの巨匠に匹敵するのは,彼をおいて他にない。』フルトヴェングラーがたいそうショパンを崇拝していたことを話すと,きまって,驚いたというような反応が返ってくるので,以上のことは特筆大書しておかねばなりません。」というくだりがある(71~72頁)。その当時ショパンをよく聴いていた僕にもこのことは全く意外だった。でも,フルトヴェングラーの配偶者が回想しているのだから間違いはない。
バッハとアンチョビ
あのオーディションを経て入団した合唱団。バッハの「マタイ受難曲」演奏の一翼を担いたい一心で,けっこう一生懸命に頑張っております。毎週火曜日の夜に練習があり,週によっては金曜日の夜の練習もあり,月に最低1回は日曜日の練習もあります。仕事を終えての夜の練習が終わると,空腹感と疲れでヘトヘトです。
でも,ソプラノ,アルト,テノール,バス(このうちの一人が私)の4声部が合わさった時の響きはたまりません。精緻で崇高な音楽。ますますバッハの凄さを痛感します。あれっ?今日のブログは,なぜか「ですます」調になっております。仕事と練習を終えてから,疲れた頭でこのブログを書いていますから,文体までいつもと変わっております(笑)。
ところで,今日仕入れた情報によると,バッハが当時食べていたある日のメニューの中に,ある魚料理のアンチョビバターソースというのがあった。今から270年以上も前に,私が心から崇拝するバッハが,アンチョビを口にしていたというのだ。意外だったし,何か嬉しい気もする。というのも,僕もアンチョビが大好き。ある料理研究家のレシピに,ご飯をニンニクとアンチョビで炒め,これにトマト,香草(イタリアンパセリのようなもの),マッシュルームなどを加えて作るアンチョビライスというのがあって,これがひじょーに美味い。アンチョビというのは,これはむしろ調味料ではないだろうか。それもとても優秀な。
なお,ついでに言うと,イカの塩辛もいい。イカの塩辛を使ったご飯の炒め物やパスタもとても美味い。アンチョビは世界的にも有名だが,実はイカの塩辛もこれに劣らず,我が日本が世界に誇る非常に優秀な調味料なのではないかと思う。あれっ,いつのまにか,「ですます」調からいつもの文体に戻っていた。
僕の音楽遍歴(その8)
大学時代に熱中した音楽のジャンルは,クラシック音楽,ビートルズの他に,シャンソンであった。当時の法学部の定員は160名で,第二外国語の選択でクラス分けがされ,約3分の2がドイツ語選択,残りのほとんどがフランス語選択だった。シャンソンに興味を示したのも僕がフランス語選択だったからかもしれない。ただ,その直接のきっかけとなったのは,テレビでシャンソン歌手のジュリエット・グレコ特集を見て感動したことだった。
グレコは黒の衣装と,女性としては独特の低音の声が魅力的で,何よりもシャンソンが,歌詞,メロディー,身振り・手振り,表情などを要素とした極めて深みのある音楽ジャンルだと知った。その当時最初に手にしたグレコのレコードは,シャンソンの名曲集で,魅力溢れるものだった。「枯葉」,「パリの空の下」,「ロマンス」,「ラ・メール」,「詩人の魂」,「聞かせてよ愛の言葉を」,「ムーラン・ルージュの歌」,「懐かしきフランス」,「パリ野郎」,「後には何もない」,「アコーデオン」などだ。これでシャンソンに熱中しない訳はない。
さらに,大学生協のレコード等の購買部にはシャンソン分野も非常に充実していて,しかも廉価で購入できたことも有り難かった。シャルル・トレネやエディット・ピアフ,さらには何とダミアの「暗い日曜日」なども聴いていた。
さて,特に好きだったグレコに話を戻すが,後年,僕が社会人になった後,コンサートで本物のグレコのシャンソンを聴く機会に恵まれたのだ。名古屋の池下にあった厚生年金会館でのライブである。その晩はレコードで聴いていたシャンソンの名曲も聴くことができたし,その後のグレコの持ち歌も堪能できた幸せな晩だった。会場は満席に近く,名古屋においても幅広いファン層がいたのだ。今でもグレコの名曲集のCDを聴きながら,熱中していた当時に思いをはせることがある。
眠られぬ夜のために・・・
ヒルティの著作のようなタイトルになってしまったが,何のことはない,ちょっと寝付きが悪い,なかなか眠れないような夜に,赤ちゃんのようにスヤスヤ眠りにつくために聴く音楽のお話である。いまどきは,仕事で疲れているせいか,暖かい毛布と布団の中に入ると,幸せなことによく眠れている。でも,何か心配ごとがあったり,特に夏場にエアコンを付けたりしているとなかなか眠れないこともある。
