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弁護士ブログ

2020/10/26

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日本学術会議をめぐる議論が喧しい状況です。同会議が推薦した会員候補者のうちのごく一部(6名)が任命されなかったようですが,このことについては立憲民主党などの野党が,我が国における「学問の自由」を侵害する暴挙だみたいなことを述べています。とても頭の悪い私にはその理屈がよく分からない(笑)。するってぇと,何ですかぃ,学術会議の会員になれなければ学問ができないとでもいうのですか。いずれにしても,日本学術会議法という法律は,推薦された候補者全員が選ばれるということまで保障した法律ではなく,任命の可否はあくまでも任命権者である内閣総理大臣の判断です。ましてや,同会議が推薦した会員候補者のうちの一部が任命されなかったからといって,これが憲法上の学問の自由が侵害されたことにもなりません。現に個々の学者の方々は制約も受けず大学や研究所で研究等に勤しむことができているではありませんか。

 

むしろ,日本学術会議は昭和25年には,軍事関連の科学研究には一切かかわらないという声明を出しておりますし,最近でも平成29年3月24日付けで「軍事的安全保障研究に関する声明」を出し,自由な軍事研究を抑制する政治的立場を表明しております。さらには,北海道大学の奈良林直名誉教授が10月5日に国家基本問題研究所に寄稿した文章によると,同大学に在籍する流体力学を専門とするある教授が船の燃費を改善する研究を進め,防衛装備庁が募集した安全保障技術研究推進制度に応募し,研究費の助成を受けたそうですが,それを知った日本学術会議側が北大に対して「事実上の圧力」をかけ,2018年に応募を辞退することになったということです。

 

それこそ学問の自由の侵害じゃないんでしょうか(笑)。日本学術会議の会員の先生方は,日々研究を続けられ相当の科学的成果を挙げておられるのでしょうが,その自由な研究,ひいては身の安全を最終的に保障しているのは安全保障に携わる国,政府です。自分たちは安全保障にかかわる軍事研究には反対するけど,いざという時は自分たちの安全を守ってくれというのは,あまりにも無責任,不道徳なのではないでしょうか。

 

昨日の産経新聞の「あめりかノート」というコラムで,古森義久さんは,「日本学術会議にGHQの影」と題して興味深い記事を書いておられました。彼は,相当前に,GHQ幹部の米陸軍大佐であり日本国憲法草案作成の実務責任者だったチャールズ・ケーディスという人に長時間インタビューをしたことがあったそうで,その際ケーディスは,「最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことでした」と回答したようです。要するに,日本という国に対し,独立国家の基本的権利を抑えてでも非武装を押し付けることがGHQの意図だったということであり,日本学術会議はGHQ占領下で設置され,設置された翌年にはさきほど述べましたように,軍事関連の科学研究には一切かかわらないという声明を出し(昭和25年),そのスタンスが現在も変わっておりません。当時のGHQの非武装押しつけの意向とピッタリ合致している訳です。

 

それに驚くべきことに,日本学術会議(当時の会長は亀山直人)は,軍事関連の科学研究には一切かかわらないという声明を出した同じ年の5月には,吉田茂首相らに対し,「元号廃止、西暦採用についての申し入れ」を同会議の決議として送ったという事実もあります。その書面には「天皇統治を端的にあらわした元号は民主国家にふさわしくない」,「法律上からみても元号を維持することは理由がない。現在の天皇がなくなれば、『昭和』の元号は自然に消滅し、その後はいかなる元号もなくなるだろう」などといった記載もありました。この会議体は沿革的にも日本共産党をはじめとする左翼勢力との深いつながりがあることも指摘されています。

 

日本学術会議には毎年10億円超の国家予算がつぎ込まれてもいますし,今回の騒動は日本学術会議の抜本的改革を議論するためのよい機会になったのではないでしょうか。

2020/10/19

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私の愛読紙はもちろん産経新聞ですが,この新聞には定期的に同紙文化部の桑原聡さんという方の「モンテーニュとの対話『随想録』を読みながら」という記事が掲載されます。これが結構ためになりますし,いつも興味深く読ませていただいております。

 

先日の掲載分(記事)も面白かった。人間,誰とメシを食っているのかで大体その人の志向するもの,関心対象となっているもの,交友関係,もっと言えば思想傾向などを推し量ることができるようです。私自身は,菅義偉という首相にはほとんど期待してはおりませんが,菅首相が誰とメシを食っているのかが分かりました(笑)。

 

その記事には菅首相の会食相手のことが書いてありましたが,竹中平蔵やデービッド・アトキンソンなどといった人とメシを食っておられるようですね(笑)。もちろん誰とメシを食っても良いのですが,新自由主義,グローバリズム,弱肉強食,結果的に日本の形がなくなってしまうことに結びつく思想傾向が窺えます。

 

竹中平蔵といえば,パソナグループ取締役会長,オリックス社外取締役など企業人としての肩書を有する一方で,安倍政権の成長戦略のアドバイザーとして未来投資会議,国家戦略特別区域諮問会議における民間議員の肩書も持っており,彼が旗振り役となって規制緩和を推し進めた先に(例えば移民政策による安価な労働力の導入等-人材派遣のパソナグループは大喜び),彼ないし関与する企業の利益があるという,いわばマッチポンプ的な構図が出来上がっていることを強く指摘する評論もありますし,私も同感です。レントシーキングというのは,政府や役所に働きかけ,法や制度,政策を自らに都合のいいように変更させて利益を得る活動をいいます(超過利潤の追求)。彼の嫌らしさ,レントシーカー的傾向というのは,「市場と権力-『改革』に憑かれた経済学者の肖像」(佐々木実著,講談社)という本を読めば相当に理解できます。

 