そのような夜に,眠りの導入に割と効果的だった音楽(曲)について体験的にお話ししてみたい。
第1曲 教会カンタータ第82番「われは満ち足れり」の中の第3曲のアリア(子守歌風)(バッハ)
やはり,バッハじゃのぅ。理屈抜きで癒されるし,アッという間に深い眠りに陥り,朝日で目が覚めるぞ。どうしてこんなに美しいメロディーが浮かぶのだろうか。その歌詞も「まどろめ,疲れた目よ,穏やかに,幸せに閉じるがいい!」(礒山雅対訳)というものだ。ただ,その後に続く歌詞は,この世への訣別が内容となっており,そのまま朝が迎えられずに,逝っちゃったら困るのだが・・(笑)。でもね,寝付きが悪いのだったら,いっぺん聴いてみんしゃい。
第2曲 ミサ曲ロ短調の終曲「ドナ・ノヴィス・パーチェム(平和を我らに)」(バッハ)
また,バッハじゃのぅ。しょうがないわ。実力者なんだから。これも例えようもなく美しいメロディー(いわば天上的な美しさ)である。あなた,眠りたいんでしょう?だったら,だまされたと思って一度聴いてみてよ。なお,蛇足であるが,同じバッハの作品でも,不眠症で悩まされていたカイザーリング伯爵のために作曲されたというゴルトベルク変奏曲は,起きている時に聴くべきである。非常に佳い曲であることは間違いない。主題となるアリアだけだったら,これを繰り返して聴けば眠りに陥るが,その後の数多くの変奏(ヴァリエーション)は,何しろ知的で,かえって頭が冴えわたってしまい,眠れなくなる。
第3曲 「亡き王女のためのパヴァーヌ」(ラヴェル)
管弦楽に編曲されているのがお勧めです。これも眠れます。あたしは好きです。
第4曲 「3つのジムノペディ」(エリック・サティ)
これは原曲どおりピアノによる演奏でも眠れます。誰でも一度は耳にしたことがある有名な曲だと思いますが,床の中に入って改めて聴くと,結構,睡眠導入効果があります。なお,同じ作曲家の「3つのグノシェンヌ」と間違えないようにね。このグノシェンヌも僕は大変好きなのですが,そのメロディーが余りにも妖しすぎ,遠い昔の古代ギリシャのクレタ島で,薄着の妖艶な美女が妖しく踊っているシーンを思い浮かべてしまい(僕だけか?),かえって眠れなくなってしまう。
いずれにしても,これらお勧めの曲は,同じ曲を何曲も入れるか,あるいはリピートにして聴いてください。1回聴くだけで深い眠りに・・・というのは無理で,もしそういう人がいたら,それはそもそも不眠症ではありません(笑)。
僕の音楽遍歴(その7)
大学に入ってからの音楽生活は,質的にも,量的にも充実したものになった。アルバイトなどして経済的にも小遣いが増え,音楽的関心の対象にある程度お金を費やすことができるようにもなったからである。ただ,その前に高校生時代の最後に今でも記憶に残っていることがあるので,このことだけ伝えたい。音楽そのものに感動したというより,去り際に何かしら印象に残る教師がいたのである。もう名前は忘れてしまったが,超小柄,黒縁メガネ,禿頭,無口,シャイな先生だったが,最後の授業の最終の時間帯に,あらかじめ持参したレコードプレーヤーを使って,ヨハン・シュトラウスのワルツ「春の声」を教室で聴かせてくれたのである。卒業の門出に,はなむけの音楽としてそういう時間を生徒たちのために作ってくれたのだと思う。しかもその去り際には,相変わらずはにかみの(シャイな)表情で,「グッバィ,エブリバディ!」と言って教室から風のように出て行った。それまでは何かさえない先生だなと思っていたが,プライベートでは音楽好きの良い人なんだなと,何か嬉しいほのぼのした気分になったことを覚えている。
さて,大学に入ってからは,学問もそこそこに派手に音楽を聴いた。それまで聴く音楽のほとんどはショパンのピアノ曲だったが,かなりレパートリーが広がった。バッハ,ベートーヴェン,ブラームスのドイツ3大Bをはじめとして,その範囲は広範になった。ベルリオーズの「幻想交響曲」を聴くにつけても,その作曲技法特にオーケストレーションのすばらしさに感動した。今でもショパンは好きであるが,例えばピアノ協奏曲などにおけるオーケストレーション技法は,ど素人の自分でもベルリオーズのそれと比べて貧弱に感じたりしたものだ。
もちろん,お約束のビートルズにも熱狂した。同じビートルズ好きの友人の下宿に泊まっては,曲を聴きながら馬鹿話をし,挙げ句に深酒をして二日酔いとなり,翌日の授業をよくサボるという有様。「イエスタディ」,「ヘイ・ジュード」,「オブラディ・オブラダ」,「カム・トゥゲザー」,「ゲット・バック」など,誰もが挙げる曲が素晴らしいのは言うまでもないが,その当時も今も僕が特に好きなのは,次のような曲だ。
「マーサ・マイ・ディア」,「ユア・マザー・シュッド・ノウ」,「フォー・ノー・ワン」,「イン・マイ・ライフ」,「ゴールデン・スランバー」
これらの曲に共通しているのは,何よりもメロディーが美しいことだし,このうちのいくつかの曲は,その中間部にバロック的,対位法的な部分が含まれていることである(どうしてもクラシカルな部分は愛してしまうのか)。
そして,大学時代に熱中した音楽のジャンルは,クラシック音楽,ビートルズの他に,シャンソンであるが,シャンソンのことについては後日触れたい。
僕の音楽遍歴(その6)
高校時代後半は,正直言って,音楽的には冬の時代だったかもしれない。勿論,夜にインスタントコーヒーを飲みながら音楽を聴く機会はあったが,それほど多くはなかった。ショパンのピアノ曲を中心としながらも,様々な作曲家の曲をちょこっとずつつまみ食いはした。今でも記憶に残っているのは,ストラヴィンスキーの舞踊組曲「春の祭典」に度肝を抜かれたということだ。
さて,大学受験を控えて,図書館で勉強していた時のこと。MY君という友人が,何の脈絡でかは思い出せないが,「元松君,ビートルズは好き?」と尋ねてきたのである。意外だった。彼は勉強もよくでき,確かお父さんも校長先生の教育一家で,イメージ的にはおよそビートルズとはほど遠かった友人だったからである。話を聞いてみると,彼はビートルズが好きだというのだ。僕はというと,このブログでも前に触れたが,確かに僕が中学1年生の時に「レット・イット・ビー」という曲に感動したことはあったものの,それっきりであった。このMY君の言葉がきっかけで,「へぇ,そんなにいいのかぁ」という感じで,ビートルズの曲に再び,しかも非常に興味を持つようになった。
大学受験を控えていたのではあるが,その当時,民放ラジオで,確か,鈴木ヒロミツさんがやっていた30分番組で(毎週日曜日の夜8時頃だったと思う),「ビートルズ大集合!」というのがあって,これを毎週楽しみに聴いていた。高校生時代の後半は,大学受験もあり,お小遣いも限られていたから,ビートルズのレコードを買うことはなかったものの,好きな曲はいっぱいあった。その当時好きだった曲は,「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」,「抱きしめたい」,「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」,「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」,「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などであった。とにかくこの頃は,大学に入ったらアルバイトをして,クラシックやビートルズのレコードを買いまくるぞ!という一心であった。
僕の音楽遍歴(その5)
中学3年生から高校に進学する頃に,僕はピアノのレッスンを受けるのを終了した。長距離のレッスン通いを共に続けたST君も恐らくその頃にやめた記憶だ。共に進学のための勉強などが理由だったと思うし,概ね3年間を一応の区切りにしたのだ。チェルニー30番とソナチネアルバムの途中まで進んだが,そのあたりまで進むと,それほど難易度の高くない曲だったら,楽譜を見て,つっかえつっかえでも弾けるようになっているものである。僕はそれ以来,特にピアノを習ったりしていないし,たまに気が向いた時に弾くだけだから,今の腕前といっても全然大したことはない。
音楽遍歴というからには,その当時よく聴いていた曲の紹介になるが,やっぱりまだショパンが圧倒的に多かった。レコードジャケットで今も覚えているのは,サンソン・フランソワというピアニストが演奏するバラードとスケルツォ集である(各4曲)。何かしら鼻の下に少しヒゲを生やしたダンディな人だったと思うが,その音色が非常に美しく,艶っぽかった。あっ,そうそう。思い出した。何でショパンのバラードが入ったアルバムを買ったかというと,その頃,NHKの番組か何かで,巨匠ヴラディーミル・ホロヴィッツがカーネギーホールでショパンのバラード第1番を弾いている映像を見たり聴いたりして,「こりゃ,すっげーわ。」とたまげたからである。勿論このピアニストは20世紀を代表する人である。僕が習っていた頃は,先生に,「はい,両こぶしを卵形に握ってー。はい,少し力を抜いてー。そうそう,そういう手,指の格好で弾くんだよー。」と教わっていたのに,このホロヴィッツは,指を相当に伸ばしたまま,それでいて凄い速さと美しい音色で超絶技巧(テクニック)を発揮するのである。