それから,菅首相の会食相手の一人にデービッド・アトキンソンという人がいます(笑)。インバウンドと称して外国人観光客をどんどん入れて儲けろ(約4000万人)と進言したり,これまで日本の物づくりを下支えしてきた中小企業について,最低賃金を引き上げて経営力と競争力がない中小企業を淘汰・統合すべきだなどといった進言をしている人です。生産性の向上は必要なことですが,そんな政策で中小企業がどんどん潰れていき,多くの雇用が失われても良いというのでしょうか。デフレギャップがあるから日本経済はデフレから脱却できないのです。むしろ政府が積極的に財政出動して需要そのものを創出すべき方向へ向かうべきなのに,逆の発想になってしまっております。

 

それに,現在は新型コロナウイルス感染が猖獗を極めているため,外国人観光客は少なくなっていますが,実は私は温泉をはじめとする観光地への足が遠のいているのです。インバウンドによる外国人観光客,特にマナーの悪い観光客の存在で(敢えてどこの国とは言いません【笑】),かえって癒しを求めて静かに旅を満喫したい日本人観光客の足が遠のいている実情もあるのではないでしょうか。はっきり申し上げて,私は,大声で会話しながら浴場に入り,かけ湯もせず,乱暴に足をドポンと入れて大波を立てて温泉に入る,そういう人たちと同じ湯船には入りたくないのです(笑)。

 

菅首相が誕生した背景には,親中派の二階幹事長の存在があります。二階幹事長といえば,アメリカのシンクタンク「戦略国際問題研究所」の報告書で,名指しでその媚中政策を批判されている人物であり,菅首相はこの人物ともよくメシを食っているようです。先ほど菅首相にはほとんど期待してはいないと申し上げましたが,これまで述べてきたような人々とよくメシを食っているからであり(笑),何よりも菅首相自身の口から,これまでその国家観,歴史認識などを明確に聞いたこともないからです。

 

この日の「モンテーニュとの対話『随想録』を読みながら」という記事の中には,次のような件(くだり)がありました。

 

「『ドン・キホーテ』の中でサンチョ・パンサがこんな言葉を吐いている。『お前が誰といっしょにいるか言ってみな、そうしたらお前がどんな人間か言ってやる』という諺(ことわざ)も、また『お前が誰から生まれたじゃねえ、誰といっしょに飯食うかが問題だ』という諺も本当だとするなら、おいらは御主人のあとについて仕えてるんだから、御主人のさらに上をいく阿呆(あほう)よ」(後編第10章)

2020/10/06

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ジュリエット・グレコというシャンソン歌手のコンサートに臨み,彼女の生のシャンソンを聴くことができたのは,私にとって宝物のような体験でした。私が結婚したのが29歳の時でしたから,その1,2年前のことだったと思います。その時のコンサート会場は,その当時名古屋市千種区池下にあった厚生年金会館でした。

 

この時もグレコはお決まりの黒のドレスで,装飾は一切なし。身振り手振りを交えた,まるで女優が演技をしているような歌い方で,曲に物語性を吹き込むシャンソン歌手そのものでした。選曲も日本人好みのスタンダードナンバーが中心で,「パリの空の下」,「枯葉」,「ラ・メール」,「聞かせてよ愛の言葉を」,「詩人の魂」,「ロマンス」などを歌ってくれたと思います。また,その晩はそれだけでなくジャック・ブレルなどの新しい曲も歌ってくれました。大変満足した夜でした。

 

私は昔から音楽は好きな方で,大学生時代は,クラシック音楽(バッハ,ショパンなど),ビートルズ,シャンソンという3つの領域に熱中しておりました。シャンソンの中では特にジュリエット・グレコが大好きだったのです。それと,私の記憶に間違いがなければ,昭和54,5年当時名古屋の栄にも「ソワレ・ド・パリ」というシャンソンを聴かせてくれるライブハウスがあったと思います。司法試験に合格した先輩が,たまには息抜きということで未合格の私たち3名をその店に連れて行ってくれたことを覚えています。「そうか,司法試験に合格すれば好きな時にこういう店でシャンソンが聴けるのか。よし,早く合格しよう。」などと不遜なことを思ったものです(笑)。

 

グレコは「サンジェルマン・デ・プレのミューズ」と呼ばれたシャンソン界の女王です。第二次世界大戦中,レジスタンス運動に参加した彼女の母親が,姉とともに強制収容所に入れられたことから,15歳の彼女は一人で生きてゆかなければならなくなり,ようやくある繊維会社の電話交換手の職を見つけ,そのかたわら演劇を勉強して,端役で舞台に立ったりしておりました。そして,終戦後,サン・ジェルマン・デ・プレの地下酒場「タブー」はジャン・ポール・サルトルを中心とする実存主義者のたまり場になり,グレコもそこに出入りするうちに彼らのマスコット的な存在になり,その後歌手としてスカウトされ,スターダムにのし上がるのです。1952年には「ロマンス」でACCディスク大賞を受賞し,シャンソン歌手としての名声を不動のものにし,長期間にわたって活躍し,映画にも出演したこともあります。

 

彼女は1961年に初来日し,日本でもたびたびコンサートを開き,相当に親日家だったようです。そんな訳で私も彼女のコンサート予定をリサーチし,ようやく名古屋でも彼女の生のシャンソンを聴くことが出来たという訳です。フィリップスレコードから出ているグレコのベストコレクションのCDは私が今でも大切にしている愛聴盤です。

 

土曜日はたまたま私が自宅で一人寂しく晩酌をしており,しみじみとお酒を飲みながらユーチューブで若かりし頃のグレコの「パリの空の下」の曲と映像に接し,思わず涙が出てきそうになりました。

 

ジュリエット・グレコは去る9月23日,老衰のため93歳で逝去されました。合掌。

 

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