ところで,高校1年生の時は,3歳上の姉(当時は大学1年生)の影響で,カーペンターズの曲に首ったけになっていた時期がある。「イエスタデイ・ワンスモア」,「遙かなる影」,「トップ・オブ・ザ・ワールド」,「ジャンバラヤ」,「マスカレード」,「雨の日と月曜日は」なんかをよく聴いた。だから,クラシック一辺倒だった訳ではない。正月のお年玉で,その当時発売されたばかりの「ナウ・アンド・ゼン」というカーペンターズのアルバムを買った。このアルバムは,そのタイトルからも分かるとおり,その当時のカーペンターズの新曲と,その当時からすれば一昔前のナツメロをカヴァーした曲が入っていた。この中に入っていた古い曲としては,「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド(この世の果てまで)」というのがとても佳い曲で印象に残っている。それにしても,カレン・カーペンターという人は,出色の女性ヴォーカリストで,本当に歌が上手いなぁと感心していた。それが,その後拒食症などが原因で早世してしまったのは本当に残念である。
このアルバムを聴いていたら,母が,「そういうの買うんだったら参考書でも買ったら?」みたいな嫌みを言ったことを,僕は今でも執念深く覚えている(僕の脳細胞ちゃんたちは,大切なことは忘れる一方で,大昔のこのようなどうでもよいことを覚えている)。母にしてみれば,クラシック音楽好きの良い子の僕が,急に不良か何かになってしまわないかと恐れをなしたのかもしれない(笑)。ハッ,ハッ,ハッ。カーペンターズのような佳い,健全なポピュラー音楽が不良だなんて・・・・・。このように一瞬勘違いした母は,幸い今も元気で健在である。
僕の音楽遍歴(その4)
今回は,今思い出しても胸キュンの甘酸っぱい体験が含まれている。
中学2年生になっても,音楽的な趣味はショパンの作品が中心だったものの,そのほかにもクラシック音楽ならば食わず嫌いをせずに何でも聴いていた。ただ,自分の小遣いも限られていたので,そうそうレコードが買えるはずもなく,所有のレコードを聴く以外には主にラジオが頼りだった。その当時,NHKラジオで,深夜11時ころから「夜のしらべ」という番組をやっており(確か,平日のみだったと思う),これが毎晩楽しみだった。3,40分くらいの短い番組だったが,クラッシックの名曲(小品)を幅広く聴くことができた。
実は,僕はこの「夜のしらべ」のテーマ音楽が好きだった。オリジナルの曲だったらともかくとして,クラシック音楽の一部だったとしたら,一体全体何ていう曲なんだろうと思っていた。いい曲だな,何ていう曲なんだろうと思いつつも,正式曲名を知ることができない悶々とした体験をしたことはないだろうか。結局,この「夜のしらべ」という番組はその後数年経って終了してしまったので,テーマ音楽として流れていた曲も知らずじまい。でも,今から数年前,ひょんなことからとうとうその曲名を知ることができたのである。それは,ロシアの作曲家ボロディンの弦楽四重奏曲第2番の第3楽章「夜想曲」だったのだ。そして,「夜のしらべ」で流されていたのは,ユージン・オーマンディー指揮(とすればフィラデルフィア管弦楽団か)の弦楽合奏編曲版だったようだ。これはいい曲だ。大好き。このボロディンという人は,例えば,歌劇「イーゴリ公」の中の「ダッタン人の踊り」とかいった,何かしら印象に残るメロディーメーカーだ。
さて,僕のいた中学校は,隣の学区にあった中学校と共にマンモス化していたため,僕が中学3年生に進級する年に,それぞれの中学校生徒の一部ずつから移動させて新設校を作ることになってしまった。ちょうど僕の住所は新設校に移動せざるを得ない位置にあったので,2年間を一緒に過ごした友達の多くとお別れをしなければならなくなったのだ。中学2年生の時,同じクラスにWYさんという女の子がいて,実は僕はこの子が好きだった。色白,小顔,清楚な感じで,本当に気持ちの優しい子だった。まぁ,僕はその当時から奥手であり,誇り高いというか小心者というか傷つくの嫌というか,そういう性分だったから,告白するなんてことは全然考えず,胸に秘めて憧れていただけだった。
お別れの時,胸キュンの出来事があった。何と,憧れのそのWYさんが,思いがけず僕に,餞別というかお別れの品として,ショパンの練習曲集(エチュード)の分厚い楽譜(全音楽譜出版社から出ていたやつ)をプレゼントしてくれたのである。僕がショパンのエチュードを弾くことができると思われていたのだとしたら,相当に買いかぶられちゃったという感じだが(非常に恥ずかしい),本当に嬉しかった。嬉しすぎて,数日間ふぬけの状態,ボーッとした状態になった。今もこのことを思い出すと胸がキュンとなるし,その分厚い楽譜は今も大切にしまってある(でも,僕には難しすぎて弾けない。)。
僕の音楽遍歴(その3)
前回お話しした発表会の後も,ST君と僕は互いに練習にいそしんだ。さて,小学6年生から中学1年生当時の僕の音楽の関心は,やはり圧倒的にショパンのピアノ曲であったことは間違いない。でも,その当時持っていたレコードのことをよくよく思い出してみると,ベートーヴェンの「交響曲第5番(運命)」(ジョージ・セル指揮・クリーヴランド管弦楽団)が確かにあった(何やら黒っぽい雲だらけの中から僅かに光が差し込んでいるような不気味な風景のジャケットだった)。また,演奏者は忘れたが,グリーグの「ペールギュント第1組曲」なんかもあったし,ハンガリー出身のジョルジュ・シフラという高いテクニックを有するピアニスト(「リストの再来」などともいわれていた)が演奏するピアノ小品集(「エリーゼのために」,シューベルトの「軍隊行進曲」などが入っていた)のレコードもあったし,さらに,ジェローム・ローウェンタールというピアニストが演奏するピアノ小品集(モーツァルトの「トルコ行進曲」,ヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」などが入っていた)もあった。だから,必ずしもショパン一辺倒ではなかったのだ。
そんな中で,中学1年生のとき,ちょっとした「事件」が起こった。何がきっかけだったか全く思い出せないが,同じクラスのOM君(イケメンの子だったような記憶)が,僕にビートルズの「レット・イット・ビー」のシングルを貸してくれたのである。この曲を聴いてビックリした。「これがビートルズかぁ・・・」と大きなショックを受け,良い曲だなと,何度も何度も繰り返して聴いた。この時はビートルズに深入りすることはなかったが(後から知ったことだが,この時は既にビートルズのメンバーも互いに心が離れ,解散直前だった。「レット・イット・ビー(なるようになるさ)」という歌詞も象徴的である。),僕がビートルズ熱にうなされ始めたのは,後年,大学受験生の時だったし,大学生になってからはこれが一挙に爆発することになる。
このあたりで,どうしても中学時代の大親友だったFS君のことに触れなければならない。このころ,FS君は僕に「コンサートのチケットあるんだけど,行かない?」と誘ってくれ,一緒に行ったことがあった。それは,アルフレート・ブレンデルのピアノリサイタルで,確かベートーヴェンのピアノソナタ中心のプログラムであった。良いリサイタルであったし,その後ブレンデルというピアニストがあれほど有名になるとは思っていなかった。このFS君は本当に心を許し合える大親友だったが,誠に残念ながら昨年病気で亡くなった。奥様からの電話でその訃報に接した時は全く信じられず,その場で絶句した。お悔やみに伺った時,彼が生前,自分の家族に僕のことをしょっちゅう話してくれていたということを聞かされ,思わず二度も嗚咽してしまった。彼のことは一生忘れられないし,また別の機会に触れることがあるかもしれない。心からご冥福をお祈りします。
僕の音楽遍歴(その2)
ピアノレッスンの始まりは小学校6年生だったから,今のご時世からすると遅咲きであった。ショパンのピアノ曲があんな風に弾けたらいいなという憧れの気持ちで,一生懸命に練習した。最初の数か月は若い女性の先生だった。それはそれで毎週レッスンに通うのが楽しみだったが(小6の子供としては随分なほどの不純な動機も含まれていたと評価できよう。),ST君という男子の友人の紹介もあり,ほどなくして今度は男性の先生のレッスンを受けることになった。
その先生は,NS先生といって,60歳を少し過ぎた感じの高校の音楽教師であった。我々は,いつも2人で電車とバスを使って南山大学のすぐ近くにある先生のご自宅に毎週1回レッスンに通ったが,その先生は,ひ,ひじょーに厳しかった。僕もST君も,それぞれのレッスンが終わる頃は,目にうっすら涙を浮かべていることがあった。レッスンが終わって交代する際に,ST君が少し泣いているのを何度も目撃したし,僕の場合は,先に終わって交代する際にはできるだけ涙を見られないようにST君と目を合わすのを避けがちだった。でも,今にして思えばその厳しい先生のおかげで練習にも身が入ったし(他律的な面もあるが),上達が比較的早かったと思う。また,時には簡単な作曲法のような指導もしてくれ,目を掛けてくださったのだ。
その当時のピアノ教則は,定番コースのようなものがあって,僕の場合も,バイエルから入り,バイエルの90番あたりを過ぎた頃から,指の筋力トレーニングともいうべきハノン,それから可愛らしい曲が多く含まれているブルグミュラー25の練習曲集,その後,チェルニー30番とソナチネアルバムというような順で進んでいった。
そ,そして,最初の発表会を迎えた。あろうことか,同じ学校の女子2名(そのうちの1人はKMさんという部活で小麦色に日焼けした健康的な可愛い女の子だった。)が僕とST君(泣き仲間)の発表を見に来てくれたので,非常に緊張した。僕はというと,さきほどのブルグミュラーの練習曲集の24番目「つばめ」(演奏時に右手と左手が交差し,ちょっと目にはカッコ好さげに見えるやつ)と,ソナチネアルバムの中のクレメンティのソナチネの第1楽章を弾いたと思う。一方のST君は,やたら元気に行進曲風の曲をガンガン弾いていた記憶である。このようにして,共に泣いた戦友と一緒に臨んだ発表会は無事に終了したのである。
(いつかに続く)
僕の音楽遍歴(その1)
小学校低学年の頃,決まって給食の時に流されていたシューベルトの「軍隊行進曲」なんかは割と好きだったし,音楽の授業の時に聴いたケテルビーの「ペルシャの市場にて」などは,「そうか,こういう珍しげな曲もあるんだ・・」などと感心していた。でも,今にして思えば,特定の作曲家やアーティストなどを明確に意識しだした最初の頃は,おそらく小学校6年生だったと思う。
そのきっかけは,音楽室の前面上部の壁にほぼ週替わりで掛けられていた4枚ずつほどの音楽家の肖像画であり,またクラスメートの女の子が図書室から借りてきてくれた音楽家の伝記だった。例えば,今週はブラームス,チャイコフスキー,ヘンデル,シューマン,その次の週はバッハ,メンデルスゾーン,ショパン,ドビュッシーといったように有名な音楽家の肖像画が掛け替えられる風習がその小学校にはあり,漠然とだが音楽家に興味を持つようになっていた。そうこうしているうちに,転校生の私に優しく接してくれたNY子さんが,僕に何気なく,「今から図書室に行くけど,何か借りてきてあげようか。」と声を掛けてくれたのである。僕は「じゃ,誰のでもいいから,音楽家の伝記をお願い。」と頼んだのである。
そこでその優しい女の子が借りてきてくれたのが,たまたまショパンの伝記だった。全部読んだら,じゃぁ,このショパンという人はどんな音楽を創ったんだろうかと興味が湧き,父に頼んでショパンの作品(小品)が10曲ほど入ったレコードを買ってもらって聴いた。ひ,ひじょーに感動した。今も覚えているが,そのレコードで演奏していたピアニストは,ポーランド人のアダム・ハラシェヴィッチという人で,「英雄ポロネーズ」,「ノクターン(変ホ長調の有名なやつ)」,「別れの曲」,「幻想即興曲」,雨だれの前奏曲」,「華麗なる大円舞曲」などが入っていたと思う。後から知ったことだが,このピアニストは,1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールで,あの有名なヴラディーミル・アシュケナージと優勝を争った人だ。
私の音楽遍歴の出発点は,このショパンの音楽だった。こりゃすごいと思い,今からすれば極めて遅咲きだったが,土下座せんばかりに父に頼み込んで,すぐにピアノを習わせてもらうようになった。結果的には,あの優しかったNY子さんが僕の音楽遍歴の出発点を作ってくれたのだ。その子は,いわば典型的な昭和の女の子で,面長,色白,頭の後ろで三つ編みを二つに分け,飾り気のないこざっぱりした子だった。ただ,僕の記憶では学年の途中か,それとも学年の終了時に,おそらくお父さんの転勤の都合か何かで北海道へ引っ越していってしまったと思う。彼女は,まず,ショパンと僕を引き合わせてくれた功労者だったのだ。
(いつかに続く)
くっきり二重まぶたのヘンデル
僕が子供だった頃の音楽の教科書には,バッハは「音楽の父」,ヘンデルは「音楽の母」と書いてあった。音楽の「母」で思い出したが,先日何かの本を読んでいて思わず腹をかかえて笑ってしまったことがある。それは,ある人が最近まで本当にヘンデルが女性だと思い込んでいたというのである。
バッハの顔は,どんな角度から見ても(例えば逆立ちしても)絶対に男と分かるが,確かにヘンデルは,その当時の宮廷音楽家がしていたように髪の毛フサフサのかつらをかぶっているし,何よりも見事なほどのくっきり二重まぶたである。音楽の「母」という表現と相まって,ある人がヘンデルを本当に女性だと勘違いするのも無理はない。その二重まぶたは,例えば仮に,「輝け!第一回世界くっきり二重まぶた選手権」が開催されたとしたら,ヘンデルは間違いなく優勝候補筆頭であろう。その日の体調により奥二重と一重を行ったり来たりの僕としては羨ましい限りである。「じゃ,ヘンデル級のくっきり二重まぶたにしてやろうか。」と言われれば,ち,ちょっと引いてしまう。
随分とヘンデルに失礼なことを言ったが,今日の本題は,ヘンデルの癒しの音楽である。今お気に入りの曲が2つある。1つ目は,歌劇「リナルド」の中の「私を泣かせてください」というアリアである。アルミーナは騎士リナルドを心から愛しているにもかかわらず魔女によって庭園に幽閉され,かえって外国の王アルガンテに迫られ,悲嘆にくれながら切々とこのアリアを歌う。本当に心にしみわたるメロディーだなぁ。2つ目は,ご存じ,歌劇「セルセ」の中のアリア「オンブラ・マイ・フ」だ。主人公である王セルセ(古代ペルシャ)が木陰に憩う情景でこのアリアが歌われる。何でこんなに美しい,癒しのメロディーが湧くのだろうと思ってしまう。この曲は,今ではむしろ弦楽器などの器楽曲に編曲され,「ラルゴ」の名で親しまれている。
そうしてみると,ヘンデルの癒しの音楽は,歌劇の中に多くちりばめられているような気がする。
心臓ドキドキのオーディション・・「さながら子羊のよう」(続)
ピアノの音は今度は1オクターブ下となり,同じテストが始まった。つまり,ピアノの音に合わせて,アーアーアーアーアーアーアーアーアー(例えばドレミファソファミレド)と歌う。今度は比較的低音域で歌いやすい。しかもこの音域でさきほどのように音程が3度ずつ(おそらく)上昇していったとしても,まあ何とかなるだろう・・・・。と,ところが,今度は音程が徐々に下に移行し始めたのである。え゛ぇーーっ・・そ,そんなぁ-。音域の限界に挑戦させられる自分がそこにいたのである。
この最後のアーアー・・・・の時も(超低音),あごが引け,目は超上目遣いになり,ちょうど餅をのどに詰まらせてもがいているようなすごい形相になっていたに違いない(否,そのように確信している)。は,恥ずかしい・・・。結局,僕はテノール音域でも高音域に難があり,バス音域でも低音域に難があるという現実に直面したのだ。思い起こせば,僕はカラオケに行っても,♯や♭を手前勝手に多用し,いつも歌いやすい状態で歌っていた。安逸をむさぼっていたのである。
少年期で声変わりがする前は,音楽の先生に,「君はいいボーイソプラノをもっているね。」なんて言われた栄光の時代もあったのに・・・。ええい,過去の栄光が何だ。現実を直視しろ。このようにして,僕のオーディションは終了した。採否の結果は後日ハガキで通知されるとのこと。
でもね・・。僕は本当に心からバッハの音楽が大好きで,この音楽家を尊敬し,「マタイ受難曲」もスキでスキでたまらない。結果はともかくとして,この曲歌いたさに老骨にむち打って果敢に挑んだ自分をほめてやりたい気もするのよ。人生の1ページとしてね。
最後に,オーディションをしてくれたこの合唱団は非常にフレンドリーで,皆さん嬉々として練習に参加し,合唱指導も素晴らしく,ドイツ語の歌詞の習得も本格的である。是非この「マタイ受難曲」の演奏を成功させて欲しいと心から願っている。
心臓ドキドキのオーディション・・「さながら子羊のよう」
来年の「マタイ受難曲」演奏に向けての,ある合唱団の新人オーディションを昨晩受けた。僕はそのオーディションの具体的な内容を知らなかったし,そのシテュエーション(情況)も皆目見当がつかなかった。会場に臨む前に,気を落ち着かせるためにトイレに行ったのだが,洗面前で1,2分たたずみ,このまま逃げ出したい衝動に駆られた。
意を決して会場に入ると,私と同じかそれより少し上の年配の男性が2名着席していた。その日のオーディションには,男性は僕を含めて3名が臨むようだった。僕たちと向き合う形で審査員が5,6名,正面中央付近にはピアノ,そしてオーディション担当の先生がいた。そして,な,何と,会場のほとんどにイスが設置され,今宵練習のために嬉々として集まってきた団員の皆さんが相当数着席していたのだ。あ゛ぁーーっ・・・。
僕が最も恐れていたシテュエーション(情況)だ。僕を含めた3名の男性は,冒頭合唱曲の歌詞じゃないけど,「さながら子羊のよう」であった。心理的には完全な極限状況で,もしよければその場から逃げ出したかった。
僕は3番目に名前を呼ばれ,ピアノの音に合わせて,アーアーアーアーアーアーアーアーアー(例えばドレミファソファミレド)と歌う。しかし,最初から躓いた。「あぁ。1オクターブ上げてくださいね。」と言われた。そう,僕はピアノの音より1オクターブ下を歌っていたのだ。え゛ぇーーっ・・そんな高い音出せるのかな。やってみたら最初は何とかうまくいった。しかし,ピアノの音はだんだん音程が3度ずつ(おそらく)上昇していくのだ。これが4回ほど上昇を続けた。しかし僕は,3回目くらいで高音域がかすれ,4回目では出ない音が相当にあった。この時の自分の必死の形相は想像するだに恐ろしい。鬼気迫るものがあったに違いない。「子羊」が「シーサー(沖縄の鬼瓦)」に化けた瞬間である。
高音域が終わったと思ったら,ピアノの音は今度は1オクターブ下となり,同じテストが始まった。・・・・次第に,あこがれの「マタイ受難曲」が自分から遠ざかっていく絵が見えた。(続く)
恐怖のオーディション迫る-「マタイ受難曲」
前回,バッハの「マタイ受難曲」のことを人類の至宝と例えたが,決して誇張とも思わない。「マタイ受難曲」を全曲聴くきっかけになり,その後何でこんなに「マタイ受難曲」が好きになってしまったのかについては,以前ある原稿で触れたことがあって繰り返しになってしまうが,次のような理由からである。
第1に,1990年代だったと思うけど,ある音楽雑誌の企画で,多数の音楽評論家らを対象に「次の世紀まで受け継ぎたい(語り継ぎたい)曲は何か」という趣旨のアンケートが実施され(複数回答だったと思う),この曲が圧倒的多数で第1位だったということが頭にあった。
第2に,私が司法修習生だった頃,同じクラスにU君というプロ級の腕前を持つピアニストがいた(確か,ショパンのバラード第1番などをコンサートで弾いていたと思う。)。
興味本位でこのU君に「音楽史上の最高傑作は何だと思う?」と尋ねたら,即座に「マタイ受難曲だろうね。」と答えたのである。
このようなこともあり,それまでは良い箇所ばかりつまみ食い的に聴いていたこの曲を,全曲聴く決意をしたのである。全曲聴いた後の感動は例えようもない。
ある合唱団が来年の暮れにこの「マタイ受難曲」を演奏するということで,団員の募集があり,不肖わたくしも12月9日にオーディションを受けることになっている。
みんなが見ている前で「はい,ここからここまでの16小節を歌って下さい。」などと歌わされたら顔から火がでるほど恥ずかしいのだが・・。一体どんなオーディションなんだろうか。また,恐怖心で臨むオーディションを受け,挙げ句に落ちてしまったら家族にどんな言い訳をしようか。眠れない夜が続く・・・・・。
癒しの音楽-やっぱりバッハだよなぁ・・・
ストレス社会というけど,現代人は何らかの形で自分なりに「癒しの空間」や「癒しの時間」をもっていたり,追い求めているのではないだろうか。僕も同じだ。職場に音楽は流れていないけど,自宅に帰れば癒しを求めて音楽を聴くことが多い。
癒しの音楽といっても本当にいろいろあるだろう。今思いつくままに4,5曲挙げてみろと言われれば,ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」,ドヴォルザークの「母が教えてくれた歌」,マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲,ヘンデルの「ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)」なんかが思い浮かぶ。
でも,僕の場合,今はやっぱりバッハだよなぁ・・・・。バッハの世界には,癒しの音楽がごろごろしているが,特に宗教音楽が癒される。最近よく聴いているのが,ミサ曲ロ短調で,終曲のドナ・ノヴィス・パーチェム(我らに平和を与え給え)などに差し掛かると,思わず目にうっすら涙さえ浮かんでしまう。バッハの畢生の大作であり,死の直前に完結したという事実をも考えると尚更である。理屈抜きで癒される。もう一つ,よく聴いているのが「マタイ受難曲」である。これこそは人類の至宝だと確信しているのだが,これについては後日改めてお話しできればと思っている。
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